私は目立たず生きたいだけ 日陰者転移者の異世界生活 作:稲荷竜
どうしよう、人間さんのこと、何もわからない。
日々が、流れているのでした。
あれから一週間。私は、マギーさんや、アッシュさん、時にはサマラさんやゴーリーさんなどに連れられて(どうにも私の方が『先導』的な立ち位置のように扱われているのですが、私の自認では、まったくもって『連れられている』以外に表現のしようがないのです)、クエストに挑みました。
毎日のルーティンとして、私はクエストを行っています。
それは『仕事を真面目に毎日頑張っている』と捉えられるようで、実際、周囲の様子をうかがえば、冒険者稼業というのは、毎日するものではなさそうなようにも、思われるのです。
その状況の中で、『毎日、決まった時間にギルドに来て、決まった難易度のクエストを受ける』というのは、なるほど、真面目なようにも、思えるのかもしれません。
私の影響で、多くの冒険者がクエストを『真面目に』こなすようになり、溜まっていた依頼が片付いて助かる、というようなことさえ、受付のお姉さんに言われてしまうぐらいなのです。
けれどこれは、本当に、過大で過分で誤った評価であると、私からすれば、断じるよりほかにないのでした。
私は、真面目ではないのです。
毎日決まった時間に起きて、決まったようにクエストを受けるというのは、ただのルーティンワークにしか、すぎません。
ルーティンワークをこなせることが、真面目ということだ、などと言われてしまうと、確かに反論もできないのですけれど、私の中に、『それとこれとは、話が違うんだけどなあ』という、座りの悪さが、どんどんたまっていくのです。
毎日毎日、その日にすることを決めて、それから行動するというのが、大変な労力であることが、理解される様子がないのが、すべての問題の根幹にあるような、気がするのですけれど。
『今日は、あるいは明日は、どうしようかな、休むか、働くか。働くとしたら、どうするか。ちょっとした挑戦をするか。それとも、堅実に、以前にこなしたような仕事を、こなすか』などと、起きたそのあとに決める。これは、私からすれば、大変な偉業なのです。
情けない告白をするならば(その告白が私の口から出て、他者の耳に入ることはありえないので、やはりこうして、心の中で、ぐだぐだ言うだけでは、ありますが)、私は昨日と違うことができないのです。
どのようなささいなことでも、私にとっては『挑戦』になります。食事の注文の仕方を変えるのさえ、私にとっては大冒険なのです。
食事を楽しみにしている、と自覚しておきながら、私は毎朝、スープとパンで朝食を済ませますし、夕食も、肉類を一品と、パン、そしてスープで済ませます。
注文を言わずとも『いつものね』で通るぐらいです。
余談ではありますけれど、私は、注文の際に人にいちいち自分の食べたいものを告げることさえ疲れるぐらいなのですけれど、それと同じぐらい、自分が何を食べたいかを察せられ、常連のように遇されることにとてつもない羞恥を覚える、おかしな精神をしていて、『いつものね』と言われた時、本気で移住を考えたぐらいだったことが、頭の中によみがえってきて、今、地団駄でも踏みたい気持ちになっています。
閑話休題。
私はとにかく、新しい行動をしたくないのです。そこに必ず発生する、『今日は、何をしようかな』と悩む。その時点で、すさまじく疲弊してしまうのです。
毎日そんなことをしていたら、とても生きてはいかれないわけなので、私は毎日、『昨日と同じこと』を繰り返そうと、するのです。
そんな私ですから、
「そろそろ、Aランクのダンジョンに挑んでみないか」
ゴーリーさんからそういうお誘いをされても、困り果ててしまって、けれど、社会というものを恐れている私は、軽々に断ることもできず、『断るのと、流されるの、果たしてどちらがいいのだろう』と悩んでしまい、卑屈に笑みを浮かべるしか、できないのでした。
軽々に断れない理由で、大きなものは二つあって、一つはやはり、私という獣の、どうしようもない性向、生まれつき持ち合わせた『脛の傷のようなもの』が、原因なのでした。
私は、私の『本当の気持ち』を発することを、苦手としています。
特に誰かの『○○しないか?』を断ることはもう、それ自体が大変な罪悪であり、断った瞬間に、首にかけられた縄が私を天高く引っ張り上げ、ぎりぎり生かすような力で締め上げて、じっくりじっくりと、苦しめて殺すのではないかと、そのぐらいに、思ってしまうのです。
そしてもう一つは、これもまた、私の生まれつきのもの由来ではあるのですけれど、それ以上に、私がこの冒険者ギルドで、人間のみなさんの仲間みたいなフリをして長らく生きてきた経験からくる、断りにくさなのです。
私は本来、人間のみなさんが当たり前にしている『人間として社会で生きるための努力』をせず、どうにかこうにか、すべき努力とは別なとこで贖罪をしつつ、人間社会の文明をすすって寄生している、というような立場なのです。
それは最近ますます激しく感じられるようになっています。
私は、アッシュさんを助けに行って以来、毎日、パーティメンバーをとっかえひっかえ(とはいえまったく自発的にそうしているわけではありません)し、時には先達、助っ人のような立ち位置でクエストに挑んできました。
それは紛れもなく社会貢献であり、『人の間』と書く、『人間』らしい行動なのではないかと、思うのです。
客観的に見れば、間違いなく、私は社会になじんでいるのでしょう。
けれど、そうしてみなさんに誘われるままに社会の中で生きれば生きるほど、私の心は、社会から遠ざかっていくのでした。
どのように社会になじんでいるような行動をしても、いえ、そういった行動を重ねるほど、私の中の『上司』が、『ええ? お前、ずいぶん、擬態がうまくなったじゃないか。でも、お前がそんなふうに、人の中で生きてるぶったとしても、それは、人間とは、違うんだよ。見ていれば、明らかなんだ。誰も言わないけれど、みんな、思っているんだよ』と、意地悪くニヤついた口元さえ想像できるほどの嘲笑を浮かべて、言うのです。
私は真摯にやっているつもりでいます。
けれど、真摯にやればやるほど、ひどい嘘を重ねているような気分になっていくのです。
風船。私はそれを、ふくらましています。苦しみを覚えながら、心拍数を上げながら、全身に懸命に力を込めて、ふくらませているのです。
私が吐息を風船の中に入れるたび、私の、いわゆる『社会性』は、どんどん、ふくらんでいきます。
しかしそれは、『蓄積』ではないのです。
どんどん、ふくらませています。社会で生きるというのは、そのように、必死に息を風船の中に注いでいく、そういう苦しみなのです。
そしていつか、それは破裂するのでした。その時、私が重ねた『社会で生きた苦労』みたいなものは、すべて偽物だと看破され、吹き荒れる吐息だったものは、周囲の人々の笑顔を一瞬でしかめ面に変えてしまい、私は、みなさんを騙したとして、叱責され、排斥され、糾弾されるのです。
しかし、社会で生きていくには、そのように、風船をふくらませ続けるしかない……
それを蓄積と呼ぶことは、私にはできそうにも、ありません。何も、積み上げていないのです。
だというのに、周囲の人々は、私が何かを積み上げて社会の一員になっていっているかのように扱う……
きっと私が、自分が何も積み上げておらず、ただ偽りによって風船をふくらませ続けているだけだと正直に告白したとして、それを信じる人は、いないでしょう。
それどころか、肩を叩いて、『お前は、うまくやっているよ! 自信を持ってくれ!』などと、励ましの言葉をかけられる図が、ありありと思い浮かんでしまうのです。
Aランクのダンジョンに挑む。
そもそも私は『
彼らの誘いを断ることは、できません。それは、私が必死にふくらませ続けている風船に、最後の一刺しを与える可能性が、あるのです。
また、社会性の面で言っても、彼らによくしてもらっているのは、客観的事実なものですから、ここで彼らの期待を裏切るようなことなど、できるはずがないのです。
私は、首を縦に動かしました。ほとんど、見えないぐらい、小さく、動かしました。
そこには、『私の動きが見えなくて、私が反応しないと思って、自らやっぱりいいやと言ってくれるかもしれない』という、卑劣な期待も、あったのです。
私は断りたくないのです。けれど断ったとみなされたいのです。
今の、ほんの小さな首の動きは、本当に、アリバイ工作以外のものでは、ありませんでした。そしてそれは、相手に認めさせるアリバイではなく、自分自身の心に残すためだけの、何の意味もない、アリバイでしかないのでした。
「そうか。行ってくれるか」
ゴーリーさんは、私のほんの小さな動きを、見たのかもしれません。
あるいは、私がアリバイ作りのためのうなずいたかのような動作をしなくとも、私の身体がかすかに揺れでもすれば、それを『承諾』の返事ととった可能性も、あるように思えました。
「三日後に、発つ。馬車で片道だいたい二日ほどの旅路になるな。道中の費用などは、こちらですべて出すつもりだ。よろしく頼む」
破格の待遇だということは、わかっています。
感謝も、しているのです。
それでも私は、そうして抱く感謝を、『頭で、感謝すべきだと理解しているから、する』という、嘘の感謝としてしか、扱えないのです。
すんなりと、感謝すべきなのです。人間として生きられる人は、こういう時に、心の内側から、じんわりと、本物の感謝がにじみ出てくるものと、私は思っています。
私には、そういったものが、ないのです。だから私にとって、人間関係は、重ねれば重ねるほど、偽りが増え、いつかそれが看破されてひどい目に遭うものだと、そうとしか思えないのでした。
途中、人間チョットワカル期がありましたが、今、またナンモワカラン期に入りつつあります。
前途は多難なのに、がっちりと人間関係が私をからめとっていて、チョットワカル期以前の距離感に戻ることは、できそうにもありません。
最近はリセットして他の町に行くのも、かなり視野に入りつつあります。
環境を新しくしたら、新しくした先にも新たな苦しみがあり、その苦しみは、今よりもきっと、ひどいものになる。なにせ、何か決意をして行動したところで、人生というのは、好転しないのだから。
その思いが、私をここに引き留めていますが、果たしていつまでもつのやら。
経過観察を続けます。私は……
私は、けっきょくのところ、『私自身がどうしたいのか?』さえ、わかっていないのです。