CODE: CYCLE ―暁美姉妹の超常現象調査ファイル― 作:ヒロセカズヒ
ワスは、その夜、ほとんど眠らなかった。
モーテルの二つ並んだベッドの片方で、ほむらは子供のように丸くなって眠っていた。冷房のない部屋で、扇風機だけが首を振っていた。ワスは、隣のベッドの端に腰かけて、ときどき妹の額の汗を拭いた。
明け方、ほむらが一度だけ目を開けた。
「……姉さん」
「ここにいますわ」
ほむらは、何かを言いかけて、やめた。それから、また目を閉じた。
右手が、シーツの上で、ゆっくりと開いていた。
ダンがモンローの空港に着いたのは、朝の十時だった。
レンタカーのセダンで、モーテルの駐車場に入ってきた。降りてきたダンは、いつもより疲れた顔をしていた。膝をかばうように、少しだけ足を引きずっていた。
二人は、モーテルの向かいのダイナーで、ダンと向かい合った。
ほむらは、一番奥の、入口の見える席に座った。ワスが、その隣。ダンには、入口に背を向ける席しか残っていなかった。
ダンは、何も言わずにそこに座った。
「ディーン・コールマンの自宅のガレージを調べた」
ダンは、コーヒーに口をつけずに言った。
「帳簿が出てきた。品名は、宝石。この二年で、七件の取引記録がある。買い手は、国外の仲介業者だ。どこの誰の手に渡ったのかは、まだ分からない」
「七件」とワスが言った。
「互助会が葬った少女の数と、ほぼ合う。二年分のな」
ほむらが、テーブルの下で、拳を握った。
「捕まえた二人は」
「銃器の不法使用と、暴行。それから、トマス・ヘネシーに対する過失致死」ダンは、カップを指で回した。「少女たちの件では、立件できない。死因が説明できないからな。法廷で、魂を宝石に変えられた、とは言えない」
「知ってる」
「ディーンは、まだ逃げてる」ダンは、ほむらを見た。「必ず捕まえる。それは、俺の仕事だ」
ほむらは、ダンの顔を見た。
それから、小さく頷いた。
「一つ、確かめたいことがあるのですけれど」
ワスが言った。
「ディーンさんが互助会に入ったのは、いつ頃ですの?」
「二年前だ。帳簿の最初の記録も、二年前から始まってる」
ワスは、少しのあいだ黙っていた。
「では、十五年前に姿を消した少女の宝石には」
「手は出せない」ダンは言った。「時期が合わない。ヘネシーの娘の件は、ディーンとは関係ない」
ほむらが、顔を上げた。
「じゃあ、あいつは」
「嘘をついたんだろう。答えなかった、と言ったほうが正確か」ダンは、カップを置いた。「相手を崩すには、黙っているのが一番効く。ああいう連中は、それをよく知ってる」
ワスは、窓の外を見た。
昨日の夕暮れ、礼拝堂の床で、トマスの手を握りながら言った言葉を、思い出していた。
――ええ。きっと、迎えが来ましたわ。とても優しい方が。
あの時、なぜそう言い切れたのか、ワスにも分からなかった。
けれど、それは、本当のことだった。
クレアの宝石は、誰にも売られていなかった。十五年前、クレアは、ただ迎えに来てもらったのだ。
「……トマスさんに、お伝えできましたわね」
小さな声だった。
ダンには、その意味が分からなかった。ほむらだけが、姉の横顔を見ていた。
トマスの葬儀は、三日後に行われた。
互助会の墓地の、柵の内側だった。エディスが段取りをして、町の葬儀社が棺を運んだ。トマスが三十年勤めた葬儀社だった。若い社員たちが、黙って帽子を取った。
参列者は、多くなかった。
エディス。
互助会の会員が数人。
葬儀社の社員たち。教会の司祭。
それから、ほむらとワス。
新しい墓石には、名前が刻まれていた。
〈トマス・ヘネシー〉
その下に、もう一行。
〈クレアの父〉
エディスが、刻ませたものだった。
司祭が祈りを捧げ、棺がゆっくりと土の中へ降ろされていった。参列者が一人ずつ、ひと握りの土を落としていった。
ワスの番が来た。
ワスは、土を落としてから、少しのあいだ墓の前に立っていた。
声に出さずに、祈っていた。
ほむらは、その後ろに立っていた。手には、白い日傘を持っていた。
葬儀のあと、エディスはベンチに座って、墓地を見ていた。
名前のない、白い墓石の列を。
ワスが、その隣に座った。
「エディスさん」
「何かしら」
「あの方々のお名前を、ご存じですか」
エディスは、しばらく黙っていた。
「いくつかは」と、エディスは言った。「遺族から連絡をもらって、送った子たちの名前は、分かるわ。でも、身元が分からないまま、トマスたちが送った子もいる」
「ええ」
「私が始めたことなの」エディスは、ロザリオを握った。「ローズは、自分で選んだ。神の御許で眠りたいと、自分の口で言った。私は、その願いを叶えたかっただけ」
エディスの声が、震えた。
「でも、トマスたちは、誰にも頼まれていなかった。頼まれていないのに、救っているつもりだった。私が止めなかったから」
ワスは、何も言わなかった。
「互助会は、解散するわ」エディスは言った。「残りの時間で、あの子たちの名前を探す。一人ずつ。見つかったら、石に刻む」
「お手伝いできることがあれば」
「ありがとう」エディスは、少しだけ笑った。「でも、これは私の仕事よ。私が始めたことだから」
ワスは、名前のない墓石を見た。
「お名前が分かったら」
「ええ」エディスは頷いた。「必ず、刻むわ。そして、呼んであげる」
墓地の出口で、エディスが、ほむらを呼び止めた。
「あなた」
ほむらは、立ち止まった。
エディスは、杖をついて、ほむらの前まで歩いてきた。ほむらの右手を、見た。
「あなたが何を撃ったのか、私は聞かないわ」
「……覚えてない」
「そう…でも」
エディスは、ほむらの右手を、しわだらけの両手で包んだ。
「…いえ、何でもないわ」
ほむらは、何も言えなかった。
エディスは、杖をついて、古いセダンのほうへ歩いていった。
マスタングの修理が終わったのは、その日の夕方だった。
整備工場の主人は、ピンクの車体を布で拭きながら言った。
「冷房は直った。ついでにオイルも替えといた。お代は、部品代だけでいい」
「それでは困りますわ」
「いいんだよ」主人は、ほむらのほうを見た。「お嬢ちゃん、ちゃんと間に合ったのかい」
ほむらは、少しだけ迷った。
それから、隣の姉を見た。
「……間に合った」
「そうか」主人は、布を肩にかけた。「なら、いい」
ワスは、修理代の封筒と一緒に、町のパン屋で買ってきたピーカンパイの箱を、カウンターの上に置いた。
主人は、何も言わずに、帽子を少しだけ持ち上げた。
マスタングは、国道を西へ向かっていた。
テキサスまで、あと二時間ほどだった。冷房の風が、車の中を静かに冷やしていた。窓の外を、刈り取りの終わった綿畑が流れていった。
ワスは、助手席で、日傘を膝の上に置いていた。
「ほむら」
「何?」
「教会に日傘を置いていった日、私、メッセージを送りましたでしょう」
「……見た」
「お昼は、ちゃんと食べましたの?」
ほむらは、前を見たまま、少し黙った。
「食べてない」
「まったく」
ワスは、ため息をついた。
「次の町で、何か召し上がっていただきますわよ」
「エルビスサンド」
「野菜を倍で」
「半分」
「倍ですわ」
「……一・五倍」
ワスは、少しだけ笑った。
「交渉が上手になりましたわね」
ほむらは答えなかった。
シアトル支局の机の、一番下の引き出しに、切り抜きが二枚増えた。
一枚は、地方紙の小さな記事だった。
〈墓地の礼拝堂で発砲事件 一人死亡 二人逮捕〉
もう一枚は、同じ新聞の、訃報欄の切り抜きだった。
〈トマス・ヘネシー(五十八) 元葬儀社勤務。娘クレアに先立たれる〉
ダンは、二枚の切り抜きを、引き出しの中にそっと重ねた。
それから、しばらく、引き出しの中を見ていた。
〈娘クレアに先立たれる〉
ダンは、引き出しを閉めた。
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「あの子が、汗だくで工場に飛び込んできた時はたまげたよ。四キロ走ってきたって言うんだ。この暑さの中を、拳銃を握ったまま。
姉さんがいなくなった、って。それだけ言って、あとは何も言わなかった。
だから、俺も何も聞かなかった。鍵を掴んで、トラックを出した。
三日後、二人で車を取りに来てな。姉さんのほうが、修理代と一緒に、パイを置いていった。ピーカンパイだ。
妹のほうは、帰り際に、一度だけ振り返って、頭を下げていったよ。
愛想のない子だと思ってたんだがな。あれは、ちゃんと礼を言える子だった」
――モンローの整備工場主、六十一歳