冒険者になった猫 ~話せないけど、言葉はわかります~ 作:播磨 由道
彼女の名前はセリアといった。
干し肉とパンを平らげ、すっかり胃袋を掴まれた吾輩は、喉を鳴らしてすり寄った。
すると彼女は、あっさりと吾輩を拾ってくれたのである。
「こんなにガリガリで放っておけないし……うん、私が飼ってあげる!」
こうして、異世界サバイバルは開始わずか数日で幕を閉じた。
吾輩が勝ち取ったのは、心優しい美少女剣士の飼い猫という、なかなか悪くないポジションである。
しかし、現実はそう甘くはない。
意気揚々とセリアの定宿へと向かったものの、宿の女将の反応は冷たかった。
「そんな薄汚れた毛玉、ウチの綺麗なベッドに乗せられたらたまらないよ!」
と、にべもなく門前払いを食らってしまったのである。
というわけで、現在。
吾輩は宿の裏手にある、藁と獣の匂いが充満する薄暗い馬小屋に連行されていた。
「ごめんね、ちょっと冷たいかもしれないけど我慢してね」
セリアが腕まくりをしながら、井戸から汲み上げた水をなみなみと張った木桶を用意する。
その手には、ごつごつとした茶色い固形石鹸が握られていた。
ちょっと待ってほしい。
こういう時、異世界転生のセオリーではどうなるのが正解だろうか。
定番といえば、美少女と一緒にお風呂に入るものではないのか。
頬を染めた彼女に「もう、暴れちゃダメだよ?」なんて言われながら、優しく丁寧に洗ってもらう。
そういう、お約束のラッキースケベイベントのはずだ。
なぜ馬小屋なのか。
なぜ真水なのか。
なぜその石鹸はそんなに無骨で泡立ちが悪そうなのか。
前世の記憶と煩悩が「こんなの絶対におかしい!」と猛然と抗議する。
だが、猫の悲しい性か、首根っこを掴まれた吾輩は抵抗すらできない。
あっけなく、木桶の中へと放り込まれた。
「ミギャアッ!」
冷たい! そして、洗い方が思いのほかダイナミック!
「よしよし、いい子だねー。うわっ、すごい泥水……」
セリアは、猫の扱いなどまったく知らないらしい。
泥まみれの革鎧でも洗うかのように、ゴシゴシと力強く吾輩の体を擦っていく。
ロマンもへったくれもない、ただの作業である。
しかし、その効果は絶大だった。
茶色い石鹸で念入りに揉まれるうちに、吾輩の体にこびりついていた分厚い埃と泥が、みるみるうちに流れ落ちていく。
桶の水はあっという間にドブのように濁っていった。
「ふう、こんなもんかな。……えっ?」
一通り洗い終え、粗い布でゴシゴシと水気を拭き取られた後。
ブルブルと体を震わせて毛並みを整えた吾輩を見て、セリアは目を丸くした。
無理もない。
吾輩自身も、水溜まりに映る自分の姿をずっと「薄汚れた灰色の猫」だと思い込んでいたのだから。
だが、こびりついた汚れという名の鎧を脱ぎ捨てると、どうだ。
吾輩の本当の姿は、驚くほどに綺麗な『白色』の体毛に覆われていたのだ。
ベースは雪のように白く、そこにところどころ、灰色のスタイリッシュなストライプ模様が入っている。
我ながら、なかなかに気品のある美しい猫ではないか。
「すごい……あなた、本当はこんなに綺麗な色をしてたのね!」
パァッと顔を輝かせたセリアは、綺麗になった吾輩を躊躇いなくぎゅっと抱きしめた。
仄かに石鹸の匂いと、若い娘特有の甘い香りがする。
うん、これこれ。
こういう展開を待っていたのだ。
「そうだわ。あなた、名前はまだないのよね。今日から私のパートナーになるんだし……」
セリアは吾輩を両手で持ち上げ、満面の笑みでその名を口にした。
「あなたの名前は『シロ』よ! 白いからシロ! いい名前でしょ!」
(……安直すぎる)
そのまんまではないか。
もう少し捻りというものはないのか。
しかし、吾輩の前世の名前は城之内士郎。
つまり『士郎(シロウ)』である。
偶然にしては出来すぎている気もするが、当たらずといえども遠からず――いや、むしろほぼ正解であった。
「ニャア(まあ、悪くない)」
吾輩が一つ鳴いてみせると、セリアは「返事してくれた!」と嬉しそうに微笑んだ。
吾輩は猫ではない。
名前はシロである。