冒険者になった猫 ~話せないけど、言葉はわかります~ 作:播磨 由道
「このことは、二人だけの秘密ね。約束よ」
吾輩は城壁の上で、セリアと秘密の約束を交わした。
守秘義務は守らなければならない。社会人の常識だ。
しかし酒場のテーブルの上で、吾輩は書き置きを見つめながらどうするべきか悩んでいた。
三人は神妙な顔をして吾輩の答えを待っている。
前世でも似たようなことがあった。
後輩が些細なミスをして「部長には内緒にしてもらえませんか?」とお願いをしてきたのだ。
取るに足らない問題だと思った吾輩は、部長に黙っていることを約束した。
そして三か月後、その些細なミスが原因で、取引先を巻き込む大炎上が発生する。
頭を下げて回る後輩に付き合って、吾輩も方々に頭を下げる羽目になった。
あの時に学んだこと。
問題は、小さいうちに上へ報告しなければならない。取り返しがつかなくなってからでは遅いのだ。
あれはセリアが大事にしていた、今の毎日を守るための約束だった。
「連れ戻されて、みんなと一緒にいられなくなるのが怖い」と、セリアは言ったのだ。
(……なら、話は簡単だ)
その毎日が、今朝、馬車に乗って出ていってしまったのだから。
もうあの約束を守る意味はない。
そしてこのまま何もしなければ、セリアは望まぬ結婚をさせられることになるだろう。
黙っていれば、約束は守れる。
黙っていたら、セリアは守れない。
吾輩はテーブルから飛び降りて、ジェイクのズボンの裾をくわえて引く。
「おい、どこ行くんだ」
「ニャア(セリアの部屋だ。文字表がないと何も説明できない)」
カティアとメアリーが顔を見合わせる。
それから三人は、黙って吾輩のあとをついてきた。
*
宿に戻ると、帳場にはマルタが座っていた。
三人の顔を見ると、マルタは申し訳なさそうに目を伏せる。止めようとはしなかった。
吾輩は先頭に立って階段を上がり、三人をセリアの部屋へ案内する。
窓辺には、目的の文字表が立てかけてあった。
その横の『シロ、ありがとう』の紙を、吾輩は前足でそっと窓枠の端へ寄せる。
あれは、吾輩宛ての私信だ。
今回の会議資料には必要ない。
板の前に座ると、三人が吾輩を囲むように腰を下ろした。
(プレゼンでは、結論を一番最初に伝えるのが基本だ。一文字ずつしか打てない今は、なおさら)
吾輩は、肉球で文字をたどり始める。
『せりあ いえ でてきた』
「……家出?」
カティアが、思わず声に出した。
「セリアは、家出してこの街に来たってことか?」
「ニャッ(はい)」
ジェイクの眉が寄る。
吾輩は、次の文字に前足を伸ばす。
『ちち が きめた けっ』
「けっ……決闘?」
「ニャア(物騒なほうに読むな。最後まで聞け)」
カティアは待ちきれないと、すぐ先を読もうとする。
文字表ができた日から、変わらない癖だ。
『けっこん あいて ちち より としうえ』
今度は、誰も先を読まなかった。
メアリーが、胸の前で両手を組んだ。
「お父様より年上の人と、結婚させられそうになって……逃げてきたのね」
「ニャッ(はい)」
それから吾輩は、妹のフィーネのことを伝えた。
十歳で、甘えん坊で、お別れを言えずに出てきたこと。
それから、ゆうべ廊下で聞いた言葉も。
『ゆうべ つかい きた』
『きじつ きまってる』
『ふぃーね が』
最後の一つを押さえたところで、吾輩の前足は止まった。
その先は、吾輩も聞いていない。
カティアが、膝の上で拳を握りしめる。
「なによ、それ……。それって、セリアが帰らなかったら、妹がどうにかなるってこと?」
『わからない』
ここは、正直に押さえる。
報告に当て推量や感想はいらない。バイアスがかかると判断を誤る恐れがある。
「シロ。それ、全部セリアから聞いたのか」
ジェイクが、静かに聞いた。
「ニャッ(はい)」
「……誰にも言わないって、約束したんだな」
「ニャッ(はい)」
「それでも、話してくれたのか」
吾輩は、最後に一つだけ文字をたどった。
『じかん ない』
ジェイクは、しばらく黙って板を見ていた。
それから、吾輩の頭に大きな手をのせた。
「……そうか。よく、話してくれた」
(礼を言われる筋合いはない。こちらは、約束を一つ破ったところだ)
それでも、頭の上の手は、悪くなかった。
*
「わたしも、ひとつ白状しないといけないわね」
メアリーが、静かに口を開いた。
「セリアちゃんが貴族のお家の子なんじゃないかって、わたし、前から思っていたの。教会でお茶を飲んだときの手つきが、寄付にいらっしゃる奥方様たちとそっくりだったから」
「はあ!? メアリーも知ってたの!?」
カティアが、勢いよく振り向く。
「知っていたわけじゃないわ。気づいていただけ。本人が話したくなるまで、知らないふりをしましょうって、シロちゃんと決めていたの」
メアリーは、吾輩のほうを見て、少しだけ困ったように笑った。
「でも、もう知らないふりは、おしまいね」
(秘密保持契約、本日をもって満了である)
あの日、礼拝堂で交わした約束だ。
契約書はないから、解約にも書類はいらないだろう。
「二人とも、ずっと黙ってたってわけか」
「ニャア(人聞きが悪い。守秘義務と言ってくれ)」
ジェイクが頭をかく。
責める声ではない。
「……いや、いい。俺がセリアでも、たぶん言えなかった」
「わたしは、言ってほしかったわよ」
カティアが、板の縁の猫の足跡を指でなぞる。
「力になれるかどうかなんて、聞いてみなきゃわからないじゃない。……ばか」
最後の一言は、たぶん、ここにいない誰かに向けたものだった。
それから、カティアの目が、窓枠の端の小さな紙に留まった。
「……それ、何?」
吾輩が答えるより先に、メアリーがのぞき込んで、やわらかく笑った。
「シロちゃん宛てのお手紙ね。『ありがとう』ですって」
「なによそれ。わたしたちには『探さないで』で、シロには『ありがとう』? ……ずるい」
カティアは、唇をとがらせてそっぽを向く。
(拗ねるのはジェイクだと思っていたが、読みが外れた)
ジェイクはといえば、黙って窓の外を見ていた。
たぶん、こちらも拗ねている。
そのとき、部屋の扉を叩く音が二回、こんこんと鳴った。
扉の向こうに、マルタが立っていた。
手には、白くて厚い紙の封筒を持っている。
「皆さん。……下へいらしてください。お話ししなければならないことがございます」
いつもの口調ではない、ぴんと背筋の伸びた言葉づかいだ。
今朝は、どうも約束破りの多い朝になりそうだ。