ヤン・ウェンリー異世界見聞録   作:ヤソウェソソー

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プラン1.DEATH NOTE-②

『完璧だ。これで僕の勝ちだ、L』

 

自室の勉強机に向かい、参考書のページをめくりながら、夜神月は内心で勝利の凱歌を上げていた。

 

部屋の中に仕掛けられた無数の小型カメラと盗聴器。それに気づいた瞬間から、月は一分の隙もない「全国模試一位の模範的な受験生」を演じきってみせた。ポテトチップスの袋の中に小型テレビを忍ばせ、左手で犯罪者の名前をノートの切れ端に書き続けながら、右手では数学の方程式を解き進める。

 

どれほどLが疑り深い男であろうと、この完全無欠のアリバイを前にしては、夜神月を「シロ」と断定せざるを得ないはずだった。

 

『あと数日でカメラは撤去される。それどころか、僕のこの並外れた落ち着きと優秀さを見れば、Lの方から僕に接触してくるはずだ。「捜査に協力してほしい」とね。そうなれば、あとは奴の懐に飛び込み、名前と顔を暴いて殺すだけだ……!』

 

背後のベッドの上で、死神リュークがリンゴを齧りながら「ククク」と喉を鳴らしている。新世界の神となる自分の前途には、もはや何の障害もない――月がそう確信し、ペンを置いた、まさにその時だった。

 

ドタドタと階段を駆け上がる荒々しい足音が響き、ノックもなしに自室のドアが乱暴に開け放たれた。

 

「月! まだ起きているか!」

 

「と、父さん……? どうしたんだい、こんな時間にそんなに慌てて」

 

振り返った月の目に飛び込んできたのは、見たこともないほど血相を変え、額に脂汗を浮かべた父・夜神総一郎の姿だった。しかも、その背後には階下の廊下まで、屈強な警察の機動隊員や特殊鑑識の捜査官たちが何人も控えているのが見えた。

 

月の心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ねた。

 

『まさか……踏み込まれたのか!? いや、そんなはずはない! カメラの映像からは何一つ証拠は出ていないはずだ。逮捕状なんて請求できるわけが……!』

 

瞬時に何通りもの言い逃れを脳内で構築し始めた月だったが、総一郎の口から飛び出したのは、月の予測を遥かに斜め上へと飛び越える言葉だった。

 

「月、落ち着いて聞くんだ。我が家が……キラ、あるいはキラを崇拝する過激派組織に狙われている!」

 

「……え?」

 

月は素っ頓狂な声を上げた。

 

「今夜、この家の周囲で不審な電波と人影が確認されたため、警察の防諜班が緊急調査を行った。そうしたら……なんと、この家の中に数十個もの違法な監視カメラと盗聴器が仕掛けられていたことが発覚したんだ!」

 

総一郎は怒りと恐怖に拳を震わせながら叫んだ。

 

「捜査本部長である私の家族を人質に取るか、あるいは暗殺するための下準備に違いない! お前の部屋にも仕掛けられている! いいか月、今すぐ母さんや粧裕と一緒に、警察の極秘保護施設へ避難するぞ!」

 

『な……なんだって……!?』

 

月の思考が、一瞬だけ完全にフリーズした。

 

カメラを仕掛けたのはLだ。そして総一郎はLと連携しているはずだ。なのに、なぜ父はそれを「キラ側の仕業」だと信じ込んでいる? Lが父親に嘘を吹き込んだのか? 何のために!?

 

「ま、待ってくれよ父さん! いくらなんでも大袈裟だよ。僕はここで受験勉強をしなきゃいけないし、それに……」

 

「ダメだ!! 命あっての受験だろう!」

 

総一郎がいつになく強い口調で遮った。そして、月の背筋を凍りつかせる決定的な命令を口にした。

 

「いいか、相手の盗聴器やGPS発信機は極めて巧妙だ。衣服の縫い目や靴底、時計の裏、ペンの軸など、あらゆる日用品に紛れ込んでいる可能性がある。したがって、この家にある私物は糸一本たりとも持ち出してはならん! 携帯電話も、財布も、その腕にしている時計も、すべてここに置いていけ! 玄関で警察が用意した検査済みの清潔な衣服に着替えてもらう!」

 

「ッ……!!」

 

月は無意識のうちに、自分の左腕に巻かれた腕時計を右手で強く押さえていた。

 

その時計の裏蓋には、特殊加工された隠しスペースがあり、そこには緊急用の『デスノートの切れ端』と小さな針が仕込まれている。これを外して家に置いていくということは、月が丸腰になることと同義ではなく、後から調べる人間に決定的な物証を差し出すことを意味していた。

 

さらに、総一郎の追撃は止まらない。

 

「お前たちが避難したあと、この家は特殊鑑識班が徹底的にクリーンアップする。壁の裏から床下、そしてその勉強机の引き出しの隅々に至るまで、ミリ単位でX線検査と解体調査を行い、危険物や盗聴器が一つもないことを確認する! さあ、早く立つんだ、月!」

 

『X線検査と、解体調査だと……!?』

 

月の全身から、一気に血の気が引いていった。

 

机の引き出しの二重底には、デスノート本体が隠されている。無理にこじ開ければガソリンが引火してノートごと燃え尽きる細工をしてあるが、それはあくまで「誰かがこっそり手で開けようとした場合」のトラップだ。プロの特殊鑑識が「爆発物や盗聴器の検査」として最初からX線を照射すれば、二重底の不自然な空間も、発火装置の構造も、中に隠されたノートの存在も、燃える前にすべて白日の下に晒されてしまう。

 

『まずい……まずいまずいまずい!! これは罠だ! 保護なんかじゃない、実質的な家宅捜索と身柄拘束じゃないか!!』

 

気づいた時には、すでに部屋の入り口は捜査官たちによって塞がれていた。

 

だが、最も恐ろしいのは、目の前にいる父・総一郎の目には「息子を疑う色」が微塵もなく、ただ純粋な「家族を守ろうとする父親の必死の愛情」しか宿っていないことだった。

 

「父さん、頼むよ! せめて自分の勉強道具と、この腕時計だけは持っていかせてくれ! この時計は、父さんが高校合格祝いに買ってくれた、僕にとって一番大切なものなんだ……!」

 

月は必死に「良き息子」の情に訴えかけた。少しでも時間を稼ぎ、腕時計だけでも死守して、トイレの中ででも父以外の邪魔者を始末するしかない。

 

しかし、総一郎は月の両肩をガッシリと掴むと、目を潤ませながら首を横に振った。

 

「月……そんな時にも、私の贈り物を気にかけてくれるのか。お前は本当に優しい、自慢の息子だ」

 

総一郎の声は震えていた。

 

「だがな、月。その時計に万が一、連中の発信機や毒針でも仕込まれていて、お前の命が奪われるようなことがあったら……私は、自分を絶対に許せない。新しい時計なら、事件が終わったあとにいくらでも買ってやる。だから今は、父さんの顔を潰さないでくれ。母さんや粧裕を安心させるためにも、長男のお前が手本を見せてくれないか……!」

 

廊下の奥からは、すでに検査済みのスウェットに着替えた母・幸子と妹・粧裕が、「月、早くして! お父さんを困らせないで!」と涙声で呼びかけてきていた。周囲の捜査官たちも、本部長親子の感動的な家族愛に気圧されたように神妙な顔で頷いている。

 

『くそっ……くそっ、くそっ、くそぉぉぉっ!!』

 

月の脳内で、何かが決定的に軋む音がした。

 

拒絶できない。

 

ここで「嫌だ、絶対にこの時計は外さない、机も触らせるな!」と暴れ出せばどうなるか。模範的で、親孝行で、聡明なはずの高校生が、命の危険が迫っているというのに頑なに私物と机に執着する――そんな異常な行動を取れば、その瞬間に周囲の警察官全員が「夜神月はおかしい」と気づき、善意の保護は即座に「重要参考人の制圧」へと切り替わるだろう。

 

これまで月が、自分をキラという疑惑から遠ざけるために丹念に作り上げてきた『夜神総一郎の完璧で善良な息子』という最強の防壁。

 

それが今、一歩も身動きを許さない鋼鉄の拘束具となって、月自身の首を絞め上げていた。

 

「……分かったよ、父さん。父さんがそこまで言うなら……従うよ」

 

引きつりそうになる頬の筋肉を、爪が掌に食い込むほどの力で無理やり抑え込み、月は「従順な息子」の微笑みを作って腕時計を外した。

 

カチャリ、と金属のベルトが机の上に置かれる音が、まるで断頭台の刃が落ちる音のように部屋に響いた。

 

「すまないな、月。すぐに終わる。鑑識の連中、息子の部屋だ、くれぐれも丁寧に調べてくれよ!」

 

「はっ! まずは机とベッド周辺から、X線スキャナーを搬入します!」

 

総一郎に背中を抱かれるようにして部屋を連れ出される月の横を、大型の検査機材を持った鑑識課員たちが次々とすり抜けていく。

 

背後の部屋で、リュークが腹を抱えて笑い転げている気配がした。

 

一時間後。

 

都内の警察施設の一角にある、窓一つない真っ白な「特別保護室」のベッドの上で、夜神月は支給された灰色のスウェット姿のまま、毛布を頭から被って小刻みに震えていた。

 

隣室の母と妹はすでに眠りについている。ドアの外には二名の武装警官が「護衛」として立ち、室内には「安全確認用」の監視カメラが堂々と回っている。手元にはペン一本、紙切れ一枚すらなく、もちろん腕時計もない。

 

「ククク……おいおいライト、お前の机の引き出し、見事にバラされちまったみたいだぜ? 発火装置ごと綺麗に解除されて、今ごろノートはLのところへ運ばれてる頃合いだな」

 

壁をすり抜けてやってきたリュークが、ベッドの脇にしゃがみ込んで面白そうに言った。

 

毛布の下で、月の顔は悪鬼のように歪んでいた。唇を噛み切り、血が顎を伝って落ちるのも構わず、彼は声にならない呻きを押し殺していた。

 

『おかしい……こんなはずじゃない……! こんなやり方、Lのやり方じゃない!!』

 

月はこれまでのLのプロファイリングを完璧に把握していた。

 

Lという男は、良くも悪くも「ゲーム」の住人だ。自分の知性に絶対のプライドを持ち、怪しい人間がいれば自ら揺さぶりをかけ、一対一の心理戦で相手を論破し、屈服させることに執着するタイプのはずだった。だからこそ、月も同じ土俵に立ち、完璧な演技でLを迎え撃つ準備をしていたのだ。

 

だが、今回の一手はどうだ。

 

月の演技に付き合うことすらしない。心理戦の土俵にすら上がらない。ただ外堀を埋め、父親の愛情と善意という「月が絶対に攻撃できない盾」を前面に押し出し、圧倒的な物理的・組織的包囲網によって、戦う前に月の手足を完全に千切り取ってみせた。

 

そこには、名探偵としてのプライドも、キラへの敵愾心すらも感じられない。

 

ただ、「どうすれば最も確実で、最も労力をかけずに、相手の最大の武器を無力化できるか」という、冷徹極まりない軍略だけがあった。

 

『誰だ……!? Lの後ろに、誰がいる!? 僕をこんな道化のように扱って、戦うことすら許さずに詰ませた奴は、いったいどこの誰なんだ……!!』

 

新世界の神となるはずだった少年の孤独な絶叫は、分厚い防音壁に吸い込まれ、誰の耳にも届くことはなかった。

 

同時刻、セーフティハウス内。

 

特殊鑑識班から届けられたジュラルミンケースが、テーブルの上に置かれていた。その中には、精巧な二重底と発火装置から無傷で回収された、一冊の黒いノート――『DEATH NOTE』が収められている。

 

「……本当に、あなたの言った通りになりましたね、ヤンさん」

 

モニターに映し出される、保護室で毛布を被って蹲る夜神月の姿を見つめながら、Lは呆然と呟いた。あれほど自分を悩ませ、世界中の警察を手玉に取っていた史上最悪の大量殺人犯が、わずか数時間の「避難誘導」によって、一発の銃弾も使わずに完全に無力化されてしまったのだ。

 

「やれやれ、だから言っただろう? 要塞というものはね、正面から力攻めにするより、城主が自分で城門を開けたくなるように仕向けるか、あるいは城ごと孤立させて兵糧攻めにする方がずっと安上がりなのさ」

 

仮眠室から寝ぼけ眼で出てきたヤン・ウェンリーは、パジャマの上にジャケットを引っ掛けただけの格好で、ワタリが淹れ直した紅茶を美味しそうにすすった。

 

「さて、これで凶器と犯人は確保できたわけだ。ただね、L、まだ気を抜かない方がいいよ」

 

「……まだ、何かあるのですか?」

 

「そのノートがどういう理屈で動いているのかは知らないが、もし私があの夜神月という青年なら、自分が捕まった時のための『保険』くらいは用意しようとするはずだ。まあ、今回の件はあまりにも急だったから間に合わなかっただろうが……この世にその魔法のノートが『一冊だけ』とは限らないからね」

 

ヤンは何気ない風を装って、さらりと恐ろしいことを言った。

 

「人間の歴史において、新兵器というものは必ず複数製造されるものさ。第二、第三のキラが現れる前に、そのノートのルールを徹底的に調べておくことだね。……もっとも、そのノートに決して自分の名前を書いたりしないように気をつけたまえよ。私はこれ以上、残業が増えるのは真っ平ごめんだから」

 

そう言ってひらひらと手を振り、再び仮眠室へと戻っていくヤンの背中を見ながら、Lは深く、長い吐息を漏らした。

 

神を気取った天才高校生・夜神月の野望は、彼がその顔すら知らないままの、一人の怠惰な歴史家によって、あまりにも呆気なく幕を下ろしたのだった。

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