私は目立たず生きたいだけ 日陰者転移者の異世界生活 作:稲荷竜
システム、戦闘モードを起動します。
しました。
戦い。戦いをしている間だけ、私はあらゆる苦しみから解放されるのでした。
というのも、そもそもの話として、私は世界になじめていないのです。
人の輪に入れない、その環境になじめない、というのが、おそらく実際のところなのだとは、思います。他者に、私のこの悩み……『世界になじめていないと思うんです』というのを開陳する機会がもしも訪れたとして、その時、他者はきっと、『世界に』という大きすぎる言葉を笑い、もっと"現実的な"対策を、私に寄り添うフリをして、考え始めることなのでしょう。
あるいは、私の言葉を大げさだと断じた瞬間に、『こいつからは距離をとるべきだ』と判断し、てきとうに話を合わせたのち、こっそり、距離をとる。こちらの対応の方が、現実的なのかもしれません。
しかし、世界なのです。
呼吸をしていても、なんだか空気の組成が違う感じがする、というのか。
もちろんここは私にとっての異世界ですから、大気の組成は、違うのかもしれません。しかしまあ、それは、生物的には、生きていける。その程度の誤差なのです。
私が世界になじめないと感じるこれは、生物学でも、物理学でも説明がつかないものなのでした。
大気が私を上滑りする、というのか。
人の視線の先に自分がいない、というのか。
道を歩いていても、どこか足の裏がしっかり地面についておらず(もちろん、靴を履いているので、実際に足裏が地面についてはいないのですが、そういう話では、ないのです)、地面を蹴る感触に、どこか、地面ではないものが混じる、というのか。
それはこの世界に来てからではなく、日本にいたときからずっと感じている、フィットしない感じ、なのでした。
この、いかにフィットしようと心掛け、時には『自分らしくない自分』を形作って、世界そのものの一員になろうとしようとも、決してフィットしない感じ。
環境というより、人の輪というより、もっと説明できない何かのせいで、私の形は世界にまったく合わず、ぎりぎり世界の内側に収まりはするけれど、世界というものが回転するたびに、がつんがつんと叩きつけられ、打ち身まみれ、血まみれになっていく感覚。
これはもう、私としては、『世界になじめない』と言うしか、ないのでした。
ところが戦いの最中、私はその『世界になじめない』感覚を忘れることができます。
だからこそ、他者に言えば、『それは環境になじめていないだけだよ』と言われてしまうことが、想像できるのです。
何せ、戦いのときにのみなじめていない感覚を忘れられるというのは、換言すれば、『何かに集中していれば、気にならなくなる』ということなので、『じゃあ、ほかの時も、集中して取り組もう!』と言われるに決まっているのですから。
私は何かを意識したとき、より強く世界の外郭に体を叩きつけられるように思うのです。
戦いの最中、私に意識はありません。眠っている間に、たとえ不安を感じ、世界の外郭にこの身がさんざんに打ち付けられていようとも、眠っている私は、そのことを感じることができません。
同じように、戦っている最中の私も、その間だけ、痛みを忘れることができるのです。
もっとも、あとから自分の身体じゅうにある青あざを見て、『ああ、意識がなかった間にも、私の体は変わらず、この世界になじめていなかったんだな』と気づかされる、一時の痛覚不詳にしか、すぎないのですけれど。
今日、久々に一人でクエストをこなし、そのことを実感しました。
私は社会になじむための努力をしています。
とはいえそれは、『指一本を動かすための努力』でしかなく、それだけで精一杯、息切れしてしまう私にとって、そこから先に進むのは、難しいどころの話ではないのです。
やはり私は、自助努力で変わることはできなさそうでした。
先日、サマラさんとの会話の中でつかみかけた『何か』は、翌日にはもう、触れた感触さえ残っていませんでした。
明るくなった視界もいつものように暗くなり、食事の中から、あの日、サマラさんの家で食べたメニューを探し、それを注文することもできなくなってしまい、ギルドの食事スペースでは『いつもの?』という問いかけに、かすかにうなずくことしか、できなかったのです。
私は社会になじむための努力を、しているつもりでいます。
だからこそ、もう、限界かなという思いがよぎるのです。
これはきっと、誰だってそうだろうと思うのですけれど、努力していることに、なかなか目に見える成果がない場合、くじけてしまうものだと、思います。
努力というのは、そういうものではない。短期の『目に見える成果』を目指してやるものではなく、そんな不純なものではなく、ただ続け続けることで、いつの間にか、その成果が身についるのだ。だから、なんら成果が見当たらなくても、続けることが、肝要なんだ──そういう主張を、きっとされることでしょう。
圧倒的に正しいと思うのです。
私には正しいことができない、というだけなのですから。
だからこの日、受付のお姉さんに『ちょっと、別室に』と誘われた時の私の気持ちは、格別に重いものでした。
何せ、彼女との約束を『もう、努力しても芽が出ている様子もないし、いいかな』と思いかけていた、ちょうどそのタイミングだったのですから。
「新しい災害級モンスターの発生が確認できました」
おけ。ソロで行く。
……と、いう早い話にはならなそうなことが、受付のお姉さんの、口を閉じて言葉を選んでいる様子からうかがえて、なんだか、とても、帰りたい。帰って、一人で倒してきたい。
「……異常な頻度です。これまでは、せいぜい半年に一度だったのに、最近は、二週間に一度ぐらいのペースになりつつあります……いえまだ、『
レイドボスならそのぐらいの頻度で当たり前ではないでしょうか。
とはいえこれは、ゲームの話。オンラインMMORPGの話、だというのを、私もさすがに理解しているので、それを声に出して発することは、しない節度はあるのですけれど。
「このたびのモンスターは、まだ公式には名前が出ていない……というより、情報の伝達も一部にしか行われていないのですけれど……火を噴くプルリンです」
炎属性のプルリン。頭部が火山みたいになってるアレかな。
耐熱装備が必要になる。まあ、私の装備なら耐熱スキルも入ってる。
あと、プルリンは物理防御が高いので、水・氷属性魔法が通りやすい。
私の全力装備だと、武器で有利属性をとりつつ、防御能力をはるかに上回る攻撃力で相手が死ぬまで殴るのをやめないので、あまり関係はない。
「そいつが……工場地区の近くに出現しているのです」
工場地区。
……具体的な場所のイメージがわかない。
なんか、あったよね。依頼者として、工場地区の人の存在が。
ただまあ、話の流れから、ヤバさはわかります。
たぶん、火気厳禁なんですよね。その場所。
「人里近くに唐突に『湧いた』とのことで、これから情報を出し、避難を呼びかけ、内部の爆発物を運び出したりなどしつつ、対応する必要があります。また、プルリンは倒されるとき、かなり弾けるので、これら対応が終わるまでは、手出しができないのです」
……確かに、レイドボスのプルリンは倒すと弾けて飛び散る。
ゲームだから演出でしかなかったけど、高熱を持ったゲル体の生物が四方八方に飛び散る上に、周囲に火気厳禁区画があれば、まあ、確かに、慎重にもなるか。
ゲームだと『手早く倒してください!』っていうフレーバー文が追加されるだけ、なんですけどね。
現実だと、そうもいかない、か。
まあ、事故が起きる前にぶっ飛ばして倒すのは、不可能じゃないけど。百パーセント可能ですか、って言われたら……一割ぐらいは、ぶっ飛ばしそこねたり、ぶっ飛ばす方向を間違えたりする確率も、ある、かな。
…………あ、そうか。
ここ、現実なんだ。
また少し、視界が明るくなった。重みのある何かが私の胸の中に入ってきて、それが、私の浮いていた足を地面につける感覚。
ゲームなら、多少無茶でも、『英雄的活躍』によって、手早く倒せばいい。
それだけでなんやかんやうまくいく。
でも、現実だと、そうはいかない。
たとえ私が、『大丈夫です。被害の出ない方向にぶっ飛ばして倒します。確実に成功させます』と請け負ったとしたって、それで『わかりました』となるわけが、ないんだ。わけが、ないし、そうなっちゃ、いけないんだ。
だって、生きてる人の命と、たぶん、生活も、かかってるから。
アイデアを、出すのは、簡単。
失敗の可能性が
でも、万が一失敗したときに、責任をとれない。
失われた人の命は戻らないから。
……社会が、そこにあるのを、感じる。
薄暗い中にぼんやりと浮かぶ幽霊船みたいなものを、私はずっと、怖がってた。
でも、不意にその幽霊船に『社会』という輪郭が加わって、私は、恐れるより、何か、地に足がつくような、安心感みたいなものを、覚えたんだ。
社会が、私に、語り掛けてる。
「ジュリさんには、改めて討伐を依頼するかと思われます。しかし、少し、待ってほしいのです」
何か、私一人ではどうにもならない大きなプロジェクトが動いてて、私は、そのプロジェクトの中で、役割を与えられるみたい。
喉が、むずむずする。
声が出ていく。
「いいん、ですか」
「……はい?」
「……いえ、その……」
だめだ。『いいんですか』は、正しい。私の感じたむずむずを、正しく表現してる。
でも、伝わらない。どう伝えていいかわからない……『いいんですか』。何が、どう、いいのか。
他者の前にいると、私の頭の中にはほぼ無限に、勝手に、言葉が湧き続ける。
私はこれをなるべく制御したくて、頭の中の言葉に耳をかたむけ続けてきた。
でも、聞き取れないものもかなりある。私の頭の中の言葉は、私が言語化できるより、二倍も、三倍も、あるいは百倍も、多い。
その百倍も多い、私の言語化できていない言葉が、『いいんですか』を導き出した。
私はこれを伝わるように変換しないといけない。
「……その」
また、言葉が逃げていく。
サマラさんのところでつかみかけたようなものが、手を離れていく。
……離さない。
今日こそ、それを、言語化する。
私は、
「私、は」
「…………」
「社会に、役割を、もらっても、いいんですか」
「……」
「勝手に、やっていいなら、やります。でも、私が、私が……勝手にやったことに、しなくて、いいんですか。私は、私は……」
どうして私は、ゲームをやっていたんだっけ。
考えなくていい。やってる間は、戦ってる間は、忘れられる。終わったあと、自分が世界になじめてなくて、あざだらけになっていることには気づくんだけれど、戦っている間だけは、私は世界になじんでいないことを忘れられる。
私は忘れるためにゲームをやっていた。
逃避行動だ。
でも私の言語化できない言葉たちが、ゲームをすることが逃避行動になるって認めてるのは、どうして。
私は、ゲームの中で、何をしてる。
私は……
「依頼を受けても、いいんですか」
「え? はい……? というか、ジュリさんの戦力に頼らせていただく形になりますので……その、依頼形式というのは、そちらに選択権が」
「いえ」
「……?」
「頼まれたら、やります」
「……」
「わ、私は……頼まれたら、やるんです」
どうせわかってくれないとか思いつつ。承諾の言葉は一切言ってないとか思いつつ。
私は、頼まれたかった。
できることを、頼んでほしかった。
日本にいたときには、できることがなかった。でも。
この世界の私には、できることがあるから。
私は、できることだけしたい。
それで人から感謝されたりするのは、それなりに、気持ちがいい、気がする。
その気持ちのよさは、たぶん、『ああ、なんだかんだ言いつつ、私、社会の中で、生きてる。居場所がある』っていう、安心感だと、思う。
「……わかりました。折を見て、依頼をしますので、その際は、よろしくお願いします」
ここで力強く『はい』と言えたら私はきっと、いろいろなものを吹っ切れたんだと思う。
でも私は小さくうなずくだけしかできなかった。
まだ少し怖くて、億劫だ。
でもちょっとだけ、私の目の前にあるものの輪郭が見えた気がする。
社会が私を見ている。
そっぽを向いていない。
どうにも私は、それを歓迎しているのかも、しれない。