異界の使者とか世界の危機とかどうでもいいので卒業させて   作:楠木に住まう天使

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第一講

 大学生、戦場跡にて女神に出会う――――――などと一言で表現したが、事実は小説より奇なりというか、現実はさらに奇天烈だ。

 

 大学四回生の秋、院試も晴れて合格し、さあこれから卒業研究を、といった所でデータが吹っ飛んだ。決死の格闘の後、世の無常を理解しふてくされていたが、来週の中間発表で教授に詰められる未来が刻一刻と近づいてくることはひしひしと感じていた。このまま何もしなければ演算した未来が現実のものとなるだろう。

 

 悩んでいる時間はもう無かった。背に腹は代えられぬと一念発起した朝、公共交通機関と徒歩を駆使し数時間、機獣の残骸蔓延る戦場跡に追加の試料を採取しに来た。ふてぶてしいほど快晴、秋晴れの中もたらされる風はそよそよと、異界由来の金属独特の香りを運んでくる。

 

 採取にあたっての許可は残念ながら取っていない。実験、レポート、資料作成、プレゼン練習、諸々の所要時間を考慮すると、試料集めは一日でも早く行う必要がある。数日で下りる見込みのない戦場跡への立入申請を行ってもしょうがない。

 

 別に校則や法律で明確に立入を禁止されているわけではない、が事前の申請を出すという通例は無視していることになる。結果的に本来数週間待つこともざらな戦場跡での試料集めが叶うことを踏まえれば、デメリットばかりでもない。 

 

 そんなこんなで自分を納得させさあ試料採取をと、意気揚々と専用の機器をとりだしたその時、小高い残骸の頂点が神々しく光り輝いた。

 

 一体何が起こったのか、やおらそちらに目を向ける。するとそこに、それはそれは美しい少女がいつの間にやら立っており、金色に輝く瞳をこちらに向けていた。………………幻覚?

 

 研究生活が脳に悪影響を与えることは広く知られているが、ついに症状が出るとは。こんな時くらいは質の良い休息をとっても許されよう。今日は家に帰って栄養価の高い食事をしっかり摂り、無理やりにでも時間を捻出して長時間睡眠を――

 

「初めまして人間の方。本日はお日柄もよく、まるで世界がこの出会いを祝福しているかのようですね」

 

………………まさかたまさかの幻聴まで聞こえてくるとは、これはいよいよといった所だ。とはいえ返答を返さぬのは人間として間の悪いことこの上ないため、止まった思考回路を無理矢理回して答える。

 

「世界は出会いを祝福しているのではありません。貴女がここに見(まみ)え、言の音を発したことを言祝いでいるのです。ご紹介が遅れましたが私はアスク、貴女のお名前を伺っても?」

 

「お上手ですね。私はイリス、故あって此方の世界に降り立ちました」

 

 イリスと名乗った少女の表情に特段の変化も見られない。世辞の練習をしてこなかったことが悔やまれるが、どうせ美辞麗句など聞き飽きているだろうし、結果に影響は無いだろう。

 

 しかし、面倒事に巻き込まれるとは正にこのこと。こちとら暇ではない、中間発表はすぐそこまで迫っているのだ。だが、残骸蔓延る戦場跡に突然現れた絶世の美少女、見たことの無い衣装を纏っている彼女の正体に全く心当たりがないわけではない。

 

 状況を考えれば、決して無視してよい事案ではない。突貫で組み立てた研究計画すら白紙にされそうな事態、非日常の飛来に、心内では非難の嵐が吹き荒れる。…………非常に口惜しくはあるが、今日のところは資料集めは諦める必要がありそうだ。心の中で大きく深呼吸をし、これから起こる事態に覚悟を決めた。

 

「単刀直入に申しますが、私は異界からの使者です。交渉を行いたいので、この世界で最も偉い人間を教えていただけますか」

 

 こちらが意を決しているうちに次の言葉が紡がれたため、本腰を入れてイリスに向き合う。風に揺らいだ銀糸の髪が陽光を反射する様が厭に印象に残る――――不要な情報、さっさと本題に取り掛かる。

 

 曰く、立場は使者、目的は交渉、真偽は不明。しかしあくまで直感なのだが、言葉そのものに虚偽や欺瞞はない気がする。交渉において奇策や方便を必要としない側であるという自負、すなわちどちらが上であると考えているかが透けて見える。

 

 まあ実際、彼女の言葉を信じるなら、向こうが格上であるのは純然たる事実なのだが。しかし具体的なようで抽象的な質問であったのは幸いだ。相手の願いを叶える流れに、こちらの思惑を挟み込める余地が十分に存在する。ここからの話の流れを整理しながら、ゆっくりと口を開く。

 

「最も偉い人間ですか、申し訳ないのですがこの世界は数多の国家から成り立っています。候補となりそうな方はいらっしゃいますが、それを私の口から伝えるのは角が立ちそうで……」

 

「ではこの国で一番の権力者を教えてください。この国の政治形態は存じ上げませんが、代表者に該当する方はいらっしゃるでしょう」

 

 狙い通り、願いを変えさせることに成功した。それにより得られたのは、譲歩してもらった以上は要求を叶えてあげたいという感覚。一見心情的にこちらが不利だが、これは同時に相手の心理も縛っている。釣れると分かった以上獲物が小さいことに気づいても釣り上げるのをやめないように、譲歩した願いを此方が叶えようとするのは拒みにくい。

 

 つまり後は、この願いを叶えるために力を尽くせばいいわけだ。この国の代表者、まあ曲がりくねった受け取り方をしなければ首相だろう。本来はその名前を告げるだけで話は終わりなのだが、それでイリスと別れると展開が読めなくなる。かといって首相と面識なんて当然ない…………のだが、コネの真価はこういう時に発揮される。

 

「それならばお力になれそうです。私の上司に当たる方は非常に顔が広く、権威もある。彼女であればこの国の代表者への取り次ぎも行ってくれるでしょう。もしよろしければ、一度彼女の元にご案内しますよ」

 

 質問に対する回答を兼ねた提案を行う。こういうのは勢いが重要、相手の反応から少しでも情報を得ることが出来れば御の字だ。そして狙い通り、という訳でもないが無表情を貫いていたイリスの相貌に訝しげな色が浮かんでいる。都合が良すぎると思われたのだろうか。幸い嘘はついていないので、堂々としていればいい。

 

「……有難い申し出です、私には断る理由がない。しかし、何故初対面でそれほど親切にしてくれるのですか?この国の人間は皆そうなのですか?」

 

 言葉の内容は困惑を表しているが、表情や声色は疑心のそれに近い。こちらの表向きの警戒心の無さに逆に警戒されたか。まあ気持ちは当然分かるが、奇策を正面から踏みつぶせる自信ゆえの単刀直入の交渉ではなかったのか?こちらの深読み?単に交渉に慣れてなかっただけ?

 

 なんだか一気に気が抜けそうになった。一度その前提に立って観察すると、目の前の少女のこちらに向ける疑いの表情が妙に懸命で愛おしく思えてきた…………気がしなくもない。何にせよ、素人である私が気を張り続けるのも限界がある。内心での警戒は最低限そのままに、表向きの空気を弛緩させる意味を込め、ほんの少し冗談めかして言葉を発する。

 

「恩を売っておきたいだけですよ。コネは重要なので」

 

 

 

 

 

 戦場跡から徒歩で三十分、イリスを連れて向かうは我が国が誇る有数の研究機関であり、現在私が学徒として所属している神都大学、ではなく老舗のセレクトショップだ。理由はイリスの服を買うため。というのも、イリスの纏う衣服はこの世界の基準で見れば余りに独創的かつ先進的すぎるため、どうしても目立ってしまうのだ。

 

 神都の街並みを歩くだけなら目を引くのは彼女一人、隣を歩く地味な格好のこちらは一瞬注目されたとて記憶に残ることもないだろう。しかしこと神都大学内であれば別。異常な衣服を纏った美少女の隣に、私。四回生ともなれば顔を知りあっている相手も自然多いし、友人達に出会わないとも断言できない、いや何の対策もしなければ確実に遭う羽目になる。

 

 そうなれば良くない噂が立つことは明白、悪目立ちは出来れば避けたい。そして何より、好奇の視線にさらされるのはイリスにとっても良い体験ではないだろう。幸いこの世界の服を着用するメリットを理解してくれたイリスは素直についてきてくれた。

 

 移動中は雑談をした、と言っても明らかにイリスの開示できる情報に制限がありそうだったので、基本的には私の身の上話がメインだったが。初めは何気ない日常会話に留める予定だったが、イリスが聞き上手な上に理解力も抜群に高く、気付けば自身の研究について語ってしまっていた。イリスは興味深そうに聞いてくれていたが、流石に私は反省すべきだろう。

 

 などとやり取りしている間に店に着いた。一面ガラス張り、店内からはスタイルの良いマネキン数体がこちらを無機質にのぞいている。壁面にはハンガーパイプが据え付けられ、高価そうなトップスやボトムスが整然と並べられている。敢えてシンプルなフォントで表現しているだろうブランドロゴ、それの掲げられたガラス扉を潜り私とイリスは店内に入る。

 

 時間帯のせいか私たち以外の客の姿は見えず、予想通り店員さんもすぐに来店の歓迎の声を上げて接客についてくれた。流石プロというべきか、イリスの格好を見ても表向き一切動揺していない。普段は若干面倒に感じていた話しかけてくる服屋の店員さんも、今日ばかりは神様に見える。なんせ私は女性のファッションなど詳しくないし、経緯上イリスは言わずもがなだ。予算と大枠の要望だけ伝え、イリスの事は店員さんに丸投げすることにした。

 

 ちなみにイリスはこの国の、というかこの世界の貨幣を所持していなかったため、代金は私持ちだ。冷静に考えると意味が分からないが、悪目立ちしたくないというのはあくまで私のエゴなので、必要経費と割り切ることにした。イリスが店員さんと自然な会話をしている光景を尻目に、ようやく少し落ち着けたとぼんやり考え事を始めた。

 

 

 

 

 

「アスクさん、似合っていますか?」

 

 店に入って一時間弱、研究計画を練り直したり、教授宛のメールの内容を考えているうちにイリスが試着室から出てきた。

 

 ゆったりとした白のジップパーカーは前面が開かれ、白のブラトップはボディラインを自然と強調している。トップスが白で統一されているが故か、シンプルな黒のショートパンツも調和がとれている。即ち、バランスがいいというか、形式が揃っているというか、つまり、

 

「えっと、とても似合ってます。……すみません、洒落た言い回しが思いつかず」

 

 ファッションに疎い自分でも、流石に似合っているの分かる。素直に感想を伝えた所、イリスは当然、とでも言いたげな表情を浮かべた。自信満々な雰囲気も様になっている。何にせよ悪い気分ではなさそうで安心した。カジュアルよりの着こなしではあるのだが、本当に重要な場面では元の格好の方が種々の面で望ましいだろうし、これはこれでいいだろう。

 

 本来なら更にいくつも試着をしてもらって良いものを選ぶのが通例なのだろうが、流石にここで時間をかけすぎるのもまずい。イリスも満足しているようだし、これを買って完了することとする。

 

 ちなみに当初伝えた予算は絶妙にオーバーしていたが、手持ちで足りた上、交通費と夕食代分だけピッタリ残っていた。恐らく店員さんはエスパーか何かだったのだろう、いつの間にか財布の中身が透視されていたらしい。

 

 

 

 

 

 イリスを連れて数時間、公共交通機関を利用しつつ、ようやく神都大学に辿り着いた。肉体の疲労はピークに達しているが、精神的な疲労は寧ろここからが本番だ。下手に気合を入れ直すと寧ろ持たなくなるので、程ほどでいいと自分を納得させたうえで出来ることをやるつもりだ。

 

 正門前に立つと、正面に神都大学のシンボルとも言える特徴的な建物、時計塔が聳えているのが見える。他にも多くの研究棟が立ち並び、自然との調和も図られていて非常に美しいのだが、それ以上に目を引くものが正門を彩るように立てかけられている。サークルの勧誘から、主義思想を掲げたモノ、果ては流行作品のワンシーンを描いたものに至るまで、学生達自作の立て看板がその存在を主張していた。

 

 私は流石に見飽きているためもう何とも思わないのだが、イリスにとっては違ったようで、何やら興味深げに眺めている。

 

「これは面白い文化ですね、芸術作品をこのような形で展示するとは。特にこれなんかは色使いもよく、少し興味を惹かれます」

 

 イリスが目を向けたのは、かつてこの国で非常にポピュラーだった宗教に関する宗教画を模した立て看板だ。この国を興した人間は異界より降り立った女神であり、女神と、その遺志と血を脈々と受け継ぐ帝をこそ尊ぶべし、という教えが基になっているものだったはずだ、たしか。神話の域に片足を突っ込んでおり、現在では作り話という見方が広まっていて教えもほとんど形骸化しているものの、ロマンを感じずにはいられない内容だ。

 

 そしてこの立て看板を作ったのは私の友人の一人であり、現代にこの宗教の教えを復活させようと目論む変人なのだが、流石に今絡まれるのは不味すぎる。この立て看板に注目しただけで彼が飛んでくることは無いだろうが、リスクは少ないに越したことは無い。イリスには悪いが学内観光はせず、さっさと目的の研究棟に向かうことにした。

 

 

 

 

 

 紆余曲折の末、ようやく目的地に到着した。目の前に立ち塞がるは何の変哲もない灰色の片開きドア、とはいえここを通るのは少々勇気がいる。この部屋は研究室において学生が普段使いする部屋であり、基本的に用事のない者が来ることはない。故に、隣に佇んでいるアポなしの隣人を招くのは気が引けた。

 まあ既に覚悟は決めた後だ、ドアノブに手をかけて勢いよく扉を開け、ここにいるであろう同級生の名を呼ぶ。

 

「研究室見学者連れてきました!メレナいる?」

 

 カタカタとパソコンをたたく音がピタリと止まり、此方に視線を向ける男、メレナが室内に一人佇む。私の隣にいる絶世の美少女とは目を合わせようとせず、真っ直ぐ私の方を見つめて問いを一つ。

 

「見学者など聞いていませんが、非公式ですか?」

 

「ごめん!私が連絡忘れてた!埋め合わせはするので、急ぎの用事がなければちょっとした研究室紹介をしていてくれない?スライドは見学者ファイルにあるから」

 

「……………………構いませんよ。丁度作業も一段落した所なので」

 

 誠心誠意お願いした所、快く引き受けてくれることになった。一瞬だけ露骨に嫌そうな表情を浮かべていた気もしたが、本質的に善人な彼の事、私に対する苛立ちを見学者ということになっているイリスにぶつけることはないだろう。一応隣で微笑を浮かべている少女にも最低限話を合わせるように伝えているので、短時間のやり取りならば疑われたとしても多少の違和感の範疇に留まるだろう。

 

「初めましてメレナさん、私はイリスと申します。急な対応を強いてしまい申し訳ありません」

 

「…………お気になさらず。アスク君が連絡を怠ったのが原因ですので」

 

 簡単なやり取りの後、メレナはイリスを丸テーブルにつれ、ノートパソコンで研究室の説明をしだす。これなら大丈夫だろうと判断し、此方も自身のパソコンから教授宛のメールを打ち込んでいく。内容は私の身に降りかかった非日常に関する説明、考察、結論と教授へのアポだ。この時間なら恐らく教授は自室にいるだろう。

 心情的には急いで教授室のドアを乱打し、ここに書き記した内容を直接伝えたいが、あくまでその手段は選ばない。

 緊急事態だからこそ、焦った行動はとらない。数秒の時短で得られるのはせいぜい、認識できないほど多岐にわたるケアレスミスの基だけだ。

 完成、校正、送信。直後、返信。内容を一言で要約すると、一旦一人で来い、だそうだ。どうやら教授室にいるらしい。メレナとイリスに目礼した後、学生部屋を出て教授室に向かう。歩いて十秒前後、普段はこの短い時間で教授に会う覚悟を決めていたが、今回は研究発表ではないので比較的気が楽だ。寧ろ早く会いたいまである。

 

 無機質な扉にはミ(・)ウ(・)教(・)授(・)と小さなネームプレートが掲げられている。ノックを適当に四回ほどすると、はーい、という間延びした返事が聞こえてきたので礼を失する旨を伝えた上で中に入る。

 

 縦長の部屋は建物を構築する素材の割にはシックな雰囲気を備え、右側の壁には分厚い学術書の群れが本棚に生息し、無機質にこちらを圧迫してくる。そして狭い部屋の最奥、華美ではないが価値の高さが一目でわかる木製のデスクの向こう側。金髪、尖った耳、オーバル型の眼鏡、数々の特徴的な容姿を備えたこの部屋の主、ミウ教授は、こちらを穏やかな瞳で見つめていた。

 見た目で分かる通り、彼女はエルフだ。長命種らしく年輪を重ねており、90年前の防衛戦争を経験した生き証人でもある。何なら彼女の存在自体に政治的に重要な意味があり、この国の中枢とのパイプを持っているというのは純然たる事実だったりする。

 そんなミウ教授はこちらが扉を閉じたの確認してから、ゆっくりと言葉を発した。

 

「何か弁明はありますか~?独断専行のアスク君」

 

「申し訳ありません、すべて私が悪かったです」

 

 気付けば頭を垂れていた。目は地面を見ているためミウ教授が今どんな表情をしているのか分からないが、何故か秒ごとに圧が強くなっている気がする。一分?十分?頭を下げた状態でどれだけ時間が経ったか、いや論理的に考えてそんなに経過している訳がない。体感時間が指数的に間延びしていく、これがアキレスと亀か。無限にも感じられた体感時間は、ミウ教授の漏らした小さな笑い声により突如現実の時間とリンクを取り戻した。

 

「ふふ、ごめんなさい、半(・)分(・)冗談です。さて、頭を上げてください、ここからは建設的な話をしましょう」

 

 安心できないフレーズも聞こえたが、一先ず許されたと考えよう。言われた通り頭を上げてミウ教授の表情を伺うと、研究発表の時に見せる表情とは異なる普段の穏やかな顔つきをしていたため、一先ず胸を撫で下ろす。

 

 さて、何がともあれ情報共有だ。メール伝えきれなかった部分は当然ある。今日体験した出来事を、出来るだけ克明に、それでいて事実と考察を明確に区別しながら伝えていく。日常会話であれば最もインパクトの大きい部分を最初に持ってくるのだが、ミウ教授は話を聞いてくれているという信頼が前提にあるので、時系列の正確さを可能な限り重視した。

 

 因みに戦場跡に無許可で立ち入った件に関しては、そもそもミウ教授は知っているので特に何も言われなかった。エルフ故か彼女特有の気質故か、その辺りの人間社会のルールにルーズな一面があり、私的には非常に助かっている。彼女の中では法律よりも、学術界の常識(ルール)の方が優先順位がずっと高いのだ。

 

「――――――以上が報告の全てです」

 

「…………ありがとうございます、凡そは把握しました~。後は私に任せてください!」

 

 この瞬間を以って、私が責任を取るべき範疇が終了した。肩の荷が明確に降りたのを感じる。まあなんにせよ、後のことは信頼するミウ教授や国家中枢の優秀な人間たちに任せて、私は学生の本分を全うするとしよう。

 

「ではそろそろイリスさんとやらと会いましょうか!アスク君、最後の仕事としてイリスさんをこの部屋に連れてきて…………いえ、私が直接赴きましょう」

 

 

 

 

 

 再度、学生部屋に戻ってきた。時間をかけても仕方がないのでノックを数回して扉を開ける。室内で行われていたであろう会話は中断され、メレナとイリスは揃って私と、すぐ後に入ってきたミウ教授に目を向けた。イリスとミウ教授の視線が交わる、そこでどんな駆け引きが行われているのかは分からないが、そう悪い空気ではなさそうだ。

 

「イリスさんお待たせしました~。神都大学で教授をやっているミウです。早速ですがこちらへ、事情はアスク君から聞いていますので~」

 

「ミウ様ですね、お会い出来て光栄です、では早速伺いますね。アスクさん、それからメレナさんも、色々とお世話になりました。このご恩はいつか必ずお返ししますね」

 

 ミウ教授はイリスを連れ居室を出ていった。これが最後のやり取りになるのだろうが、まあ別れなんてこんなものだ。一応事前のやり取りで、もし必要だと判断したら私も会話に参加する予定だったが、どうやら彼女だけで問題ないという判断らしい。

  

 イリスが先程まで座っていた来客用の椅子に腰を下ろして、メレナに声をかける。

 

「急の対応ありがとうメレナ!イリスにどんな内容を話してたの?」

 

「特別なことはなにも、私が去年受けた研究室紹介と同じような内容を話しただけです」

 

 その言葉を受け、研究室見学した時のことを何となく思い出す。ミウ教授の説明する研究内容は抽象的で分かりにくく、しかし彼女の熱意は伝わってくる、そんな感じの内容だった。当時の私は他の道を進むことも出来ただろうが、この研究室を選んだことに今となっては後悔は無い。そう心から思えるのは、研究や勉学に懸命に取り組んだが故なのだろうか。

 

 なればこそ、休んでいる暇はない。今日の当初の予定はおじゃんになったが、それはこれから取り戻せばよい。走り続ければ後悔なんてする暇がなくなる、それを思い出しただけでも僥倖だ。気力は十分、後は全力で取り組むのみだ。

 

「所でアスク君、データが吹き飛んだって話、何とかなりました?このままじゃ来週の中間発表に間に合わないのでは?」

 

「……メレナ、いきなりやる気を削ぐことを口にするのやめてくれ。それだけは考えないようにしてたんだから」

 

 

 

 

 

「終わったーーー!」

 

 あれから一週間後、無事中間発表を乗り越えた。教授室から生徒用居室に戻ってくるなり、つい口から終わりを歓待する声が漏れ出た。真面目を辞書で引けば名前が載っているだろうメレナも、口には出さずとも雰囲気から私に同調していた。

 

 吹っ飛んだデータに関しては結局元に戻らなかったが、補助記憶装置に保管されていたデータを確認した所、差し引き最新の実験一つを失った程度済んだため、ギリギリ何とか事なきを得た。何にせよ、今は気分がハイだ。今日くらいは忙しくて顔を出してなかったサークルにでも行って後輩と絡んで――――――

 

「アスクく~ん。ちょっといいですか~」

 

「はい!何でしょう!」

 

 脊髄反射の返答。先程ぶりのミウ教授が扉から顔をのぞかせ、にこやかに手招きしていた。今度は何をやらかした、とでも言いたげなメレナの視線を軽く受け流しながらミウ教授に招かれるまま居室を出て、促されるまま隣を歩く。

 

「いや~、中間発表は素晴らしかったですね~。メレナ君は言わずもがな、アスク君もプレゼンから受け答えまでしっかりできていましたよ~」

 

「ありがとうございます。ミウ教授がお忙しい中、資料の添削を行ってくれたおかげです」

 

 ミウ教授からのお褒めの言葉、まあ何となく世辞の類だと分かるが、それを指摘する意味はないし指摘できる間柄でもない。何よりも、世辞だとしても素直に嬉しい。しかし、こういう入りの時は経験上何らかの話があるのだろうが、はて。

 

 そうこうしている間にも歩みはどんどんと進んでいき、気付けば時折会議室として利用されているのを見かける一室の手前まで案内された。目の前にある横開きの扉は少ない力で簡単に開く構造となっている、はずだが、何故かそれを開けることに抵抗感がある。この扉を開くことがこれからの生活、引いては人生に大きな変化をもたらすやもしれぬという直感が働いている。

 

「アスク君にお願いしたいことがありまして~、取り敢えず中に入ってください~」

 

 嫌な予感は更に大きくなった。が、どうやら私に選択の余地はなさそうだし、いつまでも待っていても仕方がない。ええいままよと、扉を開ける。

 

 そこには見知った、少女の姿があった。銀糸の髪は蛍光灯の光を反射してキラキラと輝き、金色の瞳は私の瞳を真っ直ぐに見つめていた。少女は私と目が合うなり、何故だが嬉しそうな表情を浮かべて声をかけてきた。

 

「一週間ぶりですね、アスクさん。今日から私も大学生です、先達として色々ご教授くださいね?」

 

 何故ここにイリスがああ以前のお礼参りかいやお礼参りは誤謬で単に礼を伝えに来たのだろう随分と律儀なことだ待った今何と言った大学生?即ち入学か編入かいやそもそも何のために――――――――――――突然の出来事に驚いたが、別に私が焦るべき理由はない。以前の考察を基に考えればもう私と会う必要はないはずだが、実際のところその考察が当たってる保証など一切ないのだ。今はただ、事実を事実として受け入れよう。

 

 何か問題が起これば、隣でにこにこしているミウ教授(推定元凶)に責任転嫁、というか正しく責任追及すればいい。とにかく私が今やるべきことは一週間前の自分がどんな風にイリスと接していたかを思い出すこと、そう考えればスラスラと台詞が頭に浮かんできた。

 

「久しぶりイリス!元気そうで何より、ていうか今日から大学生ってどういうこと?」

 

………………おかしい、イリスも、何ならミウ教授も驚いたような表情でこちらを見ている。無難な返しを選択したはずだが、一体何故――待て、私のイリスに対する口調はこんなに砕けていたか?イリスは驚いた表情から一転、妙に楽し気でいたずらっぽい表情を浮かべた。

 

「――――――ふふ、ええ元気でしたよ。貴方のおかげでスムーズに事が進んだので、想定以上の自由時間が生まれして、ダメもとで文化交流の一環で大学生活を送ってみたいと申したところ、色々と便宜を図って頂けたんですよ。あとそれから――――その口調の方が似合ってますよ。アスク君さえよければ、私と接するときはその口調でお願いしますね」

 

「……………………もちろん、イリスがそれでいいなら」

 

 花の様とも小悪魔の様とも取れる笑顔を浮かべたイリスを見て思う。やはり焦って行動しても碌な結果にはならないと。

 

 

 

 

 

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