抜け出せない沼を持つ男と実力主義の教室。雛鳥は何を見るか。 作:末路雛鳥
どうも、末路です。なんか、書いてみたらわかるんですけど、キャラにめちゃくちゃ愛着湧いちゃいますね。
では本編をどうぞ。
綾小路が、コテンと小さく首を傾げた。
いつもは陶器のように真っ白な、その頬。それが今は、ほんのりと、ひどく可愛らしい薄ピンク色に染まっている。
……やばい。
ただでさえこいつの顔面偏差が高かったのに、そんな人間らしい、柔らかくて無防備な照れ顔を浮かべてるなんて……
その破壊力たるや、綾小路から目が離せない。
俺の頬に、熱が集まっていくのを感じる。耳の裏あたりまで熱い。
「んんっ!」
これ以上見つめ合っていたら、少し、いやかなり危ない。
俺は綾小路の左手を振り払い離れる。
「ま、まあ、お前が怖いっていう事実は、俺はわからないがな」
そうだ、惑わされるな比企谷八幡。いくら顔が良くても、俺の思考を先回りして誘導してくるような、そんな得体の知れない女なことは変わらない。
要注意人物だ。決して絆されてはいけない。
左手を胸の前に引き寄せ、綾小路は瞬きを一つした。
冷たく突き放したような言葉に、怒るでも、傷つくでもなく。
ほんの少しだけその大きな瞳を細め、彼女は言った。
「……それでも、いいよ、それでいいの」
――なんてこった。
……ひどく優しくて、綿菓子みたいに甘くて、春の陽だまりのように柔らかい響き。
いつもの平坦な声から発せられたとは到底思えない、鼓膜の奥を直接くすぐってくるような声だった。
俺の虚勢も、言葉も、すべてを許容してふんわりと包み込むような声。
心臓の音がうるさい。廊下の静寂が、無駄にこの甘い声の余韻を長引かせている。
……この女、恐ろしすぎる。
顔の赤みを全力で誤魔化すように踵を返し、教室まで帰る。
背後からついてくる小さな足音。
それが今は、どうしようもなく気恥ずかしくてたまらない。
そのまま、何も話さずに、Bクラスの教室前で俺は綾小路と別れた。
綾小路はどこか名残惜しそうにしたものの、それ以上はついてこなかった。
綾小路の背中を見送ってから、教室に入る。
自分の席にたどり着くや否や、糸の切れた操り人形のように机に突っ伏した。
ひんやりとした机の冷たさが俺の頬を冷ましてくれる。
「……疲れた」
別に、肉体的に疲れているわけじゃない、主に精神的疲労だ。
原因? そんなの考えるまでもない。
全部綾小路のせいだ。
『……それでも、いいよ、それでいいの』
ああ、くそ。思い出しただけで顔が熱くなってくる。
俺の心を土足で踏み荒らしてくる綾小路。そう、すべてあいつが悪い。俺は被害者だ。
俺の心が今こんなにもかき乱されているのは、決して俺がチョロいからなんかじゃない。
綾小路の面と声が良すぎるのが悪い。
そんな風に、誰に聞かせるわけでもなく、言い訳していると、声が聞こえた。
「ねえねえ」
明るくて弾むような声だ。
「比企谷くん、起きてるー?」
……比企谷くーん、呼ばれてますよー?
「……はあ」
俺だよなぁ。
首を持ち上げて隣の席へと顔を向けた。
……鮮やかな紫色の長い髪ポニーテールにしている美少女。
少しだけ身を乗り出すようにして、俺の顔を覗き込んでいる。
そして、その顔には一点の曇りもない、満面の笑みを浮かべていた。
「私、網倉麻子! よろしくね? 比企谷くん」
……あっ。
この笑み、俺にはキツすぎる。
昨日出会った一之瀬と同じの、混じり気のない純度100%の微笑み。
そんな純粋な善意と親しみやすさだけで構成されている。
……スマイルくださいって言ったら、それだけで金取れるレベル。
「あ、えっと……」
咄嗟に言葉が詰まる。 どう返せばいい。
そもそも何故俺なんかに話しかけてきたんだ。
適当に流すか?
いや、この善意の塊のような笑みが曇るのは、俺の良心が死ぬ。
「あー……うん。よろしく」
口から捻り出されたのは、ひどく無愛想で愛想笑いすら浮かんでいない、そんな挨拶だけだった。
……コミュ力不足の完全敗北。
普通なら、この目を見せつけられれば、「あ、この人ちょっと関わらない方がいいタイプかも」と察して静かにフェードアウトしていくはずだ。
だが、網倉は俺のそんな態度を気にする素振りすら見せなかった。
「ふふっ、比企谷くんって、すっごく大人しいよね! 休み時間ずっと寝てたから、声かけるタイミング迷っちゃったよ」
毎回話しかけようとしていたのか。
休み時間はイヤホンを耳にして、机に伏せているから、そうしてて正解だったな。
それに、今は勘弁してほしい。さっきまで綾小路という深淵を覗き込んで疲れているからな。
「ねえねえ、お話ししようよ!」
……どうしてだ。なぜ、この愛想の欠片もない男に、そんなテンションで絡んでくるんだ。
「比企谷くんの好きなものって何?」
「休みって何をする? 私はね、友達と遊んでるんだ!」
次々に飛んでくる、質問の数々。
俺の返事なんて「あー」とか「まあ」とか、返事になっていないものばかりなのに、楽しそうだ。
網倉みたいに、カースト上位の女子が俺みたいな隠キャに話しかけてくる理由はあるとしたら、三つだ。
一つ、罰ゲーム。二つ、クラス全員と仲良くしたいというただのいい子ちゃん。三つ、単なる気まぐれ。
どれにしても、あまり関わりたくはない。
やがて昼休みの終わりを告げる時間が近づいてきた。
ああ、ようやく解放される。 そう思っていたら、網倉が言った。
「……ねえ」
不意に、網倉の声から先ほどまでのフワフワとした雰囲気が消え去った。 少しだけトーンの落ちた、真剣さを帯びた声。
机に突っ伏すのをやめて顔を向けると、彼女は周囲を気にするように少しだけ身を乗り出し、俺の顔を真っ直ぐに見つめてきた。
「放課後、私も一緒に行きたい」
……なるほど。 主語のない唐突なお願いだったが、即座にその意味を理解した。
それは当然、神崎と一緒に放課後、職員室に質問しにいくことだ。
どうして知っているのか、なんて馬鹿な疑問は湧かない。
俺と網倉は、悲しいかな隣の席同士だ。今朝、神崎が俺に相談しにきた時、彼女はすでに隣に座っていた。
神崎は声を潜めていたが、ここはただの教室。
席が隣なら、話題が耳に入っていても何ら不思議ではない。
ただ、気になるのは彼女の動機だ。
「……お前、俺たちが何しに行くか分かってんのか?」
「うん。先生に、学校のルールのこと聞きに行くんでしょ? 私も、話を聞いて、少し気になってて」
網倉は誤魔化すことなく、真面目な顔で頷いた。
さて、どうするか。
本来なら、俺は拒否するだろう、面倒事に巻き込まれる人間を出来るだけ最小限に留めたい。
だが、少しだけ頭を働かせてみる。
もし、俺の考えが合っていたとしたら。
その事実を知っている人間は、多い方が絶対にいい。
いや、正確に言えば『クラスへの影響力を持っている人間』が知っていた方が、今後、俺の立ち回りが楽になる、が理由だ。
俺みたいなぼっちが声を大にして叫んだところで、誰も耳を貸さないだろう。
だが、網倉のようなクラスの中心にいそうな女子が言えば、周囲の連中も少しは信じるはずだ。
つまり、これは俺の考えが合っていた場合、周りに完璧に認めさせて、理解させるための、極めて合理的な判断だ。
……利用価値があるから、連れて行く。 ただそれだけの理由。
「……わかった。放課後、一緒に行こう」
そう答えた瞬間だった。
「やったぁ!」
網倉の顔から先ほどの真剣さが嘘のように吹き飛び、弾けるような笑みが花開いた。
胸の前で小さく手を合わせ、本当に嬉しそうに俺の顔を覗き込んでくる。紫色のポニーテールが、喜びに合わせてピョンと揺れた。
「昨日から見てたけど、やっぱり比企谷くんって、優しいね!」
……はっ? 今、こいつなんて言った?
「昨日、私のペンを拾ってくれたときから見てたけど、なんだかんだ言って、ちゃんとお話聞いてくれるし。お願いも聞いてくれるし。比企谷くん、すっごく優しい人なんだなって!」
無邪気な、一点の曇りもない称賛の言葉。 俺の胸の奥底を直接抉ってくるような、まっすぐすぎる好意の眼差し。
――俺が、優しい? な訳ないだろう。冗談も大概にしろ。
俺はただ、自分の平穏を守りたいだけだ。
お前を連れていく理由は、もしも俺の考えが合っていたときに、周りを動かすのに便利だから。
お前という人間を利用しようとした、どこまでも自己中心的なクズ野郎だ。
そこに他者を思いやるような立派な精神なんて、一ミリも存在していない。 本当に、それだけだ。
……それなのに。
目の前の網倉麻子という女子は、そんな俺の考えなんて微塵も気づいた様子もなく、ただニコニコと、ひだまりのような笑顔を向け続けている。
「放課後、よろしくね!」
痛い。 その真っ直ぐな笑顔が。
他人の善意を勝手に利用しようとしている己の卑しさが、表に照らし出されたような気分になる。
「……ああ」
これ以上直視していられなくて、俺は机に突っ伏した。
……なんなんだこの学校の女子は。
俺のペースを乱しまくる綾小路。
善意と明るさだけで俺の良心を刺してくるような網倉。
本当に、こんな考えしか今の俺にはできなくて、嫌になる。
……気づけば放課後を告げるチャイムが鳴り響いていた。
ホームルームが終わるや否や、示し合わせていたように神崎と網倉が俺の席へと集まってくる。
目を奪われるようなイケメンに、誰もが心惹かれるような明るい美少女。そして、その間に挟まれる、見事なまでに目の腐った男(笑)
……いや、笑えねぇ。本当に笑えないぞ。
具体的に言えば勇者と聖女の間に、村人Aが挟まっているような、圧倒的場違い感。
「……神崎、網倉も一緒に行きたいんだとよ」
俺は神崎にそう伝える。
「そうか、網倉、感謝する。疑問に思っている人が多ければ、その分意見が多くなるからな」
「ううん! 私こそ受け入れてくれてありがとう! 二人の話を聞いて、私も変だなって思えたから」
……絵になりすぎだろ、居心地が悪すぎる。
そのとき。 ガラッ、と。教室の前方の扉が、静かに開け放たれた。
立っていたのは、長く美しい茶髪を揺らす一人の女子生徒。綾小路だ。
教室の空気が、ふっと止まる。 誰かが息を呑む気配。そして、クラスにいる男子の一人が、熱に浮かされたような声でポツリと呟いた。
「綾小路、雛鳥……」
まるで、手の届かない偶像でも見つめるかのような、うっとりとした声。 それに続くように、その男子は信じられない言葉を口走った。
「『慈愛の可憐美』……綾小路雛鳥」
…………は?
俺は、自分の耳を疑っている。
なんだ、その長ったらしい、絶妙に呼びづらい二つ名は。 慈愛の可憐美? アニメのヒロインか?
確かに、雰囲気は、純粋無垢でぽやぽやとしていて、見ようによっては『慈愛』に見えなくもない……かもしれない。
いや、突っ込みたいところは山ほどあるが——
……まだ入学して二日目だぞ。
入学から二日、他クラスの生徒にまでそんな仰々しい二つ名が定着して認知されているって、やばすぎだろ。
そんな俺の考えなど知る由もなく。 入り口に佇む『慈愛の可憐美(笑)』は、無表情のまま、その大きな瞳で教室の中をぐるりと見渡している。
そして、俺の姿を視界に捉えた瞬間。
迷いなく、一直線にこちらへと歩み寄ってきた。
「……oh」
思わず、そんな間の抜けた声が口から漏れ出た。
すると、先ほどの男子が、さらに熱を帯びた声で語り続ける。
「……今日の昼休みに、二年生から凄まじい速さで噂が広まった! そのときの妖艶で、それでいて純粋無垢な雰囲気……その瞬間に聞こえた……ひどく優しい声に心を掴まれた人間が後を絶たないらしい……!」
……いや、こいつ詳しすぎるだろ。
こういう情報だけ何故かめちゃくちゃ知っているやつ、一人はクラスに絶対いる。
それは、どこの学校でも変わらないんだなぁ。
ていうか、昼休みに二年生からって、完全に俺と一緒にいたときの話じゃないか。あの一瞬の出来事が、たった数時間で尾鰭に背鰭までついて学校中に拡散されている。
俺の噂はないんですかね。
一応、あのとき綾小路の目の前にいたんですが、あれか、周りは綾小路だけにしか目が行かなかったみたいな?
……悔しいがわかってしまう。
そんな、噂の渦中にある本人は、迷いなく真っ直ぐに俺の目の前までやってきた。
そして、俺に向かって左手を伸ばし――自然な動きで、俺の右手を掴む。
教室の空気が、凍りついた気がした。
「比企谷……?」
神崎が、疑問に満ちた目で俺と綾小路を交互に見比べている。そりゃそうだ、綾小路と俺に接点があったなんて知らないだ——
……いや、こいつと俺ずっと一緒にいたのに、噂になってないの、普通にすごいな。
「比企谷くん? ……何してるの?」
すぐ横からは、網倉の声。
見れば、その顔には先ほどまでの太陽のような笑顔が張り付いているのだが。
なぜだろう、目がまったく笑っていない。背筋がゾクッと凍るような、少し、いやかなり怖い笑みだ。
あ、あー。もう無茶苦茶だよ。
左腕を握る綾小路を軽く引っ張りながら、神崎と網倉に向けてクイッと顎で廊下を示した。これ以上の説明は道中で済ませる。
廊下を出て、しっかりと説明する。
「……こいつは綾小路雛鳥。まあ、さっきも教室で誰かがご丁寧に解説してた通りだ」
横を歩く綾小路の頭を軽く指差す。彼女は、不思議そうに首を傾げた。
神崎も網倉も、無言のまま次の言葉を待っている。
「綾小路と俺は何もないからな、本当だぞ。 ……まあ、こいつのおかげで、わかったことがあるから、こいつも連れていく」
「わかったことがある、だと?」
神崎は疑問を、網倉は目を丸くしている。
正直言って、わかったことと、俺の考えが合っているかわからない。
……だが、
今の俺の心情は決して穏やかではない。
そんなことを考えられないほど、焦っている。
理由? それはな……
綾小路が、俺の右手を離さないからだ。
そう、右袖じゃない。右手だ。
いつの間に袖口からチェンジしたのか、俺の右手は今、彼女の指によってしっかりと握られている。
しかも、ぎゅーっていう、なんとも可愛らしい力で握られている。
いや、ね? 振り払おうにも、この絶妙な力加減と手の感触が妙に気持ちよくてな。
ちなみに、綾小路の手は、ぷにぷにして、さらさらしている、まるで赤ちゃん肌みたいだ。
……いや、何故冷静に俺は綾小路の手を評価してんだ、こいつ、これでも一応女子だぞ。今までの距離感で、俺の頭が女子じゃないって誤認してた。
それに、ここで力任せに引き剥がせば、また悲しそうに見つめられそうで、どうしても振り払えない自分がいる。
そんな葛藤なんてまったく意に介する様子もなく、綾小路は歩きながら後ろの二人に顔を向けた。
「……綾小路雛鳥。よろしく」
相変わらずの無表情と、短い挨拶。
それに少し面食らいながらも、神崎は立ち止まり少し頭を下げる。
「あ、ああ。神崎隆二だ。……よろしく頼む」
イケメンが少し戸惑いながら言葉を絞り出す様子は見ていて愉快だ、いいぞもっとやれ、綾小路。
だが、神崎の横から網倉が相変わらず目が笑ってない笑顔で自己紹介をした。
「網倉麻子だよ! 綾小路さん、よろしくね! 綾小路さんって、すっごく可愛いね!」
網倉が綾小路に近づいて、優しく撫でようとした——
だが、綾小路は、その手を避けた。
網倉が固まって、困ったような笑みを浮かべ、綾小路はどこか困惑した様子で自分の頭を触っている。
……え? 何その空気、めちゃくちゃ気まずいんですけど、ほら、神崎なんて顔が真っ青だぞ。それに、なんとなく、綾小路は嫌がっているように見えなくもない。
……? じゃあなんで俺は撫でさせてもらえたんだ?
そう考えていた、そのとき、繋がれたままの右手にほんの少しだけ力が込められた、見るともう職員室だった。
一回その考えを頭の片隅に置き、空いている左手で二回ノックする。
室内にいる数名の教師の視線が、一斉にこちらへ向く。 内心ビビリながらも声を出す。
「失礼します。一年Bクラスの比企谷八幡です、星之宮先生は、いますか」
俺の声が、静まり返った職員室に響く。
奥のデスクから、ひらひらと手を振りながら星之宮先生が姿を現した。相変わらずどこかフワフワとした、教師というよりは気のいい近所のお姉さんみたいな足取りだ。
職員室の中を見渡すと、教師の数が妙に少ないことに気づく。
……ああ、そうか。今ちょうど体育館で部活動紹介の真っ最中だからだ。
ほとんどの教師はそっちに駆り出されているのだろう。
逆に言えば、教師が少ないから、話しやすいのかもしれない。
「あれれ? 比企谷くんに、神崎くん、網倉さんに……そっちの可愛い子は他クラスだね? みんなどうしたの? 用事は?」
星之宮先生は珍しすぎる四人を見ても特に驚く様子もなく、にこやかに、とても優しく問いかけてきた。
「……学校のルール、Sシステムについて、わかったことと聞きたいことがあるので、確認にきました」
その瞬間だった。 俺の言葉が落ちた途端、職員室の空気が、少し張り詰めた。
パソコンのタイピング音。
紙の資料をめくる音。
コーヒーカップを机に置く音。
それらすべて音が、見事なまでになくなった。
教師たちが手を止め、こちらへ視線を向けている。
なんだこれ。ホラーか。
怒気や威圧感があるわけじゃない。ただ、純粋な『観察』と『値踏み』の視線。 ただ、これだけはっきりと教師たちは反応した、ということは、だ。
必ず、何かあると言っているようなもの。
網倉が戸惑ったように小さく息を呑み、神崎の纏う空気がピンと張り詰めるのがわかった。
そんな中、 星之宮先生だけは、俺の顔をじっと見つめたまま、フッと口元だけで微笑んだ。
「……やっぱり」
ほんの微かな、呟き。 俺の耳にだけ辛うじて届くような、独り言に近い声だった。
なんだその反応は。まるで俺がこの疑問に行き着くことを最初から予想していたみたいじゃないか。
「うんっ! じゃあ、ここは他のお仕事の邪魔になっちゃうし、生徒指導室に行こうか!」
パンッ、と。 星之宮先生は明るく両手を打ち鳴らし、フワフワとした笑顔でそう言い放った。
……生徒指導室。
懐かしい響きだ。平塚先生と、よくそこで話をしたな。
だが、いくらなんでも、ちょっとした質問をしに来ただけの生徒を案内する場所じゃない。
つまり、そこでの内容は、万が一にも他の生徒の耳には絶対に入れられない話であり、俺たちが抱いた疑問がこの学校に関わる大切な話であるという、何よりの証明に他ならない。
俺は横に立つ神崎と、視線を交わせる。
神崎の顔が、微かに引き締まっていた。
その瞳の奥には、間違いなく、何かあるという確信と、これからの話し合いに対しての、少しの不安が宿っていた。
……だが、そんな神崎には悪いが、今の俺の頭の中は、八割ぐらい、こう思っている
……帰りたいと。
いや、これだけ目立っていること自体が俺にとっては問題なわけで、今日は色々ありすぎた。
綾小路と一緒に登校したり、神埼た意見を言い合ったり、綾小路との答え合わせがあったり、頭を働かせて悩んだり、網倉と話したり。
……あれ? ほとんど綾小路じゃね?
だが、無慈悲にも時間は待ってくれない。綾小路は左手を握り、まるで逃げるなと言いたげな視線を向けてくる。
……いや、まあ確かに、こいつのおかげで俺は色々理解できたんだ。今更引き返せるわけがない、か……
「はーい、みんなこっちだよー」
促されるまま椅子に腰を下ろす。
俺の左手は、隣に座った綾小路が未だに握りしめたままだ。
いや、座る時くらい離せよ。俺の左手の自由が完全に奪われているんですけど。
そんな俺の内心のツッコミをよそに、神崎が、真っ直ぐに星之宮先生を見据えてさっそく本題を切り出した。
「先生。今日ここへ来た要件は、大きく分けて二つあります」
「うんうん、なーに? ホームシック? それとも恋の相談かなー?」
「一つは、来月『本当に十万ポイントが支給されるのか』ということ。そして二つ目は、この学校に設置されている監視カメラの理由です。いくら防犯目的だとしても、あれだけの数が至る所にあるのははっきり言って異常だ」
神崎のド直球な追及。さすがイケメン。
怯むことなく大人の懐に踏み込んでいく。
網倉も真剣な顔をして聞いている。
だが、星之宮先生は、ふにゃりとしたいつもの笑顔をまったく崩さない。
「えー? 神崎くん、疑い深いなー。ポイントは来月もちゃんと支給されるって、昨日も言ったでしょ? それに、監視カメラだって、ここは国が作った高校なんだよ? 大切な生徒を守るための防犯として、当然の設備じゃないかな?」
のらりくらりと、核心を綺麗にはぐらかす。 ポイントは支給される(十万ポイント支給されるとは言っていない)。
監視カメラは防犯だ(監視だけが目的とは言っていない)。
見事な詭弁すぎる。
だが、ここで引き下がるわけにはいかない。 俺は小さく息を吐き、口を開いた。
「……今日、二年生の様子を見に行きました」
神崎が「二年の様子を見に?」と驚いたようにこちらを向き、星之宮先生の視線もスッと俺に固定された。
少しその視線に怯みながらも、俺は構わず言葉を続ける。
「……その時、雰囲気が最悪だったクラスと、余裕があって雰囲気の良かったクラス。どれも一目見てわかるくらい、明白でした」
「Dクラスは、絶望したような、暗い雰囲気で、CクラスとBクラスは、まるで何に追われるように、焦っていました」
「そして、Aクラスは、余裕があって、絵に描いたような優等生しかいませんでした」
「食堂でも、そうです。今ならわかる。無料の山菜定食を食っていた上級生は、大半がDクラスの生徒ばかりだった。明らかに扱いの差がある、特にDクラスが酷い……それは、何故ですか」
違和感の正体を言葉にする。
もし毎月十万ポイントが無条件で平等に配られているなら、クラス間でそこまで極端な格差が生まれるはずがない。
貧困にあえぐ生徒が特定のクラスに偏っているという事実。
そのとき神崎が口を開く。
「待て比企谷それは———」
「……へえ」
神崎の言葉を遮り、星之宮先生の口から、先ほどまでのフワフワとした空気を一瞬にして凍らせる、底知れない声が漏れた。
温度のない、ひどく冷たくて重い響き。
「……比企谷くんなら気づくって思ってたけど、いくらなんでも早すぎるね。……そっちの子のおかげかな?」
星之宮先生の視線が、俺の隣で静かにしている綾小路へと向けられた。 探るような、値踏みするような目。
だが、当の綾小路はそんなプレッシャーなどどこ吹く風で、ぽやーっとした顔で首を傾げているだけだ。
……こいつの図太さは本当にどうなっているんだ。
「ええ。それは素直に認めますよ」
俺は隠すことなく、頷いた。
そもそも、何故ここまで星之宮先生が俺に期待しているのか、それすらわからない。
俺より、神崎の方がよっぽど疑問を持っていた。
「こいつと神崎がいなきゃ、俺は疑問さえ持たずに、毎月十万もらえる最高な学校だってのほほんと過ごしてましたからね」
変に見栄を張っても仕方がない。俺一人で辿り着いたわけじゃない。神崎と、綾小路の誘導がなければ、俺は少し違和感を抱えたまま過ごしていただろう。
「……たぶん。俺の予想通りなら、クラスで分けられている以上、他クラスの人は俺たちにとって『敵』なんだと思います」
Dクラスの綾小路雛鳥。Bクラスの比企谷八幡。
学校側がなんらかの基準で分けていて、クラスごとに扱いの差がある以上俺たちは本来、こんな風に手を繋いで情報を共有し合うような間柄じゃない。蹴落とすべき敵でしかない。
「でも俺は、連れてきました。こいつに教えられた恩もあるし、何より……」
チラリと左手に視線を落とす。
……ぎゅーっと握られたままの指先。
「……物理的に、引き剥がせないんで」
俺の言葉に、綾小路が「ん」と短く同意するように、さらに手への圧を強めてきた。
痛い痛い、こいつの力が強すぎる。
小さく息を吐き出し、俺は星之宮先生へと向き直る。 ここからが本番だ。脳内で組み立てた拙い推論を突きつける。
「ポイントの額は、毎日の生活態度、あるいは授業態度なんかで評価されてポイントの支給額が減らされていく。あの無数にある監視カメラは、その査定のためにある」
「……」
星之宮先生は無言のまま、微笑みを浮かべて俺の言葉を聞いている。
「もちろん、逆にポイントが増えるシステムもあるのかもしれない。でも、それなら何故あんな大量の上級生が、山菜定食なんかに群がってるんだって話ですよ。いくらでも挽回できるなら、あそこまで悲惨な状況にはならない。……だから俺は、一度減ったポイントはそう簡単には増えないんだと推測します」
隣で聞いていた神崎が、ハッとしたように息を呑む気配がした。網倉も、俺の横顔を信じられないものを見るような目で見つめている。
「あと、この学校の最大のウリである進学・就職ほぼ100%の恩恵」
俺は真っ直ぐに、星之宮先生の目を見据えた。
「あれをもらえるのは……Aクラスだけなんでしょう?」
「Bクラスまで貰えるとしたら、そこまでBクラスが焦る必要もないので、Aクラスまでだと思っています」
綾小路をチラリと見て言う。
「逆に、Dクラスは、使い物にならない、そう判断された人の集まりじゃないんですか?」
重苦しい沈黙が降り下りた。 エアコンの微かな駆動音だけが、やけに大きく耳に響く。
できれば綾小路の前で、こんなこと言いたくなかった。
正直言って、最後の考えはあまり合っていると思えない。
合っているのなら何故綾小路がDクラスにいるのか、説明ができないからだ、だが、Aクラスが優等生ばかりなら、自然とDクラスが、あまり言いたくないが落ちこぼれ、が集められていると思ってしまう。
神崎と網倉は俺の言葉に眉を顰めたが、星之宮先生を確認するように見ている。
——そのとき。
俺の手の甲を優しく綾小路が撫でてくる。
……こいつには、助けられてばかりだな。
星之宮先生は、ふふっ、と小さく肩を揺らした。
そして堪えきれないというように、声を上げて笑う。
生徒指導室に、先生の妙に明るい笑い声だけが響き渡る。その響きは、どこか嬉しそうな、称賛しているようでありながら。
同時に、どこかひどく悲しそうな、残酷な運命を避けられない子供たちを哀れむような諦めを孕んでいるように聞こえた。
「なるほどねえ。……それは、ごめんね。先生の口からは言えないんだ」
目尻に浮かんだ涙を指先で拭うような仕草を見せると、先生は机の引き出しからスッと一枚のプリントを取り出し、俺たちの目の前へ滑らせる。
「だけど、君たちには、契約を結んでもらう」
差し出された紙に、俺も神崎も、網倉も綾小路も揃って目を落とす。そこに書かれていた内容を端的に要約すれば、こういうことだ。
俺たち四人に、五十万プライベートポイントという破格のポイントを譲渡する。
その代わり、今ここで口にした学校のルールを、来月の五月一日を迎えるまで一切他言してはならない。
直接誰かに話すのはもちろん、ネットの掲示板やSNSを使って匿名の噂を流すこともだ。
あらゆる情報漏洩の手段が、すべて固く禁じられている。
違反すれば即座に退学。
完全なる口止め。
五十万。 思わず息を呑む。桁がおかしい。ただの学生にポンと渡していい額を遥かに超えている。
だが、これほどの莫大な口止め料を支払ってでも、学校側はどうしても来月まで無知な状態のまま泳がせておきたいらしい。
だが、それは俺たちの推察が当たっていたという証拠でもある。
隣で契約書を見つめる神崎の手が、微かに震えているのがわかった。
星之宮先生の視線が、俺の隣でじっとしている綾小路へと移動した。
「あーあ。すごい生徒だね、君」
「比企谷くんにこれほどまで気づかせるなんて」
まるで、ショーケースの中の並外れた宝石でも見つけたかのような、そんな視線。
「それが、佐江ちゃんのとこの生徒だなんて。……不幸だなぁ」
佐江ちゃん。たしかDクラスの担任である茶柱先生の下の名前が、佐江だったか。
自分のクラスの生徒ではないことへの、純粋な口惜しさ。あるいは、この底知れない才能が、Dクラスに配置されてしまったことへの皮肉だろうか。
まあ、先生が言わんとしていることはわからんでもない。 こいつは、はっきり言って異常だ。それは素直に認める。
入学してまだたったの二日。情報なんてろくに与えられていないこの状況で、一体どこからこれほどのシステムの全貌を理解し、考えついたのか。俺にはさっぱりわからない。
自力で辿り着ける領域を完全に超えている。
その底知れない頭脳と観察眼は、警戒を通り越して恐怖すら覚えるレベルだ。俺がもし敵の立場なら、絶対にこんなバケモノと相対したくはない。
……だが。 何故だろうか。
どれだけこいつが規格外のバケモノで、得体の知れない存在だったとしても。こいつだけは、俺と敵対することはないと。不思議と、そう思える自分がいる。
損得勘定抜きで、こいつは俺に味方してくれた。その事実だけが、俺の警戒心を溶かしてしまっているってわけだ。
我ながら、どんだけチョロいんだと呆れてしまうが。
俺がそんなガラにもないことを考えていたときだった。
ゆっくりと、名残惜しそうに。指と指が解けていく。
手のひらを包んでいた小さな熱がスッと失われ、急に冷たく感じられる。
前に出た綾小路は、星之宮先生を真っ直ぐに見据えたまま、その平坦な声で静かに告げた。
「……この学校では、ポイントで買えないものはない、そうですよね」
その言葉に、星之宮先生はすぐには答えなかった。
一瞬の沈黙。だが、その瞳の奥は、まるでずっと待ち望んでいた正解を口にされたかのように、ひどく期待に満ちた仕草でゆっくりと頷いてみせた。
……何を言っているんだ。ポイントで買えないものはない? 当たり前だろ。
ここはポイントしか使えない、だから、ポイントで飯やら日用品を買わないといけない。
そんな当たり前の事実を、どうして今さら……。
待て。綾小路が無意味なこと言うはずがない。
思考を巡らせろ。この学校のことだ、裏を読め。
いや、違う。この場合は裏を読むまでもない。言葉の通り、文字通りの意味として受け取るべきだ。
ポイントで買えないものは『ない』。
つまり——
俺の背筋を、再びゾクッとしたものが駆け抜ける。 俺がその結論に行き着くのとほぼ同時。
綾小路の桜色の唇が、淡々と次の言葉を紡ぎ出した。
「クラス移動の権利、買いたい」
――ドクン、と。 俺の心臓が、今日一番の大きな音を立てて跳ねた。
「クラス移動……?」
「そんなことできるの……?」
疑問に思うのも無理はない。
この学校は三年間、クラス替えはない、それは初日に知らされている。
そして、Aクラスしか恩恵を得られない。
だが、それでも、もし個人でクラス移動できたのなら?
……それが真実なら、あまりにも狂っている。
ポイントでなんでも買えるのならあり得る話だ。
そして何より恐ろしいのは、この状況で、その抜け道の存在に辿り着いた綾小路の頭脳。
五十万ポイントという膨大な口止め料を提示された瞬間に、それを伝えたこと。
俺たちの動揺をよそに、星之宮先生は。 「ふふっ」 たまらない、といった様子で。心の底から嬉しそうに、その口角を三日月のように吊り上げていた。
「本当に、底が知れない生徒ね」
星之宮先生は、甘く、それでいて微かな毒を含んだような声でそう囁いた。 その瞳は確かに目の前の綾小路に向けられていたはずなのに。
次の瞬間、先生は少しだけ首を傾げて。
「いえ、本当に危険なのは、別かもしれないわね」
言葉を切り、その視線を、チラッと俺の方へと滑らせてきた。
……は?
なんで俺を見る。やめてくれ、俺の底なんて雨上がりの水溜まりくらい浅いぞ。
俺が内心で必死に全否定していると、星之宮先生はふふっと笑い、残酷な事実を提示してきた。
「でもごめんね。クラス移動の権利を買うには、二千万ポイントが必要なの」
……ふざけんな。いくらポイントで何でも買えると言っても、二千万なんて額は個人でどうにかできるレベルじゃない。
事実上の不可能を意味しているに等しかった。希望を持たせておいて絶望に突き落とす、そんな感じを味わっている。
だが、そんな途方もない数字を突きつけられても、綾小路は顔色一つ変えなかった。 彼女はこくりと、静かに頷く。
「……それが知れただけで、大丈夫です」
「さぁ! もう時間だし、外に出てねー!」
星之宮先生はパチンッと軽く手を叩き、まるでスイッチを切り替えたように、元の明るく能天気な空気を纏い直した。
「先生もこれから、部活紹介のお片付けに行かなきゃいけないからね!」
強引に面談を終了させられ、俺たちはそそくさと生徒指導室から追い出されることになった。
ドアが閉まり、冷たい廊下へと放り出される。
神崎は大きく、とても重い息を吐き出した。
「……それじゃあ、俺たちはこれで」
神崎が、ひどく疲労の滲んだ声で言う。
網倉も、「う、うん……また明日ね、比企谷くん、綾小路さん」と、顔を引きつらせながら力なく手を振った。
無理もない。
五十万ポイントの口止め契約と、二千万ポイントという途方もない数字まで目の前で見せつけられた。
俺が同情したくなるほど、二人とも心底疲れ切った表情をしていた。
まともな高校生の感性なら、情報過多で脳がパンクして当然だ。
俺だって今すぐベッドにダイブして泥のように眠りたい。
重い足取りで去っていく二人の背中を見送りながら、俺もドッと疲労感が押し寄せる。
去っていった神崎と網倉の背中が階段の踊り場に消えるのを見届けてから、俺は首をギギギと回して、傍らに立つ綾小路へと視線を向けた。
彼女は今、何事もなかったかのように廊下の窓枠に手をつき、茜色に染まり始めた外の景色をぼやーっと眺めている。
俺は乾ききった唇を舌で舐め、どうにか声を絞り出した。
「……なあ、綾小路」
呼ばれて、彼女がゆっくりと振り返る。 夕日を背に受けて、長い茶髪がさらりと揺れた。
「どうして、あんなことを聞いた?」
クラス移動の権利。二千万ポイントという、事実上の不可能を意味する途方もない数字。
……どうしてクラス移動なんて単語が出てきたんだ。
俺の問いかけに、綾小路は瞬きを一つして、不思議そうにコテンと首を傾げた。
「……だって、私は八幡の味方だから」
彼女は、さも当たり前のことを確認するように少しだけ上目遣いになって言葉を付け足した。
「……ダメなの?」
…………は?
思考回路が完全に停止した、
……だって、八幡の味方だから?
クラスが分かれている以上、この学校のシステムにおいては確実に敵対する運命にある。
だから、俺の味方になるために、わざわざ二千万ポイントなんていうめちゃくちゃな金額を払ってでも、Bクラスへ移動する権利を買おうとしたってことか?
おかしい。 おかしすぎるだろ。
「……っ、お前な、意味わかってんのか!? クラス移動だぞ! しかも二千万だぞ!?」
思わず声を荒らげてしまう。廊下に俺の情けない声が響いたが、今はそんな体裁を気にしている余裕なんてない。
何故、そんなことのためにクラスを移籍しようとしているんだ。
仮に、クラス移動するのなら、Aクラスだろ。
それに俺たちは、昨日出会ったばかりだ。交わした言葉の数なんてたかが知れている。
俺がこいつにしてやったことなんて、マッ缶を譲ってやったことと、夕飯を食わせただけ。
それは、二千万ポイントの価値があるのか?
ないだろ。小町直伝とはいえ、原価にしてせいぜい数百ポイントだぞ。
普通じゃない。人間の行動原理として、完全に破綻している。
地位、名誉、保身、見栄。そういうわかりやすい打算で動く人間なら、まだわかる。
だが、こいつにはそれがない。
俺を見つめ返してくる大きな瞳は、どこまでも透き通っていて、不気味なほどに濁りがない。嘘や計算、相手を騙そうとする悪意なんてものは一切見当たらないのだ。
俺の「味方」でいるため。
たったそれだけの、子供のように無垢で無防備な理由で、クラス移動をしようとしている。
……わからない。 こいつが、わからない。
あまりにも常識の枠から外れすぎている。俺の経験が、この一点の曇りもない純粋な狂気の前では、まるで役に立たない。
得体の知れない存在だと思っていたが、ベクトルが違った。底が知れないんじゃない。
善意と、執着と、その行動原理が、俺の理解できる範疇を完全に超えちまっているんだ。
「……ダメ、だった?」
俺が頭を抱えていると、綾小路が少し不安そうに、俺のブレザーの袖口をツンツンと引っ張ってきた。
その顔には相変わらず表情がないが、声のトーンがほんの少しだけ下がっている。
「ダメとか、そういう問題じゃなくてな……」
綾小路は寂しそうにしょんぼりしている。
「……いや。ダメじゃ、ない」
俺の肯定を聞いた瞬間、綾小路の瞳の奥で、またしてもパァッと小さな星が弾けるように輝き出した。
「ん」と短く頷き、堂々と俺の右腕を抱きしめる。
……抱きしめる!?
「は、離せ!」
「……いや、八幡の腕、居心地いい」
クッソ! いい匂い、柔らかいと思ってしまった俺が嫌で仕方がない!
俺を殺せッ!
……ま、まあ何はともあれ、だ。
こいつは俺の味方だと言った。
それがどれほど狂った理屈であれ、その言葉に嘘はないことだけは、嫌というほど伝わってくる。
「……はあ、帰るか。腹減った」
「うん。今日の夕飯、なに?」
「……お前、当然のように食っていく気だな?」
「味方だから」
「味方とタダ飯はイコールじゃねえよ」
ぶつくさと言い合い(俺が一方的にツッコミを入れているだけだが)ながら、俺たちは学生寮へと向かう道を歩き出す。
こいつが味方になってくれるのなら、頼もしいことこの上ない。だから、別にこいつに飯を作るぐらい、なんてことない。
……それはそれとして離してほs「嫌」さいですか。
純粋で、それでいて真っ白、何をするか、どのように染まるのか、楽しみですね。てことで、綾小路の好感度、行きましょうか。
綾小路→比企谷 好感度50 ん。一緒にいて楽しい。それはそれとして、〇〇している。これ以上、私に優しくしないで、それはそれとしてどうしても離れられない。
作者コメント。まあ、親友ですね。本当に、クラスを捨ててもいいレベル。ただ、恋愛感情は、少しだけ、本当に少しだけしかありません。いいですよね、思いが育っていくのって。