自由気ままな狐のヒーローアカデミア 作:沖ノ鳥島産ポテチ
昼時のリビングには、テレビの音だけが響いていた。
『もう大丈夫! なぜなら、私が来た!』
画面の中で、平和の象徴オールマイトが堂々とした姿でヴィランの前に立っていた。逃げ場を失ったヴィランを瞬く間に制圧し、周囲の人々から歓声を浴びる。その姿は、まさに人々が憧れるヒーローそのものだった。
「相変わらず派手だねぇ、オールマイト」
ソファに身体を預けながら、
白い髪に、鮮やかな赤い瞳。頭から伸びる狐耳は外側が白く、内側は赤い。背後では三本のふわふわした白い尻尾が、気ままに揺れていた。
身長は百三十八センチ。十五歳という年齢を知らなければ、幼い子供と見間違えられても不思議ではない容姿だ。
しかし、その表情や仕草には、見た目に反して落ち着いた余裕がある。ゆったりとした雰囲気をまといながらも、赤い瞳は好奇心に満ちていた。
狐雨真はテーブルに置かれたお菓子をひとつ口に運び、テレビの続きを眺める。
「ヒーローかぁ……。人助けをするのは嫌いじゃないけど、毎日あんなに忙しいのは大変そうだなぁ」
オールマイトが記者たちに囲まれ、笑顔で質問に答えている。
狐雨真は頬杖をつき、尻尾を揺らした。
「まあ、僕は僕らしくやればいいか。堅苦しいのは性に合わないしね」
そう言って小さく笑う。
彼はあまり細かいことを気にしない。面白そうなことには積極的に首を突っ込むし、多少の問題ならどうにかなると考えている。楽観的で自由奔放。それでいて、周囲の人間をよく見ており、困っている相手を放っておけない一面もあった。
もっとも、今の彼が考えていることは、ヒーローの在り方よりも別の問題だった。
「……そろそろ、お昼かな」
ぐぅ、と腹の虫が鳴く。
狐雨真は自分のお腹に視線を落とし、それからキッチンの方を見た。
「愛美、まだかなぁ。お昼は一緒に食べようって話だったんだけど」
スマートフォンを手に取って時間を確認する。帰ってくる予定の時刻までは、もう少しあった。
「まあ、急かすのも悪いしね。帰ってきたら、温かいご飯でも食べようかな」
そう呟いて、再びソファに身体を預けた。
そのとき、玄関の方から鍵の開く音が聞こえてきた。
「ただいまー!」
明るく弾んだ声が家の中に響く。
狐雨真の耳が、ぴくりと動いた。
「おっ、帰ってきた」
彼はスマートフォンをテーブルに置き、リビングの入り口へ視線を向ける。
ほどなくして、相場愛美が姿を現した。
「狐雨真、ただいま! 待たせちゃった?」
「おかえり、愛美。ううん、そんなに待ってないよ。テレビを見てたら、あっという間だったしね」
狐雨真は穏やかに微笑み、彼女へ手を差し伸べた。
「それより、お疲れさま。今日はどうだった?」
「んー、ちょっと疲れたけど、まあまあかな。帰ってきたら狐雨真がいると思ったら、早く帰りたくなっちゃった」
愛美はそう言って、彼の隣へ歩み寄る。
その顔には、帰宅した安堵と親しみが浮かんでいた。
狐雨真は彼女の表情を眺め、ふっと目を細めた。
「そっか。それは嬉しいな。僕も愛美が帰ってくるの、楽しみにしてたんだよ」
「ほんと?」
「ほんと。愛美がいないと、ちょっと静かすぎるからね」
「ふふっ、なにそれ。私、そんなに騒がしい?」
「うーん……どうだろう。元気なのは間違いないね」
「もう、そこは否定してよ!」
愛美が軽く狐雨真の肩を叩く。
狐雨真は楽しそうに笑い、彼女の手をそっと握った。
「冗談だよ。愛美の元気な声を聞くと、こっちまで楽しくなるんだ」
あまりにも自然に言われたものだから、愛美は一瞬言葉に詰まっ た。
「……そういうところ、ずるいよね」
「そうかな?」
「そうだよ。何でもない顔で、そういうこと言うんだもん」
愛美は頬を少し赤くしながら、狐雨真の隣に腰を下ろした。
「ねえ、狐雨真」
「ん?」
「ちょっと、くっついてもいい?」
狐雨真は瞳を細めたあと、柔らかな笑みを浮かべた。
「もちろん。むしろ、僕からお願いしたいくらいだよ」
愛美は嬉しそうに笑い、彼の肩へ寄りかかった。
狐雨真も彼女の身体をそっと抱き寄せる。愛美の頭が肩に収まると、彼はその髪を優しく撫でた。
「今日は頑張ったんだね。帰ってきたんだから、今くらいはゆっくりしていいんだよ」
「……うん。ありがと」
愛美は安心したように目を閉じた。
狐雨真の白い狐耳が、彼女の髪に触れる。愛美はそれに気づくと、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ねえ、この耳、触ってもいい?」
「いいけど、優しくね。そこ、結構敏感なんだから」
「へえ……?」
愛美の指先が、狐耳の付け根をそっと撫でる。
ぴくん、と耳が跳ねた。
「……ん、愛美。そこはちょっとくすぐったいよ」
「わっ、本当に動いた!」
「そりゃあ動くよ。飾りじゃないんだから」
狐雨真は少しだけ困った顔をする。しかし、愛美が楽しそうに笑っているのを見ると、結局自分も笑ってしまった。
「もう。そんなに面白い?」
「だって、狐雨真の耳って正直なんだもん。嬉しいときも、びっくりしたときも、すぐ動くし」
「……それ、あんまり観察しないでほしいなぁ」
「えー、どうして?」
「愛美にばかり見られると、なんだか調子が狂うから」
狐雨真は彼女の額を指先で軽くつついた。
「ほら、耳の観察はここまで。そろそろお昼にしよう?」
「はーい。実は私もお腹すいてるんだ」
「それなら、ちょうどいいね。僕もかなり空いてる」
「狐雨真の場合、かなりどころじゃない気がするけど?」
「むぅ……。僕だって、いつもそんなに食べてるわけじゃないよ?」
「昨日、おかわり何回したっけ?」
「……昨日は昨日、今日は今日!」
愛美は声を上げて笑った。
「はいはい。じゃあ、今日は何が食べたい?」
狐雨真は少し考える素振りを見せてから、ぱっと顔を上げた。
「お肉がいいな。あと、ご飯も多めで!」
「やっぱりいっぱい食べるんじゃん!」
「だって、愛美の作るご飯はおいしいからね。ついつい食べたくなっちゃうんだよ」
「……もう。そんなふうに褒められたら、断れないじゃん」
愛美は照れくさそうに笑い、キッチンへ向かった。
狐雨真も立ち上がろうとしたが、愛美が振り返って彼を制した。
「狐雨真は座ってていいよ。私が用意するから」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えようかな。でも、何か手伝えることがあったら言ってね」
「うん、ありがと」
愛美がキッチンで準備を始めると、狐雨真はソファからその様子を眺めた。
彼女が鼻歌を歌いながら食器を並べている。時折こちらを振り返っては、何かを思い出したように笑っていた。
そんな姿を見ていると、狐雨真の口元も自然と緩む。
特別なことがあるわけではない。
ただ一緒に過ごして、ご飯を食べて、他愛のない話をする。
それだけなのに、妙に心地よかった。
「……こういう時間、好きだなぁ」
小さく呟いた言葉は、キッチンの音に紛れて消えた。やがて昼食ができあがり、二人は食卓についた。
「それじゃ、いただきます」
「いただきまーす!」
狐雨真は嬉しそうに箸を手に取った。愛美が用意した料理を口に運ぶと、赤い瞳がぱっと輝く。
「うん、おいしい。愛美、これすごくいいね」
「ほんと? よかったぁ。ちょっと味付けを変えてみたんだ」
「なるほどね。いつもと少し違うと思ったんだよ。こっちの味も好きだな」
狐雨真はもう一口食べ、満足そうに頷いた。
「これはご飯が進むねぇ」
「ふふっ、たくさん食べていいよ。ちゃんと多めに用意してあるから」
「おっ、さすが愛美。僕のこと、よくわかってるね」
「一緒にいる時間が長いからね」
何気ない言葉だった。
けれど愛美は、口にしてから少しだけ恥ずかしくなったのか、視線を料理へ落とした。
狐雨真はそんな彼女を見て、穏やかに笑う。
「そうだね。これからも、もっといろんなことを知っていけたらいいな」
「……うん」
愛美は小さく頷いた。
二人は食事を続けながら、今日あった出来事やテレビで見たニュースについて話した。愛美が話すときには狐雨真が楽しそうに耳を傾け、狐雨真が冗談を言えば愛美が笑う。
食事を終える頃には、愛美の疲れた表情もすっかり柔らかくなっていた。
「ごちそうさま。おいしかったぁ」
狐雨真は満足げに息をつき、椅子の背もたれに身体を預けた。
「お腹いっぱい?」
「うん。幸せ……」
「ふふっ、大げさだなぁ」
「大げさじゃないよ。おいしいご飯を食べて、愛美と一緒にいられるんだから。十分幸せでしょ?」
愛美はしばらく彼を見つめ、それから照れたように微笑んだ。
「……そういうところ、本当に好き」
狐雨真は一瞬だけ目を見開いた。
そして、いつもの柔らかな笑みを浮かべる。
「そっか。ありがとう、愛美。僕も愛美のそういうところ、好きだよ」
「……もう、またそうやって」
愛美は顔を隠すように俯いた。
狐雨真は楽しそうに笑いながら、彼女の頭をぽんぽんと撫でた。
「照れちゃった?」
「照れてない!」
「はいはい。そういうことにしておこうかな」
「狐雨真!」
「ふふっ、ごめんごめん」
愛美はむっと頬を膨らませたものの、すぐに笑顔へ戻った。
そして食器を片づけ終えると、再びソファへ戻ってきた。
「ねえ、狐雨真。午後は何する?」
「そうだなぁ。ゲームでもしようかと思ってたけど……愛美が一緒なら、何でもいいよ」
「じゃあ、私もゲームしようかな。今日は負けないからね!」
「おっ、言ったね? その自信、どこまで続くかなぁ」
「絶対勝つ!」
「ふふっ、楽しみにしてるよ」
二人は並んでソファに座り、ゲームの準備を始めた。
狐雨真の尻尾が、楽しげに左右へ揺れる。
愛美はその尻尾を眺めてから、そっと彼の腕に自分の腕を絡めた。
「……ねえ。今日は、もう少しこうしててもいい?」
狐雨真は彼女へ視線を向ける。
愛美が、少しだけ甘えるような表情をしていた。
彼は何も聞かず、彼女の肩を優しく抱き寄せた。
「もちろん。今日はゆっくりしよう。頑張ったぶん、のんびりしたっていいんだから」
「ありがと、狐雨真」
「どういたしまして」
愛美は彼の肩に頭を預け、狐雨真もまた、彼女の温もりを感じながら目を細めた。
恋人だと、はっきり言葉にしたことはない。
けれど、互いを気遣い、自然に触れ合い、隣にいることを当たり前のように喜ぶ二人の関係は、友達という言葉だけでは少し足りなかった。
その曖昧さを、今すぐ変えたいとは思わない。
こうして一緒にいられることが、二人にとって何より大切だったからだ。
テレビからは、再びヒーローたちの活躍を伝えるニュースが流れ始めていた。
狐雨真は画面を眺め、それから隣の愛美へ視線を落とす。
「……さて、これからどうしようかな」
狐雨真はテレビへ目を向けた。画面の中では、今日もヒーローたちが人々を守るために活躍している。
その姿を眺めながら、狐雨真は隣にいる愛美へ視線を移した。彼女はゲームのコントローラーを手に、やる気満々といった様子でこちらを見ている。
「ねえ、狐雨真。いつまでぼーっとしてるの? 早く始めようよ!」
「おっと、これは失礼。そんなに急がなくても、ゲームは逃げないよ」
「そう言って余裕ぶっていられるのも今のうちだからね! 今度こそ私が勝つんだから!」
愛美が意気込むと、狐雨真は楽しそうに目を細めた。
「へえ、いいねぇ。その自信、最後まで持つといいけど」
「なにそれ! 絶対に勝ってやるんだから!」
「はいはい。じゃあ、負けたほうが夕飯の準備ね」
「えっ、それは聞いてないんだけど!?」
「今、決めたからね」
「ずるいよ、狐雨真!」
抗議する愛美を見て、狐雨真は声を立てて笑った。愛美も最初こそ不満そうに頬を膨らませていたものの、すぐに釣られて笑い出す。
そんな二人の声が、昼下がりのリビングに明るく響いた。
特別なことなんてなくてもいい。一緒にご飯を食べて、くだらないことで笑い合って、時には少しだけ意地悪をしてみる。そんな何気ない時間が、狐雨真にとっては大切なものだった。
もちろん、彼の日常がこの先もずっと同じとは限らない。
新しい出会いがあり、思いもよらない出来事に巻き込まれることもあるだろう。誰かを守るために戦う日だって、きっとやってくる。
それでも、狐雨真は自分らしく歩いていく。
自由気ままに、楽しいことには全力で。困っている人を見かけたら、できる限り手を差し伸べて。そして、時には周りの人をからかいながら、笑顔にしていく。
そんな彼が、どんなヒーローになっていくのか。
それは、まだ誰にもわからない。
――これは、鈴心狐雨真が自分らしいヒーローを目指す物語。