CODE: CYCLE ―暁美姉妹の超常現象調査ファイル― 作:ヒロセカズヒ
トマスのピックアップトラックは、町の東へ向かっていた。
舗装が途切れ、砂利道になった。両側に、灰色の苔を垂らした樫の木が並んでいた。ときどき、木々の切れ間から、茶色く濁った川の水面が見えた。
ワスは、助手席に座っていた。
膝の上で、両手を軽く重ねていた。左手の指輪が、窓から差し込む光を受けて、ときどき淡く光った。
トマスは、拳銃をダッシュボードの上に置いていた。運転しながら、一度もそれに手を伸ばさなかった。
「娘さんのお名前を、伺ってもよろしいかしら」
トマスは、しばらく答えなかった。
「クレアだ」
「クレアさん」ワスは、その名前をゆっくりと繰り返した。「光、という意味のお名前ですわね」
トマスの手が、ハンドルの上で少し強張った。
「……そうだ。妻が付けた」
「どんなお嬢さんでしたの?」
「おとなしい子だった。本ばかり読んでいた。日曜のミサには、文句を言わずについてきた」トマスは、前を見たまま言った。「いなくなる前の数か月、夜に一人で出かけることが増えていた。友達と勉強していると言っていた。私は、信じた」
「ええ」
「信じたかったんだ」
砂利道が、川沿いに曲がった。
木々の向こうに、小さな建物が見えてきた。
白く塗られた木造の礼拝堂だった。屋根の上に、小さな十字架が立っている。その周りに、低い鉄の柵で囲まれた墓地が広がっていた。
墓石は、新しいものばかりだった。
トマスはトラックを停めて、エンジンを切った。
「ここは、互助会の墓地だ。身寄りのない人を葬るために、教区から土地を借りている」
ワスは、トラックを降りた。
柵の中に、十数基の墓石が並んでいた。小さな、白い石だった。
ワスは、一番近くの墓石の前に立った。
名前が、刻まれていなかった。
〈神の子 ここに眠る〉
その一行と、日付だけだった。
隣の墓石も。その隣も。
ワスは、墓地を一つずつ見て回った。十三基のうち、名前が刻まれているのは、四基だけだった。
「この方々は」
ワスの声が、静かになった。
「お名前が、分からなかったのですか」
トマスは、トラックの横に立ったまま、答えた。
「身元が分かる前に、葬らなければならなかった。あの子たちは、消えてしまう前に、送り届けなければならなかったんだ」
ワスは、名前のない墓石の前に、膝をついた。
白い石の表面に、指で触れた。
なぜか、胸の奥が痛んだ。名前を持たない誰か。誰にも呼ばれない誰か。その痛みを、ずっと昔から知っている気がした。
「……お名前を、呼んで差し上げたかった」
小さな声だった。トマスには、聞こえなかったかもしれない。
礼拝堂の中は、ひんやりとしていた。
窓が小さく、光があまり入らなかった。祭壇の上に、蝋燭が並べてあった。トマスが、一本ずつ火を灯していった。
祭壇の横に、白い木の棺が置かれていた。
蓋は、開いていた。中に、白い布が敷かれていた。
祭壇の上に、小さな銀の槌が置いてあった。
ワスは、それを見た。それから、棺を見た。
「私の寸法ですわね」
トマスは、蝋燭に火を灯す手を止めた。
「……すまない」
「謝らないでくださいな」
ワスは、最前列の長椅子に腰を下ろした。両手を膝の上で重ねた。
「少し、お話しませんこと? 準備が整うまで」
トマスは、最後の蝋燭に火を灯した。それから、ワスから少し離れて、同じ長椅子の端に座った。
「エディスから聞いた話だ」トマスは言った。「魔法少女になった少女たちは、魂を、あの宝石に移される。体は、器になる。最期の時が来ると、宝石が濁りきる前に、何かがやってきて、少女たちを連れていく。遺体も残さずに」
「ええ」
「その何かが、本当に神なのか、誰にも分からない」トマスの声が、低くなった。「あの子たちは、神の御許へ行けたのか。それとも、どこか知らない場所へ連れていかれただけなのか。誰も知らない」
「だから、その前に、宝石を壊すのですね」
「体が、人間として死ねるように。きちんと葬って、神にお返しできるように」
トマスは、自分の手を見た。
「私たちは、何人もの子を送ってきた。それが、正しいことだと信じてきた」
ワスは、しばらく黙っていた。
蝋燭の炎が、かすかに揺れていた。
「トマスさん」
「何だ」
「神の御許へ導くのは、あなたの手ではありませんわ」
トマスが、ワスを見た。
「では、誰が導くというんだ」
ワスは、祭壇の上の十字架を見上げた。
なぜ、そう言えるのか分からなかった。それでも、言葉は、迷いなく出てきた。
「……救いは、もう用意されております。あなたが、急がずとも」
トマスの唇が、震えた。
「クレアにも、か」
「ええ。きっと」
トマスは、両手で顔を覆った。
長い、長い沈黙があった。
蝋燭の炎だけが、揺れていた。
外で、車のエンジン音がした。
一台ではなかった。二台。砂利を踏む音。ドアの開く音。何人かの足音。
トマスが、顔を上げた。
礼拝堂の扉が、開いた。
四十代の男が、入ってきた。日に焼けた顔。短く刈った髪。作業着の上に、薄手のジャケット。その後ろから、男が二人。どちらも、手に拳銃を持っていた。
「ディーン?」トマスが立ち上がった。「来てくれたのか」
「段取りは任せろって言っただろ」
ディーンは、礼拝堂の中を見渡した。祭壇。蝋燭。棺。銀の槌。そして、長椅子に座ったままのワス。
ディーンの目が、ワスの左手の指輪に止まった。
「あれか」
「ディーン、待ってくれ」トマスが言った。「話をしていたんだ。この子は――」
「話はいい」
ディーンは、ジャケットの内側から拳銃を抜いた。
銃口が、ワスに向いた。
「お嬢ちゃん。その指輪を外して、こっちに投げてくれ。ゆっくりな」
トマスが、ディーンを見た。
「何を言ってる。宝石は、ここで壊すんだ。祭壇の上で。それが、私たちの――」
「壊す?」ディーンは、鼻で笑った。「冗談だろ、トマス」
後ろの男の一人が、低く笑った。
「壊れた石に、値段はつかないんだよ」
トマスの顔から、血の気が引いた。
「……値段?」
「知らなかったのか? あの石は、闇で信じられない値がつく。収集家も、研究所も、どこかの国の軍も欲しがってる。綺麗なまま持ち出せば、一個で家が三軒建つ」
「お前は……」トマスの声が、震えた。「これまでの子たちの、宝石も」
ディーンは、肩をすくめた。
「全部じゃない。お前らが壊す前に、すり替えられたやつだけだ。偽物のガラス玉でも、お前らは喜んで槌を振り下ろしてたよ」
トマスが、一歩、後ずさった。
長椅子の背に、手をついた。
「クレアは」
かすれた声だった。
「クレアの宝石は」
ディーンは、答えなかった。
答える必要がない、という顔だった。
ワスは、長椅子に座ったまま、動かなかった。
三つの銃口が、自分に向いていた。
この程度の相手なら、どうとでもなる。それは分かっていた。銃弾は、魔法で防げる。三人を無力化するのに、数秒もかからない。
けれど、トマスが、銃口と自分のあいだにいた。
ワスは、トマスの背中を見た。肩が、小刻みに震えていた。
「トマスさん」
ワスは、静かに言った。
「そこから、動かないでくださいな」
ほむらは、整備工場のピックアップトラックの助手席にいた。
教会から整備工場まで、四キロを走った。主人は、汗だくで飛び込んできたほむらを見て、何も聞かずに車の鍵を掴んだ。
「乗りな、お嬢ちゃん。どこへ行く」
ダンが、トマス・ヘネシー名義の車両と、互助会が借りている土地の住所を送ってきていた。川沿いの、古い墓地。
主人は、砂利道を、トラックが跳ねるほどの速さで飛ばした。
「あんたの姉さんを、か?」
「……そう」
「なら、急がなきゃな」
ほむらは、拳銃を膝の上に置いていた。
指が、引き金の脇に添えられていた。
木々の向こうに、白い礼拝堂が見えた。その前に、見慣れない車が二台、停まっていた。
ほむらは、ドアの取っ手に手をかけた。
後部座席の窓の外で、キュゥべえが言った。
「中に、魔法少女の反応が一つ。ワスだ。それと、人間が四人」
「分かってる」
トラックが止まりきる前に、ほむらはドアを開けていた。