冒険者になった猫 ~話せないけど、言葉はわかります~ 作:播磨 由道
試験当日の朝、ギルドの裏の訓練場には、二組のパーティが並んでいた。
吾輩たちと、剣士の青年が率いる三人組だ。
向こうは、大柄な槍使いと、吾輩たちより少し年下らしい弓の少年を連れていた。
「全員、そろいましたね」
訓練場の真ん中に立っていたのは、四十代くらいの女だった。
灰色の髪を短く刈り込み、背筋はまっすぐ。
手には、使い込まれた革表紙の手帳を持っている。
「試験官のグレタです。元Cランク。今日一日、皆さんの戦い方と判断を見させてもらいます。評価はすべてこの手帳に書き、結果は三日後にギルドから伝えます」
声は大きくないのに、訓練場の空気がぴんと張りつめた。
(なるほど。エレナの言う「とても厳しい方」とは、こういうことか)
怒鳴る上司より、黙ってメモを取る上司のほうがずっと怖い。
前世で学んだ、数少ない真理の一つである。
グレタの目が、セリアの腕の中の吾輩で止まった。
「それは……猫ですか?」
「はい! うちのパーティの仲間で、シロっていいます」
セリアが胸を張ると、グレタは表情一つ変えずに手帳に何かを書きつけた。
「ギルドの規定に猫の項目はありません。同行は認めますが評価はしません。邪魔にならないところにいてください」
向こうの剣士が、ぷっと吹き出した。
「ペット枠かよ。噂の猫使いのパーティって、本当に猫を連れてるんだな」
「ニャア(ペットではない。れっきとしたパーティの一員だ)」
言い返してはみたものの、もちろん誰にも通じない。
それに、こういう扱いには覚えがあった。
前世で、よその部署の応援に駆り出されたことがある。
三か月、毎晩終電まで働いた。
ところが、その部署の人事評価のシートに吾輩の名前はどこにもなかった。
「応援要員は評価対象外なので」と、課長は申し訳なさそうに言ったものだ。
(まさか異世界に来てまで、同じ言葉を聞くとは)
「ロルフさん、それはちょっと……」
弓の少年が、小声でリーダーの袖を引いた。
それから、こちらに向かってぺこりと頭を下げる。
「すみません。ぼく、ニコっていいます。……その猫、すごくきれいな毛並みですね」
(よくわかっているじゃないか、少年)
吾輩は、セリアの腕の中で少しだけ胸を張った。
*
午前中は、一人ずつの実力評価だった。
ジェイクは、大剣の重さを生かした一撃と、深追いしない立ち回り。
カティアは、訓練場の端の石の的に、人の頭ほどの火球をきっちり撃ち込んだ。
メアリーは回復魔法の手際を確かめられ、けが人を前にしたときの判断も、いくつもの質問で問われた。
セリアは長剣と、腰のスリングショット。
どちらもまっすぐな、セリアらしい戦い方だった。
最後に、グレタはリーダーのジェイクに一つだけ質問をした。
「森の奥で仲間の一人がけがをしました。日暮れまであと一刻。助けを呼びに戻れば、けが人は一人で夜を越すことになる。全員で運べば、日が暮れてから森を歩くことになる。あなたならどうしますか?」
ジェイクは少しだけ黙り、それから、まっすぐにグレタを見た。
「その場で野営します。けが人を一人にはしないし、夜の森も歩かない。水と見通しのいい場所を探して、朝を待ちます。……前に一度、似たような判断をしたことがあるんで」
「その判断が、正しかったと思いますか?」
「正直、今でもわかりません。ただ、全員で帰ってこられました」
グレタはしばらくジェイクの顔を見て、何も言わずに羽ペンを走らせた。
(あの滝つぼの夜のことだな)
メアリーが、そっと微笑んでジェイクの背中を見ている。
カティアは「ふん」と鼻を鳴らしたが、口の端が少し上がっていた。
(いい答えだったぞ、リーダー)
グレタは誰のことも、褒めもしなければ叱りもしない。
手帳に何かを書いて、次の者を呼ぶ。
それだけだ。
吾輩はというと、訓練場の隅の木箱の上でその様子を眺めていた。
評価対象外の猫には、呼ばれる順番もない。
会議でいえば、議事録係である。
発言はしないが、全部聞いている。
せめてもの特権として、いちばん日当たりのいい木箱を選んでおいた。
(とはいえ、退屈だ。だが、議事録係が居眠りするわけにもいかない)
*
昼過ぎ、一行は街の東の丘陵地帯へ移った。
草原と雑木林が入り組んだ土地で、少し離れたところを街道が通っている。
森ではないと聞いて、カティアが小さく拳を握ったのを吾輩は見逃さなかった。
(森では火が使えないからな。わかりやすい)
「実地試験の課題を伝えます」
グレタが地図を広げた。
「この丘の向こうの雑木林に、ギルドの旗を三本立ててあります。二組で手分けして、日が傾く前にすべて回収してください。途中で魔物に会ったら、自分たちで判断して対処すること。わたしは少し離れたところからついていきます」
ロルフたちは地図を一目見るなり、さっさと雑木林の東側へ向かっていった。
ニコだけが振り返って、小さく手を振る。
「俺たちは西側からだな。……シロ、林の中に魔物はいるか?」
歩き出してすぐ、ジェイクが前を向いたまま聞いた。
吾輩は鼻とひげで、林の空気を確かめた。
小さな獣の匂いはするが、魔物の匂いはしない。
「ニャッ、ニャッ(いいえ)」
「よし。二回だな」
ジェイクは振り返りもせずにうなずいた。
練習どおりだ。
文字表を出すまでもない。
ふと見ると、少し後ろを歩いていたグレタが足を止め、手帳に何かを書きつけていた。
(評価はしないと言っていたはずだが)
何を書かれたのかはわからない。
わからないが、気になる。
書かれると気になるのが、査定される側の性である。
*
一本目の旗は、林の入り口ですぐに見つかった。
二本目を探して丘を越えたとき、眼下の街道を一台の荷車がゆっくりと通っていった。
小麦の袋を山のように積んでいて、袋の口に下がった木札には見覚えがある。
「あれ、ハーゲン商会の荷車じゃないか? ほら、ネズミ退治の倉庫の」
ジェイクも気づいたらしい。
御者台の隣には、帳簿らしき冊子を手にした男が座っていた。
痩せていて、若く目つきが鋭い男だ。
腰が低く、帳簿を胸に抱えて離さなかった、あの愛想のいい中年の男ではなかった。
(オットーではないな)
ネズミ退治のときに会っただけの相手だ。
担当が替わったと言われれば、それまでの話である。
それでも、頭の隅に何かが引っかかった。
荷車は、街道の向こうへ小さくなっていく。
セリアは、その木札を黙って見つめていた。
「ほら、旗はあと二本だぞ。ぼーっとしてると日が傾いちまう」
ジェイクの声で、一同はまた歩き出した。
*
雑木林の奥へ進むにつれて、吾輩のひげが妙にざわつきはじめた。
風が、東から吹いている。
ロルフたちが向かった方角だ。
その風の中に、嗅いだことのない匂いが混じっていた。
ゴブリンでも、ホーンラビットでもない。
もっと重くて、もっと濃い。
獣の匂いを何倍にも煮詰めたような匂いだ。
(……なんだか、嫌な予感がするぞ)
吾輩は足を止めて、東を向いた。
背中のポーチの中で、小さな文字表がかたりと鳴った。
旗を三本拾うだけの、簡単な試験のはずだった。
どうやら、そう簡単には終わらせてもらえないらしい。