冒険者になった猫 ~話せないけど、言葉はわかります~ 作:播磨 由道
「ニャァ……」
吾輩は重い足取りで立ち上がり、ブルブルと体を震わせて毛並みにこびりついた埃を少しでも落とそうとした。
とりあえず、当面の命を繋ぐためにはメシだ。
向かう先は決まっている。
猫として生きてきた短い記憶の中にある、唯一とも言える確かな餌場。
この街の中心部にある、木造三階建ての大きな建物――酒場を兼ねた『冒険者ギルド』の裏路地である。
そこに行けば、酒場の若い店員であるトム(仮名)が、裏口からこっそりと残飯を恵んでくれる。
運が良ければ、の話だが。
トムというのは吾輩が勝手にそう呼んでいるだけで、本名は知らない。
トム(仮)は無愛想だが、吾輩のような薄汚れた野良猫を見かけると、なぜか魚の骨やら肉の切れ端やらを放ってくれる。
舌打ちをしながら、ではあるが。
この過酷な異世界における、唯一の良心である。
ギルドに向かう道すがら、吾輩は複雑な心境に陥っていた。
前世の記憶――城之内士郎としての自意識が戻ってから、困ったことがある。
この『残飯を食べる』という行為に、どうにも強い抵抗を感じるのだ。
ついこの間までは、生ゴミの山からまだ食べられそうなものを必死に探り当てて歓喜していたというのに。
人間だった頃の清潔な食生活の記憶が、路地裏の残飯という現実を激しく拒絶している。
(しかし……背に腹は代えられない……!)
プライドで腹は膨れないのだ。
それに、前世では過労死だか交通事故だかよく覚えていないが、とにかくあっけなく死んでしまったらしい。
せっかく二度目の生を貰ったというのに、こんな薄暗い路地裏で空腹のあまり野垂れ死ぬなど、まっぴら御免である。
生きるためだ。
残飯だろうがなんだろうが、食えるものは食ってやる。
吾輩は固い決意を胸に、尻尾をピンと立てて路地を後にした。
……と、意気込んで歩き出した吾輩だったが、どうにも足元がフラフラする。
三日ほどまともな飯にありつけていないせいで、四本の脚に全く力が入らないのだ。
一歩進むごとに体がふらつき、視界がチカチカと点滅する。
ヨタヨタと覚束ない足取りで、建物の影伝いに進むこと数十分。
ようやく冒険者ギルドの裏手へと続く路地に入った。
まだ夕刻前だというのに、中からは荒々しい男たちの笑い声や、ジョッキがぶつかる音が漏れ聞こえてくる。
あと少し――そう思った時、ふいに頭上から声が降ってきた。
「ちょっと君、大丈夫? 今にも倒れちゃいそうだけど……」
見上げると、そこには一人の若い人間の女性が立っていた。
革の軽鎧に身を包み、腰には長剣を下げている。
まだあどけなさの残る顔立ちからして、駆け出しの冒険者といったところだろうか。
彼女は屈み込み、吾輩を心配そうな瞳で見つめていた。
「怪我はないみたいだけど……もしかして、お腹空いてるの?」
その優しげな声色に、吾輩は思わず「ニャア」と情けない声を上げてしまった。
我ながら庇護欲をそそるあざとい鳴き声である。
女性冒険者はふわりと微笑むと、背負っていた鞄をごそごそと漁り始めた。
そして取り出したのは、布に包まれた何か。
「はい、これ。私たちのお昼ご飯の残りなんだけど、よかったら食べて」
彼女が吾輩の目の前に差し出したのは、香ばしい匂いを漂わせる少し硬めのパンと干し肉だった。
それは残飯などではない、人間が食べる至極真っ当な『食事』である。
「遠慮しないで、食べていいのよ」
促されるように、吾輩は干し肉に顔を近づける。
途端に、濃厚な肉の匂いが鼻腔をくすぐり、空腹のピークに達していた胃袋が激しく自己主張を始めた。
もはや、前世のちっぽけなプライドは、どこかへ吹き飛んでいた。
吾輩は無我夢中で、干し肉とパンに齧り付いた。
硬い。
パサパサしている。
でも、美味い。
涙が出るほど美味かった。
「ふふ、よく食べるわね」
女性冒険者は、一心不乱に飯を貪る吾輩の背中を、優しく撫でた。
その手は温かく、少しだけ土の匂いがした。
吾輩は、その温もりに不思議な安堵感を覚えながら、ひたすらに飯を胃に詰め込んだ。
異世界転生、最悪のスタートかと思いきや、捨てたものでもないかもしれない。
心優しい冒険者の少女との出会いは、吾輩の冷え切った心と胃袋を、ほんの少しだけ温めてくれた。