アミーゴ!
時間や社会に囚われず、幸福に空腹を満たすとき、人は束の間、自分勝手になり「自由」になる。
誰にも邪魔されず、気を遣わず物を食べるという孤高の行為。
この行為こそが、現代都市の人々に平等に与えられた最高の『救い』と言えるのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーー
静かな休日だった。
ウンボンのチキン酒場の仕込みも休みをもらい、私は一人でK社の裏路地から少し離れた賑やかな通りを歩いていた。
特別大きな目的があるわけではない。ただ風に当たり、知らない路地の空気を肌で感じることが、今の私にとってのささやかな、しかし素晴らしい休息となっていた。
知らない道を歩いていると、新しい出会いがある気がするからだ。…すると、
通りの先から、底抜けに陽気な音楽が聞こえてくる。
管楽器の甲高い響きと、弦楽器の跳ねるようなリズム。それに合わせて、大勢の笑い声と足拍子が路地に響いていた。
角を曲がると、そこには色鮮やかな衣装に身を包んだ男たちが集まっていた。大きなつばのついた帽子、ソムブレロをかぶり、華やかな刺繍の施されたジャケットを羽織っている。彼らは「マリアッチ」と呼ばれる組織の構成員たちだった。
都市の裏路地において、組織というものは得てして血生臭い雰囲気を纏っているものだが、彼ら、彼女らの周りだけは異質なまでに陽気な熱気に満ちていた。
「ハハハ! 踊れ踊れ! 今日という日を楽しまないでどうする!」
中心でひと際大きなソムブレロをかぶり、豪快に笑っている女性がいた。
マリアッチのリーダーであることは遠目から見ても分かった。
私がその光景を遠巻きに眺めていると、ふと目が合った。
「……ん? そこにいる君、見ない顔だな」
彼女が音楽を止め、大股でこちらへ歩いてきた。見上げるような体躯から発せられる圧迫感はあるものの、その瞳には敵意ではなく、純粋な好奇心が宿っていた。
「……なにか用?」
私は姿勢を正し、静かに問いかけた。
「素晴らしい目だ!」
突然、彼女が私の顔を覗き込み、バシッと自分の膝を叩いた。
「澄んでいながら、どこか達観している。それでいて何ものにも縛られていない、実にいい目をしているじゃないか! 君、名前は?」
「……プイ」
「プイくんか! いい名前だ! どうだ、我々の音楽に合わせて一曲踊っていかないか? 君のその目が加われば、今日の演奏は最高にホットになる!」
「自己紹介してなかったね!私はリカード!この辺じゃ最高にホットに踊れるやつさ!」
「……いや…踊りはやったことない…」
やんわりと断ろうとしたが、リカードは聞く耳を持たなかった。
「なぁに、難しく考える必要はない! 心のままに体を揺らせばいいんだ!」
リカードは私の手に、シャカシャカと心地よい音を立てる木製のマラカスを無理やり握らせてきた。周りのマリアッチたちも一斉に楽器を構え、再び賑やかな演奏を始める。
(……困った)
返そうにも、リカードは満面の笑みで手拍子を打っている。
困惑しながらも、私は周囲のリズムに耳を澄ませた。
カン、カン、シャカ、シャカ。
跳ねるようなテンポ。昔の私なら、踊るなんて考えすらしていなかっただろう。だが、今の私には自分の意思で手足を動かす自由がある。
私は溜息をひとつ吐き出し、手に握されたマラカスを、リズムに合わせて小さく振り下ろした。
シャカ。
拍子に合わせて一歩踏み出し、身を軽く捻る。
シャカ、シャカ、シャカ。
「おぉ……!」
周りのマリアッチたちから歓声が上がる。
高度な舞踊の技術など何もない。ただ、音楽の波に体を預け、規則的なリズムに合わせてマラカスを鳴らし、ステップを踏む。ただそれだけの動作だった。
しかし、私の表情と、無駄しかないが大胆な動き、そして刻まれる完璧なリズムの対比が、マリアッチたちの感性を大いに刺激したようだった。
「素晴らしい! 素晴らしいぞ、プイくん!」
「幾千万…それ以上の感情が昇華されいってる!」
「すげえ…それ以外の言葉が見つからない」
「芸術作品…いや、美そのものだ!」
「サイコーだぞプイ!」
「涙が…涙があふれてくる!」
演奏が終わると同時に、興奮で顔を赤くしているリカードが盛大な拍手を送ってきた。周りの構成員たちも口々に絶賛し、私の肩をポンポンと叩いてくる。
「君のその最高にホットな踊り、実によかった! 我々の熱気に砂漠の風が吹き抜けたようだ! よし、君を宴の客として歓迎しよう! 最高の一皿を振る舞わせてくれ!」
「……いや、流石にそんなことまでは…」
「遠慮することはない! マリアッチは友を惜しみなくもてなすものだ! さあ、座った座った!」
リカードの強烈な握力に押し切られ、私は路地に広げられた大きなテーブルの席につくことになった。
厨房となっている大きな屋台から、芳醇なスパイスと焦げるような香ばしい匂いが漂ってくる。
しばらくすると、リカード自らが両手に大きな白い皿を持って現れた。
「お待たせした! 我らの誇る特別な料理、チレスエンノガダだ!」
目の前に置かれた料理を見つめ、私は思わず息を呑んだ。
皿の中央に鎮座しているのは、下処理された大きな緑色の青唐辛子だった。その上から、まるで白い絹のように滑らかなクルミのソースが全体を覆うようにたっぷりと掛けられている。さらにその上には、鮮やかな赤色をしたザクロの果実の粒と、鮮やかな緑のパセリが散らされていた。
緑、白、赤。
(……きれい)
見た目だけでも、かなりの手間とこだわりが込められていることが伝わってくる。
「チレスエンノガダはな、巨大な唐辛子の中に、香辛料で炒めたひき肉や果物、ナッツをぎっしり詰めて作るんだ。上の白いソースは新鮮なクルミとチーズ、そして隠し味のU社の洋酒で作った特製ソースさ。さあ、冷めないうちに食べてくれ!」
リカードが誇らしげに胸を張る。
「……おいしそう。…いただきます」
私はナイフとフォークを手に取り、白いソースに包まれた大きな唐辛子の端にナイフを入れた。
スッと軽い手応えと共に、唐辛子の皮が切れ、中からぎっしりと詰まった具材があふれ出してきた。温かい湯気と共に、シナモンやクローブのような甘いスパイスの香りと、肉の香ばしい匂いが立ち上る。
切ったひとくち分をフォークですくい、クルミの白いソースをたっぷりと絡めて口へ運んだ。
パクッ……モグ……。
(……っ! これは……!)
私の脳内で、未知の味わいが弾けた。
まず口内に広がるのは、冷たく滑らかなクルミソースの濃厚なコクと優しい甘みだ。クリーミーで、ナッツ特有の芳醇な香りが鼻に抜ける。
その直後、温かい唐辛子の歯ごたえと、中に詰まった具材の旨味が怒涛のように押し寄せてくる。
ジューシーなひき肉の塩気と旨味。そこに混ざり合うリンゴやレーズンの爽やかな甘みと酸味。さらに、コリッとしたナッツの香ばしい食感。唐辛子自体の青々とした風味と、微かな苦みが全体をキュッと引き締めている。
甘み、塩気、酸味、コク、そして微かな辛味。
まったく異なる要素が、ひと口の中で完璧な調和を保ちながら交差している。
(……口の中が味でいっぱい……)
思わず二口目を切り分ける。今度は上に散らされた赤いザクロの粒も一緒にすくい上げる。
口に含む。
ザクロの粒がプチッと弾け、甘酸っぱい果汁が濃厚なクルミソースと肉の旨味の中に爽快な風を吹き込む。
(……すごい。ザクロの酸味が合う……。甘くて、しょっぱくて、香ばしい……)
そこには、長い時間をかけて食材を組み合わせ、丹念に仕込まれた料理だけが持つ、重厚な豊かさがここにあった。
「どうだい、プイくん? 我らのチレスエンノガダは!」
リカードがワイングラスを片手に尋ねてくる。
「……おいしい、このソースの優しさと…中の肉や果物の旨味が完璧に合わさってる。ザクロのアクセントも…とてもいい」
私が素直な感想を伝えると、リカードは「ハハハ!」と大声をあげて喜んだ。
「そうだろう、そうだろう! この料理はな、情熱と手間を惜しまずに作ってこそ真価を発揮するんだ! 美味いものを食えば、誰だって笑顔になる!」
「この料理は組の設立記念日に食べる料理でね、だからこそどの料理より手間を掛けるんだ!」
モグモグと咀嚼を重ねる。
唐辛子の持つほのかな辛味が、体の芯をじわりと温めていく。
冷たいクルミソースと、温かい肉具材の温度差も心地よい。
夢中でフォークを動かし、お皿の上に残った白いソースも、添えられたパンですくい取ってきれいに平らげた。
(……ごちそうさま。お腹の底から、力が湧いてくるような……不思議な満足感)
水筒の水で口をゆすいでから、私は立ち上がった。
「……ごはん、ありがとう。とても美味しかった」
「礼には及ばないよ、プイくん! 君の最高にホットな踊りを見せてもらったんだからね! またいつでも我々の演奏を聞きに来てくれ!」
「次は一緒に踊ろうね~♪」
リカードは豪快に手を振り、構成員たちと共に再び賑やかな音楽を演奏し始めた。
マリアッチの賑やかな詰所を後にし、私は再び静かな通りへと戻った。
口の中に残るクルミの余韻とスパイスの香りが、今日という休日の特別な体験を物語っている。
(……さて。お腹も満たされたし…もう少し街の散策を続けよう)
太陽の光を浴びながら、私は軽やかな足取りで、まだ見ぬ裏路地の奥へと歩みを進めた。
(第6話・おわり)
デカ女っていいよね。ユニコーンオーバーロードのアーマリアとかとっても好きです。
後マリアッチは心を見ぬける技術があるので、今のプイの心境やいかに!?