冒険者になった猫 ~話せないけど、言葉はわかります~ 作:播磨 由道
「ネズミ駆除、ですか?」
セリアが聞き返すと、受付のエレナさんは完璧な営業スマイルでうなずいた。
「ええ。ハーゲン商会さんの倉庫で、最近ネズミの被害がひどいそうなんです。報酬は銀貨八枚。Eランクの依頼としては、悪くない条件だと思いますよ」
翌朝のギルドである。
依頼の谷間が明けて、吾輩たちは久しぶりに掲示板の前に立っていた。
「おい、俺たちは冒険者だぞ。ネズミ捕りは猫の仕事だろ」
「だから、その猫がいるじゃない」
「……」
ジェイクの抗議は、カティアの一言で沈黙した。
四人分の視線が、セリアの足元に座る吾輩に集まる。
(嫌な予感しかしない)
前世の会社でもあった。
「君、前の部署で経理やってたよね?」の一言で、なぜか社内の飲み会の会計を全部押しつけられる現象である。
人はそれを適材適所と呼ぶ。
吾輩は職務範囲外と呼ぶ。
案の定、後ろのテーブルから笑い声が上がった。
「聞いたか? 猫使いのパーティがネズミ退治だとよ」
「そりゃ天職だ。猫に任せときゃ報酬丸儲けじゃねえか」
セリアの頬がぷくっと膨らむ。
メアリーが「あらあら」と微笑み、ジェイクが舌打ちをした。
(言わせておけ。こちらは中身が三十代の元社会人だ。この程度の野次は、朝礼の訓示より聞き流しやすい)
問題は、そこではない。
(吾輩、ネズミを食べる気はまったくないのだが)
前世の記憶が戻ってから、吾輩の食生活は人間寄りだ。
干し肉、パン、祝勝会の肉料理。
生のネズミは、どう考えてもメニューに載っていない。
「シロ、やってくれる?」
セリアがしゃがみ込んで、吾輩の顔をのぞき込んだ。
碧い目が、期待できらきらしている。
「ニャア(……はい)」
吾輩は右の前足を上げた。
社畜とは、頼まれると断れない生き物なのである。
*
「ハーゲン商会って、最近急に大きくなったところよね」
倉庫街へ向かう道すがら、カティアが地図を広げながら言った。
「前は小さな雑貨屋だったのに、ここ二、三年で倉庫をいくつも買い取ったって聞いたわ」
「景気がいいなら、報酬の払いもいいだろ」
「あらあら。急に大きくなるのは、いいことばかりではないのではないかしら」
メアリーがおっとりと首をかしげる。
カティアは地図を見つめたまま、自信満々に右の路地へ曲がろうとした。
「ニャア(そっちは魚市場だ)」
吾輩はカティアのローブの裾をくわえて、左へ引っぱった。
地図が読めるのに道を間違える。
前世でいえば、マニュアルを完璧に暗記しているのに、なぜか毎回違う会議室に行く同期と同じである。
ハーゲン商会の倉庫は、街の南側、荷馬車が行き交う倉庫街の一角にあった。
石造りの大きな建物で、中には小麦や豆の袋が天井近くまで積み上げられている。
「いやあ、助かります。最近はもう、ネズミどもがやりたい放題でして」
出迎えたのは、倉庫番のオットーという中年の男だった。
腰が低く、愛想もいい。
ただ、手に持った帳簿を、話している間じゅう胸に抱えたままだった。
(大事な書類を抱えて離さないタイプか。前世の経理部長もそうだったな)
倉庫の中は薄暗く、穀物と埃の匂いがした。
そして、その奥に――いる。
吾輩の耳が、壁の向こうのかすかな足音を拾った。
ひげが、空気の揺れを感じ取る。
探知のスキルも、ぼんやりと小さな気配の群れを示していた。
「それで、どうやって退治するの?」
「火は論外ね。こんな場所で使ったら、倉庫ごと燃えるわ」
「誰もお前に燃やせなんて頼んでねえよ」
「なによ、その言い方!」
ジェイクとカティアの口喧嘩を、メアリーが「まあまあ」と眺めている。
いつもの光景だ。
作戦は単純だった。
吾輩がネズミの巣穴を見つけて、追い立てる。
逃げ出したネズミを、セリアとカティアがスリングショットで仕留める。
ジェイクは、見つかった穴を板で塞いでいく係だ。
「大剣使いの仕事じゃねえ……」
ジェイクがぼやきながら、金槌を握った。
吾輩には、もう一つ秘策があった。
風魔法である。
壁際の小さな穴の前に陣取り、毛を逆立てる。
扇風機の「弱」を思い浮かべて、穴の奥へそよ風を送り込む。
しばらくすると、穴の反対側から、ネズミが慌てて飛び出してきた。
自分の巣に、得体の知れない風が吹き込んできたのだ。
誰だって逃げ出す。
(燻り出しならぬ、扇ぎ出しだ)
「シロ、今の風で追い出したの?」
「ニャア(はい)」
吾輩が右の前足を上げると、セリアが目を輝かせた。
「弱」の風にも、ちゃんと出番はあるのだ。
*
結論から言おう。
吾輩の体は、吾輩の言うことを聞かなかった。
積み荷の隙間から、灰色の影がちょろりと走り出た瞬間である。
吾輩の脳が「落ち着け、まずは状況を確認しろ」と指示を出すより早く、後ろ足が床を蹴っていた。
(待て待て待て、吾輩は猫ではない!)
叫んだところで、体は止まらない。
速Aの脚力で袋の山を駆け上がり、梁に飛び移り、気づけば前足でネズミを押さえ込んでいた。
途中で床に落ちていた埃の塊にまで飛びかかったのは、見なかったことにしてほしい。
「すごい、シロ!」
セリアの歓声が響く。
吾輩の前足の下で、ネズミが「チュウ」と鳴いた。
目が合った。
(……いや、すまん。食べないから)
そっと前足を離す。
ネズミは一目散に逃げて、待ち構えていたカティアの鉛玉に吹っ飛ばされた。
「ちょっと、なんで離すのよ!」
「ニャア(吾輩の業務は発見と追い込みだ。処理は別部署の担当である)」
カティアには伝わらなかったが、結果的に分業は成立した。
思考加速のおかげで、ネズミの動きは手に取るようにわかる。
吾輩が追い、二人が撃ち、ジェイクが塞ぐ。
メアリーは、積み荷の陰でこっそり豆をつまんでいたネズミに「あらあら、だめよ」と錫杖を振り下ろしていた。
やはり、このパーティで一番の大物は彼女だ。
日が傾く頃には、見つかった巣穴は十二か所。
仕留めたネズミは三十匹を超えていた。
「これで、しばらくは大丈夫だろ」
ジェイクが最後の板を打ちつけて、肩を回した。
オットーは何度も頭を下げていた。
帳簿は、相変わらず胸に抱えたままだった。
*
引き上げる前に、吾輩は倉庫の奥をもう一度だけ見回った。
残ったネズミがいないか、念のための確認である。
前世で叩き込まれた「納品前の最終チェック」の癖だ。
食い破られた袋の周りには、こぼれた小麦が散らばっている。
床には小さな足跡と、ネズミのフン。
被害の跡としては、わかりやすい。
だが、奥の一角だけ、様子が違った。
積み荷の列に、ぽっかりと隙間が空いている。
袋が何袋か、まるごと消えていた。
床にこぼれた粒は一つもない。
食い破った跡も、引きずった跡もない。
代わりに、埃の上に残っていたのは――人間の靴の跡と、荷車の車輪の筋だった。
(おかしいな)
吾輩は、ひげをぴんと張った。
ネズミは、袋に穴を開けて中身をかじる。
袋ごと担いで、荷車で運んだりはしない。
(これは、ネズミの仕事にしては、ずいぶんときれいすぎる)
「シロー! 帰るよー!」
入り口から、セリアの呼ぶ声がした。
吾輩はもう一度だけその隙間を振り返ってから、仲間たちのもとへ駆け出した。
どうやらこの倉庫には、ネズミより大きなネズミが住み着いているらしい。