冒険者になった猫 ~話せないけど、言葉はわかります~ 作:播磨 由道
「……一つ、確かめておきたい」
沈黙を破ったのは、ジェイクだった。
腕を組んだまま、卓の上の書状をじっと見ている。
「相手は子爵様だ。平民が貴族にたてついたら、どうなるか」
ジェイクが、ひとつずつ言葉を並べていく。
「ドルナーは、この街の商会にも金を入れてる。俺たちが嗅ぎ回ってると知れたら、ギルドの仕事は回ってこなくなる」
「宿にも、マルタさんにも迷惑がかかる。下手をすりゃ、俺たちは牢屋行きだ」
「冒険者を続けたいなら、ここで手を引くのが一番利口だ」
崖の上で聞いたのと、同じ声だった。
自分に言い聞かせるような、重い声。
カティアが何か言いかけて、口を閉じた。
メアリーも、黙ってジェイクを見ている。
吾輩も、何も言わずに待つ。
この男がこういう声を出すとき、話はまだ終わっていない。
ジェイクは、そこで言葉を切った。
目を閉じて、深く息を吸う。
「……とまあ、そういうことは、いったん全部忘れる」
そして、両手で自分の頬をばしんと叩いた。
「セリアを取り戻すぞ」
「ニャア(頬が真っ赤だぞ、リーダー)」
「その顔、崖の上でも見たわ」
カティアが、ふんと鼻を鳴らす。
けれど、その口元は少しゆるんでいる。
「最初から、そう言いなさいよね」
「あらあら。それなら、急がないとね」
メアリーは、いつもの調子で手を合わせている。
二人とも、迷った様子は少しもない。
マルタが、前掛けの端で目元を押さえた。
*
「で、シロ。お前、さっきから何か言いたそうな顔してるな」
さすがはリーダー。よく見ている。
吾輩は文字表に前足を伸ばし、一文字ずつ指していく。
『どるなー より えらい ひと』
「ドルナーより、偉い人……?」
カティアが首をかしげ、それから、はっと顔を上げた。
「そうよ。子爵より上の貴族に、ドルナーを叱ってもらえばいいのよ!」
「ニャッ(はい)」
(さすがはカティアだ。話が早い)
「このあたりで子爵より上っていったら、ヴァイセンベルク伯爵家ね。この地方を治めてる家よ。紋章は、白い牡鹿」
白い牡鹿。
その紋章には、見覚えがある。
セリアと二人で、街を歩いた日だ。
大通りを四頭立ての黒い馬車が通り、セリアは吾輩を抱えて露店の陰に隠れた。
あの馬車の扉に描かれていたのが、白い牡鹿だった。
(あの馬車の主が、この地方で一番偉い人だったのか)
「伯爵様のお館は、この街の北の丘の上でございます」
マルタが言うと、ジェイクは、がしがしと頭をかいた。
「場所がわかってもどうにもならねえよ。伯爵様が冒険者に会ってくれるわけがねえ。門の前で追い返されて終わりだ」
「手紙を書けばいいじゃない」
「誰が読むんだよ。伯爵様のところに届く前に、どっかで止まるのがオチだ」
カティアが、ぐっと詰まった。
たしかに、そうだ。
オットーの横流しの件も、ギルドから上へ報告したはずなのに、いつの間にか立ち消えになっていた。
平民の声は、偉い人の耳まで届かない。
「だったら、門から入らなければいいのよ」
メアリーが、にっこりと笑った。
*
「教会にはね、伯爵様の奥方様が、ときどき寄付にいらっしゃるの。お茶をお出しするのは、わたしの役目なのよ」
メアリーは、頬に手を当てて続けた。
「とても信心深い方でね。この土地に昔から伝わるお話を、それは大事にしていらっしゃるの。『白い獣は、神様のお使い』っていうお話」
全員の目が、ゆっくりと吾輩に向く。
白い毛並み。
人の言葉がわかる。
不思議な魔法も使う。
「シロちゃんに、神様のお使いになってもらうの」
「ニャア(待て。吾輩は、神に説教したい側だぞ)」
「夜、伯爵様のお館のお庭に、白い獣が現れる。そして、ドルナー様の悪事の証拠を置いていく。平民の訴えは門で止まっても、神様のお使いのお告げなら、奥方様が放っておかないわ。奥方様が騒げば、伯爵様も動かずにはいられないもの」
部屋が、しんと静まり返った。
ジェイクは、口を半分開けたまま固まっている。
カティアは、メアリーと吾輩を何度も見比べている。
「メアリー、あんた……神様にお仕えする身でしょ? そんなこと言っていいの?」
「あら。嘘はつかないわ」
メアリーは、少しも悪びれずに微笑んだ。
「シロちゃんは本当に、困っている人を助けに来てくれる、白い子だもの」
にこにこと言い切られると、反論のしようがない。
それに、神様のお使いはともかく、セリアを助けたいのは本当だ。
作戦としても、筋は通っている。
相手が偉い人なら、その人がいちばん耳を傾ける相手に話してもらえばいい。
(やはり、このパーティで一番の大物は、彼女だ)
「……はは。とんでもねえことを考えるな」
ジェイクの口から、乾いた笑いがもれる。
「だが、シロはどう見ても白い猫だぞ。庭に猫が一匹いたって、神様のお使いには見えねえだろう」
「そうねえ。そこは、まだ考えていないの」
メアリーが、あっさりと首をかしげる。
「ニャア(そこがいちばん大事なところだろう)」
「……いいわ。見せ方は、わたしが考える」
カティアが、腕を組んで吾輩を見下ろした。
頭の中で、もう何かを組み立て始めている顔だ。
「頼んだ。なら、残るのは置いていく証拠のほうだな」
「横流しの件なら、オットーさんが何か知っているんじゃないかしら」
「ああ。罪をかぶせられて街を出たやつだ。ドルナーを恨んでても、おかしくねえ」
(それに、ドルナーの帳簿だ)
思い出すのは、ハーゲン商会の倉庫で読んだ帳簿だ。
ああいう帳簿には、たいていもう一冊、裏の帳簿がある。
ジェイクが、指を折って数える。
「オットーを捜して、話を聞く。ドルナーの証拠を集める。それを、神様のお使いに届けてもらう。で、そのあとリーヴェルト家に向かう」
婚礼まで、二十日ほど。
ぐずぐずしている暇はない。
*
その日の午後。
吾輩たちは、ギルドの受付の前に並んでいる。
「休暇、ですか」
エレナが、書類から顔を上げた。
「ああ。三人と一匹で、二十日ばかり。急ですまねえ」
エレナは吾輩たちの顔を順に見て、ジェイクの横の、セリアがいつも立っていた場所で目を止めた。
何か聞きたそうに見えたが、口に出したのは別のことだった。
「冒険者の休暇に、理由は要りません。お気をつけて」
それから、少しだけ声を落とした。
「何かあれば、ギルドにも相談してくださいね。わたしにできることなら、しますから」
ジェイクは「助かる」と短く言って、頭を下げた。
(聞かずにいてくれるのが、エレナのいいところだ)
ギルドを出ると、空はよく晴れている。
神様に会ったら、説教してやるつもりだった。
それがまさか、神様のお使いの役を回されるとは。
どうやら吾輩は、説教したい相手の部下として、ひと働きすることになるらしい。