冒険者になった猫 ~話せないけど、言葉はわかります~   作:播磨 由道

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第14話 洗濯日和

初めて魔法を使ってから、三日が経った。

あれから吾輩は、毎日欠かさず風魔法の練習をしている。

場所はギルド裏の空き地か、宿の裏庭だ。

 

成果を報告しよう。

吾輩の風は、相変わらず扇風機の「弱」である。

 

(いや、待ってほしい)

 

腹の奥の温かい塊を集める。

毛が逆立つ。

前世のワンルームにあった、量販店で一番安い扇風機を思い浮かべる。

 

そこまでは完璧だ。

問題はその先で、「中」のボタンを押すイメージを送り込んだ瞬間、なぜか集中がぷつりと切れる。

結果、吾輩の前には何事もなかったかのような静けさだけが残る。

 

「最初はみんなそんなものよ。焦らず毎日続けなさい」

 

カティアはそう言っていた。

 

腕を組んで、先輩魔術師らしい落ち着いた口調だった。

ただ、口元がわずかに緩んでいたのを吾輩は見逃していない。

 

魔力Aの猫に負けたショックから、ようやく立ち直りかけているらしい。

教える側が教わる側の伸び悩みにほっとするのはどうかと思うが、気持ちはわからなくもない。

前世でも、優秀すぎる新人が入ってきたときの先輩社員は、だいたいあんな顔をしていた。

 

(あの扇風機、「中」と「強」をほとんど使った記憶がないんだよな)

 

電気代が怖くて、いつも「弱」だった。

首振りボタンも壊れていたから、風は常に一方向。

イメージの元が貧乏性なのだから、出てくる風が貧乏性なのも当然かもしれない。

 

異世界転生モノの主人公なら、初めての魔法で山の一つも吹き飛ばすものだ。

周りが「なんだ、あの魔力は……!?」とざわめくのがお約束だろう。

吾輩の魔法がざわめかせたものといえば、空き地のタンポポの綿毛くらいである。

 

(神よ。せめて家電量販店の上位モデルの記憶をくれ)

 

   *

 

その日は依頼の谷間で、パーティは休みだった。

曇り空の下、宿の裏庭では、セリアがたらいで洗濯をしていた。

女将のマルタさんも、隣で宿のシーツを物干し竿に掛けている。

 

マルタさんは、汚れていた頃の吾輩の入室を断固として拒否した人物である。

洗われて白くなった今は入れてもらえるが、廊下を歩くたびに視線で毛並みを検品されている気がする。

前世でいえば、品質管理部の部長だ。

 

「うーん、今日は乾かなそうだなあ」

「この空じゃ、夕方までかかるでしょうね」

 

二人の会話を聞きながら、吾輩はひらめいた。

 

干された洗濯物。

湿った空気。

そして吾輩の手元――いや、腹の奥には、扇風機の「弱」がある。

 

(これだ)

 

前世の梅雨時、部屋干しの洗濯物に扇風機を当てていた記憶がよみがえる。

あれは乾く。

確実に乾く。

 

吾輩は物干し竿の前に陣取り、毛を逆立てた。

 

「ニャア(部屋干しモード、起動)」

 

そよそよと、風がシャツの裾を揺らす。

 

弱い。

だが、吾輩の「弱」は、扇風機と違って電気代がかからない。

つまり、つけっぱなしにできる。

 

「あれ? シロ、それ、もしかして乾かしてくれてるの?」

 

「ニャア(はい)」

 

吾輩は右の前足を上げた。

 

「すごい! シロ、えらい!」

 

セリアが吾輩を抱き上げて、頬ずりをしてきた。

 

猫の扱いがダイナミックなのは相変わらずだ。

集中が切れて、風が止まった。

 

「ニャア(降ろしてくれ。業務が中断している)」

 

小一時間後、セリアの洗濯物は見事に乾いていた。

マルタさんは、乾いたシャツと吾輩を交互に見て、眉をひそめた。

 

「……あんた、本当にただの猫なのかい」

 

(それは吾輩が一番知りたい)

 

鑑定紙によれば、種族は「ねこ?」である。

疑問形で返されても困る。

 

   *

 

調子に乗った吾輩は、その後も風魔法の使い道を探した。

 

濡れた床を乾かす。

かまどの火をおこすのを手伝おうとして、灰を盛大に舞い上げる。

パン生地に風を当てて、マルタさんに無言で裏庭へ放り出される。

 

(新規事業は失敗から学ぶものだ)

 

前世の会社でも、新しいプロジェクトの八割は失敗していた。

残りの二割も、だいたい吾輩の残業で帳尻を合わせていた。

 

結局、一番好評だったのは、セリアの髪を乾かすことだった。

 

井戸の水で髪を洗ったセリアが、濡れた金髪のまま縁台に座る。

吾輩はその後ろで、毛を逆立てる。

 

「わあ、あったかくはないけど気持ちいい!」

 

(ドライヤーではなく扇風機だからな。温風機能は別売りだ)

 

肩甲骨にかかる長い髪が、そよ風に揺れて少しずつ乾いていく。

セリアは目を細めて、鼻歌まで歌い始めた。

 

「昔ね、こうやって髪を乾かしてくれる人がいたの。わたし、じっとしてられなくて、いつも怒られてたなあ」

 

「ニャア(お母さんか?)」

 

「……あ、ううん。なんでもない」

 

セリアは小さく首を振って、それきりその話をしなかった。

はい・いいえでしか答えられない吾輩には、続きを尋ねる手段がない。

 

「シロがいれば、冬でも髪が早く乾くね」

 

(冬に扇風機を当てたら、風邪をひくと思うぞ)

 

そう思いながらも、吾輩は風を止めなかった。

社畜時代、誰かに「ありがとう」と言われる仕事は、そう多くなかった。

ほんの少しだけ、悪くない気分だった。

 

ところで、吾輩にはもう一つ、使える魔法がある。

雷魔法だ。

 

(……あれは、やめておこう)

 

雷をイメージしようとすると、どうしても前世の電線が浮かぶ。

「高圧線に近づくな」という看板。電柱の上で火花を散らす変圧器。

あれを腹の奥で増幅して、猫の体から撃ち出すのだ。

 

想像してほしい。

扇風機の「弱」しか出せない新人に、いきなり変電所の操作を任せるようなものである。

 

研修もマニュアルもない。

事故が起きたら、始末書では済まない。

 

(少なくとも、セリアの濡れた髪のそばで試すものではないな)

 

吾輩は雷魔法のファイルを、頭の中の「保留」フォルダにそっと移した。

 

   *

 

そのとき、宿の裏口からマルタさんが出てきた。

縁台で髪を乾かしているセリアを見て、目を吊り上げる。

 

「お嬢様! 濡れた髪のまま外にお出になるなんて、お風邪を――」

 

そこまで言って、マルタさんの口がぴたりと止まった。

 

一瞬、裏庭の空気が固まった。

吾輩の風も、つられて止まった。

 

「……セリアさん。乾いたら、さっさと中に入りなさいな」

 

マルタさんは一つ咳払いをして、何事もなかったように宿の中へ戻っていった。

 

「も、もう、マルタさんったら。大げさなんだから」

 

セリアは笑っていた。

だが、その笑顔は少しだけ似ていた。

取引先の前で、上司の失言をフォローする営業担当の顔に。

 

(お嬢様、ね)

 

聞き間違いかもしれない。

女将の口癖かもしれない。

昔、髪を乾かしてくれた人。

お嬢様。

二つの言葉が、吾輩の頭の中の付箋に並んで貼りついた。

とはいえ、前世で何百回と会議に出てきた吾輩の勘が、「ここは議事録に残すな」と告げている。

 

人には、言いたくないことの一つや二つある。

吾輩はというと、言いたくないことより、言えないことのほうが多い。

前世のことも、漢字で書かれた名前のことも、右と左の前足だけでは説明のしようがないのだ。

 

「シロ、続きお願い!」

 

「ニャア(了解した)」

 

吾輩は再び毛を逆立てて、扇風機の「弱」を思い浮かべた。

首振りボタンの壊れた、一方向にしか吹かない、安物の風。

それでも今は、この風がセリアの髪を揺らしている。

 

どうやら吾輩の風魔法は、世界を救うより先に、洗濯物と髪を乾かすためにあるらしい。

 

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