第1話:自販機裏の乱数調整
「いい? 悠仁、恵、野薔薇。高専の敷地内にはね、一人だけ『生ける呪術界の恥』みたいな2年生が隔離されてるんだ」
十月の中旬。少し肌寒くなってきた高専の廊下で、五条悟は人差し指を立てて、いつもの軽い調子で笑っていた。
任務帰りの虎杖悠仁、伏黒恵、釘崎野薔薇の3人は、その男の「最低のやらかし」を、怪談でも聞くような顔で耳にしていた。
「去年、彼が2年生の時の京都姉妹校交流会、君たち知らないでしょ? 彼のせいで団体戦が『なかったこと』になったんだから」
「確か大変な事になったと言ってましたね」
伏黒が怪訝そうに眉をひそめる。
「そう。団体戦の開始直後、彼、領域展開して京都校の全員を自分の領域の中に引きずり込んだんだよね。で、初手で『
「……防衛戦術ですか?」
「ううん、ただの
釘崎が心底ゴミを見るような目で吐き捨てた。
「クズね。関わりたくないわ」
「でしょ? ちょうど今月、その謹慎が明けて2年生に復帰したんだけどさ。見かけても絶対にお金貸しちゃダメだよ。あいつの術式は借金の催促から身を守るために洗練されてるからね。じゃ、先生これから出張だからバイバーイ!」
手を振って宇宙へ行くような軽さで去っていく最強の術師を見送りながら、伏黒はひとつ、ため息をついた。
「……関わらないのが一番だな」
「一日中領域を出し続けるってどう言う事なのよ」
だが、その決意は、わずか三分後に粉砕されることになる。
「あー……クソ。なんでここで
喉を潤そうと立ち寄った高専の裏手、自販機コーナーの日陰。ポツポツと地面に撒かれたタバコの吸い殻の真ん中で、ヨレヨレの緑のジャージを着た男が、魂の抜けたような顔でスマホの画面を睨みつけていた。
寝癖で鳥の巣のように爆発した頭、胸元には、締まりの悪いジッパー。目の下には深刻なクマ。口元には今にも灰が落ちそうなタバコ。
見るからにヤバそうな奴が居座っていた。
虎杖たち3人、彼らを見つけるや否や、男の濁った両目が、獲物を見つけた猛獣(ただし、死ぬほど怠惰な)のようにギラリと光った。
「お、高専のピチピチの1年生じゃん。……ねぇ、ちょっと君たち、おいちゃんに千円、いや五百円でいいから
すっと立ち上がったジャージの男、
五条の忠告を思い出した伏黒が、瞬時に一歩前に出て、虎杖を背後に隠す。
「雀ヶ原先輩ですね。お金は貸せません。五条先生から聞いています」
「えー、悟のやつまた変な噂流してんの? 酷いわー、これだからイケメンは信用できねぇ。違うんだって、次の東京11レースの1番人気がさぁーー」
「ちょっと、そこのジャージニート!」
釘崎が顔を真っ赤にして怒鳴りつける。
「五条先生から全部聞いたわよ! 去年の交流会、アンタのせいで台無しになったんですってね!? 謹慎明けたばっかでそれとか、恥を知りなさいよ!」
「んー?
ヘラヘラと、のらりくらりと言い訳を並べる雀ヶ原。だが、伏黒の目は誤魔化せなかった。
ジャージのポケットに手を突っ込んだ男の周囲、そこに漂う呪力の密度が、異常なのだ。
(……なんだ、この薄気味悪い呪力の練り方は)
男の呪力は、まるで綺麗に整列した麻雀牌のように、寸分の狂いもなく精密にカットされ、自身の気配を完全に殺している。いつでも「世界のルール」を書き換え、領域を押し通せるだけの、異質な結界術の気配がそこにはあった。
その時、伏黒の背後から、一人の男が目を輝かせて飛び出した。
「先輩!! さっき『ハネ満』って言いました!? 先輩も打つんすか!?」
「悠仁、下がれ!」
伏黒の制止も虚しく、虎杖は雀ヶ原の前に進み出ると、ポケットからクシャクシャの千円札を取り出した。
「俺、地元で『パチンコ大王』って呼ばれてたんすよ! 先輩、競馬終わったら高専のロビーでドンジャラやりましょ!」
「おっ、話がわかるねぇ、ツラがいい1年生! 千円あざす! 明日倍にして返すわ!」
「何してんのよ 悠仁!アンタ何貸してんのよバカ!!」
「虎杖、返してもらえ。その人は絶対に返さない」
釘崎の絶買いと伏黒の冷たい視線の中、雀ヶ原は千円札をジャージのポケットにねじ込み、親指を立てて不敵に笑った。
「いーじゃん、これぞ『鳴きアシスト』ってね。お前らいい奴だな。渋谷の美味いラーメン屋、今度奢ってやるよ」
もちろん、虎杖の金で、である。
雀ヶ原はスマホをポケットに放り込むと、トボトボとした足取りで、また高専の奥へと消えていった。
「行ったわね、あの粗大ゴミ……」
釘崎が忌々しそうに腕を組む。
「おい虎杖、絶対にあの金は返ってこないぞ」
伏黒が呆れたように告げるが、虎杖は「えー、でもなんか面白そうな先輩じゃん?」とケラケラ笑っていた。
その千円札が、どのような形で返ってくるのか。
あのジャージの先輩が口にした「渋谷」という言葉が、どれほど血生臭い戦場を指すことになるのか。
この時の彼らは、まだ知る由もなかった。