自由気ままな狐のヒーローアカデミア 作:沖ノ鳥島産ポテチ
朝の光が窓から差し込み、部屋の中を柔らかく照らしていた。
鈴心狐雨真は、いつもより少し早い時間に目を覚ました。
白い髪を軽く整え、頭の上に生えた白い狐耳をぴくりと動かす。背後では、ふさふさとした三本の尻尾が、寝起きの名残を振り払うようにゆっくりと揺れていた。
今日は雄英高校の入学試験当日。
ヒーローを目指す者たちが集まる名門校。その入学試験を受ける日が、ついにやってきたのだ。
「……いよいよ、今日か」
狐雨真は窓の外を眺めながら、ぽつりとつぶやいた。
緊張していないわけではない。
けれど、それ以上に胸の奥で膨らんでいるのは、これから何が起こるのだろうという期待だった。
自分の個性について、まだ知らないことはたくさんある。
狐火を操ること。姿を変えること。幻術や催眠を使うこと。そして、妖術や霊力を扱い、自分でも驚くほどの身体能力を発揮できること。
これらの力をさらに使いこなせるようになれば、どんなことができるのだろう。
雄英高校で学ぶことは、その答えを知るための一歩になるかもしれない。
「よし。それじゃあ、準備しようかな」
狐雨真は身支度を整え、試験に必要なものを確認した。
忘れ物がないことを確かめてから部屋を出ると、愛美が待っていた。
「おはよう、狐雨真! とうとう今日ね!」
相場愛美は、いつもと変わらない明るい笑顔で彼を迎えた。
「おはよう、愛美。うん、今日だね」
「ちゃんと眠れた?」
「もちろん。愛美こそ、今日はいつもより早起きじゃない?」
「そ、それは……大事な日なんだから、当然でしょ!」
愛美は少しだけ頬を膨らませた。
狐雨真はそんな彼女を見て、くすりと笑う。
「ふふっ。心配してくれてありがとう」
「べ、別に心配してるだけじゃないもん。狐雨真なら大丈夫って思ってるし!」
「それは嬉しいな」
狐雨真は、愛美の言葉を素直に受け取った。
彼女が自分を信じてくれていることは、十分に伝わっている。
愛美は狐雨真の前に立ち、白い髪を軽く整えてやった。
「よし。これでばっちり!」
「ありがとう。愛美に整えてもらえると、なんだか気合いが入るね」
「でしょ? 私の応援は特別なんだから!」
「それじゃあ、今日はその特別な応援を胸に頑張ろうかな」
狐雨真は柔らかく微笑んだ。
愛美も笑顔を返したが、やがて少しだけ真剣な表情になる。
「……狐雨真」
「ん?」
「試験、思いっきりやってきてね。でも、無茶はしすぎないこと。ちゃんと自分のことも大切にするんだよ?」
「うん。分かってるよ」
「本当に?」
「本当だよ。心配性だなあ、愛美は」
「誰のせいだと思ってるの!」
愛美がすかさず言い返す。
狐雨真は楽しそうに目を細めた。
「ふふっ。じゃあ、帰ってきたら試験の話をたくさん聞いてもらおうかな」
「もちろん! どんなことがあったのか、最初から最後まで聞かせてね!」
「約束するよ」
狐雨真は小指を差し出した。
愛美は一瞬きょとんとしたあと、嬉しそうにその小指を絡める。
「約束!」
二人は指切りを交わした。
やがて、狐雨真は荷物を手に取る。
「それじゃあ、行ってくるね」
「うん! いってらっしゃい、狐雨真!」
狐雨真が玄関へ向かおうとしたとき、愛美がふと彼の袖をつまんだ。
「……狐雨真」
「どうしたの?」
愛美は少し恥ずかしそうに視線を逸らしたが、すぐに顔を上げた。
「いってらっしゃいの、キス……してもいい?」
「もちろんだよ」
愛美は頬を赤くしながら、そっと彼に近づいた。
狐雨真も彼女の肩へ手を添える。
二人の唇が、触れるだけの優しいキスを交わした。
ほんの短い時間だったが、愛美の胸は高鳴り、狐雨真の狐耳も嬉しそうにぴくりと動いた。
「……頑張ってきてね、狐雨真」
「うん。愛美の応援、ちゃんと受け取ったよ」
扉が閉まる直前、彼は振り返って微笑んだ。
「帰ったら、また一緒にゲームをしようね」
「もちろん! 試験に合格して、最高の気分で遊ぼう!」
「ふふっ。楽しみにしてるよ」
そうして狐雨真は、雄英高校へ向けて歩き出した。
胸の内にあるのは、不安よりも期待。
今日という日が、自分にどんな出会いをもたらすのか。
それを確かめるために、白い狐耳の少年は新しい一日へと踏み出した。
雄英高校へ向かう道すがら、狐雨真は周囲の景色を眺めていた。
同じ方向へ歩いていく受験生らしき人影が、あちらこちらに見える。
制服姿の者もいれば、試験に備えて気合いの入った様子の者もいた。
狐雨真はその様子を見ながら、三本の尻尾をゆらゆらと揺らした。
「みんな、今日のために頑張ってきたんだろうね」
自分と同じように、雄英高校を目指している人たち。
どんな個性を持っていて、どんな理由でヒーローを目指しているのだろう。
考えれば考えるほど、興味が尽きなかった。
やがて、遠くに雄英高校の校舎が見えてきた。
大きな建物と、その周囲に広がる敷地。テレビで見たことはあったが、実際に目の前にすると、その存在感は想像以上だった。
「へえ……やっぱり大きいね」
狐雨真は感心したように目を細めた。
ここで多くのヒーローが学び、育っていく。
そして、今日この場所に集まった受験生たちの中からも、未来のヒーローが生まれるのだろう。
「ふふっ。面白くなってきた」
彼は小さく笑い、校門をくぐった。
敷地内には、すでに大勢の受験生が集まっていた。
周囲からは緊張した声や、友人同士で話す声が聞こえてくる。
狐雨真は人の流れを眺めながら、試験会場へと進んだ。
すると、少し先に二人の受験生がいるのが目に留まった。
一人は緑色の髪をした少年。
もう一人は、茶色い髪の少女だった。
緑色の髪の少年は、何やら小声でつぶやきながら、落ち着かない様子で周囲を見回している。
狐雨真は特にためらうことなく、二人へ近づいた。
「おはよう。二人とも、受験生かな?」
「あっ、はい!」
緑色の髪の少年が驚いたように振り向いた。
茶色い髪の少女もこちらを見る。
「僕は鈴心狐雨真。今日はよろしくね」
「俺は緑谷出久です! よろしくお願いします!」
少年――緑谷出久は、少し慌てた様子ながらも丁寧に頭を下げた。
「私は麗日お茶子! よろしくね、鈴心くん!」
少女――麗日お茶子も、明るい笑顔で挨拶を返した。
「緑谷くんに、麗日さんだね。覚えたよ」
狐雨真は二人の顔を順番に見た。
「二人とも、緊張してる?」
「えっ? あ、いや、その……!」
緑谷は一瞬言葉に詰まった。
「ちょっとだけ、かな。やっぱり雄英の試験って思うと、すごいなって」
麗日は苦笑しながら答えた。
「そうだよね。僕も、いつもとは違う感じがしてるよ。でも、せっかくここまで来たんだし、頑張ろうね」
「うん! そうだね!」
麗日は元気よく返事をした。
緑谷も小さくうなずく。
「僕も、できることを全部出し切りたいです」
「うん。その気持ちが大切だと思うよ」
狐雨真は柔らかく微笑んだ。
「それじゃあ、もし三人とも合格できたら、そのときはよろしくね」
「もちろん!」
麗日は笑顔で答えた。
「僕も、よろしくお願いします!」
緑谷も続けて頭を下げる。
「ふふっ。二人とも、そんなにかしこまらなくていいよ」
狐雨真は楽しそうに笑った。
「試験が始まる前から、少し仲良くなれたみたいで嬉しいな」
「そう言ってもらえると、私も嬉しいよ!」
麗日はにこにこと笑っていた。
一方、緑谷は狐雨真の頭にある白い狐耳と、背後で揺れる三本の尻尾に目を向けていた。
「あの……鈴心くんの個性って、もしかして……」
問いかけかけて、緑谷は慌てて口を閉じた。
「あっ、ご、ごめんなさい! 初対面なのに、いきなり個性のことなんて……!」
「気にしなくていいよ」
狐雨真は穏やかな笑顔を浮かべた。
「僕の個性は『妖狐』。見た目のとおり、狐に関係する力がいろいろあるんだ」
「狐に関係する力……!」
緑谷の目が、わずかに輝いた。
興味を持ったことを隠せない様子に、狐雨真は小さく笑った。
「詳しいことは、また機会があれば話すよ」
「は、はい! ありがとうございます!」
「うん。こちらこそ」
やがて、会場へ向かうよう受験生たちに案内が始まった。
「そろそろ行った方がよさそうだね」
狐雨真がそう言うと、麗日はうなずいた。
「そうだね。じゃあ、またあとで会えたらいいね!」
「うん。二人とも、頑張ってね」
「鈴心くんも!」
緑谷と麗日は、それぞれ試験会場へ向かう流れに加わった。
狐雨真も二人の後を追うように歩き出す。
試験が始まる前に、早くも二人の受験生と知り合うことができた。
「合格したら、また会えるといいね」
そうつぶやき、狐雨真は会場へ向かった。
受験生たちが指定された会場へ集まると、周囲のざわめきが少しずつ大きくなっていった。
狐雨真は周りを見渡しながら、説明が始まるのを待っていた。
やがて、壇上に一人の男性が姿を現した。
派手な服装に、目を引く髪型。
その人物はマイクを手に取ると、会場全体に響き渡る声で話し始めた。
「今日は俺のライヴにようこそー!! エヴィバディセイヘイ!!」
プレゼント・マイクだった。
その勢いのある声に、会場の空気が一気に変わる。
「こいつぁシヴィ!! 受験生のリスナー! 実技試験の概要をサクッとプレゼンするぜ!! アーユーレディ!?」
狐雨真は狐耳をぴくりと動かした。
「……声が大きいね」
小さくつぶやきながらも、その表情には面白がるような笑みが浮かんでいた。
プレゼント・マイクは受験生たちに向けて、実技試験の内容を説明していく。
試験では、仮想敵であるロボットを相手に戦い、それぞれの働きに応じたポイントを獲得する。
会場に設置された映像や説明を通じて、受験生たちは試験の概要を把握していった。
狐雨真も説明を聞きながら、頭の中で自分の戦い方を考える。
狐火を使った遠距離攻撃。身体能力を生かした接近戦。状況に応じて妖術を使うこともできる。
どの力を使うにしても、試験中は周囲の状況を見極める必要があるだろう。
「なるほどね……」
狐雨真が小さくうなずいた、そのときだった。
「失礼します!」
会場から、よく通る声が響いた。
眼鏡をかけた少年が、真っすぐに手を挙げていた。
「説明された内容について、確認したいことがあります!」
プレゼント・マイクがそちらへ顔を向ける。
眼鏡の少年は、背筋を伸ばしたまま疑問を述べた。
説明された試験内容について、確認しておきたいことがあるようだった。
その姿勢からは、試験に真剣に向き合っていることがよく伝わってくる。
プレゼント・マイクは少年の質問に応じ、実技試験の内容について説明を続けた。
会場の受験生たちは、そのやり取りに耳を傾けている。
狐雨真も、説明の内容を聞き逃さないようにしていた。
質問と回答が終わると、眼鏡の少年は納得したように席へ戻ろうとした。
その直後だった。
「……あの、つまり……」
緑谷の声が、近くから聞こえてきた。
どうやら彼は、説明された内容について考えを巡らせているらしい。口元に手を当て、小さな声で何かをつぶやいていた。
それを聞きつけた眼鏡の少年が、ぴたりと動きを止めた。
「君!」
鋭い声が緑谷へ向けられる。
「先ほどから何をぶつぶつと言っているのだね! 試験の説明中だぞ!」
「ひっ……! す、すみません!」
緑谷は肩を跳ねさせ、慌てて頭を下げた。
「僕、そんなつもりじゃ……!」
「つもりがどうであれ、周囲への配慮は必要だ! 受験生として、場にふさわしい振る舞いをするべきだろう!」
眼鏡の少年は真剣な顔で言い切った。
緑谷はすっかり恐縮してしまい、何度も謝っている。
狐雨真は二人の様子を静かに見守っていた。
眼鏡の少年は規律を大切にしているのだろう。その言葉には厳しさがあったが、試験に臨む姿勢について真剣に考えていることも伝わってきた。
一方で、緑谷が必要以上に萎縮しているのも気になった。
狐雨真は、緑谷へちらりと視線を向けた。
緑谷はまだ申し訳なさそうにしていたが、狐雨真と目が合うと、少しだけ顔を上げた。
狐雨真は声を出さず、穏やかに微笑んだ。
大丈夫だよ。
そんな気持ちを伝えるように。
緑谷は小さく息を吐き、姿勢を正した。
眼鏡の少年もそれ以上は追及せず、前へ向き直る。
プレゼント・マイクは説明を続け、試験に関する案内を締めくくった。
会場には再び、受験生たちのざわめきが戻ってくる。
狐雨真は静かに息を吐いた。
「試験の内容は分かったよ。あとは、実際にやってみるだけだね」
緊張がないわけではない。
しかし、説明を聞いたことで、これから自分が何をすればいいのかははっきりした。
自分の力を使って、目の前の課題に取り組む。
それならば、難しく考える必要はない。
狐雨真は三本の尻尾を軽く揺らし、静かに笑った。
試験の説明が終わり、受験生たちはそれぞれ指定された実技試験会場へ向かい始めた。
狐雨真も案内に従いながら歩いていたが、途中で前方の受験生がよろめくのが目に入った。
「あっ……!」
少女が足元を取られ、身体を傾ける。
狐雨真はすぐさま一歩踏み出し、倒れかけた彼女を支えた。
「大丈夫?」
「えっ……あ、はい!」
少女は驚いた様子で返事をした。
狐雨真は彼女がきちんと立てたことを確認してから、そっと手を離す。
「よかった。ケガはない?」
「大丈夫です。ありがとうございます……!」
どこかキノコのような印象を感じる少女は、ほっとしたように胸をなで下ろした。
「どういたしまして。試験前だから、焦らず気をつけてね」
「はい……!」
狐雨真はそれ以上、無理に話を続けようとはしなかった。
少女も軽く頭を下げると、再び歩き始める。
狐雨真はその背中を見送ってから、何事もなかったかのように歩みを再開した。
試験前ということもあり、周囲には緊張した空気が漂っている。
「さて……僕も遅れないようにしないとね」
そう言って、彼は試験会場へと向かった。
狐雨真が到着した試験会場は、建物や道路が配置された市街地のような場所だった。
その中には、仮想敵となるロボットが配置されている。
受験生たちは指定された位置につき、試験開始の合図を待っていた。
狐雨真は周囲を見渡し、軽く肩を回した。
「さて……どれくらいできるかな」
やがて、試験開始の合図が響き渡った。
同時に、受験生たちが一斉に動き出す。
狐雨真も地面を蹴り、前方へと走り出した。
まず目に入ったのは、通りの向こうから迫ってくるロボットだった。
大きな機械の身体を動かし、受験生を見つけると攻撃を仕掛けてくる。
「見つけた」
狐雨真の指先に、青白い光が灯った。
小さな狐火がいくつも生まれ、彼の周囲を漂う。
狐雨真が手を振ると、狐火は弧を描きながら飛び出した。
青白い光がロボットへと命中する。機械の身体がぐらりと傾いた。
狐雨真はその隙を見逃さない。
地面を蹴って一気に距離を詰め、強い一撃を叩き込んだ。
ロボットは大きな音を立てて崩れ落ちた。
「うん。いい感じ」
狐雨真は倒れたロボットを一瞥し、再び前を向いた。
そのまま次の標的へと向かおうとしたとき、近くから苦しそうな声が聞こえた。
「うっ……!」
受験生の一人が、倒れた瓦礫のそばで足を押さえていた。
試験中に負傷したらしい。
狐雨真はすぐにそちらへ向かった。
「大丈夫? 少し見せて」
「えっ……あ、君は……?」
「今は無理に動かないでね」
狐雨真は落ち着いた声で告げると、負傷した部分を確認した。
大きなケガではないようだが、そのまま放置しておくのはよくない。
狐雨真はそっと手をかざした。
指先から淡い光が広がり、傷ついた部分を包み込んでいく。
それは、狐雨真の持つ妖術の一つだった。
しばらくすると、痛みが和らいだのか、受験生の表情が少しだけ明るくなった。
「……痛みが、軽くなった?」
「応急手当だよ。でも、まだ無理はしないでね」
「ありがとう……!」
「うん。試験、頑張ってね」
狐雨真は微笑んで立ち上がった。
戦闘の途中であっても、目の前で困っている人がいれば助ける。それもまた、自分が大切にしたいことの一つだった。
狐雨真は再び試験区域へと目を向けた。
「さて、続きといこうか」
青白い狐火が宙を舞い、次のロボットへと向かう。
光が弾け、機械の身体が大きく揺れた。
狐雨真は軽やかな動きで攻撃をかわし、相手の懐へと飛び込む。
その一撃でロボットを倒すと、彼は楽しそうに笑った。
「ふふっ。やっぱり、実際に動いてみると面白いね」
試験区域のあちこちでは、受験生たちがそれぞれの個性を使って戦っていた。
そんな中、狐雨真は次々とロボットを倒していく。
狐火を使って遠くから攻撃することもあれば、身体能力を生かして一気に距離を詰めることもある。
時には、ロボットの動きを見極め、無駄のない動きで攻撃をかわす。
白い髪が揺れ、三本の尻尾がしなやかに動く。
その姿は、まるで獲物を追う狐のようだった。
狐雨真は、戦いながらも周囲の状況を見失わないようにしていた。
目の前の敵を倒すだけでなく、ほかの受験生たちがどこにいるのかも確認しておく。
それが、思わぬ事態に対応するためにも必要だと考えていたからだ。
やがて、試験区域の奥から、ひときわ大きな振動が伝わってきた。
地面が揺れ、建物の間から巨大な影が現れる。
それは、ほかのロボットとは比べものにならないほど巨大な機械だった。
受験生たちの間に動揺が広がる。
「な、なんだあれ……!?」
「大きすぎるだろ!」
巨大なロボットが進んでくる。
その姿を見た受験生たちは、次々とその場から離れていった。
狐雨真は逃げる人々を眺めたあと、巨大なロボットへと視線を向けた。
大きな身体。圧倒的な存在感。
そして、普通のロボットとは明らかに異なる迫力。
狐雨真の口元に、ゆっくりと笑みが浮かんだ。
「……へえ」
白い狐耳がぴんと立つ。
「これは、なかなか楽しそうだね」
彼は逃げるどころか、巨大なロボットへ向かって歩き出した。
その足取りは軽い。
恐怖よりも、好奇心が勝っていた。
しかし、そのときだった。
「きゃっ……!」
逃げ遅れた受験生の声が聞こえた。
狐雨真はすぐにそちらへ顔を向けた。
巨大なロボットの進路近くに、誰かが倒れている。
だが、周囲を見渡しても、その姿を目で捉えることはできなかった。
普通ならば、声のした方向を頼りに探すしかない。
けれど、狐雨真は違った。
彼は静かに目を細め、霊力を巡らせる。
――妖術。
人の目には映らないものを捉えるための、狐雨真自身の力だった。
視界の捉え方が変わる。
そこにいたのは、身体そのものが透明な少女だった。
狐雨真の目には、少女の姿がはっきりと映っている。
けれど、彼女自身は、自分が見えていないことを疑っていないようだった。
「……見つけた」
狐雨真は小さくつぶやき、彼女へ向かって駆け出した。
「大丈夫?」
「えっ!? だ、誰!?」
透明な少女――葉隠透は、突然声をかけられて驚いた。
狐雨真は彼女のそばへ駆け寄ると、巨大なロボットの動きを確認した。
「今は、こっちへ!」
「で、でも、足が……!」
葉隠は倒れた拍子に動きづらくなっていた。
狐雨真は手を差し出し、彼女が立ち上がれるように支えた。
「ゆっくりでいいよ。焦らなくて大丈夫」
「う、うん……!」
葉隠は彼の手を頼りに、どうにか立ち上がった。
狐雨真は彼女を安全な場所へ導こうとしたが、巨大なロボットはすぐ近くまで迫っていた。
逃げる受験生たちの流れもあり、すぐに十分な距離を取るのは難しい。
狐雨真は巨大なロボットを見上げた。
「……これは、少し急いだ方がよさそうだね」
「そ、そうだよ! 早く逃げないと!」
葉隠が慌てた声を上げる。
狐雨真は彼女へ穏やかな笑みを向けた。
「君は離れていて。ここは僕に任せてね」
「ええっ!? で、でも……!」
「大丈夫。ちゃんと気をつけるから」
狐雨真はそう告げると、葉隠が安全な場所へ移動できるように促した。
彼女が離れたことを確かめ、狐雨真は巨大なロボットへと向き直る。
青白い狐火が、彼の周囲に次々と浮かび上がった。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
やがて、その光は狐雨真の周りを取り囲むように広がった。
巨大なロボットが腕を振り上げる。
狐雨真は地面を蹴った。
身体が軽やかに宙へ舞い、迫ってくる攻撃を紙一重でかわす。
そのままロボットの身体へと飛び移り、足場を蹴ってさらに高く跳び上がった。
「さあ、いこうか!」
狐雨真の声とともに、狐火が一斉に放たれる。
青白い光が巨大な機械の各所へと飛び、次々に命中した。
ロボットの動きが乱れる。
狐雨真はその隙を逃さず、さらに攻撃を重ねていった。
巨大な身体が大きく傾く。
地面が揺れ、周囲に大きな音が響いた。
狐雨真は最後まで相手の動きを見極め、確実に攻撃を加えていく。
そして――。
巨大なロボットは、ついに動きを止めた。
試験区域に、重い機械音が響き渡る。
狐雨真は着地すると、軽く服についたほこりを払った。
「ふう……。なかなか手応えがあったね」
彼は満足そうに笑った。
少し離れた場所では、葉隠透が呆然とした様子で立ち尽くしていた。
「す、すごい……。あんな大きいのを倒しちゃうなんて……!」
狐雨真は彼女の方を向いた。
そして、白い狐耳をぴくりと動かしながら、妖しげな笑みを浮かべた。
「ふふっ。無事でよかったね」
葉隠はその笑みを見て、一瞬言葉を失った。
不思議な雰囲気をまとった少年だった。
けれど、彼が自分を助けてくれたことに変わりはない。
「う、うん! ありがとう!」
「どういたしまして。ケガはない?」
「大丈夫! 助かったよ!」
「それならよかった」
狐雨真は、彼女の姿が見えていることを口にしなかった。
妖術で見えていると教える必要は、今はないだろう。
その直後、試験終了を知らせる合図が響き渡った。
狐雨真は顔を上げた。
「おや。もう終わりか」
名残惜しそうに、倒れた巨大ロボットを一度だけ振り返る。
それから彼女へ向き直り、微笑んだ。
「それじゃあ、戻ろうか」
「うん!」
二人は試験区域を後にした。
試験が終わり、受験生たちは指定された場所へと戻っていた。
先ほどまで戦闘が行われていた試験区域も、少しずつ静けさを取り戻している。
狐雨真は歩きながら、隣にいる葉隠透へ目を向けた。
「そういえば、まだ名前を聞いていなかったね」
「あっ、そうだった! 私は葉隠透! さっきは本当にありがとう!」
「葉隠さんだね。僕は鈴心狐雨真。よろしく」
「鈴心くんだね! よろしく!」
葉隠は元気よく答えた。
それから、先ほどの出来事を思い出したのか、改めて狐雨真へ向き直る。
「それにしても、本当に助かったよ! あのロボットが来たとき、どうしようかと思ってたんだ」
「間に合ってよかったよ」
「それだけじゃないよ! あんなに大きなロボットまで倒しちゃうなんて……。すっごく強いんだね!」
「ありがとう。でも、僕もまだまだ知らないことが多いからね」
狐雨真は穏やかに答えた。
「今日の試験で、自分の力について少し分かったこともあったよ」
「へえ、そうなんだ!」
葉隠は興味深そうにうなずいた。
「私も、もっと頑張らなくちゃ!」
「うん。お互い、合格できるといいね」
「うん!」
葉隠は明るい声で返事をした。
少し話したあと、狐雨真はふと思いついたように口を開いた。
「よかったら、連絡先を交換しない?」
「えっ、いいの!?」
「もちろん。せっかく知り合えたんだから、また話せたら嬉しいな」
「やった! ぜひ交換しよう!」
二人は連絡先を交換した。
葉隠は嬉しそうに声を弾ませる。
「これで、試験の結果が出るまで連絡できるね!」
「そうだね。合格していたら、また会えるかもしれない」
「絶対に合格したいなあ!」
葉隠はそう言って、ぐっと拳を握った。
狐雨真はその様子を見て、柔らかく微笑んだ。
「僕もだよ。お互い、いい結果になるといいね」
「うん! 今日は本当にありがとう、鈴心くん!」
「どういたしまして、葉隠さん」
二人は別れの挨拶を交わし、それぞれ帰る準備を始めた。
狐雨真は校門へ向かいながら、今日の出来事を振り返る。
緑谷出久に麗日お茶子。
試験前に助けた少女。
そして、試験中に出会った葉隠透。
たくさんの受験生が集まる中で、いくつもの出会いがあった。
「……ふふっ」
狐雨真は小さく笑った。
雄英高校を受験してよかった。
そう思える一日だった。
試験終了後。
雄英高校の職員室では、入学試験の映像を確認しながら、教師たちが採点を進めていた。
「さあて、今年のリスナーはどんな活躍を見せてくれたんだ!」
プレゼント・マイクが楽しげに声を上げる。
「マイク、少し静かにしろ」
イレイザー・ヘッドこと相澤消太が、呆れたように注意した。
「相変わらずノリが悪いねえ!」
「採点に集中したいだけだ」
そんな二人のやり取りを聞きながら、ミッドナイトはモニターに目を向けた。
「次は、この子ね。鈴心狐雨真くん……個性は『妖狐』かしら」
映像には、白い髪と狐耳、三本の尻尾を持つ狐雨真が映っていた。
彼は青白い狐火でロボットを攻撃し、優れた身体能力を生かして次々と敵を倒していく。
「おおっ! 遠距離攻撃に接近戦まで! なかなかやるじゃねえか!」
「状況に応じて能力を使い分けている。戦い方も悪くない」
相澤は冷静に評価する。
やがて映像は、狐雨真が負傷した受験生を妖術で手当てする場面へ切り替わった。
「あら、試験中に負傷者を助けたのね」
「自分のポイントだけでなく、周囲にも気を配れているってことか!」
「そうだな。救助行動も評価できる」
さらに映像が進むと、巨大な0ポイントロボットが現れた。逃げる受験生たちの中で、狐雨真は逃げ遅れた葉隠透を助け、その後、巨大ロボットへ立ち向かっていく。
「おいおい、あのデカブツにも挑むのか!?」
「葉隠くんを救助したうえで戦闘に移ったのね。勇敢な子だわ」
ミッドナイトが感心する。
「無謀さは少し気になるが、相手の動きを見て戦っている。単に突っ込んでいるだけではないな」
相澤は映像を確認しながら、評価を記録した。
「攻撃力も応用力もある。こいつぁ将来が楽しみだぜ!」
「まだ入学前よ。これからの成長に期待しましょう」
ミッドナイトの言葉に、相澤も小さくうなずいた。
「……少なくとも、力を振るうだけの受験生ではなさそうだな」
こうして教師たちは、狐雨真の戦闘能力と救助行動を評価に加え、合否判定を進めていった。
それから数日後。
狐雨真は、愛美と一緒に家で過ごしていた。
テーブルの上には飲み物とお菓子が並び、二人はいつものようにくつろいでいる。
ただし、今日ばかりは、狐雨真も普段どおりとはいかなかった。
「……そろそろかな」
狐雨真は、届いた通知を手にしていた。
雄英高校の入学試験の結果。
その知らせが届いたのだ。
愛美は彼の隣で、落ち着かない様子で身を乗り出していた。
「ね、ねえ、狐雨真! 早く開けてみようよ!」
「ふふっ。愛美の方が緊張してるみたいだね」
「そ、そんなことないもん! ただ、気になるだけ!」
「そう? それなら、開けてみようかな」
狐雨真は封筒を開き、中に入っていた通知に目を通した。
数秒の沈黙。
愛美は息をのんで、狐雨真の表情を見つめていた。
そして――。
「……愛美」
「ど、どうだったの!?」
狐雨真は顔を上げた。
その表情には、いつもの穏やかな笑顔が浮かんでいた。
「合格だって」
「…………え?」
愛美は一瞬、言葉を失った。
狐雨真は通知を彼女へ見せる。
そこには、雄英高校の入学試験に合格したことが記されていた。
「ほ、本当に……!?」
「うん。本当だよ」
「やったあああああっ!!」
愛美は勢いよく立ち上がり、喜びの声を上げた。
「狐雨真、合格おめでとう!! すごい、すごいよ!!」
「ありがとう、愛美」
「本当に合格しちゃった! 雄英高校だよ!? あの雄英高校だよ!?」
「ふふっ。うん。僕も、まだ少し不思議な感じがするよ」
狐雨真は通知をもう一度見つめた。
「これから、いろいろなことが始まるんだね」
狐雨真がそうつぶやくと、愛美は大きくうなずいた。
「うん! きっと、楽しいことも大変なことも、たくさんあると思う。でも、狐雨真なら大丈夫!」
「ありがとう。愛美が応援してくれたおかげだよ」
「えへへ……。そう言ってもらえると嬉しいな!」
愛美は照れくさそうに笑った。
狐雨真は通知を大切そうにしまうと、彼女へ向き直った。
「約束どおり、試験の話も全部聞いてもらわないとね」
「もちろん! 最初から最後まで聞くって約束したもん!」
「それじゃあ、まずは緑谷くんと麗日さんに会ったところから話そうかな」
「うんうん! 聞かせて!」
狐雨真は試験当日の出来事を、一つずつ愛美に話し始めた。
愛美は時折驚いたり、楽しそうに笑ったりしながら、彼の話に耳を傾けていた。
やがて話がひと段落すると、狐雨真は楽しそうに微笑んだ。
「さて……雄英高校では、どんな毎日が待っているんだろうね」
「きっと、狐雨真なら大丈夫だよ!」
「ふふっ。そうだといいな」
白い狐耳が、嬉しそうにぴくりと動いた。
こうして、鈴心狐雨真は雄英高校への入学を決めた。
それは、彼にとって新しい世界へ踏み出すための第一歩。
自由気ままな妖狐の少年が、自分らしい道を歩み始める物語は、まだ始まったばかりだった。