冒険者になった猫 ~話せないけど、言葉はわかります~ 作:播磨 由道
ギルドに戻ったのは、日が傾きかけたころだった。
通されたのは、受付の奥の小さな部屋である。
窓は小さく、壁には飾りひとつない。
(知っている。この部屋の空気は、よく知っている)
前世の会社にも、似たような部屋があった。
正式名称は「第三会議室」、そして社員の間での通称は「反省室」である。
長机の向こうには、エレナとグレタが並んで座っていた。
こちら側には四人と一匹、吾輩はセリアの膝の上だ。
エレナは完璧な営業スマイル、グレタは完璧な無表情。
前世の経験から言わせてもらうと、これは始末書コースの布陣である。
「グレタさんから、報告は受けました」
エレナが、机の上で両手を組んだ。
「グレートボアは、シロちゃんの魔法で倒れた。……そう聞いていますが、間違いありませんか?」
「……間違いない」
ジェイクが答えた。
エレナは、手元の報告書に目を落とした。
「報告書には、こうも書いてあります。『猫は鳴き声で返事をし、問いを理解している』」
エレナは紙から顔を上げた。
笑顔はそのままだったが、目が笑っていない。
「グレタさんを疑うわけではありません。ただ、私は自分の目で確かめたことしか、書類に書かない主義なんです」
(正しい。受付の鑑である)
猫が人の言葉をわかる。
普通に考えれば、冒険者が酒場で話す与太話だ。
それを報告書に書けば、恥をかくのはギルドである。
「皆さん、後ろを向いてください。それから、口を閉じていてくださいね」
四人が、顔を見合わせた。
セリアが吾輩を膝から机の上に下ろし、しぶしぶ椅子ごと背を向ける。
(なるほど。合図を封じたか)
前世で読んだことがある。
昔、計算ができると評判になった馬がいたそうだ。
実は、飼い主の顔色や息づかいを読んで、蹄を止めていただけだった。
エレナは、それを疑っているのだ。
この受付嬢、侮れない。
「シロちゃん。答え方は、鳴き声の回数でしたね。一回が『はい』、二回が『いいえ』」
吾輩は、短く一回鳴いた。
エレナの眉が、ほんのわずかに動いた。
「では、始めます。二足す三は、四ですか?」
「ニャッ、ニャッ(いいえ)」
「五ですか?」
「ニャッ(はい)」
「あなたは、猫ですか?」
吾輩は、固まった。
(……それは、答えに困る)
中身は三十代の元サラリーマンである。
鑑定紙には、種族「ねこ?」と、なぜか疑問形で書かれていた。
本人にもわからないことを、聞かないでほしい。
「……ニャッ(……一応、はい)」
かなり間の空いた「はい」になった。
エレナが、小さく首をかしげた。
グレタの羽ペンが、さらさらと動いた。
(そこは書かなくていい)
エレナは、机の上に三つの物を並べた。
羽ペン、真鍮の鍵、銅貨が一枚。
「鳴き声の回数なら、たまたまでも合います。最後です。……銅貨を、前足で押さえてください」
吾輩は、迷わず銅貨に右の前足を置いた。
部屋が、しんとなった。
エレナは、しばらく吾輩の前足を見つめていた。
それから、営業用ではない、長いため息をついた。
「……本当、なんですね」
背中を向けたままのセリアが、得意げに胸を張ったのがわかった。
口は、ちゃんと閉じたままだった。
「皆さん、こちらを向いていいですよ」
四人が、椅子ごと向き直った。
エレナは、吾輩から目を離さないまま、ゆっくりと座り直した。
「言葉がわかる猫。それだけでも、ギルドの記録にはない話です」
エレナは、報告書の二枚目をめくった。
「そのうえ、グレートボアを一撃で倒す雷魔法。……シロちゃん。撃ったのは、あなたですね?」
(来た)
呼び出しの心得、その一。
事実は、先に認める。
言い訳から入ると、話が三倍長くなるのである。
「ニャッ(はい。吾輩がやりました)」
隣で、カティアが小さく息を吐いた。
それから、吾輩にだけ聞こえる声でささやく。
「……今度は、あんたの番ね」
(そういえば、そうだった)
ホブゴブリンの耳が焦げていたあの日、エレナの前で青くなっていたのはカティアだった。
それが今では、立場がそっくり入れ替わっている。
カティアの口の端が、ほんの少しだけ上がっていた。
後輩の初めての呼び出しを見守る先輩、という顔である。
だが、エレナの口から出たのは、お叱りではなかった。
「あの場で見ていたのは、皆さん四人と、ロルフさんたちのパーティ。それに、グレタさんだけですね」
「ええ。街道からは、林が目隠しになっていました」
グレタが、短く答えた。
エレナは、小さくうなずいた。
「では、ここから先は、ギルドの中だけの話にさせてください」
(……ギルドの中だけ?)
「人の言葉がわかって、雷まで撃つ猫。そんな話が街に広まったら、どうなると思いますか」
エレナは、指を一本ずつ折っていった。
「見世物にしたい興行師。調べたがる魔術師。高値で買い取りたいお金持ち。……そういう人たちが、皆さんのところに押しかけてきます。シロちゃんを、無理やり連れていこうとする人も出るでしょう」
セリアの腕が、きゅっと吾輩を抱き寄せた。
(言われてみれば、そのとおりだ)
前世でいえば、発表前の新製品の情報である。
外に漏れたら、お客様より先に、競合他社がやってくる。
「ですから、公式の報告書には『受験者の魔法でグレートボアを討伐』とだけ書きます。誰の魔法かは、書きません」
エレナは、ジェイクを見た。
「ロルフさんたちには、私から口止めをお願いしておきます。仲間の命の恩人のことですから、きっと守ってくれるはずです」
「……助かる。恩に着るよ、エレナさん」
ジェイクが、深く頭を下げた。
セリアとメアリーも、それに続いた。
(社外秘、か)
前世では、社外秘の書類を何度も扱った。
だが、自分自身が社外秘になったのは、初めてである。
「それと、もうひとつ」
エレナが、人差し指を立てた。
「火がつく魔法だとわかった以上、森の中では使わないでくださいね。カティアさんの火魔法と、同じ扱いです」
隣で、カティアが「ふふん」と鼻を鳴らした。
同じ規約に縛られる仲間が増えて、どこかうれしそうである。
「ニャッ(はい)」
結局、経緯書も再発防止策も、求められなかった。
始末書の書き方なら、吾輩はちょっとした専門家なのだが。
「誠に遺憾」と「深くお詫び」の使い分けまで心得ている。
(異世界、話が早いな……)
「それから、試験の結果ですが」
エレナが、グレタのほうを向いた。
グレタが、革表紙の手帳を開く。
「実地試験は途中で中止しました。ですから、ここまでの評価で判断します」
グレタは、淡々とページをめくった。
「実力評価は、四人とも基準を満たしています。実地試験では、異変にいち早く気づき、全員で現場に向かいました。消火の判断も早かった」
ぱたん、と手帳が閉じる。
「四名とも、Dランクへの昇格を認めます」
一拍おいて、狭い部屋に歓声がはじけた。
ジェイクが椅子を鳴らして立ち上がり、カティアがメアリーに抱きついた。
そしてセリアは、吾輩の両脇に手を入れて、天井近くまで持ち上げた。
「ニャア(待て、セリア。祝うのはいいが、吾輩の足を地面に戻してからにしてくれ)」
もちろん、伝わらなかった。
グレタは、騒ぎが収まるのを黙って待っていた。
それから、もう一度手帳を開いた。
「実地試験の最初に、こう書きました」
グレタが、一行を読み上げる。
「『猫、鳴き声で返事をする。問いを理解している。斥候として機能』」
今度は、誰も声を上げなかった。
(なるほど。さっきの報告書の出どころは、その手帳か)
試験のあいだ、何を書かれているのか気になって仕方なかった、あの手帳だ。
評価対象外の猫には関係のない手帳だと思っていたが、どうやら吾輩の働きぶりもしっかりと書き込まれていたようである。
「評価はしない、と言ったのは私です。ですが、猫を評価する規定がないだけでした。働きを書き留めない理由にはなりません」
グレタは、まっすぐ吾輩を見た。
「規定上、猫を昇格させることはできません。ですから、これは記録として残します。シロ。あなたは、よく働きました」
吾輩は、セリアの腕の中で耳を動かした。
(……ほう)
最初に「評価はしない」と言った本人が、自分でそれを改める。
口で言うのは簡単だが、実際にやれる上司はめったにいない。
前世の上司は、一度言ったことを改めるくらいなら、規定のほうを改める人だった。
(規定は規定、働きは働き。話のわかる人だ)
それに、正直に言えば悪い気はしない。
仕事を認められると、やる気が出る。
社畜というのは、驚くほど燃費のいい生き物なのである。
この一言で、あと三か月は戦える。
「ニャッ(はい。今後ともご贔屓に)」
取引先への挨拶のような返事になった。
まあ、鳴き声なので、そこまでは伝わっていないだろう。
「ただし」
グレタの声が、ひとつ低くなった。
「次も同じ威力なら、仲間ごと焼きます。それだけは、覚えておいてください」
(……はい。肝に銘じます)
褒めてから、きっちり釘を刺す。
この人は、評価面談の正しい作法を知っている。
*
部屋を出ると、受付の前は夕方の混雑が始まっていた。
依頼を終えた冒険者たちが、カウンターの前に列を作っている。
「おい、聞いたか。昇格試験でグレートボアを倒した新人がいるらしいぞ」
「どこのパーティだ?」
酒場のほうから、そんな声が聞こえてきた。
噂が回るのが早い。
社内の人事異動の内示並みである。
(その新人なら、ここにいる。ただし、社外秘である)
ジェイクが、大きく伸びをした。
「なんにせよ、Dランクだ。祝勝会の店、どこにする?」
「その前に」
カティアが、ジェイクの言葉をさえぎった。
それから、セリアの腕の中の吾輩に、びしっと指を突きつけた。
「シロ。明日、ちょっと付き合いなさい」
(呼び出しのあとに、また呼び出し?)
「ニャア(今日はもう、呼び出しはお腹いっぱいなのだが)」
「返事は?」
「ニャッ(はい)」
有無を言わせない口調だった。
前世でいえば、会議のあとに「ちょっといい?」と肩を叩いてくる先輩の顔である。
どうやら吾輩の呼び出し週間は、まだ終わらないらしい。