冒険者になった猫 ~話せないけど、言葉はわかります~ 作:播磨 由道
翌日、吾輩たちは再びハーゲン商会の倉庫を訪れた。
ネズミ駆除の依頼には、「翌日に罠と巣穴の状態を確認すること」という条件がついていたのだ。
前世でいえば、納品後のアフターフォローである。
ここまでやって、ようやく報酬が出る。
「今日は笑われなかったな」
「昨日、三十匹以上仕留めたって話が広まったからでしょ」
ジェイクとカティアが、珍しく機嫌よく言い合っている。
ギルドの酒場では、新しい評判が立ち始めていた。
「猫使いのパーティは、ネズミ退治の専門家」。
ありがたいのかどうか、よくわからない評判である。
「やあ、皆さん。昨日は本当に助かりました」
倉庫番のオットーは、今日も愛想がよかった。
そして今日も、帳簿を胸に抱えていた。
「おーい、オットーさん! 荷車の積み込み、どこに置けばいいんだ?」
表から、荷運びの男の声がした。
オットーは困った顔で吾輩たちと表を見比べ、それから帳簿を入り口脇の机にぽんと置いた。
「す、すみません。すぐに戻りますので、中を見ていてください」
オットーが小走りに出ていく。
机の上には、帳簿が一冊。
開いたままだ。
(……これは、見るなと言うほうが無理だろう)
吾輩は音もなく机に飛び乗った。
言語理解のスキルは、文字にも効く。
こういうときのためにあるのだと、今だけは神に感謝してやってもいい。
帳簿には、几帳面な字で数字が並んでいた。
――小麦 入荷 二百四十袋。
――ネズミ被害による廃棄 四十袋。
――現在庫 二百袋。
(四十袋?)
吾輩は昨日、この倉庫を隅々まで走り回った。
食い破られた袋は、せいぜい十袋ほど。
しかも、その袋は今も倉庫の中に積まれたままだ。
廃棄などされていない。
吾輩は机から飛び降りて、小麦の山を見上げた。
一列二十袋。
それが十列。
(二百袋。帳簿とぴったり合っている)
数字は合っている。
だからこそ、誰も気づかない。
ネズミにかじられた袋は、捨てられずにここにある。
では、帳簿の上で「廃棄」された四十袋は、どこへ消えたのか。
答えは、昨日倉庫の奥で見つけた。
まるごと消えた袋の跡。
人間の靴跡と、荷車の車輪の筋。
吾輩の頭の中で、前世の記憶がつながった。
(棚卸差異を「破損」で処理する手口か)
前世の会社にもいた。
在庫の数字が合わないたびに、「輸送中の破損」で帳尻を合わせていた倉庫担当者が。
発覚したのは、彼が辞めたあとの棚卸で、合わない数字が三年分出てきたときだった。
後始末の残業は、もちろん吾輩に回ってきた。
(ネズミは、袋に穴を開ける。だが、荷車で袋を運び出すのは人間だけだ)
ネズミの被害を隠れ蓑にした、横流しである。
そして、こういう帳簿には、たいていもう一冊の相棒がいる。
運び出した袋の行き先と代金を書きとめた、裏の帳簿だ。
前世の倉庫担当者も、机の引き出しの奥にそれを隠していた。
*
問題は、これをどう伝えるかだった。
吾輩は机に飛び乗り直し、帳簿の数字を前足でたしたしと叩いた。
「シロ、どうしたの? 帳簿で爪とぎしちゃだめだよ」
「ニャア(違う、そうじゃない)」
吾輩は左の前足を上げた。
「じゃあ、おなかすいた?」
左。
「撫でてほしい?」
左。
……いや、それは少しだけ右寄りだが、今は左だ。
「あらあら。机の上が気に入ったのではないかしら」
左。
セリアとメアリーが、そろって首をかしげる。
(はい・いいえしか言えないのが、こんなにもどかしいとは)
前世でいえば、会議で発言権のない新人だ。
重大な不具合を見つけたのに、上司は「で、結論は?」としか聞いてくれない。
いや、上司のほうがまだ話を聞いてくれる。
吾輩の場合、そもそも口がない。
「……帳簿が気になるのか?」
意外なことに、最初に気づいたのはジェイクだった。
「ニャア(はい)」
吾輩は右の前足を上げた。
「よし。じゃあ質問するぞ。帳簿に、何かおかしなところがある」
右。
「数字か?」
右。
「金の数字か?」
左。
「じゃあ、袋の数か」
右。
ジェイクの危機管理能力は、こういうときに本当に頼りになる。
口は悪いが。
「カティア、読め」
「命令しないでよ。……小麦の入荷、二百四十袋。ネズミ被害で廃棄、四十袋。残りが二百袋」
メアリーが、錫杖の先で小麦の山を一列ずつ数え始めた。
一列、二列、三列。
「あらあら。ちゃんと二百袋あるわね」
「なによ、合ってるじゃない」
カティアが拍子抜けした顔をする。
吾輩は左の前足を上げた。
合っているのが、問題なのだ。
「シロ。昨日、ネズミにかじられた袋は四十袋もあった?」
セリアの問いに、吾輩は左の前足を上げた。
「その袋は、捨てられた?」
左。
「じゃあ……昨日シロが奥でじっと見てた場所。あそこから、袋がなくなってた?」
右。
吾輩は奥の一角まで駆けていき、埃の上の靴跡と車輪の筋の前で座ってみせた。
四人が、顔を見合わせた。
「ネズミのせいにして、誰かが小麦を持ち出してる……ってこと?」
カティアの声が、小さく震えた。
「シロ、すごい……。どうしてこんなことに気づいたの?」
セリアが吾輩を抱き上げて、まじまじと見つめた。
(前世で、棚卸の数字合わせに三年分付き合わされたからだ)
とは、右と左の前足では答えようがない。
吾輩は、ただ「ニャア」と鳴いておいた。
*
表の荷車には、小麦の袋が積まれていた。
袋の口を縛る紐には、小さな木札がぶら下がっている。
焼き印で押された紋章は、翼を広げた黒い鷹だった。
「あれ、ドルナー子爵家の紋章よ」
カティアが、声をひそめて言った。
「この街の商会には、だいたいあそこのお金が入ってるって話だけど……」
吾輩の隣で、セリアの体がわずかにこわばった。
見上げると、彼女はいつもの顔で荷車を見ていた。
ただ、その手が、腰の長剣の柄を強く握りしめていた。
(……セリア?)
「深入りはやめとけ」
ジェイクが低い声で言った。
「相手は貴族の息がかかった商会だ。俺たちEランクが騒いだところで、潰されるのはこっちだ。見たことはギルドに報告する。それ以上はしない」
撤退の判断が早い。
いつものジェイクだ。
そして、今回も正しい。
戻ってきたオットーは、帳簿が机の上にあることにほっとした様子で、何度も頭を下げて吾輩たちを見送った。
きっと彼は、ただの現場担当なのだろう。
帳簿をごまかせと言われて、ごまかしているだけの。
前世で嫌というほど見てきた。
こういう不正がばれたとき、責任を取らされるのは、いつも現場の人間だ。
指示を出した上の人間は、決して表に出てこない。
(トカゲの尻尾切り、というやつだ)
吾輩は振り返って、黒い鷹の木札を目に焼きつけた。
*
ギルドへの帰り道、セリアは珍しく口数が少なかった。
吾輩が足元から見上げると、彼女は「ん?」と笑って、いつものように吾輩の頭をわしわしと撫でた。
その手つきが、いつもより少しだけ乱暴だった気がする。
その日の夕方、ギルドに報告した。
エレナさんは完璧な営業スマイルのまま、帳簿に数字を書き留める。
「ご報告ありがとうございます。この件は、ギルドから然るべきところへお伝えしますね。皆さんは、このことを他言なさらないように」
笑顔の奥で、目だけが笑っていなかった。
前世でいえば、内部通報を受けた総務部長の顔である。
どうやらこの街のネズミの巣は、倉庫の壁の中よりも、ずっと奥深くまで続いているらしい。