冒険者になった猫 ~話せないけど、言葉はわかります~   作:播磨 由道

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第27話 決裁者は吾輩

「シロ、どうした?」

 

足を止めた吾輩に、ジェイクがすぐ気づいた。

声を落として、前を向いたまま聞いてくる。

 

「何かいるのか?」

「ニャッ(はい)」

「魔物か?」

「ニャッ(はい)」

「ゴブリンか?」

「ニャッ、ニャッ(いいえ)」

 

ジェイクの顔から、笑みが消えた。

 

はい・いいえだけでは、この匂いのただごとでなさは伝わらない。

吾輩は背中のポーチに鼻先を突っ込み、小さな文字表をくわえ出した。

地面に置いて、前足で表の言葉を押さえる。

 

『てき』

『あぶない』

 

それから、東を向いた。

 

「東……ロルフたちのほうか」

 

ジェイクがつぶやいた、その瞬間だった。

林の東から、悲鳴が聞こえた。

続いて、地面を揺らすような重い足音と、木の枝がまとめて折れる音。

 

「行くぞ!」

 

ジェイクが走り出した。

セリアが吾輩の文字表を拾ってポーチに押し込み、少し後ろではグレタも手帳を閉じて駆け出していた。

 

   *

 

吾輩は、誰よりも先に林を抜けた。

足の速さだけなら、このパーティで一番なのだ。

 

開けた草地に出たところで、吾輩は息をのんだ。

 

猪だった。

ただし、荷馬車ほどの大きさがある。

背中の毛は針のように逆立ち、口の両脇から反り返った牙が突き出ていた。

 

(でかすぎるだろう。猪の規格を完全に無視している)

 

「グレートボア……!?」

 

追いついたグレタの声が、わずかに上ずった。

 

「この丘陵に出る魔物ではありません。本来は、Dランク以上が相手にするものです」

 

草地には、ロルフたちのパーティがいた。

 

大柄な槍使いは、折れた槍を握ったまま倒れている。

ロルフは剣を構えているが、その腕からは血が流れていた。

そして、ニコ。

弓の弦が切れたのか、折れた弓を抱えたまま尻もちをついている。

 

グレートボアが、前足で地面をかいた。

鼻先は、ニコのほうを向いている。

 

(まずい、突っ込む気だ)

 

「ニコ、逃げろ!」

 

ロルフが叫んだが、ニコは動かない。

足がすくんで、立てないのだ。

 

吾輩は振り返った。

 

ジェイクは、まだ林の中だ。

大剣を背負った足では、とても間に合わない。

セリアとカティアがスリングショットを構えたが、間に木が立っていて狙いが通らない。

 

吾輩とニコの間は、二十歩ほど。

吾輩の足なら届く。

だが、届いたところで、猫一匹に何ができる。

 

前世の吾輩なら、ここで上の判断を待っていた。

稟議を回し、課長の印をもらい、部長の承認を待つ。

その間に、現場はたいてい手遅れになったものだ。

 

だが、ここには課長も部長もいない。

 

(決裁者は、吾輩だ)

 

腹の奥の温かい塊に、意識を向ける。

 

風では足りない。

あの巨体を止めるには、もっと強いものがいる。

 

ずっと怖くて、「保留」のまま触れずにきたもの。

雷だ。

 

   *

 

吾輩が雷を怖がるのには、理由がある。

 

前世で、台風の夜に残業から帰る途中のことだ。

駅前の通りで、切れた電線が一本、濡れた地面の近くで揺れていた。

その先から青白い光がバチバチと噴き出して、夜道を昼間のように白く照らしていた。

近づくな、と誰かが叫んでいたが、吾輩は足がすくんでしばらく動けなかった。

 

アーク放電というやつだ。

あの光と音は、今でもはっきり覚えている。

 

(怖いほど覚えているなら、そのまま使えばいい)

 

魔力を集めると、全身の毛がぶわっと逆立った。

ひげの先が、ぱちぱちと鳴っている。

 

切れた電線。

青白い光。

あの音。

 

イメージを、グレートボアに向けて送り込む。

 

グレートボアが、地面を蹴った。

ニコに向かって、一直線に。

 

(行けっ!)

 

「ニャアアアッ!」

 

吾輩の全身から、青白い光がほとばしった。

逆立った毛の一本一本から光が噴き出し、一つに束になって前へ飛び出していく。

 

光は草を焦がしながら、地面を這うようにグレートボアへ走っていく。

バチバチと耳をつんざく、あの夜と同じ音。

突進してくる巨体の鼻先に、光がまともに食らいついた。

 

その瞬間、光が暴れだした。

何本もの青白い筋が、蛇のようにのたうちながら、グレートボアの体じゅうを駆けめぐる。

そして、その背中を突き抜けた。

 

突き抜けた光は、それでも止まらなかった。

鞭のようにしなって周りの草をなぎ払い、奥の木の幹に叩きつけられる。

 

(ちょ、ちょっと待て。止まれ、止まれ!)

 

世界が、真っ白になった。

 

   *

 

最初に戻ってきたのは、耳だった。

 

キーンという耳鳴りの奥で、何かがぱちぱちと燃える音がする。

 

目を開けると、吾輩の足元から、まっすぐ黒い焦げ跡が伸びていた。

その先で、グレートボアが横倒しになっている。

全身から煙を上げ、ぴくりとも動かない。

 

奥の木が一本、幹の途中から裂けて、炭のように黒くなっていた。

 

ニコは、グレートボアのほんの数歩手前で、尻もちをついたままだった。

目をまんまるにしているが、けがはなさそうだ。

 

(よし、止まった)

 

ほっとしたのも、つかの間だった。

焦げ跡のまわりの草に、火がついていた。

 

「火! 燃えてる、燃えてるわよ!」

 

カティアが叫んで、外套を脱いだ。

セリアとメアリーも続き、三人でくすぶる草を外套で叩いていく。

 

林から飛び出してきたジェイクが、その光景を見て足を止めた。

 

「……なんだ、こりゃ」

 

(それは、吾輩も聞きたい)

 

吾輩は、その場に座り込んだ。

足に力が入らない。

腹の奥の魔力は、ほとんど空っぽだった。

 

   *

 

火が消えたころ、ようやく草地は静かになった。

 

駆け寄ってきたセリアが、吾輩を抱き上げようとして、その手を一瞬止めた。

吾輩の毛が、まだ逆立っていたからだ。

 

「シロ、大丈夫? けがはない?」

「ニャッ(はい。毛並み以外は)」

 

声は、自分でも驚くほどかすれていた。

 

カティアは、煤だらけの外套を握りしめたまま、こちらを見ていた。

 

「雷魔法よね、今の。鑑定紙に書いてあった、あんたのもう一つの属性」

「ニャッ(はい)」

「初めて使ったんでしょ。初めてで、あれなの?」

 

怒っているようにも、震えているようにも聞こえる声だった。

吾輩には、何も言い返せない。

初めてで、あれなのだ。

撃った吾輩自身が、いちばん驚いている。

 

メアリーが、ロルフの腕と槍使いの手当てを始めた。

槍使いは気を失っていただけで、すぐに目を覚ました。

 

ロルフは、自分の足元すれすれで途切れた焦げ跡と吾輩を、何度も見比べている。

 

「今の、その猫がやったのか?」

 

誰も答えなかった。

答えようがなかったのだ。

 

(ペット枠がやりました、とは言いにくい)

 

ニコが、よろよろと立ち上がった。

吾輩の前まで来て、膝をつく。

 

「ありがとう。……きみが、助けてくれたんだよね」

「ニャッ(はい。礼には及ばない)」

 

ニコは、泣きそうな顔で笑った。

 

(毛並みを褒めてくれた恩は、これで返したぞ、少年)

 

そのとき、吾輩の上に影が落ちた。

 

グレタだった。

グレタは焦げた草地と裂けた木を見て、それから吾輩を見た。

手帳は、開かなかった。

 

「試験は、ここで中止します。全員、ギルドへ戻ってください。……その猫も、一緒に」

 

声は、いつもどおり静かだった。

だが、その目は、もう「評価対象外」の猫を見る目ではなかった。

 

吾輩は、焦げた地面を見つめた。

 

ニコは助かった。

それは、間違いなく良かった。

だが、草地には焦げ跡が一本走り、木が一本裂けている。

 

(これは、ちょっとやりすぎたかもしれない)

 

現場の判断で動いたあとには、決まって呼び出しがある。

決裁者になるということは、責任者になるということでもあるのだ。

 

どうやら、この世界の始末書の書式も、調べておいたほうがよさそうである。




※作中の雷魔法は、シロが前世で見たアーク放電の記憶をもとにした「シロのイメージ」です。実際の現象とは動きが違いますが、魔法ということでご容赦ください。
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