冒険者になった猫 ~話せないけど、言葉はわかります~   作:播磨 由道

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第23話 セリアの休日

「今日は、シロと二人でお出かけの日!」

 

朝の宿の部屋で、セリアが高らかに宣言した。

 

依頼のない休息日。

カティアは用事があると言って朝から姿を消し、メアリーは教会の手伝い、ジェイクは装備の修理に出かけていった。

 

ここ最近は、森の捜索に教会の教室にと、何かと慌ただしかった。

久しぶりに、何の予定もない一日である。

 

「いつもは誰かと一緒でしょ? たまには、わたしとシロだけで、のんびり街を歩きたいなって思ってたの。ねえ、いいでしょ?」

 

吾輩は、右の前足を上げた。

前世の休日は、溜まった洗濯物と持ち帰りの仕事で終わっていた。

思えば吾輩は、休日にお出かけというものを、ほとんどしたことがない。

 

宿の玄関で、女将のマルタが二人を見送った。

 

「セリアさん、あまり遅くならないように。夕方には戻ってくださいね」

「はーい。子どもじゃないんだから、大丈夫よ」

 

マルタは心配そうな顔で、しばらくセリアの背中を見つめていた。

 

   *

 

市場は、休息日の人出でにぎわっていた。

 

野菜を積んだ荷車。

布を広げた露店。

焼いた肉の匂い。

 

セリアは、そのすべてに目を輝かせて、あちこちの店をのぞいて回った。

 

「見て、シロ! 揚げ菓子よ。蜂蜜がかかってるの。これ、一つください!」

 

セリアは、紙に包まれた揚げ菓子を受け取ると、その場でかぶりついた。

そして、歩きながら、幸せそうに頬張った。

 

「ニャア(歩き食いとは、行儀が悪いぞ)」

 

「ふふ。歩きながら食べるのって楽しいよね。前はこんなことしてたら怒られるなって思ってたけど」

 

(怒られる?)

 

吾輩は、その言葉を胸の中で繰り返した。

 

歩きながら物を食べると、怒られる?

それは、そういうことを禁じられて育った人間の言葉だ。

 

セリアは、川魚を焼いている露店にも寄ってくれた。

塩も香辛料も使わない、素焼きの川魚だ。

 

「これ、もう少しまけてくれない? この子に食べさせてあげたいの」

「お嬢ちゃん、それじゃうちが赤字だよ」

「そ、そうよね。ごめんなさい。じゃあ、そのお値段で」

 

「ニャア(引き下がるのが早すぎる)」

 

値切るつもりが、一言で引き下がった。

どうやら、値切り交渉というものに、まるで慣れていないらしい。

それでも、セリアは嬉しそうに焼き魚の包みを吾輩に見せた。

 

「はい、シロの分。今日は特別に、二匹ね」

 

(二匹。休日手当としては、破格だ)

 

しっぽが、勝手にぴんと立った。

猫の体は、査定結果に正直である。

 

   *

 

大通りに出たときだった。

 

石畳の向こうから、蹄の音と車輪の響きが近づいてきた。

 

四頭立ての、黒塗りの立派な馬車だった。

扉には、銀色の牡鹿の紋章が描かれている。

 

通りの人々が、慌てて道の両脇に寄った。

 

その瞬間、セリアの体がびくりと跳ねた。

 

セリアは、吾輩を抱き上げると、そばの露店の陰に飛び込んだ。

外套のフードを深くかぶり、吾輩を胸の前に抱えて、顔を隠すようにうつむく。

吾輩は、ちょうど盾のような位置にいた。

 

(……顔を、隠している)

 

馬車は、こちらに気づくこともなく、大通りを走り去っていった。

蹄の音が遠ざかっても、セリアはしばらく動かなかった。

吾輩を抱く腕が、小さく震えていた。

 

「……ごめんね、シロ。びっくりさせちゃったね」

 

ようやく顔を上げたセリアは、笑おうとして、うまく笑えていなかった。

 

「知らない家の紋章だったの。わたしのことなんて、誰も知らないはずなのに。でも、貴族の馬車を見ると、どうしても体が勝手に動いちゃうのよ。……変よね、こんなの」

 

吾輩は、セリアの顔を見上げた。

黒い鷹の紋章を見てこわばった日。

お茶の飲み方を「お姫さまみたい」と言われて、わざとむせてみせた日。

それらが、今の震えと一本の線でつながっていく。

 

   *

 

夕方、セリアは街の外れの、古い城壁の上に吾輩を連れていった。

石段を上った先からは、街の屋根と、遠くの森と、沈みかけた夕日がよく見えた。

 

「ここ、わたしの秘密の場所なの。この街に来たばかりの頃、つらいことがあると、よくここに来てたのよ」

 

セリアは城壁のふちに腰を下ろし、吾輩を膝の上にのせた。

しばらく、黙って夕日を見ていた。

 

「ねえ、シロ」

 

やがて、ぽつりと言った。

 

「猫なら、誰にも言わないよね。……あ、でも、シロは文字表があるんだっけ」

 

セリアは、くすっと笑った。

 

「でも、シロなら、言わないよね。わたし、知ってるもの。シロは、カティアの秘密だって、ちゃんと守ってるでしょ」

 

(気づいていたのか)

 

吾輩は、右の前足を上げた。

 

「ありがと。……あのね。わたし、家を出てきたの。誰にも言わずに、夜のうちに、こっそり」

「わたしの家はね、ちょっと窮屈な家だったの。歩きながら物を食べちゃいけないとか、大きな声で笑っちゃいけないとか、決まりごとがたくさんあって」

「それでも、家族のことは好きだったのよ。お父様も、お母様も。……でもね、ある日、お父様が、わたしの結婚相手を決めてきたの。会ったこともない、お父様よりも年上の人」

 

(会ったこともない相手との縁談を親が決めてくる。酷い話だが、貴族の間ではよく聞く話だろう)

 

 

夕日に照らされたセリアの横顔は、いつもよりずっと大人びて見えた。

 

「どうしても嫌だったの。だから逃げてきちゃった。剣を一本と、少しのお金だけ持って」

「それで冒険者になったの。誰かに決められた人生じゃなくて、自分で決めた生き方をしてみたかったから」

 

吾輩は、黙ってセリアの話を聞いていた。

今は何も言わずに聞くのが正しい気がした。

 

「実家には妹がいるの。フィーネって名前よ。十歳で、すごく甘えん坊で、わたしの後ばっかりついてくる子だった」

「あの子にだけは、ちゃんとお別れを言いたかったな。何も言わずに出てきちゃったから、きっと泣いてるわ」

 

セリアの声が、少しだけかすれた。

 

「だから、さっきみたいに貴族の馬車を見ると怖くなるの。家の誰かが、わたしを捜しに来たんじゃないかって。見つかったら、連れ戻されちゃうかもって」

「みんなと一緒にいられなくなるのは、嫌だな。ジェイクも、カティアも、メアリーも、シロも。わたし、今の毎日が、すごく好きなの」

 

吾輩は、セリアの手に頭をこすりつけた。

それくらいしか、できることがなかった。

 

「……ふふ。シロに話したら、ちょっとだけ軽くなったかも」

 

セリアは、吾輩をそっと抱きしめた。

いつもよりずっと、静かで、やさしい抱き方だった。

 

「このことは、二人だけの秘密ね。約束よ」

 

吾輩は、もう一度、右の前足を上げた。

 

(承知した。いわゆる守秘義務というやつだな)

 

   *

 

宿に戻ったのは、日が沈みきる少し前だった。

玄関の灯りの下で、マルタが待っていた。

 

「おかえりなさい、セリアさん。ちゃんと、夕方に戻ってきましたね」

「でしょ? 子どもじゃないって言ったじゃない」

 

セリアはいつもの調子で笑って、階段を駆け上がっていった。

 

吾輩は、その後ろ姿を見上げながら考えた。

 

セリアが話してくれたのは、たぶん、全部ではない。

 

家がどこにあるのか。

結婚相手が誰なのか。

なぜ、黒い鷹の紋章にあれほどおびえたのか。

 

それは、まだわからない。

 

だが、それでいい。

吾輩にも、「いつか話す」と保留にしていることがある。

 

話せることから、話せるときに。

それが、このパーティのやり方だ。

 

今日、吾輩は、セリアの秘密の一部を預かった。

誰にも言わないと、約束した。

 

前世では、機密書類は鍵付きのキャビネットにしまっていた。

猫の吾輩には、キャビネットがない。

 

どうやら、この胸の中にしまっておくしかないらしい。

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