CODE: CYCLE ―暁美姉妹の超常現象調査ファイル― 作:ヒロセカズヒ
礼拝堂の扉が、外から蹴り開けられる。
光が、薄暗い聖堂の中に差し込んだ。その光の中に、小さな影が立っていた。
両手で、拳銃を構えていた。
「姉さんから、離れて」
ディーンの部下の二人が、同時に振り返った。銃口が、扉のほうへ流れた。
ディーンだけが、ワスから銃口を外さなかった。
「ああ、もう一人いるって書いてあったな」ディーンは、扉のほうを見もせずに言った。「妹だろ。お前も、同じ石を持ってるのか」
ほむらは、答えない。
照準は、ディーンの額にある。
距離、十二メートル。蝋燭の光が揺れて、男たちの影が壁の上で大きく伸び縮みしていた。
「銃を下ろせ、お嬢ちゃん。三対一だ」
「三対二ですわ」と、ワスが言った。
長椅子に座ったまま、膝の上で手を重ねたままだった。
ディーンが、初めて、ほんの少しだけ眉をひそめた。
動いたのは、トマスだった。
「クレアを」
トマスは、長椅子の背から手を離した。ディーンのほうへ、一歩、踏み出した。
「クレアの宝石を、どこへやった」
「トマス、下がってろ」
「どこへやったんだ!」
トマスが、ディーンに掴みかかった。
ディーンの部下の一人が、反射的に引き金を引いた。
銃声が、狭い聖堂の中で、耳を打つほどに響いた。
ワスは、もう立ち上がっていた。
左手を、前に伸ばしていた。指輪が光った。空気が、薄い膜のように揺らいだ。二発目と三発目の銃弾が、その膜に当たって、火花を散らしながら逸れていった。
一発目は、間に合わなかった。
トマスの体が、ディーンから離れて、ゆっくりと後ろに傾いた。
長椅子の角に背中を打ちつけて、そのまま床に崩れた。
灰色のシャツの脇腹に、黒い染みが広がっていった。
その後のことは、ほむらには、一瞬の事に感じた。
撃った男の手を撃つ。
拳銃が床に落ちた。
もう一人の男が振り返る。
その男の銃を撃ち飛ばす。
二発。
二人の男が、床に膝をついた。
どちらも急所には当てていない。
ディーンは、もうそこにいなかった。
祭壇の横の、裏口の扉が、半分開いたまま揺れていた。
ほむらは、走る。
裏口の外は、墓地だった。
名前のない、白い墓石が並んでいた。午後の日差しが、石の表面を白く焼いていた。
ディーンは、墓石のあいだを、川沿いの道へ向かって走っていた。その先に、もう一台、車が停めてあった。
ほむらは、墓地の真ん中で足を止め。
両手で、拳銃を構える。
距離、三十メートル。走る男の背中。
照準が、ぴたりと合う。
指が、引き金にかかる。
体の奥で、何かが鳴っていた。
魂を、値札の付いた物として扱う大人。
知らないふりをして、少女たちの宝石を売り払ってきた男。
クレアの宝石も。
名前のない墓の下の子たちの宝石も。
あの夜と、同じ顔をした男。
どの夜だったのか、ほむらには分からなかった。
分からないまま、指に力が入っていく。
礼拝堂の中で、ワスはトマスの傍らに膝をついていた。
両手を、トマスの脇腹の傷に当てていた。手のひらが、淡く光り始めていた。
「やめてくれ」
トマスが、ワスの手首を掴んだ。弱い力だった。
「魔法で、生き延びたくない」
「トマスさん」
「頼む。私は……人間のまま、死にたいんだ」
ワスの手の光が、揺らいだ。
トマスの目が、開いたままの裏口に向いた。その向こうの、墓地の真ん中に立つ、小さな影に。
拳銃を構えて、動かない少女の背中に。
「あの子は」トマスが言った。「君の妹か」
「ええ」
「行ってやりなさい」
ワスは、トマスを見た。
「私は、あの夜、娘の部屋に行かなかった」トマスの声は、かすれていた。「ドアの前まで行って、明日でいいと思った。明日は、来なかった」
トマスの手が、ワスの手首から離れた。
「行ってやりなさい。今すぐに」
ほむらの指が、引き金を引こうとしている。
その手首を、誰かが掴んだ。
「ほむら」
姉の声だった。
ほむらは、振り返らない。
照準は、今も走り去る男の背中にある。
「あの夜と、同じことを、なさるおつもり?」
ほむらの指が、止まる。
どの夜のことを言っているのか、ほむらには分かった。
日本の、あの夜。
誰かの手首を掴まれて、気がついたら、そこにいた夜。
「……あいつは、クレアの宝石を売った」
「ええ」
「名前のない子たちの宝石も」
「ええ」
「許せない」
「私もですわ」
ワスの手は、離れなかった。
「でも、今日、あなたが裁かなくていいの。明日、また追えばいいのですわ。ダンさんたちも、すぐに来てくださいます」
ほむらの腕が、震えていた。
「あなた一人で、背負わなくていいの」
遠くで、車のエンジンがかかる音がした。
タイヤが砂利を跳ね上げる音。車は、川沿いの道を、木々の向こうへ消えていった。
ほむらは、ゆっくりと、拳銃を下ろした。
「……逃がした」
「ええ」
ワスは、妹の手首を、まだ離さなかった。
「行きましょう。トマスさんが、待っていらっしゃいますわ」
トマスは、長椅子にもたれて、床に座り込んでいた。
脇腹を押さえた手の下から、血が流れ続けていた。顔は、蝋燭の光の中で、ひどく白かった。
ワスは、その傍らに膝をついた。トマスの手を取った。冷たい手だった。
ほむらは、裏口の扉のところで立ち止まった。
それ以上は、近づけなかった。
「戻ってきてくれたか」と、トマスは言った。
「ええ」
「妹さんは」
「無事ですわ」
「そうか」トマスは、少しだけ笑った。「良かった」
蝋燭の炎が、揺れていた。
「娘は」
トマスは、天井を見上げた。
「クレアは……救われたのだろうか」
ワスは、トマスの手を、両手で包んだ。
なぜ分かるのか、分からなかった。それでも、言葉は、迷わずに出てきた。
「ええ。きっと、迎えが来ましたわ」
ワスは、静かに言った。
「とても、優しい方が」
トマスの目から、涙が一筋、流れた。
「そうか」
長い沈黙があった。
「なら、私は」トマスは、目を閉じた。「あの子と同じ場所へは、行けないかもしれないな」
ワスは、答えなかった。
トマスの手を握ったまま、祈りの言葉を唱え始めた。
ラテン語だった。なぜ知っているのか、ワス自身にも分からなかった。古い言葉が、唇から静かに流れ出していった。
日曜日の午後、トマスが柱の陰で動けなくなった、あの祈りだった。
今度は、トマスのために捧げられていた。
トマスの呼吸が、少しずつ浅くなっていった。
握った手から、力が抜けていった。
ワスは、祈りを止めなかった。最後の一節まで、唱え続けた。
それから、トマスの瞼に、そっと指を当てた。
遠くから、サイレンの音が聞こえてきた。
一台。二台。砂利道を、何台もの車が近づいてくる。
礼拝堂の床では、手を撃たれた男と、銃を失った男が、もう逃げる気力もなく座り込んでいた。
ほむらは、裏口の扉のところに立ったまま、動かなかった。
右手に、まだ拳銃を握っていた。その手が、細かく震えていた。
蝋燭の光の中で、姉が、動かなくなった男の手を握っていた。
祭壇の横には、白い木の棺が、蓋を開けたまま置かれていた。
ワスの寸法に作られた棺だった。
誰も、そこに横たわってはいなかった。
ほむらは、それを見つめていた。
なぜか、目が離せなかった。