MFG GREAT ––ナスカーの刺客––   作:車っていいなって思うんすよね

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第3話「REUNION!」

「俺は――カナタの従兄弟なんだ!!」

 

「…………はい?」

 

 緒方は目の前の青年を見つめたまま、しばらく固まっていた。

 

 無理もない。

 

 突然、見慣れない外国人の青年が派手なアメリカ車で現れたかと思えば、辿々しい日本語でカナタを探し始めたのだ。

 

 そして今度は、自分がその従兄弟だと言い出した。

 

「え、えっと……ちょっと待ってください。カナタの……従兄弟?」

 

「イエス! カズン! カナタと俺、ファミリーなんだ!」

 

「は、はあ……」

 

「俺、嘘つかないよ! カナタのママ、キャサリン! 俺のママ、オリヴィア! 二人、姉妹なんだ!」

 

「ええっ!?」

 

 そこまで聞いて、緒方はようやく事態を理解した。

 

 つまり、目の前にいるこの金髪の青年は、カナタの母方の従兄弟というわけだ。

 

「なるほど……そういうことだったんですね」

 

「そういうこと! だから、カナタに会いたいんだ!」

 

「分かりました。ちょっと待ってくださいね。今、カナタに連絡してみますから」

 

「オーケー! サンキュー、ミスター緒方!」

 

 緒方がスマートフォンを取り出すと、ベンジャミンは嬉しそうに笑った。

 

 その笑顔には、つい先ほどまでの勢い任せな態度とは違う、どこか子供のような無邪気さがあった。

 

 緒方は連絡先からカナタの名前を選び、通話ボタンを押す。

 

 数回の呼び出し音の後、聞き慣れた声が返ってきた。

 

『もしもし、緒方さん?』

 

「ああ、夏向。今ちょっと大丈夫か?」

 

『はい。どうかしましたか?』

 

「いや、それがさ……お前に会いたいって人が店に来てるんだよ」

 

『僕に、ですか?』

 

「ああ。外国人の男の子なんだけど……名前は、えっと」

 

 緒方が青年に視線を向ける。

 

 すると、ベンジャミンは待ってましたと言わんばかりに胸を張った。

 

「ベンジャミン! ベンジャミン・リヴィントン!」

 

「そうそう、ベンジャミン・リヴィントンっていう……」

 

『えっ!?』

 

 電話の向こうで、カナタの声が跳ね上がった。

 

『今、ベンジャミンって言いました!?』

 

「え? あ、ああ……」

 

『ベンジャミン・リヴィントン!?』

 

「そうだけど……」

 

『緒方さん! その人、まだそこにいますか!?』

 

「ああ、目の前にいるよ」

 

『すぐ行きます!!』

 

「えっ、ちょ、夏向!?」

 

 プツッ。

 

 通話は一方的に切られてしまった。

 

「…………」

 

 スマートフォンを耳に当てたまま、緒方は呆然とする。

 

 いつも穏やかで落ち着いているカナタが、あそこまで興奮した声を出すのは珍しい。

 

 どうやら、この青年が従兄弟だという話は本当らしい。

 

「……すぐ来るってさ」

 

「オー! グレイト!!」

 

 ベンジャミンは満面の笑みを浮かべ、両手を打ち鳴らした。

 

「やっと会えるぜ、カナタ!」

 

 その声には、隠しきれない喜びが滲んでいた。

 

 * * *

 

 それから、しばらくして。

 

 緒方自動車の前に、一台のスポーツカーが姿を現した。

 

 ライトニングレッドのボディ。

 

 低く構えたその車は、今や世界中のモータースポーツファンから注目を集めている一台だった。

 

 トヨタ86GT。

 

 MFG第1戦、小田原パイクスピークで並み居るハイパワーマシンを相手に大健闘を見せた、カナタ・カタギリの愛車である。

 

 その姿を認めた瞬間、ベンジャミンは立ち上がった。

 

「おっ!」

 

 車が停車する。

 

 運転席のドアが開き、一人の青年が飛び出してきた。

 

 黒髪に、整った顔立ち。

 

 テレビの画面越しに見た時よりも、少し大人びた姿。

 

 だが、その面影を見間違えるはずがなかった。

 

 相手もまた、ベンジャミンの姿を見つけた瞬間、目を大きく見開いた。

 

「……ベン!?」

 

「カナタァァァ!!」

 

 次の瞬間。

 

 ベンジャミンは一直線に駆け出していた。

 

「うおおおお! 久しぶりだなぁ、おい!!」

 

「うわっ!?」

 

 勢いよく抱きつかれたカナタが、思わずよろめく。

 

「ハハハッ! 元気だったか!? カナタ!!」

 

「ベン! ちょっと、苦しいよ!」

 

「なんだよ! 久しぶりの再会だってのに、つれねえなぁ!」

 

「そうじゃなくて……!」

 

 言いながらも、カナタは笑っていた。

 

 そして、ベンジャミンの背中に腕を回す。

 

「……久しぶりだね、ベン」

 

「おう!」

 

「本当に……久しぶりだ」

 

 懐かしい顔。

 

 懐かしい声。

 

 最後に会った時よりも背が伸び、身体つきも逞しくなっている。

 

 それでも、底抜けに明るい笑顔は昔のままだった。

 

「ベン、全然変わってないね」

 

「ハァ!? どこがだよ! 俺、昔よりずっとデカくなっただろ!」

 

「うん。身体はね」

 

「おい! それどういう意味だ!?」

 

「ふふっ」

 

「くそっ! 相変わらずだな、お前!」

 

 二人は顔を見合わせ、声を上げて笑った。

 

 先ほどまで辿々しい日本語を話していたベンジャミンだったが、カナタとの会話は自然と英語に切り替わっていた。

 

 幼い頃、何度も顔を合わせ、一緒に遊び回った従兄弟同士。

 

 長い時間が経っても、その距離は少しも変わっていなかった。

 

 少し離れた場所から、その様子を眺めていた緒方は、思わず頬を緩めた。

 

「……本当に従兄弟だったんだなぁ」

 

 どうやら自分は、とんでもなく賑やかな客を迎え入れてしまったらしい。

 

 * * *

 

「それにしても、びっくりしたよ。ベンが日本に来てるなんて」

 

「ハハッ! サプライズ成功ってやつだな!」

 

「いつ来たの?」

 

「昨日だ!」

 

「昨日!?」

 

「おう! 日本に来たばっかりだぜ!」

 

「そうだったんだ……」

 

 緒方自動車の事務所。

 

 用意された椅子に腰を下ろし、二人は向かい合っていた。

 

 緒方が気を利かせて飲み物を持ってきてくれたが、ベンジャミンはそれに手をつけることもなく、カナタとの会話に夢中になっている。

 

「それよりカナタ! MFGのレース、見たぜ!」

 

「えっ、本当?」

 

「もちろん! 小田原パイクスピーク! あの86でポルシェやフェラーリ相手にあそこまでやるなんてな! 最高だったぜ!」

 

「ありがとう」

 

「お前、昔からそうだったもんなぁ。自分よりデカい相手にも、平気で勝負を挑んでさ!」

 

「ベンだって、そうだったじゃないか」

 

「俺はいいんだよ! 俺だからな!」

 

「何それ」

 

「ハハハハッ!」

 

 いつもの調子で豪快に笑うベンジャミン。

 

 だが、ふと。

 

 その笑顔が、少しだけ静かなものに変わった。

 

「……なあ、カナタ」

 

「ん?」

 

「その……ずっと言わなきゃって、思ってたことがあるんだ」

 

 カナタは首を傾げた。

 

 ベンジャミンは視線を落とし、膝の上で両手を組む。

 

 先ほどまでの騒がしさが嘘のようだった。

 

「キャサリン叔母さんのことだ」

 

「…………」

 

 カナタの表情が、わずかに強張った。

 

「……うん」

 

「俺さ……葬式、行けなかっただろ」

 

「…………」

 

「……あの日、どうしても外せないレースがあったんだ」

 

 ベンジャミンは、悔しそうに唇を噛んだ。

 

「すげえ大事なレースだった。チームからも、絶対に出ろって言われてた」

 

「……そうだったんだ」

 

「でも、俺は行きたかったんだよ。キャサリン叔母さんの葬式に」

 

 ベンジャミンは拳を握り締めた。

 

「休ませてくれって頼んだ。何度も頼んだんだ。でも……許してもらえなかった」

 

「…………」

 

「結局、俺はレースに出た。叔母さんの葬式にも行けず、お前のそばにもいてやれなかった」

 

 その声は、いつもの陽気な彼からは想像できないほど静かだった。

 

「……今でも考えるんだ」

 

「……ベン?」

 

「あの時、全部放り出してでも行くべきだったんじゃねえかって」

 

 ベンジャミンは顔を上げた。

 

「本当に、ごめんな。カナタ」

 

 カナタは少しの間、何も言わなかった。

 

 やがて、ゆっくりと首を横に振る。

 

「……謝らないで、ベン」

 

「……カナタ?」

 

「ベンが、そんなふうに思ってくれてたなんて……知らなかった」

 

 カナタは穏やかに微笑んだ。

 

「でも、僕は大丈夫だよ。ベンが僕のことを心配してくれてたのは、ちゃんと分かってるから」

 

「…………」

 

「それに……こうして、また会えたじゃないか」

 

 ベンジャミンは目を瞬かせた。

 

 そして、小さく息を吐く。

 

「……ったく。お前って奴は」

 

 困ったように笑いながら、ベンジャミンは天井を見上げた。

 

 あの時、どうするべきだったのか。

 

 その答えは、今でも分からない。

 

 けれど。

 

 目の前の従兄弟が、こうして自分を迎えてくれた。

 

 それだけで、少しだけ胸のつかえが取れた気がした。

 

「……元気にしてたか?」

 

「うん」

 

「無理してねえか?」

 

「大丈夫だよ。元気にしてる」

 

「本当だな?」

 

「本当だって」

 

「……そうか」

 

 ベンジャミンはようやく安堵したように息を吐いた。

 

「メイもさ、すげえ心配してたんだぜ」

 

「メイが?」

 

「おう。実はあいつも今、日本にいるんだ」

 

「えっ!? メイも!?」

 

「そうそう。仕事の関係で、俺より先に日本に来ててさ」

 

「そうだったんだ……」

 

「ま、あいつは相変わらず忙しそうだけどな!」

 

 ベンジャミンは肩をすくめた。

 

「でも、お前のことはずっと気にしてたぜ。カナタは元気なのか、ちゃんと飯食ってるのか、困ってないかってな」

 

「……そっか」

 

 カナタは少しだけ目を伏せた。

 

 メイの顔が、懐かしく思い出される。

 

 幼い頃から、何かと自分の世話を焼いてくれた年上の従姉。

 

 そんな彼女にも、長い間心配をかけてしまっていたのだ。

 

「……ごめんね、ベン」

 

「あ?」

 

「ベンにも、メイにも。心配かけちゃって」

 

「何言ってんだよ!」

 

 ベンジャミンは笑いながら、カナタの肩を叩いた。

 

「家族なんだから、心配するのは当たり前だろ!」

 

「……うん」

 

「メイにも伝えとくぜ。カナタは元気だったってな!」

 

「ありがとう。僕からも連絡するよ」

 

「おう! そうしてやってくれ!」

 

 そこで、カナタはふと何かを思い出したように顔を上げた。

 

「そういえば……」

 

「ん?」

 

「オリヴィア叔母さんは元気?」

 

「…………」

 

 その瞬間。

 

 ベンジャミンの笑顔が、止まった。

 

 * * *

 

「……ベン?」

 

 突然黙り込んだ従兄弟を見て、カナタは不思議そうに首を傾げた。

 

 ベンジャミンは何かを言おうとして、口を開く。

 

 だが、言葉が出てこなかった。

 

「……ベン、どうしたの?」

 

「……カナタ」

 

 その声は、ひどく静かだった。

 

「……お前、知らないんだな」

 

「え?」

 

 ベンジャミンは視線を落とした。

 

 胸の奥が、じわりと痛んだ。

 

 カナタが知らないことは、分かっていた。

 

 祖父母からも、そう聞いていた。

 

 キャサリンが亡くなった後、カナタはひどく塞ぎ込んでいたという。

 

 ただでさえ母親を失った悲しみに苦しんでいる孫に、これ以上辛い知らせを届けたくない。

 

 そう考えた祖父母は、オリヴィアの死を伝えなかった。

 

 ベンジャミンも、メイも、その気持ちは理解していた。

 

 だから、二人もカナタには知らせずにいた。

 

 だが――。

 

 いつまでも、隠しておけることではない。

 

「……カナタ。落ち着いて聞いてくれ」

 

「…………?」

 

「ママは……オリヴィアは、もういないんだ」

 

「…………え?」

 

 カナタの表情が、凍りついた。

 

「……どういう、こと?」

 

 ベンジャミンは、一度だけ深く息を吸った。

 

「キャサリン叔母さんが亡くなった後……ママ、すげえショック受けちまってさ」

 

「…………」

 

「それからずっと、体調を崩してたんだ」

 

 言葉を選びながら、ゆっくりと続ける。

 

「……一年前に、亡くなった」

 

「…………」

 

 カナタは、何も言わなかった。

 

 いや。

 

 何も、言えなかった。

 

 オリヴィア。

 

 母キャサリンの妹であり、自分にとっても大切な叔母だった。

 

 明るく、優しく、いつも笑っていた人。

 

 幼い頃、ベンやメイと遊び回っていた自分たちを、キャサリンと一緒に見守ってくれていた人。

 

 そんな叔母が、もうこの世にいない。

 

「……そんな」

 

 ようやく絞り出した声は、ひどく小さかった。

 

「……僕、知らなかった」

 

「……ああ」

 

「誰も……教えてくれなかったから……」

 

「じいちゃんたちがさ、お前にこれ以上辛い思いをさせたくなかったんだよ」

 

 ベンジャミンは静かに続ける。

 

「俺もメイも、その気持ちは分かった。だから……黙ってたんだ」

 

「…………」

 

「ごめんな、カナタ」

 

 カナタは首を横に振った。

 

「……違うよ」

 

「ん?」

 

「謝るのは……僕の方だ」

 

「……カナタ?」

 

「ベンも、メイも……きっと、すごく辛かったのに」

 

 カナタの声が、わずかに震えた。

 

「僕は……何も知らなくて……」

 

「…………」

 

「……ごめん、ベン」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 

 ベンジャミンは、思い切り眉をひそめた。

 

「……おいおい」

 

「…………?」

 

「何でお前が謝るんだよ」

 

「だって……」

 

「だっても何もねえだろ!」

 

 ベンジャミンはカナタの肩に手を置いた。

 

「お前が悪いことなんて、一つもねえよ」

 

「……ベン」

 

「キャサリン叔母さんが亡くなって、お前だってすげえ辛かっただろ。そんな時に、ママのことまで聞かされたら……」

 

 そこまで言って、言葉を切る。

 

 それから、困ったように笑った。

 

「……だからさ。もう、謝るのはなしだ」

 

「…………」

 

「俺も謝らねえ。お前も謝らねえ。それでいいだろ?」

 

 カナタは、しばらくベンジャミンを見つめていた。

 

 やがて、小さく頷く。

 

「……うん」

 

「よし!」

 

 ベンジャミンは満足げに笑った。

 

 そして、ふと天井を見上げる。

 

「……それにな」

 

「……?」

 

「きっと今頃、キャサリン叔母さんとママは、天国で一緒に俺たちを見てるさ!」

 

「…………」

 

「二人とも、昔から仲良かっただろ? だから、向こうでも仲良くやってるに決まってる!」

 

 ベンジャミンは、いつもの豪快な笑みを浮かべた。

 

「で、俺たちがレースで派手に暴れたら、きっと大騒ぎするんだぜ!」

 

「……大騒ぎ?」

 

「おう! 『あの子たち、また無茶して!』ってな!」

 

「……ふふっ」

 

「特にうちのママなんか、絶対そう言うぜ! 俺がレースで勝った時だって、喜ぶより先に『危ない走りをするな!』って怒ってたからな!」

 

「……そうだったね」

 

「キャサリン叔母さんも、きっと同じだろ?」

 

「うん……きっと」

 

 カナタの脳裏に、懐かしい光景が浮かんだ。

 

 幼い自分たち。

 

 笑いながら追いかけてくる母たち。

 

 そして、何か悪戯をするたびに聞こえてきた、二人の声。

 

 もう二度と戻らない時間。

 

 けれど、その思い出まで失われたわけではない。

 

「……ありがとう、ベン」

 

「おう!」

 

 カナタは、少しだけ笑った。

 

 その表情を見て、ベンジャミンもまた笑う。

 

 悲しいことは、悲しい。

 

 母親を失った痛みが、簡単に消えるはずもない。

 

 それでも。

 

 こうして再び顔を合わせ、昔のように笑い合えることが、今は何より嬉しかった。

 

 * * *

 

「……よし!」

 

 しばらくして。

 

 ベンジャミンは突然、両手で自分の頬を叩いた。

 

 パンッ! と小気味よい音が響く。

 

「うおっ!?」

 

 少し離れた場所で書類を整理していた緒方が、驚いて振り返った。

 

「な、何ですか!?」

 

「オーケー! 湿っぽい話、これで終わりだ!」

 

「……ベン?」

 

 カナタが目を瞬かせる。

 

 ベンジャミンは勢いよく立ち上がると、両手を腰に当てた。

 

「カナタ! 実は俺、お前にもう一つ話があるんだ!」

 

「話?」

 

「おう! とびっきりのニュースだぜ!」

 

 その表情を見て、カナタは思わず笑った。

 

「……何だか、嫌な予感がするなぁ」

 

「何でだよ!?」

 

「ベンがそういう顔をしてる時って、大抵とんでもないことを言い出すから」

 

「ハハハッ! よく分かってんじゃねえか!」

 

 ベンジャミンは胸を張った。

 

 そして。

 

「俺も――MFGに出ることにしたんだ!!」

 

「…………」

 

 カナタの動きが、ぴたりと止まった。

 

「…………え?」

 

「だから! 俺もMFGにエントリーしたんだよ!」

 

「……えええええっ!?」

 

 今度はカナタが声を上げる番だった。

 

「ベンが!? MFGに!?」

 

「おう!」

 

「本当に!?」

 

「本当だって! もうエントリーも済ませたぜ!」

 

「いつの間に!?」

 

「昨日!」

 

「昨日!?」

 

 カナタは思わず立ち上がった。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ! 昨日日本に来たばかりなんだよね!?」

 

「おう!」

 

「それで、もうMFGにエントリーしたの!?」

 

「イエース!」

 

 あまりにも堂々とした返事だった。

 

 カナタは一瞬、言葉を失う。

 

 そして。

 

「……あははっ!」

 

 堪えきれずに笑い出した。

 

「やっぱりベンだ!」

 

「あ?」

 

「本当に、昔から変わってないね!」

 

「だから何なんだよ、それ!」

 

「だって、あまりにも突然なんだもん!」

 

「ハハハハッ! 人生ってのは勢いが大事なんだぜ!」

 

「もう……!」

 

 そう言いながらも、カナタの顔には嬉しそうな笑みが浮かんでいた。

 

 ベンジャミンが、MFGに参戦する。

 

 それはカナタにとっても、思いがけない知らせだった。

 

 幼い頃から、誰よりも速く走ることに夢中だった従兄弟。

 

 アメリカでカートやクォーターミジェットに乗り、成長してからはフォーミュラカーやストックカーのレースでも結果を残してきた。

 

 そんな彼が、自分と同じ舞台に立つ。

 

 驚かないはずがない。

 

「……でも、嬉しいよ」

 

「おっ?」

 

「ベンと一緒にレースができるなんて、思ってなかったから」

 

 カナタは笑った。

 

「すごく楽しみだ」

 

「……へっ!」

 

 ベンジャミンは得意げに鼻を鳴らした。

 

「言っとくけど、俺は遊びに来たんじゃねえぜ?」

 

「うん」

 

「勝ちに来たんだ!」

 

「……うん!」

 

「お前が相手だろうが、容赦しねえからな!」

 

 カナタは、その言葉に少しだけ目を細めた。

 

 そして、はっきりと答える。

 

「もちろん。僕も全力で走るよ」

 

 二人の間に、かつて何度も交わした勝負の空気が戻ってきた。

 

 * * *

 

「……えええええええっ!?」

 

 それまで二人の会話を遠巻きに見守っていた緒方が、素っ頓狂な声を上げた。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!!」

 

「ん?」

 

 ベンジャミンが振り返る。

 

「今、MFGに出るって言いました!?」

 

「オー! イエス、ミスター緒方!」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

「もちろん! 俺、もうエントリーしました!」

 

「ええっ!?」

 

 緒方は思わず頭を抱えた。

 

 カナタの従兄弟が突然現れただけでも十分驚きなのに、その従兄弟までMFGに参戦するという。

 

 しかも、エントリー済み。

 

「えっと……ちなみに、いつから出るつもりなんですか?」

 

「ネクストレース!」

 

「……ネクスト?」

 

「次! 次のレースから!」

 

「次って……」

 

 緒方は恐る恐る尋ねた。

 

「……芦ノ湖GT?」

 

「イエス!!」

 

「マジかぁ……」

 

 思わず、椅子の背もたれに身体を預ける。

 

 神奈川県の芦ノ湖周辺を舞台に開催される、MFG第2戦。

 

 芦ノ湖GT。

 

 そのレースに、目の前の青年が参戦するというのだ。

 

「でも、すごいね、ベン!」

 

 カナタは素直に感心していた。

 

「もうエントリーできたんだ」

 

「おう! 手続きはメイがやってくれたからな!」

 

「メイが?」

 

「そうそう。今回の俺のスポンサーも、メイなんだぜ!」

 

「へえ……!」

 

「金のことは心配すんなってさ! ありがたい話だろ?」

 

 ベンジャミンは嬉しそうに笑った。

 

 緒方はそこで、ふと疑問を抱く。

 

「そういえば、ベンジャミンさん」

 

「イエス?」

 

「MFGに出るってことは……もしかして、外に停まってるあのカマロで?」

 

「おっ!」

 

 その質問に、ベンジャミンはニヤリと笑った。

 

「……見たい?」

 

「え?」

 

「俺のマシン! 見たい?」

 

「いや、さっき少し見ましたけど……」

 

「じゃあ、もっと見せるぜ!」

 

 そう言うが早いか、ベンジャミンは事務所のドアへと向かった。

 

「カモン! カナタ! ミスター緒方!」

 

「ちょ、ちょっと!」

 

 慌てて後を追う緒方。

 

 カナタも笑いながら、その後に続いた。

 

 * * *

 

「…………」

 

 緒方自動車の駐車スペース。

 

 そこに停められていた一台の車を前に、カナタは目を丸くしていた。

 

「……ワオ」

 

 思わず英語が漏れる。

 

 ターコイズグリーンの鮮やかなボディ。

 

 低く長いボンネットに、力強く張り出したフェンダー。

 

 そして、見る者を威圧するような精悍なフロントフェイス。

 

 その車こそ――。

 

 シボレー・カマロSS。

 

 アメリカを代表する、マッスルカーの一台である。

 

「どうだ!!」

 

 ベンジャミンは愛車の前で、両手を大きく広げた。

 

「こいつが、俺の相棒だ!!」

 

「……カマロ!」

 

 カナタが驚きの声を上げる。

 

「ベン、カマロで走るの!?」

 

「おう! シボレー・カマロSSだ!」

 

 ベンジャミンは嬉しそうにボンネットを叩いた。

 

「6.2リッター! 自然吸気V8! 453馬力! こいつは最高のアメリカンマッスルだぜ!」

 

「すごい……!」

 

「しかも10速オートマチック! 今のアメ車を舐めんなよ? シフトだって、なかなか賢いんだぜ!」

 

 ベンジャミンは、まるで自分のことのように自慢する。

 

 そんな彼を見ながら、カナタは興味深そうに車体を眺めていた。

 

「……FRなんだね」

 

「おう!」

 

「大きいなぁ……」

 

「ハハッ! アメリカンサイズだからな!」

 

 カナタは車の周囲をゆっくりと歩く。

 

 フロントからリアへ。

 

 タイヤ、ホイール、ブレーキ。

 

 そして、車体全体のプロポーション。

 

 その視線は、ただ珍しい車を眺めているものではなかった。

 

「……面白そうな車だね」

 

「だろ!?」

 

「うん。でも、MFGだと結構難しいかもしれない」

 

「お?」

 

「パワーは十分だけど……車重もあるから」

 

 カナタは考え込むように顎へ手を添えた。

 

「グリップウェイトレシオを考えると、タイヤの使い方が重要になりそうだね」

 

「へへっ……」

 

 ベンジャミンは、その言葉に口元を緩めた。

 

「そういうところ、相変わらずだな!」

 

「え?」

 

「お前ってさ、昔から車を見たら、すぐ走らせること考えるよな!」

 

「……ベンだってそうでしょ?」

 

「そりゃそうだ!」

 

 二人は笑い合った。

 

 一方。

 

 その隣では、緒方が別の意味で頭を抱えていた。

 

「……カマロSSかぁ」

 

 大排気量V8エンジンを搭載した、アメリカ製のマッスルカー。

 

 日本の峠道を舞台にしたMFGで、その重量級の車体をどう扱うのか。

 

 しかも、今から第2戦に参戦するというのだ。

 

「すごい車ですね……」

 

「サンキュー、ミスター緒方!」

 

「でも……大丈夫なんですか?」

 

「ん?」

 

「この車、MFGを走るんですよね?」

 

「イエス!」

 

「メカニックの方は?」

 

 その言葉に。

 

 ベンジャミンは、ピタリと動きを止めた。

 

「…………」

 

「…………?」

 

 数秒の沈黙。

 

 そして。

 

「……あっ!」

 

「……え?」

 

 緒方の背筋に、嫌な予感が走った。

 

「そうだ! それだよ!」

 

「……はい?」

 

「俺、それでここに来たんだった!!」

 

「…………」

 

 緒方は、天を仰いだ。

 

「……まさか」

 

 そのまさかだった。

 

「ミスター緒方!!」

 

「は、はい!?」

 

「俺、メカニックいないんだ!!」

 

「えええええええっ!?」

 

 緒方自動車の前に、再び大きな叫び声が響き渡った。

 

 * * *

 

「……つまり」

 

 事務所に戻った緒方は、額に手を当てながら話を整理していた。

 

「MFGへのエントリーは済んでいて、車もある。だけど、メカニックがいない……と」

 

「イエス!」

 

「……それで、うちに?」

 

「イエス!」

 

 ベンジャミンは元気よく頷いた。

 

「カナタのメカニック、ミスター緒方だって聞いた! だから、相談したかったんだ!」

 

「なるほど……」

 

 緒方は腕を組む。

 

 確かに、自分はカナタの86の整備を担当している。

 

 しかし、だからといって、すぐにもう一台のMFG参戦車両を引き受けられるわけではない。

 

 それも、車種はカマロSS。

 

 日本車とは勝手の違う、重量級のアメリカ車だ。

 

「うーん……」

 

 緒方が考え込んでいると、カナタが口を開いた。

 

「緒方さん」

 

「ん?」

 

「何か、いい方法はありませんか?」

 

「……そうだなぁ」

 

 緒方は少し考えてから、顔を上げた。

 

「俺一人で二台を見るのは、正直厳しいと思うんだよね」

 

「…………」

 

「でも……相談できそうな人なら、一人いる」

 

「え?」

 

 ベンジャミンとカナタが、同時に反応する。

 

「奥山さんだよ」

 

「……ミスター奥山?」

 

 ベンジャミンが首を傾げた。

 

「奥山広也さん。スパイラル・ゼロっていうショップをやってる人なんだ」

 

 緒方は説明を続けた。

 

「特に足回りのセッティングに関しては、すごく腕のいいチューナーなんだよ」

 

「オー……!」

 

「今、俺たちも86のことで相談してるんだ」

 

「なるほど……」

 

 カナタも頷いた。

 

 確かに、奥山の技術があれば、カマロのような車でも何か活路を見出せるかもしれない。

 

 もっとも、受けてもらえるかどうかは別問題だが。

 

「……ちょっと電話してみるよ」

 

「本当か!?」

 

「ああ。ただし、受けてくれるかは分からないからね?」

 

「オーケー! それでも助かるよ、ミスター緒方!」

 

 緒方はスマートフォンを取り出し、奥山の連絡先を呼び出した。

 

 数回の呼び出し音。

 

 やがて、落ち着いた男性の声が聞こえてきた。

 

『……緒方か。どうした?』

 

「あ、奥山さん。お疲れ様です」

 

『おう。何かあったのか?』

 

「実は、ちょっと相談したいことがありまして……」

 

『相談?』

 

「ええ。MFGに参戦するっていうドライバーが、うちに来てるんですけど……」

 

『ほう』

 

「メカニックがいないらしくて。できれば、奥山さんにも協力してもらえないかと思いまして」

 

『……ちょっと待て』

 

 電話の向こうで、奥山が怪訝そうな声を出した。

 

『今からMFGに出ようって奴が、メカニックも決めてないのか?』

 

「……はい」

 

『随分と無茶な話だな』

 

「俺もそう思います……」

 

 緒方は苦笑した。

 

『で、車は何だ?』

 

「ああ、それが……」

 

 緒方は一度、窓の外へ視線を向けた。

 

 ターコイズグリーンの大きな車体。

 

 今まで見慣れてきた86とは、まるで違うシルエット。

 

「……シボレー・カマロSSです」

 

『…………』

 

 沈黙。

 

『……は?』

 

「カマロです。アメリカの」

 

『いや、それは分かるが……』

 

 電話の向こうから、深いため息が聞こえてきた。

 

『また随分と面白い車を持ち込んできたな……』

 

「ははは……」

 

『で、そいつは本気なのか?』

 

「……え?」

 

『MFGで勝つつもりがあるのかって聞いてるんだ』

 

 緒方は、ちらりとベンジャミンを見た。

 

 目が合う。

 

 ベンジャミンは不思議そうに首を傾げた。

 

「……あの、ベンジャミンさん」

 

「イエス?」

 

「奥山さんが聞いてるんですけど……本気でMFGを走るつもりなんですよね?」

 

 その質問に。

 

 ベンジャミンは、一瞬だけ目を丸くした。

 

 そして。

 

「……当たり前だろ?」

 

 それまでとは違う、低い声で答えた。

 

「俺は、勝ちに来たんだ」

 

「…………」

 

「遊びじゃない。レースをするために日本まで来た」

 

 真っ直ぐな瞳。

 

 その表情には、先ほどまでの陽気な青年の面影が薄れていた。

 

「だから、クルマもメカニックも、ちゃんとしたい」

 

 ベンジャミンは続けた。

 

「俺の相棒を、最高の状態にしてほしいんだ」

 

 緒方は思わず息を呑んだ。

 

 そして、スマートフォンへ向き直る。

 

「……奥山さん」

 

『ああ』

 

「本気みたいです」

 

『……そうか』

 

 しばらくの沈黙。

 

 やがて。

 

『……いいだろう』

 

「えっ!?」

 

『ただし、まずは実車を見せてもらう』

 

「あ、はい!」

 

『車の状態も分からないのに、安請け合いはできんからな』

 

「もちろんです!」

 

『それに、あの重量とパワーだ。足回りやブレーキがどうなってるか、確認する必要がある』

 

 奥山の声には、すでに職人としての鋭さが宿っていた。

 

『実車を見て、どこまでやれるか判断する。それでいいなら、話を聞こう』

 

「ありがとうございます、奥山さん!」

 

『礼はまだ早いぞ。引き受けるかどうかは、それからだ』

 

「はい!」

 

『詳しいことは、また連絡してくれ』

 

「分かりました!」

 

 通話が切れる。

 

 緒方はスマートフォンを下ろすと、大きく息を吐いた。

 

「……ふう」

 

「ミスター緒方!」

 

 待ちきれない様子で、ベンジャミンが身を乗り出す。

 

「どう!? どうだった!?」

 

「えっと……とりあえず、車を見てもらえることになりました」

 

「……おおっ!」

 

「ただし、実車を確認してから判断するそうです」

 

「オーケー!!」

 

 ベンジャミンは勢いよく立ち上がった。

 

「グレイト!! 最高だぜ!!」

 

「わっ!?」

 

 緒方が驚いて身を引く。

 

 そんな彼の手を、ベンジャミンはがっしりと握った。

 

「サンキュー! サンキュー、ミスター緒方!!」

 

「い、いや、まだ決まったわけじゃ……!」

 

「それでも助かった! 本当にありがとう!」

 

 何度も手を上下に振られ、緒方は苦笑するしかなかった。

 

 その様子を、カナタは楽しそうに眺めていた。

 

 * * *

 

「……あっ、そうだ!」

 

 ひとしきり喜んだ後、ベンジャミンは何かを思い出したように顔を上げた。

 

「ミスター緒方!」

 

「は、はい?」

 

「一つ、大事なこと!」

 

「……何でしょう?」

 

 ベンジャミンは真剣な表情になった。

 

「メンテナンスのお金、ちゃんと払います」

 

「……え?」

 

「タダでお願いするつもり、ないです」

 

 今度は、慎重に言葉を選びながら話し始める。

 

「部品代も、作業のお金も、必要なお金は払います」

 

「…………」

 

「メイがスポンサーだから、予算のことも相談できる」

 

 ベンジャミンは、緒方の目を真っ直ぐに見つめた。

 

「だから……ちゃんと仕事として、お願いしたいです」

 

 その言葉を聞いて、緒方は少し驚いた。

 

 先ほどまでの勢い任せな言動から、正直なところ、もっと軽い考えで頼みに来たのかと思っていた。

 

 しかし、どうやら違うらしい。

 

 この青年は、自分が何を頼もうとしているのか、きちんと理解している。

 

「……分かりました」

 

 緒方は頷いた。

 

「費用についても、奥山さんと相談してから決めましょう」

 

「オーケー!」

 

「それと、俺もカナタの86を担当してるんで、そっちを優先しなきゃいけない時もあると思います」

 

「もちろん! それ、当たり前!」

 

「だから、二台をどういう体制で見るか、ちゃんと話し合う必要がありますね」

 

「イエス! 問題ないです!」

 

 ベンジャミンは笑った。

 

「俺、ちゃんと協力します!」

 

「……ははっ」

 

 緒方も、つられて笑った。

 

「よろしくお願いします、ベンジャミンさん」

 

「オー! こちらこそ!」

 

 差し出された手を、ベンジャミンは力強く握り返した。

 

 こうして。

 

 緒方自動車とスパイラル・ゼロを中心に、ベンジャミンのカマロSSをサポートするための話が動き始めた。

 

 もちろん、まだ正式にすべてが決まったわけではない。

 

 車の確認も、整備方針の検討も、これからだ。

 

 だが、少なくとも。

 

 ベンジャミンは、日本で戦うための大きな一歩を踏み出したのである。

 

 * * *

 

 夕方。

 

 緒方自動車の前には、二台のスポーツカーが並んでいた。

 

 一台は、ライトニングレッドのトヨタ86GT。

 

 もう一台は、ターコイズグリーンのシボレー・カマロSS。

 

 日本とアメリカ。

 

 軽量なスポーツカーと、大排気量のマッスルカー。

 

 その成り立ちも、目指した方向性も、まるで違う二台だった。

 

「……こうして並べると、すごいね」

 

 カナタが呟いた。

 

「ん?」

 

「僕の86と、ベンのカマロ」

 

「ハハッ! だろ!?」

 

 ベンジャミンは得意げに胸を張った。

 

「どうだ! 俺のカマロ、迫力あるだろ!」

 

「うん。すごく大きい」

 

「おい! 褒めるところ、そこだけかよ!」

 

「ふふっ」

 

「ったく……!」

 

 ベンジャミンは呆れたように笑った。

 

 それから、86へと視線を移す。

 

「……でもよ」

 

「ん?」

 

「まさか、お前がこの車でMFGを走ってるとはな」

 

「……86?」

 

「おう」

 

 ベンジャミンは、赤い車体を眺めた。

 

「第1戦、すげえ走りだったぜ」

 

「ありがとう」

 

「特にコーナーの攻め方な。あれ見た時、思わず叫んじまったよ」

 

「そんなに?」

 

「おう! 飛行機の中だったのに、つい声が出ちまってさ!」

 

「ええっ!?」

 

「周りの客に、すげえ睨まれた!」

 

「あははっ!」

 

 二人は声を上げて笑った。

 

 ひとしきり笑った後、ベンジャミンは86のボンネットへ視線を落とした。

 

「……でも、正直驚いた」

 

「……?」

 

「お前が、あんなに速くなってるなんてな」

 

 カナタは少しだけ目を瞬かせた。

 

「……ベン」

 

「昔から速かったけどよ。今のお前は、もっとすげえ」

 

 ベンジャミンは、ニヤリと笑った。

 

「こりゃ、俺も本気出さなきゃ勝てねえな!」

 

「……ふふっ」

 

「何だよ?」

 

「いや……」

 

 カナタは微笑んだ。

 

「ベンにそう言ってもらえるの、嬉しいなって」

 

「……へっ」

 

 ベンジャミンは、照れ隠しのように鼻を鳴らした。

 

「ま、褒めるのはここまでだけどな!」

 

「え?」

 

「次は、俺がお前を驚かせる番だぜ!」

 

 そう言って、カマロのボンネットを軽く叩く。

 

「こいつでな!」

 

 その声には、絶対の自信が満ちていた。

 

 カナタは、静かに頷く。

 

「……楽しみにしてるよ」

 

「おう!」

 

 そこで、ベンジャミンはふと真面目な表情になった。

 

「……なあ、カナタ」

 

「ん?」

 

「お前とこうして、また一緒にレースができるなんて……正直、思ってなかったぜ」

 

「……僕もだよ」

 

「昔は、よく勝負したよな」

 

「うん」

 

「カートでも、ゲームでも、何でもさ」

 

「ベン、負けるとすぐにもう一回って言うんだもん」

 

「うるせえ! 負けっぱなしなんて嫌だろ!」

 

「ふふっ」

 

「……ったく」

 

 ベンジャミンは笑った。

 

 そして、少しだけ空を見上げる。

 

 夕暮れの空。

 

 オレンジ色に染まり始めた雲の向こうに、二人の母親の姿を思い浮かべた。

 

 キャサリン。

 

 オリヴィア。

 

 二人とも、もうこの世にはいない。

 

 それでも。

 

 きっと、見ていてくれる。

 

 自分たちが、再び同じ道を走り始めたことを。

 

「……なあ、カナタ」

 

「……何?」

 

「俺たち、いいレースしようぜ」

 

 カナタは、ベンジャミンを見つめた。

 

 いつものように豪快で、自信満々で。

 

 だけど、どこか優しい笑顔。

 

 その顔を見て、カナタもまた微笑んだ。

 

「……うん!」

 

「へへっ……!」

 

 ベンジャミンは右手を差し出した。

 

「手加減なんかしないからな!」

 

 カナタも、迷わずその手を握る。

 

「もちろん。僕だって負けるつもりはないよ」

 

 がっしりと握り合わされた手。

 

 その瞬間。

 

 二人の間に流れていた懐かしい空気が、少しだけ変わった。

 

 家族として。

 

 幼い頃から親しかった従兄弟として。

 

 そして――。

 

 同じ舞台で勝利を目指す、レーシングドライバーとして。

 

 二人は、互いを見つめ合った。

 

「……楽しみだぜ、カナタ!」

 

「僕もだよ、ベン!」

 

 夕陽が、二台のスポーツカーを照らしていた。

 

 日本が誇る、小さな赤いスポーツカー。

 

 アメリカが生んだ、大排気量のマッスルカー。

 

 その二台が、これから同じ舞台に立つ。

 

 MFG第2戦。

 

 芦ノ湖GT。

 

 大排気量V8エンジンを武器に、アメリカからやってきた一人の青年。

 

 ベンジャミン・リヴィントン。

 

 エントリーナンバー、283。

 

 そして、世界中のファンを驚かせた、若き天才ドライバー。

 

 カナタ・カタギリ。

 

 幼い頃から何度も競い合ってきた二人が、今度は世界最高峰の公道レースで激突する。

 

 その日が、すぐそこまで迫っていた。

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