私は目立たず生きたいだけ 日陰者転移者の異世界生活   作:稲荷竜

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第11話

「ジュリさまー」

 

「ジュリさん! お疲れ様ッス!」

 

「はい?」

「あ?」

 

 ばち……みたいな火花が、散っていますね。

 なんでしょう、私から物理的に遠いところで、火花を散らしては、いただけないでしょうか。

 

 まず、誰……?

 

 名前を呼ぶって、私にとっては、結構、大変な決意のいること、なのですけれど。世間では、そうではないのでしょうか。ないの、でしょうね。

 

 私にとっての一大事業が、世間の人にとっては、ほとんど日常的な動作の一環、息を吸う、息を吐く、ぐらいまではさすがにいかなくとも、『ちょっと、そこの物をとる』ぐらいの気軽さで行われてしまうことは、よくあるように、思われてなりません。

 

『他者を名前で呼ぶ』というのもまた、そういった"事業"のうち一つで、実は私、まだ、この世界に来てから、一度も他者を名前で呼んだ経験が、なかったりします。この世界に来る以前もまあ、そうだったんですけど。

 

 特に、異性を名前で呼ぶなんて、相手が『V』でも、できません。

 苗字で呼んでしまうんです。『〇〇さん』って、呼んでしまうんですね。

 

 これがおかしなことだと思い知らされたのは、小学校の時でした。

 当時の私はまだ、自分のことを人間だと思っていたので、何か、流行の話題に乗らなければ、万が一にも噛める話題があったならば、噛んでいかなければ。歯形を、このクラスという空間に、何かしら残さなければ……そういう、強迫観念の中で、日々、息切れしながら、生きていたのです。

 

 そこで、私は、人気になっている『V』について、じっくり調べて、いつか、その話題について、発言のタイミングが回ってきたときには、それなりの知識を開示しようと、そう、考えていました。

 

 そして奇跡的に、そのタイミングは、来たのです。

 来て、しまったのです。

 

 今思い返せば、ああ、なんという、恥ずかしい……!

 私は、たくわえた知識や、考えてきたコメントをするまでもなく、大失敗をしました。

 

『V』を、苗字にさん付けで呼んでしまったのです。

 

 その時の、『え、〇〇さんて誰?(笑)』という空気。

 誰かが『〇〇の苗字じゃなかったっけ』『え、そなの? その呼び方何? 知り合い?(笑)』と言い、数秒、私は、話題と視線の中心人物になりました。

 

 公開処刑でした。

 

 その後、私が絞首刑に処され(その時に用いられた縄は、『クラスのしらけた空気』で、その時の索状痕(さくじょうこん)は、今も私の喉を締め上げています)、様子を見た民衆(クラスメイト)たちは、私という死体からすっかり興味をなくした……それどころか、最初から、私などという人は、この世界のどこにもいなかったのだというような態度で、彼女たちの日常に、戻っていったのです。

 

 ただ、話題の『V』を、苗字にさん付けで呼んだだけで。

 

 それ以来、私は、他者の名が自分の口から出ることに、とてつもない恐怖があります。

 かといって、いきなり名前で呼ぶことも、やっぱり、できないのです。その慣れ慣れしさを、私は、私に許すことができません。もしも、誰かを名前で呼ぶことがあれば、私の中の『上司』がまた、私を詰める材料を一つ手に入れて、永遠に、私の無配慮を責めたて続けることでしょう。

 

 つまり私は、世間においてほとんど必須と言える、『誰かを特定固有名詞で呼びかける』という能力を、すっかり喪失した個体なのでした。

 ゆえにこそ獣なのです。獣の遠吠えは、誰にも向かず、ただ、空に向けて放たれるだけの、独り言なのです。ここで『群れを作る動物もいる』とかいうことを言う人とは、永遠に分かり合えない断絶を感じることでしょう。

 

「ジュリ様は明日、わたくしと依頼を受けるのです!」

「お、俺が先にお願いしようって待ってたんだぞ……!」

 

 なんか、私のそばで、言い争いが、起こっているようでした。

 

 なんでしょう、もしかして私を巡って、争っておられるのでしょうか。私のために、争わないでください。純粋に、迷惑ですので……

 

 あと、誰?

 

 ああ思い出した。片方は、マギーさん、だったかな。じいやが来て、なんか、去って行った人。暫定、お嬢様。貴族、なのかも。詳しい話は、知りません。人の秘密とか、なるべく頭に入れずに生きていきたいので。

 

 片方、うまく思い出せないな。なんだっけ、小学生か、中学生ぐらいの、男の子なんだけど。接点、あるかな、そういう年齢層と。

 私の年齢でも、小・中学生男子と個人的に知り合いになるの、ギリギリ世間的に後ろ指刺されそうな感じが、あります。まあ、この世界では、気にする人は、いないのでしょうけれど。私が、気になるので。

 

「だいたい誰だよてめぇ!」

「そちらこそ誰ですのよ!」

「へっ、聞いて驚け! 俺は『拾(ひろい)』のアッシュだ!」 

「アッシュ!? あの!?」

「そうだ! 最初のパーティクエストで重大な発見をした──」

「ジュリ様にケンカを吹っかけてボコボコにされたあげく、冒険者やめる宣言をしたにもかかわらず三日後ぐらいにギルドに来て、哀れんだ『拾』の皆様に拾われた、あの!?」

「──てめぇ、ケンカ売ってんのか!?」

 

 紹介助かるなー。

 

 そっか、私が心を折った少年冒険者、いたな……

 ということは、マギーさんと、なんかこう、あの子、アッシュ……? は、ともに私に心を折られた者同士っていうことなんだ。

 

 私が折った心って回復早いのかな。

 綺麗に折れてるから回復も早くて折れる前より丈夫になるみたいなのあるのかも。

 

「そのアッシュがジュリ様になんの用事ですのよ」

「ふん! 決まってんだろ! 『拾』で功績を挙げたからな。実力を見てもらうために、依頼に誘いに来たんだよ!」

「またボコボコにされるつもりですの?」

「依頼に誘いに来たって言ってんだろ!? しょ、勝負はもういいよ……身の程を知りました……ごめんなさい……俺が悪かったです……」

「わかったなら立ち去りなさい! わたくしはジュリ様に用事がありますのよ! 変な絡み方しないでくださる?」

「…………いやお前に絡んでねーよ! っていうか、お前、何様!?」

「な、なに様とかどうでもよいのではなくって? 冒険者は出自より実績で語るべきですわ……」

 

 なんか目の前で互いに痛いところ突き合って勝手にトーンダウンしてる。

 どうしよう、私、冒険者ギルドの食事スペースで、いつも、逃げられない。たぶんねこれ、端っこの席に座ってるから、なんだよね。初期配置が追い詰められた状態から始まるの。

 

 あと、ご飯、まだ残っているのでね。夕食です。夕食は、朝食に比べると、ちょっと豪華っていうか。いえね、ランチタイムだの、ディナータイムだのの概念はないから、頼もうと思えば、いつでも、夕食みたいな食事は、頼めるのだけれど。朝から夕食みたいなの食べるのは、罪の意識、っていうか……『上司』が、さ。

 

 夕食、いいよね。夕食、わくわくする。

 そう、はっきりと、意識を、しています。私は、食べるのが、好き。いっぱいを食べたいわけじゃあ、ないのだけれど。口に入れて、味という刺激を感じることが、好き、っていうのかな。

 

 サマラさんの、香辛料、かなり楽しみにしてるところ、あります。

 どういう香辛料かは、聞いてないんだけど。カレーだと、いいな。カレーだったら、もう、ね、最高。カレー、日本にいた時には、そこまで好きっていう意識がなかったんだけど、基本的に、塩味しかないこの世界で過ごしてみて、カレーと、醤油が、恋しいよ。

 

「ジュリ様! このおばかに何か言ってやってくださいまし! わたくしとジュリ様は家族公認のパーティですわよね!」

 

 何も間違ってないから困るな。

 そう、私はなんか、マギーさんの、執事? ぽい人に、認められちゃったっていうか……

 なんだろう、あの人、思い返せば、かなりまともな『貴族の常識』みたいなの、説いてた気がするんだけど。貴族っていう立場の方が、冒険者より継続的に多くを救えるって、もう、うなずくところ以外、なかったように、思われるのだけれど。

 なぜか、私と一回ダンジョンに行ったら、方針転換しちゃったんだよな。

 

 私、何かやっちゃいました?

 

 本当に、何をしたか、わかっていないんです。誰か、教えてください。切実に、そう思います。私は、何をやらかしたのでしょうか。

 

「こっちはプライドの問題なんだよ! 一度冒険者を辞めるって言って、それでも続けるからには……ジュリさんに認めてもらわなきゃならねえんだ……そうしないと俺は、前に進めない……!」

 

 たぶんだけど、あなた、まだ最初の一歩目なんで、この時点で前に進む理由が必要なら、向いてないから辞めた方が、いいように思われます。

 そういうこと、口に出して言ってあげるのが、いわゆる親切だし、この人のためでもあるんだろうなとは、思うんだけれど。

 

 私はいつでも、人に何かを話そうとする時、『きっと、伝わらないんだろうな』『たぶん、理解してもらえないんだろうな』という想いが上唇をすごい勢いで引っ張ってきて、結局、言葉にできないのです。

 

 言った方がいいこと、きっと、私の中に、無数にあるのでしょう。

 でも、言えないんです。いざ言えば伝わるかもしれない。言えば、状況が好転するかもしれない。そういう可能性があることはわかっているし、その可能性は、きっと、けっこう、高いんだろうなとも、思うのです。

 

 でも、言えない。

 私は私の言葉が空を滑るあの感覚を、いつでも、思い出してしまう。

 

 無駄かもしれないと思いながらも、何かの言葉を発するには、『無駄を許されてきた経験』が、必要になるのだと、思われます。

 言葉を発した時の思い出が、白けた空気や、冷たい目、半笑いの口元ばかりで、何か間違ったことを言えば、背後から、左右から、見えないほど遠くから、くすくすという笑い声が聞こえる、ああいうイメージが頭の中にある。

 

 私は、それを、恐れているのです。

 

 何かを発する、何かのアクションを起こす。その果てに、あれほどのつらい目に遭うのだったら、何もしない方が、ずっとずっと、マシではありませんか。

 それは、あくまでも、私個人が疲労感を覚えずに済み、プレッシャーを避けられるという意味の『マシ』でしかなく、他者への寄与を考えていない、身勝手な意見なのは、重々に、承知しては、いるのです。

 

 私には、他者のことを慮(おもんぱか)る余裕が、ありません。

 

「ここは、ジュリ様に決めていただきましょう」

「ああ、それなら文句は言わねえ!」

 

 えー……

 決めたくない……

 

 何か、流れで私が決断しないといけないことになっていますが、他者を慮る余裕を持たぬ私の視点から見ても、ちょっとおかしいと、思うんですけれど。

 

 あなたたちに、都合があるのは、わかります。でも、その都合と、私とは、何も、関係がないのです。

 だのに、私に『決断』という手間をとらせるのは、何か、違うのではないでしょうか、という気持ちが、あります。

 

 たまには、言うべきか。

 

 うん、たまには、言おう。

 

「……私は、決め、ません」

 

 言った。

 言ったぞ。

 

 私は決めない。私は、何も決断しないんだ。だって、決断する理由がないから。

 ああ、はっきり、言ってしまった。もう、何も考えられない。山道を二時間ノンストップで歩いても息一つ切れないけど、もう、こんな、たった一言言うだけで、クタクタで、この場で突っ伏して寝たくなってしまう。

 

「……わかりましたわ。ジュリ様」

「ジュリさんがそう言うなら仕方ねえな」

 

 わかって、もらえたようです。

 よかった。今日のこの経験は、私の中で、何か、一つの契機になるやも、しれません。言葉を発して、意思が伝わったことがある。そういう、貴重な人生経験に……

 

「であれば二人でおともしますわ!」

「ああ、そうだな」

 

 貴重な人生経験に……

 

 ならなかったな。

 

 そう、私は、忘れていたようです。

 人間は『解釈』という行為によって、物事を自分の都合のいいように推移させるのです。

 

『ご遠慮ください』は『遠慮すればやってもいいんだな』となり、『お控えください』は『控えながらやります』になる。

 そういう事例を、いくらでも見てきたでは、ありませんか。だというのに、私は、それを忘れていた……

 

 というわけで、明日は、子供たちと冒険になりそうです。

 事前準備ができるだけ、今までの事例よりマシかもしれません。

 そう思うことに、するとしました。ちゃんちゃん(おしまい)。

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