乱世を生き抜いた老人は、幾多の戦いを勝ち抜いてきた者たちだ。
例え行く手が悪路でも、難路でも、道なき道でも構わない。
老騎士と老馬は、二人で幾多の荒れた道を越えていく。
彼らを敵は恐れ、絶望する。味方は崇め、希望を持つ。
人は老騎士と老馬をこう呼ぶ王国の守護者と。
これは、そんな一人と一頭が歩む、最後の冒険物語。
儂は先日まで、タルタース王国近衛騎士団の団長を務めていた。
王国では負け知らず。誰もが儂を最強と呼んだ。
帝国との戦で、儂を殺そうとした者は千を超える。
だが、誰一人として儂を殺せなかった。すべてこの剣でねじ伏せてきた。
恐れた帝国は、儂に百万ゴールドの懸賞金を懸けた。平民なら、二度の人生を裕福に暮らせるほどの額だ。
敵は儂を恐れ、絶望する。味方は儂を崇め、希望を持つ。
いつしか、儂を王国の守護者と呼ぶ声が増えていた。
このまま一生、騎士として生きるのだと思っていた。
だが、儂は老いた。弟子に敗れたのだ。
かつては鼻垂れ小僧だったウィリアムも、二十七にして儂を超える剣士になった。
勝負に敗れたからといって、儂が弱くなったわけではない。今も王国で指折りの剣士である自負はある。
だが、奴は儂を越えた。王国はこれから、あの男に託すべきだろう。
思えば、予兆はあった。
剣を初めて手にした頃より、重く感じるようになった。
何千、何万と振ってきた剣だ。昔は何度振っても疲れず、戦場に出れば帝国兵を蹴散らした。
技は磨かれ、強さは果てなく伸びていく。そう信じていた。
儂を殺せる者はいないと思っていた。
だが、いたのだ。儂の一番近くに。
剣の腕は、いつか誰かに越される。
それもまた、自然の摂理なのだろう。
騎士として五十年。儂は初めて一か月の休暇を取った。
団長の任はウィリアムに譲ったが、騎士を辞めたわけではない。
魔王軍との戦いは、これから激しくなる。新しい者が上に立つ方が、王国のためになることもある。用事が済めば、儂はまた戻るつもりだ。
なぜ休暇を取ったのか。
答えは簡単だ。騎士として再び剣を取る前に、剣士として生きてきた証を刻むためだ。
タルタース王国には、古い伝承がある。
剣士は一年目に空を切る。十年目に人を切る。三十年目に岩を切る。五十年目には龍を絶つ。そして八十年目には、切った岩で己の墓を建てる。
儂は十五で騎士になり、そこから五十年を過ごした。今や六十五歳。三十年目には大岩を切った。墓を建てる準備もしてある。
だが、龍だけは切っていない。
今まで数多くの魔物を切ってきた。ゴブリン王国のキングゴブリン、迷宮に眠る魂を操るリッチ、王国を呑み込もうとした巨大なワーム。その功績を認められ、儂は近衛騎士団長にまで上り詰めた。
それでも、龍だけは違う。
この六十五年の重みを預けた剣に、龍の血は一滴もついていない。
龍が本当に存在するかは分からぬ。だが、儂は切らねばならない。
神の成り代わり、世界の支配者、大空の暴君――龍を。
「おっと。休暇を取ったばかりだというのに、長居をしてしまった。儂に残された時間は多くない。行こうか、ベイヤード」
愛馬の頭を撫でる。ベイヤードは嬉しそうに首を揺らした。
魔物の血を引く珍しい馬で、若い頃は気性が荒く、気に入らぬ人間を乗せれば大怪我をさせた。今は儂と同じく老いたが、その足取りはゆっくりでも、地面を確かに踏みしめている。
「もうしばらく付き合ってもらうぞ」
儂らは、龍の目撃情報があった北部のサルトマン領へ向かった。
半月後、サルトマン領に着いた。
龍の目撃情報があったのは一か月前。真偽は定かでない。目撃が途絶えたため、王国は龍の捜索を打ち切り、魔王軍への備えに力を注いでいた。
だが、儂には嘘だと思えなかった。
この地には、古い龍の伝説がある。
人を喰らい、世界を滅ぼす龍。それを封じるため、人々は一振りの剣を作った。その剣の名はクサナギ。伝承に名を残す剣士スサノが龍を斬り、祠に封じたという。
古い話だ。真偽など分からぬ。それでも儂は、運命の気配を感じていた。
大天山を目指して進む。道中、魔物の軍勢が現れたが、ベイヤードとともに蹴散らした。
妙なことに、その軍勢には指揮官らしい者がいなかった。魔王軍とは別の動きに見えたが、今は龍が先だ。
山の入口まで来たところで、道を巨大な岩が塞いでいた。
「ふむ。儂を龍から遠ざけるつもりか」
ベイヤードが小さく鳴く。
「分かっている。お前を置いていくつもりはない」
迂回路を探したが、どこにも道はなかった。いったん山を下り、麓の町ソバラトへ向かう。今夜は町で休み、明朝また考えよう。
町の規模は大きくも小さくもない。魔王軍との戦争のためか、男手が少ないように見えた。宿は一軒だけだった。
「素泊まりで一泊頼みたい」
「騎士様とは珍しいですね。一泊六十ゴールドです」
「愛馬もいる。構わぬか」
「はい。お馬さんと一緒なら八十ゴールドです」
宿屋の娘は、儂を物珍しそうに眺めた。
「もしかして、龍の噂を聞いて来たんですか?」
「龍を知っているのか」
興奮して身を乗り出すと、娘は驚いて後ずさった。
「わわっ、びっくりするじゃないですか!」
「すまぬ。ついな」
「でも、やめた方がいいと思います。龍を知って来た冒険者や傭兵は、帰ってこないか、何もできずに戻るかのどちらかですから」
「それほど危険なのか」
「ええ。それに、あの有名な不死の剣士様も、まだ帰ってきていません」
「なんと、あの男が」
不死の剣士。その身に受けた傷が、瞬く間に再生する男だ。自称世界で一番美しい剣士。
以前手合わせしたときは、いくら斬っても立ち上がってきた。最後は剣の柄で顎を打ち、脳を揺らして気絶させた。
普通なら避ける一撃だが、奴は慢心して受けたのだ。
「お知り合いなんですか?」
「知り合いではない。有名な剣士ゆえ、一度手合わせをしただけだ」
「なんだ。驚かせないでくださいよ」
奥から怒鳴り声が聞こえた。娘は分かりやすく震え上がる。
「あっ、洗濯物を忘れてた。お客さん、これ鍵です!」
鍵を渡すと、娘は慌ただしく奥へ走っていった。
騒がしい娘だ。この乱世であれほど元気なら、どこでも生きていけるだろう。
それにしても、宿代を払わずに鍵を渡すとは。カウンターに八十ゴールドを置き、階段を上った。
部屋は簡素だが、寝心地は悪くない。馬小屋も使えて八十ゴールドなら良心的だ。
「ふふ。試練は困難なほど燃えるものだ」
小さく笑い、ベッドに潜った。
肌寒さで目が覚めた。窓の外では朝日が昇り始めている。
身支度を整え、階段をゆっくり下りると、カウンターには娘ではなく、迫力のある女が立っていた。
「早いね」
「年寄りの朝は早いものだ」
「あんたも、あの山に行くのかい?」
鍵を返しながら頷く。
「あの娘が、あんたを気に入っていたからね。できれば行ってほしくないんだけど」
「娘に伝えておけ。騎士はそう簡単にはくたばらん」
「ふふ。不死の剣士様も、同じようなことを言っていたよ」
「……撤回する。危なくなったら逃げてくる」
「それがいい。どんな人間だって、死んだら終わりだ。生きていれば、いくらでも次の機会がある」
女の言葉を背に、宿を出た。隣の馬小屋では、ベイヤードがすでに目を覚まして待っていた。
「年寄りは早起きになるものだな」
儂はベイヤードを連れ、町を出た。
山に戻ったのは昼前だった。道中の魔物を放っておけず、多少時間を取られたのだ。
山へ続く道を上がると、昨日まで塞いでいた巨大な岩が、見事に真っ二つに切られていた。
「なんと……これほどの岩を、綺麗に切れる者がいるとは」
儂にもできるかもしれぬ。だが、先に剣の方が耐えられまい。
驚きと敬意を覚える。同時に、焦りが胸を刺した。これほどの剣士が龍へ向かったのなら、先を越されたかもしれぬ。
山を駆け上がる。昨日よりも静かな山に、嫌な予感が募った。勘もまた、剣士に欠かせぬ力の一つだ。
その勘は当たった。
「龍の首……」
山の奥に、龍の亡骸が横たわっていた。全身に切り傷があり、首は綺麗に落とされている。傷からは魔力を感じた。
剣士は魔力で身体を強化する。だが、身体の外へ魔力を放てるのは魔術師だけだ。
それでも、剣に魔力を帯びさせて斬った者がいる。そんな剣は、勇者の剣を除けば存在しないはずだった。
ならば、これは伝承に語られる剣なのか。
悔しさなら、地面を転げ回るほどある。
だが、同じくらい歓喜していた。龍は本当にいた。
その事実だけで、儂の旅には意味があった。
「龍は討たれた。ならば、国へ戻るほかあるまい」
「二つだ。計画を狂わせたイレギュラーは二つ」
背後から声がした。振り返ると、フードを被った男が立っている。
「何者だ」
儂は剣の柄に手をかけた。ベイヤードも身構える。
男は左手の人差し指を立てた。
「一つ目は、何度殺しても死なない不死の剣士」
中指を立てる。
「二つ目は、呼び出した龍を斬りやがった剣士だ」
男は指を下ろし、両腕を空へ掲げた。
「だが、お前が来てくれたおかげで、失敗を取り返す手立てができた」
フードが外れた。片目には深い傷があり、右腕は人のものとは思えないほど紫色に変じ、魔力を放っていた。
「魔族か」
魔族となると厄介だ。魔物と違い、高い知性と魔力を持つ存在だ。
儂の人生で魔族と戦ったことはそう多くないが、どれも強者で、苦戦を強いられた。
「俺を忘れたのか、くそじじい」
「儂の知り合いに、貴様のような化け物はいない」
「ひどいな。俺をどん底に落とした張本人がよ!」
男の腕から、感情に呼応するように魔力が膨れ上がる。
「俺は元ジーン帝国第三師団長、グレン・オスカールだ。ナラクの戦いで、お前に腕と左目を斬られた!」
儂は剣を持たぬ左手で顎髭を撫で、記憶を探った。だが、何も思い出せない。
「はて、いたようないなかったような。帝国兵を斬りすぎて、記憶が曖昧でな。第一師団長のマルコゲ・ガーストなら覚えている。あれは強敵だった」
「老いたか王国の守護者」
グレンの腕に茨のような棘が生え、身体を超えるほど肥大した。
儂には昔から悪い癖がある。弱者の顔はすぐに忘れてしまう。何度それで怒って斬りかかられたことか。
「お前に敗れ、敗走の責任を問われて帝国を追われた。だが、そのおかげで魔王様と出会えた。そして今の俺になれたんだ」
「魔王に魅入られたか」
「魔王様は、かつての仲間を集めている。世界を侵略するためにな。龍を呼び出したのも、その計画の一環だ。だが、俺は失敗した。それでも王国最強の近衛騎士団長、お前の首を差し出せば、失敗を取り返せる!」
グレンが地面を蹴った。巨大な拳が迫る。
至高の鍛冶師ラザンが鍛えた愛剣アスカロンを抜き、両手で構えた。刃が陽光を受けて煌めく。
「スラッシュ!」
剣士が最初に習う技。簡単だから習うのではない。剣を振るう基本が、この一振りにすべてあるからだ。
振り下ろした刃が拳を裂き、その先の山肌に長い亀裂を走らせた。
「どうした、グレン。儂を殺すのだろう。呆けている暇があるなら、さっさと来い」
男の顔から血の気が引き、ズボンに染みが広がった。
その顔を見て、ようやく思い出す。腕を斬られ、失禁しながら逃げた兵士だ。切る価値もないと見逃したのだった。
「思い出したぞ。あのとき、しょんべんを漏らして逃げた男か」
「うわあああ! お前だけは許さない!」
切られた腕は、たちまち再生した。
「この腕は何度でも戻る。不死の剣士をも凌駕する力だ」
「なるほど。その力で、奴を打ち破ったか」
「あいつとの戦いで魔力を使い果たした。回復に手間取ったせいで、龍の討伐を邪魔できなかったんだ!」
グレンは怒りに任せて腕を振るう。儂は攻めず、攻撃をかわしながら言葉を引き出した。
「龍の首を持ち帰ればよかろう。龍より強いと報告すれば済む話だ」
「黙れ! 魔王様に嘘は通じない。求めるものは力のみだ!」
拳が地面を叩き、亀裂が走る。
「貴様に教えてやる。剣とは何か。騎士とは何かをな」
「うるさい! 力こそすべてだ。力があれば世界を掌握できる!」
「剣の腕はいずれ誰かに越される。だからこそ、力を何に使うかが大切なのだ」
「儂にとって強さとは、弱い者に慈悲を与え、力に溺れる者に報いを与えること。どれだけ力があろうとも、その心を失った者は、騎士にも人にもなれぬ!」
拳が地面を叩き割った。亀裂がベイヤードの足元へ伸びる。
「卑劣な男よ。だから貴様は負けるのだ」
ベイヤードは割れた地面をものともせず、儂のもとへ駆け寄った。地面が崩れる前に鞍へ飛び乗る。
「行くぞ、ベイヤード!」
ベイヤードが拳をかわし、儂をグレンの懐へ運ぶ。
愛馬と儂の呼吸が重なった。その姿はまさしく人馬一体。
「儂の道に、一切の迷いなし。進み続けるがゆえに、王道である!」
剣を振り抜く。
刃はグレンの首を断った。
「あ……嘘だ。俺が負けただと。ありえない。この力があれば、俺は見返せたはずなのに」
「自分の力ではないものを得て見返したところで、空しいだけであろう」
「龍は倒された。だが、魔王様の仲間は各地にいる。俺を殺しても、侵略は止まら……ない」
グレンの身体は塵となり、風に消えた。
「証拠を残さぬか。どこまでも捨て駒だったようだな。魔に魅入られた哀れな男よ」
儂は布で龍の首を包み、ベイヤードに乗って山を下りた。龍の首を持ち帰れば、調査が進む。いつか、龍の伝説の真相も分かるかもしれない。
町へ戻ると、夕陽が沈みかけていた。宿屋では、娘が退屈そうにカウンターへ肘をついていた。儂を見るなり、目を輝かせる。
「あ、騎士様! 帰ってきてくれて嬉しいです。でも、龍からよく逃げられましたね」
「儂が逃げるのは、王が命じたときだけよ」
龍の首を包んだ布をカウンターに置く。
「あれ、龍以外にも魔物がいたんですか?」
「開けてみよ」
娘が布をほどく。龍の目と目が合った。
「ぎゃあああ!」
「りゅ、龍!? 騎士様が殺したんですか?」
「なんだい、うるさいね」
奥から母親が現れ、首を見るなり娘と同じように悲鳴を上げた。
「本当に龍なのかい……」
「いや、儂が斬ったのではない。何者かが、すでに倒していた」
「なんだ。びっくりさせないでくださいよ」
この親子は、本当に似ている。驚く様がそっくりだ。見ていて驚かしがいがある。
「でも、それならおかしいね」
「何がだ」
「今日泊まるお客さんは、あんただけだよ」
娘も母親と同じように首を傾げた。
「たしかに、この町を通らず別の町へ行くとは考えにくい」
そのとき、宿の扉が開いた。
腰にはどこにでも売っている安物の剣。もう一本は布で巻かれている。だが、そちらからは膨大な魔力を感じた。
「失礼。泊まれる部屋はあるか……おい、なぜこの町に龍の首がある」
「貴殿は、この首を知っているのか」
「ああ。我が斬った龍である」
儂は驚きを隠せなかった。
男は浮浪者のような身なりをしている。伸びた髭に、穴の開いた服。だが、その佇まいは紛れもなく剣士だった。
龍を斬ったほどの剣士だというのに、儂の知らぬ男だ。
「貴殿、名は何と申すか」
「我か。我の名はムラクモ。山の里に生まれた、名もなき剣士である」
「そうか、ムラクモ殿。貴殿の成果を奪う気はない。龍を調べたくて、首を持ち帰ろうとしていたのだ」
「我に龍への興味はない。好きにすればよい。ただ、我が名乗ったのだ。そなたも名乗るのが礼儀であろう」
「失礼した。儂はゲオルギウス。人は儂を王国の守護者と呼ぶ」
偶然出会った二人の剣士。
それは偶然の出会いか、あるいは必然か。
これから先、二人がどのような道を進むのか、本人たちにもまだ分からない。
その頃、月夜の森で、一人の男が目を覚ました。
服も剣もなく、身体に傷一つない。
「困ったものだ。俺様が美しすぎて、神は俺様まで呼び戻してしまったようだ。ハハハハハ!」
そこにはまた偶然に呼ばれた男がいた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
そうです、人気があろうとなかろうと思いついたなら書かざるを得ないのが作家の性。
前作『我は剣士なり、岩を切る』こと、岩剣士の続編です。
なぜか、この山に集まる剣士たち。果たして彼らは偶然なのか必然なのか作者も分からない。