冒険者になった猫 ~話せないけど、言葉はわかります~ 作:播磨 由道
翌日の昼過ぎ。
吾輩はカティアに連れられて、街外れの河原にいた。
宿まで迎えに来た彼女は、吾輩を見るなり「行くわよ」とだけ言い放った。
事前の説明は一切なし。
セリアは朝からギルドの手続きで不在だったので、吾輩はあっさりと引き渡されてしまった。
(せめて、行き先と用件くらいは事前に共有してほしい)
前世の会社員時代にも、こういう呼び出しは何度もあった。
会議室の名前だけが送られてきて、議題が空欄のスケジュール。
報連相はしっかりと厳守するべきだと吾輩は主張したい。
連れてこられたのは、丸い石ばかりの荒涼とした河原だ。
ゆったりと曲がる川の水面が、日差しを受けて細かくきらめいている。
周囲に草木はなく、燃え移るようなものは一切ない。
ここは、以前にもカティアに連れてこられた秘密の練習場所だ。
吾輩の風で、彼女の火を大きくする連携を初めて試したのも、この河原だった。
「今日はあんたの雷魔法の練習をするわよ」
カティアは腕を組み、吾輩を見下ろした。
「威力の高すぎる魔法はね、敵だけじゃなくて周りまで巻き込むの。昨日みたいに、草に火がつくこともある。森の中で下手にぶっ放したら、大変なことになるわ」
そう言うと、彼女は少しだけ目をそらした。
「……わたしの火と同じよ。でもあれだけ強力な魔法を使わないなんてもったいないじゃない」
(たしかにそうだ。吾輩も同じことを考えていた)
アーク放電の威力は強すぎる。
昨日、グレートボアを仕留めることができたのは運がよかったと言わざるを得ない。
グレタに言われたように、仲間に当たりでもしたらそれこそ取り返しがつかないことになるだろう。
前世では何事も自信満々に「やります」と豪語する新人がいたが、いつも結果は散々なものだった。
己の実力を過信してはいけないのだ。
まず最初に行うべきは出力の調整だ。
あの威力のままでは冒険者の主戦場である「森」では使えない。
(とりあえず、最初は昨日の感覚でやってみるか)
吾輩は、腹の奥にある魔力へ意識を向けた。
そして、アーク放電の記憶を、遠くから眺めるくらいに小さく思い浮かべる。
――とたん、全身の毛がぶわっと逆立った。
ひげの先が、ぱちぱちと不穏な音を立て始める。
(おおっと。このままだとやばい)
吾輩は慌てて魔力を霧散させた。
アーク放電をイメージすると、どうにも出力最大で雷が放出されそうになる。
あの夜の記憶には、どうやら「つまみ」がついていないらしい。
遠くから眺めようが目を細めようが、出てくるのは全力全開の雷なのだ。
一発で吾輩の魔力はすっからかんになるし、森で放とうものなら酷いことになるだろう。
*
「ねえ。あんたの毛、すごいことになってるわよ」
うむ。自分では見えないが、だいたい想像はつく。
穏やかな心を持ちながら、激しい怒りによって目覚めた猫みたいになってるのではなかろうか。
カティアが何気なく吾輩の背中に手を伸ばした、その時だ。
――パチッ。
「あいたっ!」
彼女が慌てて手を引っ込める。その小さな音に、吾輩の耳はぴんと立った。
(これだ)
冬の朝、会社のドアノブに触れた瞬間に走る、あの痛み。
セーターを脱ぐときの、ぱちぱちという音。
前世の冬は、静電気との終わりなき戦いだった。
吾輩は毎朝、会社のドアノブを袖越しに掴むようにしていた。
あれも雷の親戚である。そして威力は弱い。まあとりあえず試してみようか。
吾輩はもう一度、魔力を集めイメージを固めていく。
(ドアノブ、静電気……冬の朝の、あのバチッだ!)
毛がふわりと立った。今度はひげも鳴らない。
そばに落ちていた枯れ葉に、前足をそっと当てる。
――パチッ。
小さな火花が散り、枯れ葉がほんの少しだけ揺れた。
以上である。
(……)
「……今のは?」
カティアがつまみ上げた枯れ葉には、焦げ跡ひとつついていなかった。
吾輩は意地になり、何度も試した。
石の上にいた甲虫に当てると、少し驚いた様子でのんびりと歩き去っていった。
カティアの指に当てると「いたっ」と言われたあと、普通に笑われた。
(虫にすら相手にされていない)
最後にカティアのローブの袖口へ、前足をちょんと当ててみる。
――パチッ。
次の瞬間、カティアの髪がふわっと浮き上がった。
もともとはねやすい毛先が、四方八方にぴんと広がる。
「ちょっと! 何するのよ!」
(科学実験で有名なアレだ)
カティアは顔を真っ赤にして髪を押さえつけた。手を離すと、また少しだけふわりと浮く。
(……ちょっと楽しい)
「これ、冬に扉の取っ手でなるやつでしょ」
「ニャッ(はい)」
カティアはついに河原に座り込み、お腹を抱えて笑い転げた。
「さすがに威力を抑えすぎじゃない?」
「ニャア(笑いごとではない。こちらは真剣なのだ)」
吾輩はしっぽで石を叩いて抗議したが、その意図はまったく伝わらなかった。
*
それでも、吾輩はあきらめなかった。
威力が足りないなら、使い道のほうを探せばいい。
売れ残った在庫に新しい売り先を見つけるのは、前世の吾輩の数少ない特技だった。
(火花は出る。火花といえば――)
吾輩は河原の端にある流木の陰から、乾いた枯れ草をくわえて戻った。
それを前足でほぐし、小さな山を作る。
「何してるの?」
首をかしげるカティアをよそに、吾輩は枯れ草の山に前足を当てた。
――パチッ。
火花が、ほぐした草の中に落ちる。
細い煙が一本だけ立ちのぼり、やがて小さな小さな火が、ぽっとついた。
(これでどうだ、魔法によるファイアースターター!)
かまどの火おこしで灰をまき散らし、マルタに叱られた日のことを思い出す。
あの汚名を、ついに返上するときが来たのだ。
吾輩は得意げにカティアを振り返った。
するとカティアは、自分の人差し指の先に小さな火をともして見せた。
「……それ、わたしがいれば要らないわよね」
(ぐうの音も出ない)
炎使いの前で、火おこしを自慢する猫。
前世でいえば、経理部の前で電卓の早打ちをドヤ顔で披露するようなものである。
カティアはまた笑い転げた。
吾輩は前足で、枯れ草の火をそっと踏み消す。肉球が、ちょっとだけ熱かった。
強すぎるか、弱すぎるか。ちょうどいい、がない。
帰り際、カティアは笑い疲れた顔で言った。
「まあ最初からうまくいくことなんて、めったにないものよ」
(励まされているのか、慰められているのか)
たぶん、両方だろう。
*
カティアに送られ、宿に戻ったのは夕方だった。
裏口から入ると、帳場にマルタの姿があった。
その手には、一通の封筒が握られている。
上質で分厚い、真っ白な紙。
宿に届く日々の請求書や手紙とは、紙の格がまるで違う。
前世でいえば、取引先の役員から届く重要封書の風格だ。
マルタは吾輩に気づくと、はっと顔を上げた。
そして、その封筒を慌てて前掛けのポケットに押し込んだのだ。
「……あら、シロ。おかえりなさい」
笑顔はいつもどおりだった。
だが、前掛けを押さえた手は、なかなか離れようとしない。
(そんなに押さえてたら、なにか隠してるのが丸わかりなんだが?)
それに猫に見られて困ることがあるのか?
吾輩はまあ、猫ではないが。
マルタはそのままそそくさと台所へ引っ込んでいった。
しばらくして、いつものように吾輩の水の皿を替えてくれた。
皿を置いたあとも、その前でぼんやりと立ち尽くしている。
彼女がそんなふうに心ここにあらずな様子を見せるのも、初めてのことだった。
吾輩は二階を見上げた。セリアは、まだ帰っていない。
前世で、部長が急に書類を裏返して隠したことがある。
その翌月、吾輩の部署は消滅した。
人が慌てて隠す紙には、だいたい、ろくなことが書いていない。
吾輩はそれを、部署ごと学んだのだ。