CODE: CYCLE ―暁美姉妹の超常現象調査ファイル―   作:ヒロセカズヒ

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CASE03:墓守たち 5

日が傾く頃には、礼拝堂の周りは、パトカーと救急車の赤い光でいっぱいになっていた。

保安官事務所の助手たちが、手首に包帯を巻かれた男と、もう一人の男を、パトカーの後部座席に押し込んでいった。FBIのモンロー駐在所から来た捜査官が二人、礼拝堂の中を写真に撮っていた。

ほむらとワスは、墓地の柵の外の、古いベンチに座っていた。

ほむらの電話が鳴った。

『無事か』

ダンだった。

「姉さんは、無事」

『キミは』

ほむらは、少し黙った。

「……無事」

電話の向こうで、短い沈黙があった。

『ディーン・コールマンの車は、州境の手前で見失った。手配はかけてある。明日の朝一番の便で、そっちへ行く』

「来なくていい」

『行く』

ダンは、それだけ言って電話を切った。

 

救急車が、トマスを乗せて走り去っていったあとだった。

 

一台の古いセダンが、砂利道をゆっくりと上がってきた。

運転していたのは、中年の女性だった。助手席から、杖をついた老女が降りてきた。

小柄な老女だった。背中が丸く、白い髪を後ろで小さくまとめていた。黒いカーディガンの胸元に、古い木のロザリオが下がっていた。

老女は、保安官助手と短く言葉を交わした。助手が、墓地のほうを指さした。

老女は、杖をつきながら、ゆっくりとベンチのほうへ歩いてきた。

「あなたが、ワスさんね」

ワスは、立ち上がった。

「ええ」

「エディス・ラファージュです。トマスの、身元引受人」

エディスは、ワスの顔を見た。それから、隣に座ったままのほむらを見た。

「座っても、いいかしら」

ワスが、ベンチの端を空けた。

エディスは、杖をベンチに立てかけて、ゆっくりと腰を下ろした。墓地のほうを見ていた。名前のない、白い墓石の列を。

「……私が始めたことなの」

エディスは、言った。

「六十年前よ。私が、十六の時」

夕日が、墓石を赤く染めていた。

「親友がいたの。ローズ。同じ教区の、同じ学校。小さい頃から、ずっと一緒だった」

エディスは、胸元のロザリオに手を当てた。

「ある日、ローズが、変わった宝石を見せてくれた。卵の形の、内側から光る石。きれいでしょう、って笑っていた。夜になると、どこかへ出かけていくようになった。何をしているのか、聞いても教えてくれなかった」

「ええ」と、ワスが言った。

「一年くらい経った頃。ローズが、真夜中に、私の家の窓を叩いた」

エディスの声は、静かだった。

「ひどい顔をしていたわ。あの宝石が、黒く濁っていた。私には分からなかった。でも、ローズには分かっていた。自分が、もうすぐ、何か別のものになってしまうって」

ほむらの指が、膝の上で、かすかに動いた。

「ローズは、私に全部話してくれた。魂のこと。宝石のこと。最期の時が来たら、自分は消えてしまうかもしれない、ということ。遺体も残さずに。誰にも見つけてもらえずに」

エディスは、ロザリオを握りしめた。

「そして、私に頼んだの」

夕日が、沈みかけていた。

「『私は、神の御許で眠りたい。だから、お願い』と」

 

ほむらの体が小さくはねた。

瞬きをしなかった。

目は開いていた。けれど、その焦点は、どこにも合っていない。

両手が、ゆっくりと持ち上がった。何も握っていない手だった。それなのに、右手の人差し指が、トリガーを引く形で、見えない引き金にかかっていた。左手が、見えない銃身を支えていた。

ほむらは、ベンチから立ち上がっていた。

銃口が、わずかに下を向いて止まった。

ほとんど水平。ほんの少しだけ、下。

地面から一メートルほどの高さにある何かに見えない銃口がむけられる。

ちょうど、地面に横たわって、震える手を上に伸ばし、その掌に乗っている、小さな何かを狙うように。

「ほむら?」

指が、引き金を引こうとしている。

でも、引けなかった。

指が震えていた。引こうとして、止まり、また引こうとして、止まる。

ほむらの喉から、音が漏れた。

呻きだったのか、悲鳴だったのか、分からなかった。声というより、どこか深いところから、無理に押し出された何かだった。

「ほむら!」

ワスが、妹の前に立った。

見えない銃口は、ちょうど、ワスの腰のあたりを向いていた。

ワスは、それに気づいた。気づいたうえで、退かなかった。両手で、ほむらの肩を掴んだ。

ほむらは、ワスを見ていなかった。

照準は、姉の体をすり抜けて、その向こうの、何もない一点に向いたままだった。そこに差し出されている、誰にも見えないものに。

「ほむら。私を見なさい」

見なかった。

ワスは、妹の顔を覗き込んだ。焦点の合わない目に、自分の姿は映っていなかった。

「あなたは……」

声が、かすれた。

「誰を、見ているのです?」

答えはなかった。

指は、引き金の上で固まったまま、震え続けていた。

 

エディスが、杖に手をかけて、ゆっくりと立ち上がった。

ほむらの手の形を見ていた。その指の、見えない引き金にかかった角度を。

六十年前、自分も、同じだった。

あの夜、ローズの家の裏庭で。父親の猟銃を持ち出して。月の光の中で、地面に横たわったローズが、震える手で差し出した、黒く濁った宝石に向けて。

「……あなたも」

エディスの声が、震えた。

「そうなの?」

 

 

 

整備工場の主人が、ほむらとワスを、町のダイナーまで送ってくれた。

何も聞かなかった。店の前でトラックを停めると、ワスに一言だけ言った。

「何か食わせてやりな」

ほむらは、一番奥の席に座った。

入口の見える席だった。けれど、入口を見てはいなかった。

テーブルの上に、右手が置かれていた。

人差し指が、曲がったままだった。

ワスは、向かいに座った。

いつもなら、妹の指を一本ずつほどいていく。今夜は、手を伸ばさなかった。

ほどいてはいけない気がした。その指が、何を引こうとして、何を引けなかったのか。分からないまま、ほどいてしまってはいけない気がした。

ワスは、店員にコーヒーを二つ頼んで、席を立った。

「少し、電話をしてまいりますわ」

ほむらは、答えなかった。

 

 

ああ、何も分からない。

何が起こっているのか、分からない。

胸の奥から、何かがあふれてくる。止められない。名前のない感情が、次から次へと流れ出していく。

そのすべてに、大切な意味があるはずなのに。

一滴も、すくい取ることができない。

指の先に、何かの重みがある。冷たくて、硬い。引かなければならない。引いてはいけない。どちらなのか、分からない。

私は、今、生きているの?

もう、死んでしまったの?

何も感じない。

何も、思い出せない。

「おまえさん、大丈夫か?」

声が、遠くから聞こえた。

「わたしは……まだ、生きているの?」

自分の声だった。かすれていた。

「ひどいな」

誰かが、そう言った。

音楽が聞こえた。

古いカントリーの曲。

ジュークボックスの、少し割れた音。

コーヒーの匂いがした。焦げたトーストと、ベーコンの脂の匂い。

手の下に合板の少しべたつく感触。

テーブルだった。

ほむらは、ゆっくりと瞬きをした。

何度目かの瞬きで、視界の焦点が合った。

ダイナーだった。

隣の席に、帽子を目深にかぶった老人が座っていた。

こちらを見ていた。

 

「……誰?」

 

「なんて顔をしてるんだ」

老人は、帽子のつばの下から、ほむらの右手を見た。固まった人差し指を。

「どこからの帰りだ?」

 

「私は……日本から来たの」

言葉が、うまく出てこなかった。

「旅行で……」

 

老人は、少しのあいだ黙った。

「日本? 嘘だろう」

 

「嘘じゃない」

 

「そうかい」老人はコーヒーをすすった。

「じゃあ、日本ってのは、ずいぶん物騒な国なんだな」

 

 

ダイナーの駐車場の端で、ワスは携帯電話を耳に当てていた。

日本は、朝の九時のはずだった。

呼び出し音が、二回鳴った。

『先輩?』

マミの声だった。

「……ほむらが、ひどい状態なの」

いつもの言葉遣いが、どこかへ行ってしまっていた。

電話の向こうで、マミが息を呑む音がした。

『先輩、この前は、持ち直しましたって、メールくれましたよね』

「ええ」

『……日本を離れても、駄目なのね』

「何も覚えていないのよ。覚えていないのに、手が、震えて。引き金を引く形のまま、固まって」

『先輩』

「誰を見ていたのか、分からないの。私の目の前に立っても、あの子は、私を見ていなかった」

『先輩、落ち着いて』

「ごめんなさい。こんな時間に」

『いいんです』マミの声が、少しだけ柔らかくなった。『先輩も、ひどい声してますよ』

ワスは、ダイナーの窓の向こうに見える妹の背中を見た。

小さな背中だった。

年相応に見えた。

『治そうとしなくていいと思います』マミが言った。『無理に思い出させるのも、だめ。ただ、そばにいてあげてください』

「それだけで、いいのかしら」

『それしか、できないんです。私たちには』

少し間があった。

『先輩も、ちゃんと眠ってくださいね。支える側が倒れたら、元も子もないですから』

「……後輩に心配されるようでは、私もまだまだですわね」

『先輩は、いつも一人で抱え込みすぎなんです』

ワスは、少しだけ笑った。

いつもの言葉遣いが、戻ってきていた。

 

ワスが店に戻ると、ほむらの隣の席の老人が、帽子に手をやって、小さく会釈した。

「あんたが、あの子の姉さんか」

「ええ」

老人は、奥の席のほむらを顎で示した。

「昔、海の向こうで、ああいう目をした子供を何人も見た」

老人は、コーヒーのカップをテーブルに置いた。

「まるで、村を焼かれた少年兵だよ」

ワスは、何も言わなかった。

「何があったか、俺は聞かない。あんたも言わなくていい」老人は勘定をテーブルに置いて、立ち上がった。「ただ、一人にしないでやってくれ」

「……ええ。決して」

ドアのベルが鳴って、老人は、夜の中へ出ていった。

ワスは、しばらく入口のほうを見ていた。

 

村を焼かれた子供。

その言葉に、なぜか覚えがあった。煤けた顔。藁の寝床。震える小さな肩。どこで見たのかは分からない。

ただ、どうすればいいのかだけは、知っていた。

 

ワスは奥の席へ歩いていって、妹の隣に腰を下ろした。

何も言わずに、テーブルの上で固まっているほむらの右手を取った。

曲がったままの人差し指を、両手で包んだ。

一本ずつ、ほどいていった。

人差し指。中指。薬指。

ほむらは、入口を見つめたまま、何も言わなかった。

けれど、ほどかれた指は、もう一度握りしめられることはなかった。

ワスは、妹の手を、両手で包んだまま、離さなかった。

テーブルの上で、二つのコーヒーが、ゆっくりと冷めていった。

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