冒険者になった猫 ~話せないけど、言葉はわかります~ 作:播磨 由道
「シロ、ちょっと付き合いなさい」
ハーゲン商会の件から三日後の朝。
宿の前で吾輩を待ち構えていたのは、赤いローブのカティアだった。
「セリアには許可を取ってあるわ。今日は依頼もないし」
「シロ、カティアと仲良くね!」
宿の窓から、セリアが手を振っている。
完全に、子どもを習い事に送り出す母親の顔だ。
黒い鷹の木札を見た日から、セリアは時々ぼんやりしていることがある。
それでも、今朝はいつもどおりに笑っていた。
(吾輩の意思確認は、どこへ行った)
前世でもあった。
本人の知らないところで決まっている、休日の社内ゴルフコンペ。
吾輩は小さくため息をついて、カティアの後ろについていった。
連れていかれたのは、街の外れを流れる川の河原だった。
見渡すかぎり、灰色の石ころばかり。
草木はほとんど生えていない。
「ここなら燃えるものがないから、火魔法の練習ができるの。わたしの秘密の練習場所よ」
カティアは、少しだけ得意げに胸を張った。
それから、ちらりと吾輩を見る。
「あんたの風魔法、その後どうなの?」
(相変わらず「弱」だ)
吾輩は毛を逆立てて、そよ風を起こしてみせた。
カティアの赤茶色の髪の毛先が、ふわりと揺れる。
「……ふうん。まだその程度なのね」
口ではそう言いながら、カティアの口元は明らかに緩んでいた。
わかりやすい。
前世でいえば、同期の昇進が見送られたと聞いて「残念だったな」と言いつつ、目が笑っている営業部の男である。
*
カティアの練習は、真剣そのものだった。
短杖を構え、河原の大きな石に向かって、火球を撃つ。
撃つ。
また撃つ。
火球が石に当たって弾けるたびに、熱気が吾輩のひげを焦がしそうになる。
(やはり、本職は違うな)
火球の大きさは、人の頭ほど。
狙いも正確だ。
魔力Bは、一般人から見れば十分に優秀な数字である。
十発ほど撃ったところで、カティアは石に腰を下ろした。
額の汗をぬぐいながら、ぽつりとこぼす。
「……森じゃ、使えないのよね。これ」
吾輩は、彼女の隣に座った。
「火しか使えないってことは、森の依頼じゃ、わたしはただのスリングショット係ってこと。ホブゴブリンのときだって、結局ギルドに叱られたし」
(ホブゴブリンに火魔法を使った件か。エレナさんの呼び出しは、まだ堪えているらしい)
「なのに、あんたは風と雷の二属性。しかも魔力A。……猫なのに」
カティアは膝を抱えて、川面を見つめた。
「わたしね、小さい頃は、なんでも使える大魔術師になりたかったの。おとぎ話に出てくるみたいな、四属性の」
吾輩は黙って聞いていた。
もっとも、吾輩はいつでも黙っているのだが。
「うち、田舎の鍛冶屋なのよ。父さんが鍛冶師で、兄さんが跡継ぎ。わたしは小さい頃から、ずっと炉の火を見て育ったの」
だから、火の素質があるとわかったときは嬉しかった。
火以外の素質がないとわかったときは、一晩泣いた。
カティアは、そう言って笑った。
「単一属性じゃ、王都の魔術学院の推薦はもらえなかった。だから冒険者になったの。実績を積んで、属性の数なんて関係ないって見返してやるつもりだったのに……」
その先は、言葉にならなかった。
最初の大きな実績は、火魔法を使ってギルドに叱られたことだ。
「でも父さんは言ったわ。『火は一つでも、鍛え方次第でなんだって作れる』って。……鍛冶屋らしい慰め方よね」
「ニャア(いい親父さんじゃないか)」
前世の会社にも、なんでもそつなくこなす器用な社員と、一つのことしかできない職人肌の社員がいた。
最後に頼られるのは、たいてい後者だった。
トラブルの火元に飛び込んでいくのは、いつだってその道一筋の人間なのだ。
吾輩は右の前足を、そっとカティアの膝に置いた。
カティアは一瞬きょとんとして、それから顔を赤くした。
「な、なによ。慰めてるつもり?」
「ニャア(はい)」
「……猫のくせに、生意気」
カティアはそっぽを向いた。
耳まで赤い。
*
「鍛冶屋の炉ってね、火だけじゃ鉄は溶けないのよ」
気を取り直したカティアが、小枝で河原の石に図を描き始めた。
「ふいごで風を送り込むの。そうすると、火が一気に強くなる。小さい頃、ふいごを踏むのがわたしの仕事だったわ」
(ふいご)
吾輩の頭の中で、何かがかちりと噛み合った。
前世の、残業帰りのワンルーム。
安物の扇風機。
そういえば、会社の喫煙所で、ライターの火が扇風機の風で消えるどころか、ぶわっと大きくなって、課長が前髪を焦がしたことがあった。
あのとき吾輩は、心の中で拍手をしたものだ。
(風は、火を強くする)
吾輩は立ち上がって、カティアのローブの裾をくわえた。
そのまま河原の石の前まで引っぱっていき、前足で石を叩く。
「なによ。撃てってこと?」
「ニャア(はい)」
「……小さいのでいい?」
右。
カティアは首をかしげながらも、短杖を構えた。
指先ほどの、小さな火が石の上に灯る。
吾輩は毛を逆立てた。
腹の奥の温かい塊を集めて、扇風機の「弱」を思い浮かべる。
風向きは一方向。
首振りボタンの壊れた、いつもの風だ。
そよ風が、小さな火を撫でた。
次の瞬間。
指先ほどだった炎が、ぼうっと音を立てて、吾輩の背丈よりも高く燃え上がった。
「きゃあっ!?」
「ニャア(うおっ!?)」
カティアと吾輩は、そろって飛びのいた。
吾輩の尻尾の毛が、ちりっと焦げた匂いがした。
炎はすぐに小さくなり、石の上でくすぶって消えた。
しばらく、川のせせらぎだけが聞こえていた。
「……今の、なに」
カティアが、呆然とつぶやく。
(ふいごだ。吾輩の「弱」が、君の火のふいごになったんだ)
伝えたいことは山ほどあったが、吾輩にできるのは右の前足を上げることだけだ。
だが、カティアには十分だったらしい。
「あんたの風で、わたしの火が強くなった……?」
右。
カティアの琥珀色の瞳が、ゆっくりと見開かれていく。
それから、彼女は短杖を握りしめて、勢いよく立ち上がった。
「シロ、もう一回! 今度はもう少しだけ大きい火でいくわよ!」
(待て、尻尾がまだ焦げ臭いんだが)
結局その日、吾輩たちは日が暮れるまで河原で実験を繰り返した。
火の大きさと、風を当てる角度と、距離。
カティアは石に数字を書きつけ、吾輩は尻尾を守りながら風を送り続けた。
近すぎると、炎が吾輩のほうへ吹き返してくる。
遠すぎると、風が届かない。
火が大きすぎると、吾輩の「弱」では焼け石に水――いや、焼け石にそよ風だ。
小さな火に、ちょうどいい距離から、まっすぐ風を送る。
それが一番よく燃えることがわかった。
帰り道、カティアは少し前を歩きながら、振り返らずに言った。
「……今日のことは、みんなにはまだ内緒よ。もっとちゃんと使えるようになってから、驚かせてやるんだから」
それから、蚊の鳴くような声で付け足した。
「ありがと、シロ」
(どういたしまして)
吾輩の「弱」の風は、一人ではそよ風にしかならない。
カティアの火は、一人では森で使えない。
けれど、二つ合わせれば、少なくとも課長の前髪くらいは焦がせるらしい。
どうやら吾輩たちは、思っていたよりも相性のいいコンビになれそうだ。