シーヴの翼の航跡   作:柿之川

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mission3「アナスタシア・セヴェルスカヤ」

 

 広大な海原の水平線が徐々に明るく、空が白み始める。

 

 夜間の航海を終え、朝もやの中を進むFCU中央ユージア連合最後の砦「空母エンデュランス」が、宿り木を求める鳥か、荒野をゆくノマドのように海を征く。

 

「う~ん、むにゃむにゃ……」

 

 その中の一室では、とあるベッドの主が目覚まし時計の音の前で微睡んでいた。

 

「んむ…? うっわヤッバい! 遅刻するー!!」

 

 しっぽを踏まれた猫のようにベットから飛び起き、大急ぎで身支度をすませたピンク色の髪の女の子が部屋を飛び出す。

 

「はぁっ… はぁっ… みんなお待たせー!!」

 

「ターシャ、遅い あと30秒で遅刻よ」

 

 甲板上ではこの空母エンデュランスに二つある航空隊、我らがジョーカー隊・隊長のレックスが。そしてケイトの愛称で親しまれるクイーン隊隊長キャサリン・エバンズ少佐が遅刻寸前のターシャを窘めつつ朝日を後背に迎える。頼れる軍医のアデリナ・サントス最上級上等兵曹も一緒だ。

 

「さぁ、皆揃ったわね。それじゃあ始めましょう」

 

 サントスがスマホの画面をタッチするのと同時に、スピーカーから軽妙なノースポイントの「ラジオ体操」というトレーニングミュージックが流れ出す。ノースポイントで愛される国民的な体操らしいが、朝にやるには丁度いいくらいの強度のトレーニング内容でいいかんじに体がほぐれてくれるのでターシャも気に入っている。

 

「うーん…… いっつも思うんだけどさ、このパートだけなんかめっちゃ恥ずかしいんだよね」

 

「ターシャ、それにレックス そのパートの時はそんなに足を開かなくてもいいわよ」

 

「マジで!? ていうかアデリナさん、それもっと早く言ってよ!」

 

 ラジオ体操第二のとあるパートに不満を漏らしたターシャにサントスがさらりと答え、慌ててターシャとレックスが足を閉じる。

 

「ラジオ体操終わり! さぁ、次は甲板走とシャトルラン!」

 

「うぇ~い りょうか~い」

 

 空を飛ぶのは大好きだが、トレーニングはあんまり好きではないターシャが気のない返事をする。バクスターがいれば、懇々とトレーニングの意義をターシャに教えていることだろう。

 

 航空兵は戦闘機動中、最大9G以上(自分の体重の9倍以上)の重力荷重に晒される。まさに体が資本の過酷な職業だ。それゆえに毎日のトレーニングが欠かせない。

 

 特に重力に負けて頭の中の血が下がり、意識失調や思考混濁を起こす「ブラックアウト」になればあっという間に機体もろとも地面とキスをする羽目になる。

 

 下肢への急激な加圧で体内の血流を押し上げるGスーツの助けもあるが、機動中はずっと足に力を入れて、パイロットは極限の自助努力を強いられる。それゆえに体全体、特に下半身のトレーニングが欠かせないのだ。

 

「ぜぇっ… ぜぇっ…… も、もう立ってらんない……」

 

「頑張りなさい、ターシャ この程度で音を上げてたら戦いの空は飛べないわよ」

 

 バイタルをチェックしながら、サントスがターシャを強い眼で諭す。

 

 ターシャとて、ユークトバニアのアクロバットチームの売れっ子パイロットであり、一番星だ。もちろん日々のトレーニングを欠かした事はない。だが、軍属のものは強度も勝手もまるで違う。

 

「よしよし、以前に比べれば大分体力も上がっているようだし、今日はこれまでにしましょう」

 

「あざっす、アデリナせーんせ。いよっし! トレーニングおーわり!」

 

「ちゃんと自主トレも欠かさないようにね、ターシャ。現代っ子は要領ばかり上手くなって基礎がなってないんだから」

 

「わーかってますよーケイトさん。それじゃぁ、レイ! たのもーう!」

 

 ターシャが手を飛行機のカタチにして、レックスに勝負を挑む。レックスも手を飛行機のカタチに、不敵な笑みをターシャに返す。もはやエンデュランスの名物になった、ターシャとレックスのハンドドッグファイトの時間である。

 

 

「ケイトさん! 今日の交戦規定は?」

 

「今日はターシャ、レックスがヘッドオンですれ違ってから交戦開始。撃墜判定はガンキルのみ」

 

「オーケー うっしゃレイ、今日こそ勝つかんね!」

 

 ターシャが手首をぐるぐる回しながら、レックスに不敵に笑う。

 

アクロバットチームのパイロットが行う飛行前のイメージトレーニング。それをターシャはレックスと一緒に、空戦のイメージトレーニングに活用している。

 

 とはいえ、本人の希望により、ターシャが空戦時に人が乗った機体に引き金を引く事はなく、敵機の撃墜も行うことは無いのだが。

 

「今日こそターシャが勝つかな?」「いやいや、レックスだよやっぱ」

 

「おーい賭け締めきんぞ! ここが勝負、決め所だ! どーんと張れ張れ!」

 

「俺さ、この為にPXでビデオカメラ買っちった」「あっ、ずりい! 後からコピーさせて」

 

「がんばえー! レイおねえちゃーん! ターシャおねえちゃーん!」

 

 いつの間にか甲板上にターシャとレックスを囲んでサークル状にギャラリーが集まっていた。わいわいと騒がしい声が甲板に響き渡る。D.D.が一番いい場所に陣取っているのは相変わらずだ。

 

「フフフ 今宵のホーネットは血に飢えているヨ……がぶがぶ」

 

「ぶふっ!!」

 

 ターシャが猟犬が飼い主の手に噛みつくように、レックスの手を自らの四本の指と親指で挟み込む。ターシャのヘタな時代劇の悪役のようなユーク訛りの口調に、それを聞いたアデリナがツボにハマったようで盛大に吹き出す。

 

「はいはい それじゃぁ二人とも、離れて離れて」

 

 審判を務めるケイトの指示を受け、ターシャとレックスが距離を離して対峙する。ターシャもレックスも、ケイトの試合開始の合図を待つ。

 

「カウント 3,2,1 エンゲージ<交戦開始>!」

 

「うぉぉぉー!!」「……」

 

 気合満々でダッシュするターシャの手と、飽くまで冷静さを崩さないレックスがダッシュし、互いの手がヘッドオンですれ違う。

 

「ふん!」

 

 ターシャが手首を捻らせながらダンサーのようにターンしてレックスの背後を獲る。レックスもターシャを従えながら照準を合わさせないように右に左とフェイントを入れながら逃げに徹する。

 

「よっし後ろもらい! バルカン砲発射!」

 

「いえ、まだよ。角度が浅い!」

 

 

「おーし、今度はどう!?」

 

「まだ。確実撃破とは言い難い」

 

 

「くぉんのー! これでどうだー!」

 

「ターシャ…… いつも言ってるけど、空でも地上でも、喧嘩は熱くなった方の負けよ」

 

 只のイメージトレーニングや、子供の遊びではない。戦闘機パイロット同士の真剣勝負であり、二人のとびっきりの美少女が互いに身をくねらせながら、汗を散らし繰り広げる空戦はまるで武道の「形」か情熱的な舞踊のようだ。声を上げてはやし立てていた甲板員をはじめとしたギャラリーも静まって真剣にこの戦いを見つめていた。

 

「レイの機動が変わった……? う、嘘!? は、速い!」

 

 ターシャが少しバテた所に、レックスが機動をさらに鋭く変えてフィニッシュを目指す。風と大気を切り裂くようなこの機動は幾度も空で見てきたそのものだ。

 

「はぁっ はぁっ ヤバい、失速したぁ」

 

 後ろを取られまいと急旋回を繰り返させられ、速度を失い翼が風を捉えられなくなった機体が失速する。スピードが全てを制する空戦で、失速した戦闘機などは空に浮かぶ風船みたいなものだ、的当てよりも容易にハチの巣にされてしまう。

 

「こうなったら…… ポストストールマニューバ! って、うわっとと!」

 

 やぶれかぶれで手首を思いっきり捻って、母国ユークトバニアの戦闘機達が得意とする極限機動を実施しようとするが自分の体勢も極限だったようで、ターシャがレックスもろとも倒れ込んでしまった。

 

「あいたた…… ん? 何かな、この柔らかい感触……」

 

「た、ターシャ……」

 

 ターシャが転倒した自分を守ってくれた柔らかい感触を確かめようと眼を開けると、眼前には自分を庇うように抱きしめるレックスの胸と、恥かしそうに頬を赤らめ自身の名を呼ぶレックスの相貌があった。

 

 桃色の髪のターシャと、銀髪のレックス。天真爛漫なターシャと、冷静なレックス。太陽と月の様に対照的な美少女のくんずほぐれつを目の当たりにしてギャラリーも思わず息をのむ。

 

「うわっちゃー レイごめん! あっ! ケイトさん、今のは!?」

 

「問答無用でターシャの被撃墜。ポストストールマニューバを使う前の失速時に、レックスに鉛弾を食らってハチの巣にされてるわよ。この勝負、勝者はレックス!」

 

 ケイトの判定宣言に、ギャラリーから拍手と指笛、ターシャとレックスの健闘を称える声が上がる。

 

 もしもこれが踊り子のショーであれば、地面はおひねりでいっぱいだっただろう。

 

「ちぇー 今日こそ勝てるかと思ったんだけどなー残念。ほら、レイ」

 

 ターシャが差し出す手をレックスが握り、勝負の後も互いを尊重する姿に拍手が巻き起こる。どんなスポーツでも勝負でもケンカでも、試合が終わればノーサイドだ。

 

「おっ バクスターとコスターが帰ってきた。おーい、二人ともおかえりー」

 

 夜間哨戒飛行の任務を終えた、ジョーカー隊二番機と四番機が二機編隊で空母上空をフライパスしていく。

 

「さーてレイ。野郎どもも帰ってきたし、朝ごはんにしよっか」

 

 おおよそ上官ではなく、まるで姉妹か同期に対するような言葉遣いだか、軍属ならではのガチガチの上下関係ではない、いい意味での風通しのよさが感じられた。

 

 

 それから15時間程経過し、辺りは漆黒の海面が水平線の彼方まで広がり、月と星の光のみが辺りを照らし出す。船乗りが最も恐れる闇夜になっていた。

 

「総重量、23000 パイロット、アナスタシア」

 

『ジョーカー3 発艦を許可する』

 

 エアボスの発艦許可を合図に、シューターが『行け』のハンドサインを出しターシャのF/A-18Eがカタパルトから打ち出され、その直後に隊長機も勢いよく発進する。

 

「うー 夜間哨戒って初めてなんだよね…… ちょっち緊張する」

 

 常識で考えれば、民間人のパイロットを即席教育で空に上げて、挙句危険な夜間哨戒飛行にまで駆り出しているのだ。平時では考えられないような暴挙である事は間違いない。

 

 だが、今は戦時。そして人手がとにかく足りない。

 

 だから皆で頑張り、どうにかカバーし合うしか方法は無いのだ。

 

「でも レイといっしょなら、なんだか安心」

 

 自らの少し前方を飛行する隊長機の背中を見つめながら、ターシャはレーダーに敵影は無いかチェックし、夜空に目を凝らす。

 

 この夜間哨戒も、いつもの昼間の哨戒飛行と同じ──そうなる筈だった。

 

「んん? これって…… レイ! レーダーに感! 十二時方向 距離3000! ヤバい、めっちゃ近いじゃん 何で気づかなかったんだろ、私」

 

 哨戒飛行も終盤に差し掛かった時、レーダーに微弱に反応する物体を見つけターシャは一度高度を取る為に対象物から離隔する。

 

『ジョーカー1 ジョーカー3 こちらのレーダーでも確認した。敵味方識別信号に反応なし。レーダーサインと映像から確認するに、敵の無人ステルス航空機だ。ジョーカー1 ジョーカー3 撃墜を許可する』

 

 エンデュランスからの撃墜許可を得て、レックスとターシャが未確認機に接近し、機体をつぶさに確認する。

 

 頼れるAWACS、ディーラーも夜間は不在なのが一層心細い。

 

「なんだろう、この飛行機…… 円盤みたいな形してる」

 

 奇妙な形ではあるが、UFOのような円盤状の大きな物体がふよふよと飛んでいる。側面にもどこにも窓は無く、どう見ても人が乗っているような代物では無さそうだ。

 

 何度も無線でエスコートを呼びかけるが、うんともすんとも反応がない。国際法で定められた手順はすべて済ませた。無人機は真っ直ぐ空母エンデュランスを目指している、進路を変える様子は微塵もない。

 

「無人機なら…… ねぇ、レイ! こいつ、私にやらせてよ」

 

 一気に宙返りして高度を取り、無人機の後方に機体を遷移させる。

 

 昼間、レイとのハンドドッグファイトで勝てなかった憂さ晴らしだ。

 

 ちょろい敵の絶好の射撃ポジションに陣取り、ターシャがレックスからの撃墜許可を待つ。

 

『了解、ターシャ 攻撃を許可する。ターシャ、何だか嫌な予感がする。気を付けて』

 

「ははっビックリ箱だったりとか? 大丈夫だってば。いよっし、それじゃいくよー 目標をロック! FOX2!」

 

 ターシャの機体から放たれた赤外線誘導ミサイルが吸い込まれるように目標に向かって飛んでいく。そうして間もなく着弾し、目標は火に包まれた。

 

「よっし、撃墜! 撃墜……? 待って、何だか様子がおかしい」

 

 火に包まれる無人機の本体にいくつもの亀裂が走っていく、するとレンジで加熱された卵が爆発するように外装が弾け、中からもう一機の機体が姿を現した。

 

「な…… 何なのコイツ!? レイ! 無人機の中からもう一機出てきた!」

 

 まるで昆虫が脱皮するように、脱皮した昆虫が殻を羽を広げるように翼を展開し、無人機はこの世に生を受けた歓喜の咆哮を上げるようにアフターバーナーを盛大に吹かしながらターシャの機体に迫る。

 

「はぁっ はぁっ コイツ! 蛇みたいに纏わり付いて離れない!」

 

 無人機特有の、機械的で人間性の欠片も無い不気味な機動がターシャを追い込んでいく。敵機からのレーダーロックの警告音とミサイル発射の警告が絶え間なく響き、頭がおかしくなりそうになる。

 

(た、たちゅけてぇ たちゅけてぇ!! れい! ぱぱ! ままぁ!)

 

 撃墜の恐怖と混乱で精神が限界を超え、まるで小さな子供のような半狂乱の叫びが頭の中で木霊する。

 

 自分の前方に迫る無人機のウェポンベイのハッチが開き、ミサイルを放とうとする様子が、まるでコマ撮りの映画のように、スローモーションで見えた。

 

(え? 嘘… わたし、死──『ターシャー!!!!』

 

 レックスの凄まじい雄叫びがターシャを現実に引き戻す。その刹那、眼前の無人機は無数のバルカン砲の砲弾に貫かれ小爆発を起こし、ターシャの機体のスレスレをすれ違い爆散した。

 

「あ、あれ…… 私、生きてる」

 

『ターシャ! ターシャ!! 無事!?』

 

 ターシャが上を見上げると、無人機を貫いたレックスの機体が三日月を背に光り輝いていた。

 

 機体を背面飛行させて、こちらを見つめているレックスの蒼い瞳と目が合った気がした。

 

 

「アルテミス様……」

 

 

 その姿を見たターシャは、幼い頃に母に読み聞かせてもらった絵本に書いていた月の女神の名をつぶやいていた。弓矢を手にし、猟犬や鹿を従える「狩りの神」の名を。

 

 

『ジョーカー1、3! 撃墜した無人機からミサイルが射出された! P-800「オニキス」と推定される 速い…! 撃墜してくれ!!』

 

 お袋さんからの切迫した通信にターシャが我にかえる。瀕死の無人機から射出された超音速対艦ミサイルが空母エンデュランスを撃沈しようと迫っていた。

 

「うっそマズいじゃん! どうすれば……」

 

『ターシャ、アイツを堕とす。ついてきて』

 

「え? ちょちょちょちょっと、レイ!?」

 

 機体のアフターバーナーを全開にしてパワーダイブを開始した一番機にターシャも慌てて続く。

 

 

「チャフ、フレア放出! CIWSで弾幕を展開!」

 

「両舷一杯!」

 

「総員、手近なものに掴まれ! 総員、肢体を保持しろ!」

 

 

 エンデュランスのCICの中は嵐のような騒ぎだった。XOが指示を出し、全員が爆発しそうな鼓動を押し殺すように努めて冷静に支持を出す。

 

 二基四門の主砲も近接信管を装備した砲弾を撃ち込むが、海面スレスレを超音速で迫るミサイルには豆鉄砲も同じだ。CIWSから撃ち込まれる砲弾もが全くかすりもしていなかった。

 

「諦めるな! レックスとターシャが何とかする! 弾幕を展開しろ!!」

 

「もう駄目です! XO! 間に合わない!!」

 

 赤く炎を後ろに引くミサイルの姿が目視で確認できる程の距離になり、XO以外の全員が覚悟を決めた次の瞬間だった。

 

 ヴゥゥゥン゛という猛牛の咆哮のようなバルカン砲の射撃音が響き、次の瞬間、空母エンデュランスの側方に爆発音と共に凄まじい水しぶきが上がった。

 

 大波が右に左にと艦を揺らし、あわあわと乗員が周りの物に掴まって体勢を維持する。

 

 生きる者を皆殺しにするミサイル着弾の爆炎も衝撃も、窒息させるような黒煙も無い。

 

「い、生きている──?」

 

 先ほど間に合わないと叫んだ砲雷長がレーダーを確認する。そこには空母エンデュランスと随伴艦、そして天空に在るレックスとターシャの機影以外に何もない。

 

 

 次の瞬間、CICと艦橋は歓喜の声と叫びで爆発したかのような騒ぎになった。

 

 

 

『ふう、間に合った……』

 

 波間に揺れるエンデュランスの無事を確認して、レックスが安堵の声をあげる。

 

「ぜぇ… ぜぇ… まにあった…… じゃないっての!! ぜぇ… ぜぇ… こんな超絶アクロバット、生まれて初めてだっつーの!!」

 

 その声を聞いたターシャが5キロ全力疾走で走ったかのような勢いで鼓動する心臓をおさえて叫びながら、先ほどまでの事を思い出していた。

 

 

 パワーダイブを始めた一番機は猛烈な速度で地表に向かって降下していた。側方にピッタリ付いたものの、一体レックスはどうやってミサイルを撃墜しようとしているのか見当もつかない。

 

「ちょっとレイ! どうしたの!? 追っかけて後ろからミサイルで撃たないの!?」

 

『後ろからではもう間に合わない、このまま降下してヤツの前に出る』

 

「えぇー!! 前からミサイルで堕とすっての?」

 

『違う、機銃で堕とす』

 

 ターシャは生まれて初めて、『肝が冷える』『寿命が縮む』というのがどういう事なのかを理解した。

 

「き、機銃!? む、ムリムリ!! 絶対無理だよ!!」

 

『確かに私だけじゃ無理。だけど、ターシャと私が力を合わせれば絶対に堕とせる。大丈夫、ターシャなら出来る。私を信じて』

 

 無線機から聞こえるレックスの声はいつもと変わらず優しい。

 

 やれるかもしれない、やるしかない──ターシャの心に、燃えるような青い炎が燈る。

 

「分かった、こうなったらレイに命を預ける! ぜったいに堕としてやろう! レイ!」

 

 ターシャの声に応えるように、レックスの機体がターシャの機体への空気抵抗が極少になるポジションに遷移した。まるでレックスと一つになったかのような一体感がターシャを包み込む。

 

 そうして、二機の戦闘機がミサイル撃墜への最終アプローチに入った。

 

 急降下で機体が軋み常人であれば失神するようなGに晒されていたが、ターシャの心に不思議と恐怖は無い。

 

 今は只、エンデュランスを護る事、そして一番機への強い信頼だけがあった。

 

 HUDの照準レティクルがミサイルを捉える。まだだ、堪えろ。

 

 よし、今だ。

 

「「当たれぇぇぇ!!」」

 

 ターシャとレックスの機体から、阿吽の呼吸でバルカン砲が火を噴く。

 

 何もかもがスローモーションになったかのような世界で、ターシャはミサイルの吸気口に砲弾が吸い込まれ、ミサイルを内部から破壊し尽くす様が見えていた。

 

 直後、背後で大爆発が起こり、ターシャとレックスの機体は水しぶきに包まれたかのように見えた。が、水しぶきを突き破り、水蒸気の雲を翼端から引きながら、二機の戦闘機が月影の中を見事なハイレートクライムを見せていた。

 

 その後は大騒ぎだった。夜間哨戒を終えてエンデュランスに着艦した時、艦の皆が総出で迎えてくれた。眩い朝日の中で皆に感謝の言葉を言われながらもみくちゃにされてレックスと一緒に胴上げまでされる始末だった。

 

「レックス、ターシャ ご苦労だった、素晴らしい活躍だったぞ。早く朝食を済ませてシャワーを浴びて部屋に帰ってゆっくり休め、勝利のケーキもお前達の分は大きめに切っておいたからな」

 

 作戦報告を終えたターシャとレックスに、XOこと副艦長のジェシカが優しく声を掛ける。

 

 これはホールケーキかと錯覚するようなどでかいケーキを持ちながら、ターシャとレックスは部屋を目指していた。

 

「ねぇ…… ありがとう、レイ」

 

「ん…? ターシャ、どうしたの急に」

 

 自らの隣を歩くレックスは自分が歩くのと同じ速さで足を進める。戦闘機の機動も、何もかもを自分に合わせてくれていた事をターシャはその身で感じ取っていた。

 

「いやさ…… なんだか言葉で言い表せないんだけど 私、今日の事…… おばあちゃんになっても、ずっとずっと忘れない。だから、ありがとうレイ!!」

 

 ターシャは精一杯の声でレックスに感謝を伝える。レックスはレックスで、ターシャの声に少し驚いていたが、すぐに「どういたしまして」と微笑みを返していた。

 

「ねぇっレイ! 私、夢があるの! いつか…ノースポイントのハラジュクって街に行ってみたいの! 最高の友達と一緒に!! 中退しちゃったハイスクールの制服を着て、いっぱい買い物して、美味しいもの食べて、でっかいアイスを公園で食べたい! だから……お願い! レイ、私のお友達になってください!!」

 

 誰にも、大好きな両親にも言った事が無い、自分だけの、純粋な一つだけの密やかな願い。

 

 飛行機に乗って、渡り鳥のように世界を経巡る自分には到底かなわないと諦めかけていたたった一つの願い。

 

「もちろん! 私からもお願いします、ターシャ! って、ターシャ! ど、どうしたの?」

 

「あ、あれ? 変だな、どうしたのかな? あ、あれ あれ? まいったな、ケーキがびちゃびちゃになっちゃうな……」

 

 ターシャの瞳から、大粒の涙がぽろぽろと絶え間なく流れ落ちる。

 

 ターシャの願いが一つ、叶えられた瞬間だった。

 

 

 

「っと、いうことがあったのですよせんせー」

 

 それから幾日が経った。たった一機のUAVとミサイルを堕としただけで戦争は終わる事は無く、今日もジョーカー隊の面々は出撃に備え、ハンガーで待機していた。

 

 ターシャはあの日の出来事をバクスターに、ふふんと腕を組みながら、どや顔で熱っぽく説明していた。

 

「その話、もう60回は聞いたぞターシャ」

 

 バクスターも本を読みながらターシャに若干うんざりした様子で答える。いくら可愛いターシャの話でも、60回以上聞かされたら流石に勘弁してくれと言いたくなるのも無理は無い。

 

「ふーんだ、もっと聞かせてやるもーん レイと私の英雄譚!」

 

 くるくると回りながら笑うターシャに「こりゃ重症だな」とバクスターも諦めムードだ。

 

 コスターはコスターで巻き込まれまいとイヤホンを付けて狸寝入りを決め込んでいた。

 

「そういや、今夜の夜間哨戒はレックスとターシャのルーティーンか。どうだ、ターシャ!何なら代わってやっても…「それはいくらバクスターでも絶対ダメ」

 

「だって私とレイは、マヴなんだもーん あ! レーイ!」

 

 書類仕事を終えて、ハンガーに帰ってきたレックスをターシャが駆け足で迎えに行く。

 

「マヴ…? マブダチって事か…? んっ… ちくしょー、ターシャのやつ。一日ぐらい代わってくれても……」

 

「嫉妬?」

 

「んなっ!? ば、バカ言え!」

 

 コスターの言葉に、わたわたと取り乱すバクスターの所にターシャがレックスを連れて戻ってきた。

 

「ふふ、ジョーカー隊の四人はいつも仲良しね」

 

 家族のようなジョーカー隊の様子に、それを眺めていたケイトも思わず微笑むのであった。

 

 

 後日、ターシャの機体のパーソナルマークである、逆立ちする黒猫の絵には、寄り添うように蒼い三日月が描き足されていた。

 

「お嬢さん、これで良いのかい? なんなら撃墜マークを描いてやってもいんだぜ」

 

 ターシャにひげ面と渾名されていた、ジェンキンズ整備班長の提案を、ターシャは首を振って否定の意思を表す。

 

「ありがとう少佐。でも、そんなのいらない。いいんだ、私はこれで。これが私が守りたいもので、守られているものだから」

 

 ターシャの答えに、そうかいと言いながらジェンキンズがハンガーを後にする。黒猫と三日月、ターシャはずっと愛おしそうに自身の新たなパーソナルマークに触れていた。

 

 

 

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