冒険者になった猫 ~話せないけど、言葉はわかります~ 作:播磨 由道
「はい・いいえだけじゃ、限界があるわね」
ギルドの酒場の隅のテーブルで、カティアが腕を組んだ。
ハーゲン商会の一件以来、パーティの中でずっとくすぶっていた話題である。
「倉庫のときも、シロが何に気づいたのか聞き出すのに、ずいぶん時間がかかったものね」
「俺の質問がよかったから、あれで済んだんだ」
「はいはい、名探偵ジェイク様」
いつもの口喧嘩を、メアリーが「まあまあ」と遮った。
「それなら、文字表を作るのはどうかしら」
メアリーは、教会で子どもたちに読み書きを教えているのだという。
文字を書けない小さな子でも、板に書いた文字を指させば言葉を伝えられる。
そういう道具があるのだそうだ。
「シロちゃんは文字が読めるのでしょう? だったら、指でさせばいいのではないかしら」
四人分の視線が、吾輩に集まった。
(文字表)
その手があったか。
吾輩は思わず、右の前足を勢いよく振り上げていた。
「ニャア(ぜひ頼む!)」
*
作業は、その日の午後から始まった。
ジェイクが、倉庫の穴塞ぎで余った板をもらってきて、表面を削った。
カティアが、几帳面な字で文字を書き入れていく。
セリアは、板の縁に、なぜか猫の足跡の模様を描き足していた。
「それ、いる?」
「かわいいほうが、シロもやる気が出るでしょ!」
メアリーの提案で、文字のほかに数字も加えられた。
「はい」「いいえ」「わからない」の欄もある。
前世でいえば、新しい業務システムの導入である。
現場の意見を聞いて仕様を決め、手作業で作り上げる。
開発期間、半日。
予算、ゼロ。
前世の情報システム部が見たら泣いて喜ぶ効率だ。
試運転で、問題が一つ見つかった。
吾輩の前足が、文字に対して大きすぎるのだ。
肉球で一文字を指そうとすると、隣の文字まで踏んでしまう。
「どっち? 右の字? 左の字?」
「わかんないわよ、二文字いっぺんに踏んでるもの」
結局、ジェイクが板をもう一枚削り直し、カティアが文字を倍の大きさで書き直した。
仕様変更による手戻り。
どこの世界でも、システム開発とはそういうものらしい。
夕方、宿のセリアの部屋で、完成した文字表が床に置かれた。
四人が、吾輩を囲んで座る。
「じゃあ、シロ。何か、言ってみて」
セリアの声が、少しだけ震えていた。
吾輩は文字表の前に座った。
前足を上げる。
何を言うべきか、ずっと考えていた。
この世界で目覚めてから、ずっと。
一文字ずつ、ゆっくりと指していく。
『ひ』『ろ』『っ』『て』『く』『れ』『て』
カティアが、一文字ずつ声に出して読み上げる。
セリアが、両手で口元を覆った。
『あ』『り』『が』『と』『う』
「……ひろってくれて、ありがとう」
カティアが読み終えたとき、セリアの碧い目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。
「シロぉ……!」
次の瞬間、吾輩はセリアの腕の中にいた。
猫の扱いがダイナミックなのは、こういうときも変わらない。
苦しい。
だが、悪くない。
(ずいぶん遅れてしまった、お礼状だ)
前世では、取引先へのお礼状を何百通と書いた。
定型文を切り貼りして、宛名だけを変えて。
こんなに時間をかけて、一文字ずつ書いたお礼状は、生まれて初めてだった。
*
もっとも、感動の時間は長くは続かなかった。
「よし、質問させろ」
ジェイクが身を乗り出した。
「お前、何者だ」
(いきなり核心から来たな)
吾輩は少し考えてから、前足を動かした。
『わ』
「わかった?」
『か』
「わかんない、ね!」
待ちきれないカティアが、途中で先を予想して口を挟んでくる。
(勝手に予測変換するな。しかも合っているのが腹立たしい)
一文字ずつ指していくのは、とにかく時間がかかる。
前世で言えば、携帯電話のボタンを何度も押して一文字ずつ打っていた頃の文字入力だ。
吾輩は気を取り直して、続きを指した。
『わからない』
『きづいたら ねこ だった』
嘘ではない。
転生だの、前世だの、説明しはじめたら日が暮れる。
文字表を一文字ずつ指していたら、たぶん夜も明ける。
「気づいたら猫だった、って……なによそれ」
「鑑定紙の『ねこ?』とおんなじね」
メアリーが、なぜか嬉しそうに微笑んだ。
「シロちゃん。神様は、信じているのかしら」
僧侶らしい質問だ。
吾輩は、少しだけ考えて答えた。
『いる とおもう』
『いつか せっきょう したい』
「あらあら」
メアリーは、ころころと笑った。
冗談だと思ったらしい。
吾輩は本気である。
正座させて、小一時間問い詰めたい。
「じゃあ、鑑定紙のあの読めない文字は? あんた、読めるって言ってたわよね」
カティアの問いに、吾輩の前足が止まった。
城之内士郎。
三十数年、その名前で生きて、働いて、たぶん死んだ。
隠したいわけではない。
ただ、あの名前を説明するには、前世のワンルームも、満員電車も、終わらない残業も、全部話さなければならない気がした。
それは、文字表を指でなぞって済ませるには、少し重すぎる。
吾輩は、ゆっくりと文字を指した。
『いつか はなす』
部屋が、しんとなった。
それから、ジェイクが鼻を鳴らした。
「……そうかよ。なら、待っててやる」
ぶっきらぼうな言い方だった。
だが、それ以上は聞かなかった。
危機管理能力の高い男は、踏み込んではいけない線もわかるらしい。
「そうね。いつか、ね」
セリアが吾輩の頭を撫でた。
その手が、ほんの一瞬だけ止まったのを、吾輩は感じた。
言えないことを抱えているのは、吾輩だけではない。
*
その後も、質問攻めは夜更けまで続いた。
好きな食べ物は、『ほしにく』。
嫌いなものは、『みず』と『だいなみっくな だっこ』。
答えながら、吾輩はちらりとセリアを見た。
「なんでわたしを見るの!?」
カティアが、そっと吾輩の耳元にしゃがみ込んで、小声で言う。
「……あの河原のこと、言ってないでしょうね」
吾輩は、文字表のすみを指した。
『はい』
カティアは顔を赤くして、ぷいとそっぽを向いた。
ジェイクとカティアは、どちらが先に質問するかで喧嘩をはじめた。
メアリーは「まあまあ」と言いながら、いちばん多く質問していた。
やはり、このパーティで一番の大物は彼女だ。
夜更け、三人がようやく帰ったあと。
吾輩はセリアの寝息を聞きながら、窓辺で文字表を見下ろしていた。
板の縁には、セリアが描いた猫の足跡。
カティアの几帳面な字。
ジェイクが削った、なめらかな表面。
(うむ、いいな。言葉が届くというのは)
この世界に来てから、吾輩と彼らとの間には透明な壁があった。
声は聞こえる。
言葉もわかる。
それなのに、こちらからは何も届かない。
前世で言えば、議事録にだけ名前が載っていて、発言の機会が一度もない会議のようなものだった。
その壁に、今日、小さな窓が開いた。
どうやら吾輩は、ようやくこのパーティの会議に、発言権をもらえたらしい。