CODE: CYCLE ―暁美姉妹の超常現象調査ファイル―   作:ヒロセカズヒ

16 / 16
CASE 05:保管庫の宝石

西テキサスの砂漠は、夜になると急に冷えた。

国道沿いのモーテルの部屋で、ほむらは窓辺に座って、外を見ていた。駐車場の向こうに、何もない平原が広がっていた。月の光の中で、低い灌木の影が、黒い点のように散らばっていた。

 

ワスは、ベッドの上で、明日の地図を広げていた。

部屋の隅のテーブルの上に、特大のプロテインの容器が置かれていた。

蓋は、まだ開けられていなかった。

電話が鳴った。

ほむらが出る、ダンだった。

『夜分にすまない』

ほむらには、ダンの声は、いつもより低く聞こえた。

「何?」

『うちの保管庫から、証拠品が一つ消えた』

ほむらは、窓から目を離した。

「FBIの保管庫から?」

『シアトル支局の、証拠品保管室だ。昨夜の午前三時過ぎ。扉の鍵は壊されていない。警報も鳴っていない。保管室の棚から、一つだけ、きれいになくなってた』

「何が」

ダンは、少し黙った。

『宝石だ。卵の形の』

ワスが、地図から顔を上げた。

『六年前、タコマで住宅火災があった』

ダンは、記憶を確かめるように、ゆっくりと話した。

『家は全焼した。父親の遺体は見つかった。娘は見つからなかった。十三歳だった。エミリー・カーター』

「どうだったの?」とほむらが言った。

『焼け跡の、娘の部屋だったあたりから、宝石が一つ見つかった。家ごと焼けたのに、傷一つなかった。煤もついてなかった。内側から、ぼんやり光ってた』

「ソウルジェム」

『そうだ。当時の俺は、それが何なのか知らなかった。ただ、気味の悪い石だと思った。身元の手がかりになるかもしれないと思って、証拠品として保管した』

ダンの声が、少しだけかすれた。

『それから六年。誰も引き取りに来なかった。俺は、年に一度、保管室の棚卸しの時に、その石を見てた。ずっと、同じ色で光ってた』

「濁っていなかったの?」と、ほむらが問う。

『濁る? いや。いつ見ても、澄んでた。最初に見つけた時と、まったく同じ色だった』

ほむらとワスは、顔を見合わせた。

窓際で、キュゥべえが、ゆっくりと尻尾を揺らした。

『問題は、防犯カメラの映像だ』

ダンが言った。

『保管室の前の廊下のカメラに、一瞬だけ、人が映ってた。〇・三秒くらいだ。次のフレームには、もういない。今、そっちに画像を送る』

ほむらの電話が、短く震えた。

画像を開いた。

粗い、白黒の映像だった。蛍光灯に照らされた、FBIの廊下。その真ん中に、少女が一人、立っていた。

短い髪。白いマントのようなものを羽織っている。腰に、剣のようなものを下げていた。

カメラのほうを、ちらりと見上げていた。

顔は、はっきりとは映っていなかった。それでも、ほむらには分かった。

『容姿は、日本人に見える』とダンが言った。『年齢は、キミたちと同じくらいだ。心当たりはないか?』

ほむらは、画像を見つめたまま呟いた。

「……さやか?」

ワスが、ほむらの肩越しに画像を覗き込んだ。

『知り合いか?』

「昔、一緒に戦ってた」

ほむらの声は、静かだった。

「でも、彼女は、円環に還ったはずよ」

『円環?』

「……十年前に、いなくなったの。遺体も残さずに」

電話の向こうで、長い沈黙があった。

『ナジェージダ・ソコロワと、同じか』

「ええ」

『また、それか』

ダンは、深いため息をついた。

『分かった。こっちでも、映像の解析を続ける。何か分かったら連絡してくれ。それと――』

ダンは、少しだけ言葉を探した。

『あの石は、六年間、誰にも引き取られなかった。俺の棚の上で、ずっと一人だった。どこへ行ったにしても、ちゃんとした場所へ行ってくれてるといいんだがな』

電話が切れた。

ほむらは、画像をもう一度見た。

白黒の、粗い映像。カメラを見上げる、短い髪の少女。

美樹さやか。

見滝原で、一緒に戦った。マミと、杏子と、ほむらと、さやか。四人で魔獣を狩っていた。さやかは、いつも真っ先に飛び出していって、いつも誰かを守ろうとしていた。

そして、ある夜、いなくなった。

導かれたのだと、マミは言った。円環の理に。

ほむらは、その夜のことを、よく覚えていない。覚えているのは、そのあと、自分が毎晩、誰かを探すように街を歩いていたことだけだった。

誰を探していたのか、分からなかった。さやかではなかった気がする。

「ほむら」

ワスが、隣に座った。

「大丈夫ですの?」

「……大丈夫」

ほむらは、電話を置いた。

「さやかが、どうしてFBIの保管庫に」

キュゥべえが、窓辺から言った。

「濁らないソウルジェムは、円環の理の対象外のはずだ。円環の理は、ソウルジェムが濁りきる直前の魔法少女を迎えに来る。濁らないなら、迎えは来ない」

「じゃあ、どうして」

「誰かが、その子のことを気にかけていたのかもしれないね。円環の理の側に」

ほむらは、キュゥべえを見た。

「そんなこと、あるの?」

「僕には分からないよ」キュゥべえは、首をかしげた。「円環の理は、僕らには観測できない。あの湖の夜までは、そもそも存在するかどうかも確かめられなかったんだから」

ワスは、黙って、窓の外の暗い平原を見ていた。

 

午前二時を過ぎた頃だった。

ほむらは、眠っていなかった。ベッドに横になって、天井を見ていた。隣のベッドで、ワスの静かな寝息が聞こえていた。

窓の外で、何かが光った。

青い光だった。ほんの一瞬。

ほむらは、ベッドから起き上がった。枕元の拳銃に手を伸ばして、止めた。

なぜか、銃は要らない気がした。

カーテンの隙間から、外を見た。

モーテルの駐車場の、ピンクのマスタングのボンネットの上に、誰かが座っていた。

短い髪。白いマント。腰に下げた剣。

膝の上で、両手で、何かを包んでいた。指の隙間から、淡い光がこぼれていた。

少女が、顔を上げた。

窓越しに、ほむらと目が合った。

少女は、困ったように笑った。それから、小さく片手を挙げた。

「よっ」

声は、窓ガラスを通して、頭の中に直接響いた。

「久しぶりだね、転校生」

ほむらは、拳銃を枕元に置いたまま、部屋を出て駐車場のアスファルトを歩いた。

昼間の熱は、もうすっかり抜け、夜の砂漠の空気が、薄いシャツを通して肌を冷やした。

さやかは、マスタングのボンネットの上に座って、足をぶらぶらさせていた。

白いマント。腰の剣。短い青い髪。十年前と、何も変わっていなかった。

「……久しぶり」とほむらが言った。

「よっ」さやかは、片手を挙げた。「元気そうじゃん。ちょっと背、伸びた?」

「伸びてない」

「だよね」

さやかは、くすりと笑った。

「十年ぶりよ」

「あたしにとっては、昨日みたいなもんなんだけどね。向こうは、時間の流れ方がちょっと違うからさ」

ほむらは、マスタングの横に立った。ボンネットに手をつこうとして、やめた。

「なぜ、あなたは、こっちに来たの」

「これが、今の役目だからね」

「役目?」

「迎えに行くのが、あたしの仕事。普通のやり方じゃ迎えに行けない子のところへ」

ほむらは、さやかの顔を見た。

「雇い主は?」

さやかは、少しだけ目を丸くした。それから、肩をすくめた。

「それは、守秘義務があって言えない」

「……雇い主が、いるのね」

「おっと」さやかは、人差し指を立てた。「それ以上は、ダメだからな」

風が、平原を渡っていった。

遠くの国道を、トラックが一台、ヘッドライトを光らせて通り過ぎていった。

さやかは、しばらく黙って、ほむらの顔を見ていた。

じっと。何かを探すように。

ほむらは、その視線が落ち着かなかった。

「何?」

「……あんたは」

さやかの声が、少しだけ低くなった。

「何?」

ほむらは問い返したが、さやかは無言だった。

一瞬だけ、ひどく寂しそうな顔をした。

それから、すぐにいつもの顔に戻った。

「なんでもない」

さやかは、膝の上で包んでいた両手を、ゆっくりと開いた。

手のひらの上に、卵の形の宝石が乗っていた。

淡い、澄んだ色だった。濁りは、ひとかけらもなかった。月の光を受けて、ガラスのように透き通っていた。

「エミリー」とさやかが言った。「エミリー・カーター。六年間、FBIの棚の上にいた子」

ほむらは、宝石を見つめた。

頭の中に、声が響いた。

『……だれ?』

平坦な声だった。抑揚が、まったくなかった。怖がっているのでも、喜んでいるのでもなかった。

「ほむら。暁美ほむら」

『そう』

声は、それきり何も言わなかった。

「この子ね」さやかが言った。「契約の時に、願ったんだって。痛いのを、感じたくないって」

ほむらは、何も言わなかった。

「家で、いろいろあったみたい。詳しくは、聞いてない。聞かなくても、分かったから」

さやかは、宝石を見下ろした。

「願いは、ちゃんと叶った。この子は、何も感じなくなった。痛いのも、怖いのも、悲しいのも」

「……だから、濁らない」

「そう。絶望しないから、濁らない。濁らないから、あたしたちは迎えに行けない」

さやかは、宝石を、そっと包み直した。

「火事で、体はなくなった。宝石だけが残った。FBIの人が拾って、箱にしまって、棚に置いた。それから六年。この子は、真っ暗な箱の中で、ずっと一人だった」

『暗くは、なかった』

エミリーの声が言った。

『何も、感じなかったから』

さやかの手が、少しだけ強く、宝石を握った。

「ずっと、気になってたんだ」とさやかは言った。「向こうからは、この子が見えてた。ずっと、一人で光ってるのが」

「迎えに行けないのに?」

「迎えに行けないのに」

さやかは、夜空を見上げた。

「だから、昨夜、無理やり箱から出してきた。少なくとも、あんな暗い棚の上よりはましだと思って」

「それから?」

「それから、どうしたらいいか、分かんなくてさ」

さやかは、困ったように笑った。

「あたしの役目は、迎えに行くこと。でも、迎えに行けない子もいる。連れて帰れない。かといって、また棚に戻すのも嫌だった」

さやかは、ほむらを見た。

「なんでか分かんないけど、ここに来たら、何とかなる気がしたんだよね」

ほむらは、エミリーの宝石を見ていた。

痛みを感じたくないと願って、本当に何も感じなくなった少女。

胸の奥が、ちくりと痛んだ。

なぜ痛むのか、分からなかった。

モーテルの部屋のドアが、開いた。

ワスが、出てきた。

肩に、モーテルの毛布を羽織っていた。両手に、魔法瓶と、紙コップを三つ持っていた。

「夜の砂漠は冷えますわ」

ワスは、ボンネットの横まで歩いてきた。紙コップを並べて、紅茶を注いだ。湯気が、冷たい夜気の中に白く立ちのぼった。

「お二人とも、どうぞ」

ほむらが、姉を見た。

「……いつから起きてたの」

「さあ。なんとなく、ですわ」

紙コップは、三つあった。

ワスは、一つをほむらに渡した。それから、もう一つを、さやかに差し出した。

さやかは、ワスの顔を見た。

ほむらと、同じ顔を。

ほんの一瞬、何かを言いかけたように見えた。目が、わずかに見開かれていた。

それから、さやかは、何も言わずに紙コップを受け取った。

一口、すすった。

「……うま。あんた、紅茶淹れるの上手いね」

「ありがとうございます。暁美ワスと申します。ほむらの姉ですわ」

「姉、ね」さやかは、紙コップの縁を指でなぞった。「……そっか。美樹さやか。こいつの、昔の仲間」

「存じておりますわ。マミさんから、よく伺っております」

「マミさん、元気?」

「ええ。お元気ですわ。深夜でも、電話に出てくださいます」

さやかは、少しだけ笑った。

「相変わらずだなあ、あの人」

ワスは、さやかの手の中の宝石を見た。

「その方が、エミリーさん?」

「うん」

「少し、お話をしてもよろしいかしら」

さやかは、少しためらってから、宝石をワスの手のひらに乗せた。

ワスは、宝石を両手で包み込んだ。

自分の体温を、分けるように。

「はじめまして、エミリーさん。ワスと申します」

『……はじめまして』

平坦な声だった。

「寒くは、ありませんか?」

『分からない』

長い間があった。

『あなたの手、温かいんでしょう?』

「ええ。たぶん」

『分からないの。痛くないけど、何も分からない』

ワスは、手を離さなかった。

「温かさを、感じたいと、思いますか」

長い、長い沈黙があった。

風が、平原を渡っていった。

『……それって』

エミリーの声が、ほんの少しだけ、揺れたように聞こえた。

『痛いのも、戻ってくるってこと?』

「ええ。たぶん」

エミリーは、答えなかった。

ワスは、宝石を包んだまま、静かに言った。

「お返事は、急がなくて結構ですわ」

それから、さやかのほうを向いた。

「この方は、私がお預かりいたします」

さやかは、ワスを見た。

「いつまで?」

「この方が、もう一度、何かを感じられるようになるまで」

さやかは、少しのあいだ黙っていた。

それから、頭をかいた。

「……あんたが言うと、本当にそうなりそうな気がするね」

「そうなりますわ。時間は、かかるかもしれませんけれど」

さやかは、ボンネットから飛び降りた。マントが、夜風に揺れた。

「ごめんね、エミリー」さやかは、ワスの手の中の宝石に向かって言った。「あたしじゃ、連れて行けなかった。でも、いつか、ちゃんと迎えに来るから。その時は、手、握ってよね」

『……うん』

さやかは、ほむらの前に立った。

「じゃ、あたしは帰るわ」

「……もう?」

「長居すると、上に怒られるんだよね」

さやかは、人差し指を立てて、ほむらの額を軽く突いた。

「さっきの雇い主の話。本当に頭のいい奴は、聞かなかったことにするもんだよ」

ほむらは、額を押さえた。

「……さやか」

「何?」

ほむらは、何かを言おうとした。言葉が出てこなかった。

さやかは、少しだけ笑った。それから、ワスのほうを向いた。

ワスが、小さく頭を下げた。

「ありがとうございます」

「……何のこと?」

「さあ。なんとなく、ですわ」

さやかは肩をすくめて、もう一度だけ、少し笑った。

「あんたも、苦労してるね」

青い光が、一瞬だけ、駐車場を照らした。

ほむらが瞬きをした時には、ボンネットの上には、誰もいなかった。

紙コップが一つ、ボンネットの上に置かれていた。紅茶は、きれいに飲み干されていた。

 

朝になると、砂漠の空は、どこまでも青かった。

ワスは、モーテルの向かいの小さな雑貨屋で、細い銀の鎖を一本買った。インディアンの手工芸品を並べた、古い店だった。店主の老婆は、ワスが鎖を選ぶのを、黙って見ていた。

モーテルの部屋に戻ると、ワスは、エミリーの宝石を小さな銀の留め具で鎖に通した。

それから、自分の首にかけた。

宝石は、ワスの胸元の、ちょうど心臓の上あたりに下がった。古いロザリオの隣に。

「ここなら、いつも温かいでしょう」

『……分からない』

「ええ。それで、よろしいのですわ」

ほむらは、ベッドの端に座って、それを見ていた。

姉の胸元で、澄んだ宝石が、朝の光を受けて小さく光っていた。

ほむらは、目を逸らした。

キュゥべえが、テーブルの上に跳び乗った。

赤い目が、ワスの胸元の宝石を、じっと見ていた。

「濁らないソウルジェムは、前例がない」

キュゥべえは言った。

「契約の願いが、絶望そのものを遮断している。感情エネルギーの回収という観点から見れば、完全な欠陥品だ。でも、観測対象としては、これ以上ないほど興味深い」

ワスは、宝石に手を当てた。

「それで?」

「僕に、預けてくれないかな」

部屋の中が、静かになった。

ほむらの右手が、枕元の拳銃に伸びていた。

「冗談だよ」とキュゥべえは言った。

それから、少しだけ首をかしげた。

「半分はね」

銃声が、モーテルの部屋に響いた。

「ほむら。朝から、お部屋の中ですわよ」

「隣は空室だった」

「そういう問題ではございません」

テーブルの上に、もうキュゥべえはいなかった。窓際に、新しい個体が、いつものように座っていた。

ワスは、ダンに電話をかけた。

『ああ。何か分かったか』

「ええ。あの宝石は、今、私の手元にございますわ」

電話の向こうが、静かになった。

『……どこで』

「昨夜、昔の仲間の方が、届けてくださいましたの。ほむらの、十年前のお友達ですわ」

『防犯カメラの子か』

「ええ」

ダンは、長いあいだ黙っていた。

『それは、返却されるべき証拠品だ』

「存じております」

『FBIの保管庫から持ち出されたものを、外国のエージェントが私的に所持することは――』

ダンの声が、途中で止まった。

それから、深いため息が聞こえた。

『あの石は、まだ光ってるか』

「ええ。とても、きれいに」

『そうか』

また、沈黙があった。

『……君たちが持ってるほうが、まだましだろう』

ワスは、何も言わなかった。

『紛失届を出しておく。保管室の管理不備ということにする。俺の始末書が一枚増えるだけだ』

「ご迷惑を、おかけします」

『いいんだ』

ダンは、少しだけ言葉を探した。

『あの子に、伝えてくれるか。……聞こえるのか、あの子に』

「ええ。私たちの言葉なら」

『六年も、棚に置いたままにして、すまなかった、と』

ワスは、胸元の宝石に手を当てた。

「エミリーさん。あなたを保管庫で預かっていらした、ウィテカーさんという方からですわ。六年間、棚に置いたままにして、すまなかった、と」

長い沈黙があった。

『……暗くは、なかった』

エミリーの声は、相変わらず平坦だった。

『何も、感じなかったから』

それから、少しだけ間があった。

『でも、年に一回、箱が開いた』

ワスの手が、止まった。

『光が、入ってきた。誰かが、のぞいてた。それだけ、覚えてる』

ワスは、目を閉じた。

それから、電話に向かって、ゆっくりと言った。

「エミリーさんが、おっしゃっています。年に一度、箱が開いて、光が入ってきた、と。誰かが、のぞいていた。それだけは、覚えている、と」

電話の向こうから、何の音も聞こえなかった。

長い、長い沈黙だった。

『……そうか』

ダンの声は、かすれていた。

『そうか』

それきり、ダンは何も言わずに、電話を切った。

「エッグカートンには、ご報告しないでおきましょう」

マスタングの助手席で、ワスが言った。

「当然」と、ほむらは答えた。

「濁らないジェムのことが知れたら、研究の対象として回収されてしまいますわ」

「キュゥべえみたいなのが、お役所にもいる」

「ええ」

ワスは、胸元の宝石に、指で触れた。

「それに、闇の市場の方々にも、知られるわけにはまいりませんわね」

「一個で、家が三軒」

「この子なら、三軒では済みませんでしょうね」

ほむらは、前を見たまま、ハンドルを握り直した。

国道は、まっすぐに西へ伸びていた。両側に、赤茶けた岩山と、乾いた灌木の平原が広がっていた。

ワスは、走る車の中で、エミリーに話しかけ続けた。

「左手に、大きな岩山が見えますわ。赤くて、上が平らで、テーブルのような形をしております」

『ふうん』

「空が、とても青いのですよ。日本の空より、ずっと高く見えますわ」

『そう』

「先ほど、鷹が一羽、飛んでいきましたわ」

『見えた』

ワスが、少しだけ目を見開いた。

「見えましたの?」

『見えるよ。感じないだけ』

「では、どう見えましたの?」

長い間があった。

『……分からない。見えたけど、何も思わなかった』

「ええ。それで、よろしいのですわ」

ほむらは、黙って運転していた。

ワスは、エミリーに話しかけ続けた。岩山のこと。雲のこと。道端の、錆びた古い看板のこと。

ほむらは、一度も口を挟まなかった。

昼過ぎに入った国道沿いのダイナーで、ほむらは、いつものように一番奥の、入口の見える席に座った。

ワスが、その隣に座った。

いつもなら、二人のあいだには、拳一つ分くらいの隙間があった。

その日、ほむらは、肩が触れるほど近くに座っていた。

ワスは、何も言わなかった。

料理が来るまでのあいだ、ワスはまた、胸元の宝石に話しかけていた。

「この店のパイは、とても有名なのですって。チェリーではなくて、ピーカンだそうですわ」

ほむらが、ワスの袖を、小さく引いた。

「何かしら」

「……別に」

ワスは、少しだけ首をかしげた。それから、また宝石のほうへ目を落とした。

ほむらは、自分のフライドポテトを三本、黙って姉の皿に移した。

頼まれてもいないのに。

キュゥべえが、テーブルの端で言った。

「ほむら。昨夜から、ワスとの身体的接触が、明らかに増えているね。あのジェムを預かってからだ」

「黙って」

「人間の言葉で言えば、嫉妬に近い状態かな」

ほむらの右手が、ガンベルトに伸びた。

「ほむら。お店の中ですわよ」

「分かってる」ほむらは、手を下ろした。「外に出てから撃つ」

ワスの胸元で、宝石が、小さく光った。

『ねえ』

エミリーの声だった。

『その子、さっきから、ずっとこっち見てる』

ワスは、隣の妹を見た。

ほむらは、確かに、姉の胸元の宝石を見ていた。じっと。何かを睨むように。

『怒ってるの?』

ほむらの頭の中にも、その声は聞こえた。

ほむらは、少しだけ顔をしかめた。

「……怒ってない」

『そう』

少しの間があった。

『変なの』

ワスは、口元を手で押さえた。

肩が、小さく震えていた。

「姉さん、笑わないで」

「笑っておりませんわ」

「笑ってる」

ワスは、もう我慢できずに、小さく声を立てて笑った。

ほむらは、むっとした顔のまま、ピーカンパイを一口食べた。

その夜、マスタングの助手席で、ほむらは眠っていた。

気がつくと、ほむらの頭は、運転席の姉の肩に預けられていた。

ワスは、片手でハンドルを握ったまま、もう片方の手で、胸元の宝石を包んでいた。

国道の先に、町の灯りが見えてきた。

ワスは、宝石を包んでいた手を離して、そっと妹の髪を撫でた。

痛みを感じない少女と、痛みを感じ始めた妹。

両方を抱えて、ワスは、少しだけ微笑んだ。

 

 

シアトル支局の机の、一番下の引き出しに、紙が一枚増えた。

新聞の切り抜きではなかった。

 

〈証拠品紛失届(控)〉

品名欄には、こう書かれていた。〈宝石(卵形)一点。タコマ住宅火災(六年前)現場より押収〉

 

紛失理由の欄は、空白のままだった。

 

ダンは、その紙を、切り抜きの束の一番上に置いた。

それから、引き出しを閉めずに、しばらく見ていた。

年に一回、箱が開いた。

光が、入ってきた。

ダンは、目を閉じた。

それから、ゆっくりと引き出しを閉めた。

 

----

「証拠品保管室で、もう十二年働いてます。

年に一度の棚卸しの日には、捜査官が自分の担当の証拠品を確認しに来るんです。たいていは、書類と照らし合わせて、五分で終わります。

ウィテカー捜査官だけは、毎年、一つの箱の前で、長いこと立ってました。タコマの火事の、あの宝石の箱です。

箱を開けて、中をのぞいて。何も言わずに、しばらく見てて。それから、蓋を閉めて、帰っていく。

一度だけ、何を見てるんですかって聞いたことがあります。

『さあな』って言われました。『誰かが見てやらないと、寂しいだろう』って。

石が寂しがるわけないのに、って、その時は思いました。

あの宝石がなくなったって聞いた時、なぜか、ちょっとほっとしたんです。変ですよね」

――FBIシアトル支局 証拠品保管室 職員、四十四歳




この作品お読みいただき、ありがとうございます。

二人と一匹(+1)の旅が、幸多からんことを祈って、この話は終わりといたします。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

ほむら「ハーレムつくったら全部上手くいく気がしてきた」(作者:ラゼ)(原作:魔法少女まどか☆マギカ)

キュゥべえがみんなを騙すんだったら……先に私がみんなを誘惑すればいいじゃない。うん、そうしよう。私って可愛いし。▼そんなお話。▼パソコンがお亡くなりになられましたので、新しいのがくるまでこの新作をスマホでポチポチ書いてます。▼


総合評価:9875/評価:8.72/連載:14話/更新日時:2019年12月04日(水) 15:25 小説情報

祈りの残響 ー佐倉杏子の幸福の定義ー(作者:キルケル)(原作:魔法少女まどか☆マギカ)

佐倉杏子が魔法少女となった後。彼女の願いのせいで、家族は崩壊しかけた。▼しかし、一人の男のおかげで、今も彼女の家族は生きている。▼だが……杏子は破門され、家を追い出された。▼現在は一人の男……神崎の家に居候をしている。▼魔法少女として活動を今も続けている杏子にとって、神崎は難しい存在だった。▼自分の家族の離散を防いでくれたし、自分のことをなんだかんだで大事に…


総合評価:143/評価:9.25/連載:16話/更新日時:2026年10月31日(土) 17:01 小説情報

ほむグリート※映画ネタバレ超注意(作者:すさ)(原作:魔法少女まどか☆マギカ)

先輩をまどではなくほむにしてみたけどそんな変わらなかったよって話▼なおこの話を見かけたものは映画館に駆け込むものとする。ワルプルギスの廻天全国放映おめでとう!


総合評価:195/評価:8.88/完結:13話/更新日時:2026年10月24日(土) 00:01 小説情報

魔法少女まどか☆マギカ -Kaleidoscope- 実績「時をかける魔女」獲得実況プレイ(作者:Hotpepper_N)(原作:魔法少女まどか☆マギカ)

【本編完結済み】【エピローグ連載中】▼▽あらすじ▼幾度もの時間遡行の果て、ほむらのソウルジェムはついに濁り切った。しかしまどかへの執念から、彼女は魔女となってなお理性を失わなかった。そして手にしたのは、魔女を喰らい、その力を我が物とする能力。そしてほむらは、まどかを救うため再び終わりなき時間のループへと身を投じていく。▼▽概要▼ほむほむ主人公のゲーム実況風・…


総合評価:1320/評価:8.49/連載:33話/更新日時:2026年10月15日(木) 18:34 小説情報

目が覚めたら、『まどマギ』の美樹さやかの姉だった…(作者:黒い魔女)(原作:魔法少女まどか☆マギカ)

『魔法少女まどか☆マギカ』を見た後に目が覚めたらまどマギ世界だった少女の話。▼おまけに妹は美樹さやかだった。


総合評価:1021/評価:8.5/連載:4話/更新日時:2026年10月04日(日) 00:15 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>