CODE: CYCLE ―暁美姉妹の超常現象調査ファイル―   作:ヒロセカズヒ

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CASE 04:ヒューストン、問題が発生した 前編

テキサスに入ると、空がさらに広くなった。

刈り取りの終わった綿畑が、牧草地に変わり、牧草地が、どこまでも続く平原に変わった。ピンクのマスタングの冷房は、修理されたばかりで、よく効いていた。

 

モンローを出て二日目の朝、ほむらの電話が鳴った。

『おはよう』ダンの声は、いつもより少しだけ機嫌が良かった。『体の具合はどうだ』

「普通」

『そうか』

ダンは、それ以上は聞かなかった。

『一つ、頼みがある。今回は、撃ち合いなしだ』

「珍しいわね」

『ヒューストンに、自警団がいる』

ほむらは、少し黙った。

「自警団?」

『コスチュームを着て、夜の街をパトロールしてる連中だ。ホームレスに毛布を配ったり、喧嘩の仲裁をしたりな。シアトルにも似たような奴らがいて、俺は毎年頭を痛めてる』

「それで?」

『その中に、本物がいる』

ワスが、助手席で地図から顔を上げた。

『魔法少女が、少なくとも二人。それぞれ別の自警団に所属していて、隣り合った二つの地区を受け持ってる。昔から、あまり仲のいい地区じゃない。それでも、ここ数年は落ち着いてた。お互いに、本物がいると知ってるからな』

「抑止力」と、ほむらが言った。

『そういうことだ』ダンは言った。『そのうちの一人が、三日前に倒れた。キューブが足りなかったらしい』

ほむらの手が、ハンドルの上で少し強張った。

『均衡が崩れれば、地区同士の揉め事が始まる。それは困る。かといって、FBIが自警団にキューブを差し入れるわけにはいかない』

「だから、日本のエージェントが、善意で分けてあげたことにする」

『察しがいいな』

「またですの?」ワスが、横から電話に向かって言った。

『またです』ダンは、真面目な声で答えた。『キューブは、そっちの役所の在庫から、ラングレー経由で回ってきた。今日の午後、州間高速の途中のガソリンスタンドで受け取ってくれ』

 

州間高速十号線沿いのガソリンスタンドで、背広の男が、クーラーボックスを一つ、マスタングのトランクに入れた。

男は、何も言わなかった。サインも求めなかった。黒いセダンに乗り込んで、来た道を戻っていった。

ほむらは、クーラーボックスの蓋を開けた。

保冷剤のあいだに、黒い立方体が十個、きれいに並んでいた。

グリーフキューブ。魔獣を倒した時に残る、穢れを吸い取る結晶だった。

「宅配業者のようなものですわね」

「受け取りのサインも、もらってない」

「保冷剤は、要りましたの?」

「要らない」

後部座席から、キュゥべえが言った。

「使い終わったキューブは、僕が回収するからね」

「分かってる」

 

ヒューストンは、広かった。

高速道路が、何層にも重なって、空中で絡み合っていた。どこまで走っても、街が終わらなかった。ガラス張りの高層ビルの群れが、熱気の向こうで揺らいでいた。

暑かった。

モンローよりも、さらに。

「ヒューストンって」と、ほむらが言った。「宇宙センターしかないんじゃないの」

「ほむら。失礼ですわよ」

「でも、それしか知らない」

「私も、それしか存じませんけれど」

ワスは、窓の外を見た。

信号待ちの交差点で、隣の車線のバイクのドライバーが、腰に拳銃を下げていた。

誰も気にしていなかった。

「この州なら、ガンベルトも問題ありませんわね」

「やっと、普通に歩ける」

「その感想は、普通ではありませんわよ」

 

マーカス・ジョンソンのジムは、イーストエンド地区の、古い倉庫を改装した建物にあった。

入口の上に、手書きの看板が掛かっていた。〈ハリケーン・ジム 誰でも歓迎〉

中に入ると、汗と鉄の匂いがした。

ダンベルが並んだ棚。古いベンチプレス。壁に貼られた、子供たちの描いた絵。そして、奥の壁一面に、色あせたアニメのポスター。

ポスターの中で、ピンクのフリルの衣装を着た少女が、星の形のステッキを掲げて笑っていた。

〈魔法少女スターライト・ハート〉

「来てくれたか」

奥の扉が開いて、男が出てきた。

身長、百九十センチ。肩幅は、ほむらの三人分はあった。腕は、ほむらの胴回りより太かった。

ピンクのフリルの衣装を着ていた。

ポスターの少女と、まったく同じ衣装だった。スカートの裾の星の刺繍まで、寸分違わなかった。手には、星の形のステッキを握っていた。

ほむらは、男を見上げたまま、動かなかった。

男は、二人の前で足を止めた。それから、深々と頭を下げた。

「マーカス・ジョンソンだ。この辺りじゃ、ピンク・ハリケーンで通ってる」

ワスが、日傘を畳んで、丁寧にお辞儀を返した。

「暁美ワスと申します。こちらは妹のほむら」

ワスは、マーカスの衣装を、上から下までゆっくりと見た。

「とても素敵なお衣装ですわね」

マーカスの顔が、ぱっと明るくなった。

「分かるか? 手縫いなんだ。三年かかった。スカートの星は、全部で百二十個ある。原作の第四話で、ハートが初めて変身した時の衣装を、一コマずつ止めて確かめた」

「まあ。百二十個も」

「本物は百二十一個なんだが、どうしても一個、背中側のが確認できなくてな」

「それは、残念ですわね」

「いつか、設定資料集を手に入れて確かめるつもりだ」

ワスとマーカスが、真剣な顔で頷き合っていた。

ほむらの足元で、キュゥべえが、尻尾をゆっくりと揺らした。

「……わけがわからないよ」

ほむらは、撃たなかった。

(……今回ばかりは、同意しかない)

「あの子は、奥にいる」

マーカスの声から、明るさが消えていた。

ジムの奥の、小さな事務室だった。古いソファの上に、簡易のベッドが作ってあった。窓のブラインドが下ろされて、部屋の中は薄暗かった。

少女が一人、横になっていた。

十六歳くらい。浅黒い肌に、長い黒髪。額に、汗で髪が張りついていた。唇の色が、ひどく悪かった。

枕元の小さなテーブルの上に、ソウルジェムが置かれていた。

ほとんど黒に近い色に、濁っていた。

ほむらの喉が、小さく鳴った。

「ルシアだ」マーカスが、低い声で言った。「ルシア・モラレス。二年前から、この地区を守ってくれてる」

少女が、うっすらと目を開けた。

「……誰?」

「日本から来た人たちだ。キューブを、持ってきてくれた」

ルシアの目が、わずかに動いた。ほむらとワスを見た。それから、ほむらの手の中の、クーラーボックスを見た。

ほむらは、ベッドの横に膝をついた。

クーラーボックスから、キューブを一つ取り出した。黒く濁ったジェムに、そっと押し当てた。

ジェムの中の濁りが、ゆっくりと、キューブのほうへ吸い込まれていった。泥水が、少しずつ澄んでいくように。

一つ目のキューブが、真っ黒になった。

ほむらは、二つ目を当てた。

三つ目で、ジェムは、もとの色を取り戻した。深い、温かい、琥珀のような色だった。

ルシアの頬に、少しずつ血の気が戻ってきた。

「……ありがとう」

ルシアは、肘をついて、体を起こそうとした。

「待て、まだ――」

マーカスが止めようとしたが、ルシアは首を振った。

「今夜のパトロール、行かなきゃ」

「ルシア」

「三日も休んだの。ウェストサイドの連中が、もう境界線を越えてきてるかもしれない。魔獣だって、三日分、溜まってる」

ルシアは、ベッドから足を下ろした。立ち上がろうとして、ふらついた。マーカスの太い腕が、その肩を支えた。

「離して、マーカス。私が行かなきゃ、誰がこの街を守るの」

ほむらは、ルシアの顔を見ていた。

青白い頬。乾いた唇。焦点の定まらない目。それでも、まっすぐに前を見ようとしている目。

どこかで、見たことのある顔だと思った。

鏡の中で、毎朝、見ている顔だった。

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