抜け出せない沼を持つ男と実力主義の教室。雛鳥は何を見るか。 作:末路雛鳥
では本編をどうぞ。
翌日の昼休み。
Bクラスは図書室の一角で勉強会を開催していた。
……はあ。
どうしてこうなった。
俺の昼休みは、マッ缶と菓子パンを一緒に食いながらラノベを読むという贅沢極まりない至高の時間だったはず……
……何故国語や英語の解説なんてしているのだろうか。
中心となって教えているのは、もちろん言い出しっぺの神崎だ。
あいつは本当に出来た男で、自分の昼休みを削ってまでクラスメイトの質問に丁寧に答えている。
だが、悲しいかな。
クラスの人数的に神崎一人では到底カバーしきれない。
そこで白羽の矢が立ったのが、小テストの文系科目で高い点数を叩き出してしまった、この俺というわけだ。
「比企谷くん、ここの英文の訳なんだけど……」
「あー、そこは……」
あっちから呼ばれ、こっちから呼ばれ、完全に引っ張りだこ状態。
しかも、だ。 俺の向かいの席に座っている白波千尋という女子。
大人しくて小動物みたいな可愛らしい雰囲気の彼女は、どうやらあまり男子に慣れていないらしい。
俺が解説のために少し視線を向けただけで、ビクッと肩を震わせて隣の網倉の背中に隠れてしまう。
いや、俺は別に何もしないぞ。ただの腐った目をした無害な村人Aだ。
そんな怯えた目で見られると、こっちまで自分が不審者にでもなったような気分になって傷つくんだが。
そんな白波への配慮として、俺が、国語を苦手とする網倉に解き方のコツを教える。
そして、網倉がそれを自分なりに噛み砕いて、隣の白波に教える。
「なるほど! そういうことか! 千尋ちゃん、ここはね……」
「う、うん……あ、わかった、かも」
網倉の笑顔と、白波のホッとしたような柔らかい表情。
うん、素晴らしい。俺は一切白波と会話しなくて済むし、彼女も男へのストレスを感じない。
それにしても。
……昨日は大変だった。
昨日の夜、あいつはとんでもないことを言い出したのだ。
『今日は、ここに泊まる』
そう言ってベッドにコロンと転がって見せたあの姿。
冗談じゃない。女子高生を男子寮の自室に泊めるなんて、いくら何でも一線を越えすぎている。
全力で抗議し、ベッドから引き剥がして、半ば強引に部屋から追い出したのだ。
そこまではいい……だが、ドアを閉める、ほんの一瞬。 隙間から見えた、綾小路のあの目。
光を完全に失った、底なしの目。不満と執着がドロドロに煮詰まったような、あのヤバすぎる瞳が、今でも俺の脳裏にべったりと焼き付いている。
思い出しただけで、背筋に悪寒が走って震えが止まらない。
「比企谷、こっちの現代文の解釈なんだが……」
神崎の声で、意識を引き戻された。
「ああ、それは……」
解説をしながら、勉強会に参加しているクラスメイトたちを見渡す。 みんな真面目にノートを取り、少しヒントを出せばすぐに理解して自力で解き進めている。
なんだかんだ言って、この一年Bクラスの連中は、全員しっかりと勉強の基礎ができている。
わからないところを素直に聞く姿勢もある。
これなら、心配はいらないな。
誰かが赤点を取って、退学になるような最悪の事態は、今のところ想像できない。
そのまま黙々とシャーペンを動かし、時折飛んでくる質問に答える。 そんな平和な図書館に、騒ぎが聞こえてきたのは数分前のことだ。
少し離れた場所から、徐々に声のボリュームが上がっていく。どうやら何かの理由で衝突し、ヒートアップしているらしい。
「……ひどいな。別の場所に移動するか?」
眉をひそめた神崎が、たまらず提案してくる。 見れば、網倉は迷惑そうにして白波はビクビクとしていた。
集中が切れたクラスメイトたちも完全に騒音の限界を迎えている顔だ。
「そうだな……教室でするか」
そう言って席を立ち、騒ぎの起きている場所へとチラリと視線を向けた、その時だった。
騒動の中心。 いがみ合う生徒たちの側に、見覚えのある顔が視界に入り込んだ。
……は? 思わず目を凝らした。
周囲の怒声など一切どこ吹く風といった様子で、ぽつんと座っている無表情の女子生徒。
なんであいつが、ド真ん中にいるんだ。
いや、理由なんてどうでもいい。あいつはもう、昨日から何しでかすかわからん。
「……はあ、悪い」
俺は神崎たちに向けて短く告げた。
「ちょっと野暮用ができた。お前らは先に行っててくれ」
「? 比企谷、どこに……」
「比企谷くん?」
神崎と網倉の戸惑う声を背中で受け流し、真っ直ぐに騒ぎの渦中へと足を踏み出す。
人だかりを掻き分けて騒ぎの中心に近づくにつれ、飛び交う怒声からいがみ合っている連中の素性と事の顛末がなんとなく見えてきた。
どうやら、Cクラスの山脇とかいう男子生徒がDクラスの須藤っていうやつを煽ったらしい。
胸ぐらでも掴みかかりそうな一触即発の雰囲気。
そのいがみ合う男どもの間に足を踏み入れようとした――まさにその瞬間。
「はい、ストップストップ」
俺よりも早く。 ピンクブロンドの髪をふわりと揺らして、一人の女子生徒が迷いなく修羅場のど真ん中へ割り込んでいった。
一之瀬だ。
お前、マジか。血の気の多い男たちが今にも殴り合いを始めそうな空間に突っ込んでいくなんて、度胸はどうなっているんだ。
須藤が、苛立たしげに舌打ちした。
「んだ、テメェは。部外者が口出すなよ」
普通の女子なら悲鳴を上げて後ずさりしそうな迫力だ。
だが……
「部外者?」
一之瀬は一歩も引かず、むしろ真っ直ぐに須藤の目を見据えて言い放つ。
「この図書館を利用させてもらってる生徒の一人として、騒ぎを見過ごすわけにはいかないの。もし暴力沙汰を起こしたいなら、外でやってくれる?」
さらに一之瀬は、須藤からスッと視線を外し、今度はCクラスの山脇の方を見た。
普段の笑顔からは想像もつかないような、凛とした、隙のない表情。
「それから、君たちも挑発が過ぎるよ」
冷水を浴びせるような、毅然とした声が図書室に響く。
「これ以上続けるなら、学校側に報告するけど。……いいかな?」
おおぅ……。
少し離れた場所で立ち止まったまま、思わず感嘆の息を漏らしそうになった。
すげえな、おい。
怒鳴りつけるわけでもなく、泣き落としでもなく。ただ純粋な正しさと、学校側への報告というペナルティを的確に指摘して、両者の動きを完全に封じ込めた。
……俺、出る幕ないじゃん。
「……悪かったよ、一之瀬」
気まずそうに言葉一つ落とし、山脇は、あっさりと引き下がった。
一之瀬はくるりと振り返り、今度はDクラスの方へと向き直った。
「君たちも、図書館を利用するなら大人しくやろうね。……以上!」
完璧だ。これにて一件落着。
俺の出番なんて最初から一ミリも存在しなかった。俺も、勉強会に戻ろうかね。
そう思って、踵を返そうとした、その瞬間のこと。
一之瀬と見事なまでに、視線が交差してしまった。
「あ」
一之瀬の瞳が、俺の姿を目で捉えるなり、パァッと花が咲いたように輝いた。
さっきまでの凛々しさはどこへやら。彼女はそれはもう嬉しそうに小走りでこちらへ向かってくる。
えっ、ちょ、来るの? なんで? 心の準備をする暇すら与えず、一之瀬は俺の目の前までやって来るなり、両手を伸ばしてきた。
「比企谷くん、大丈夫だった?」
俺の両手を。その柔らかくて温かい両手で、包み込むように握りしめてきたのだ。
「……っ!?」
あまりの不意打ちに、完全に止まった。
ち、近い。顔が近い。そして手が柔らかい。いい匂いもする。
なんで一之瀬はこうもやすやすと距離を詰めてくるんだ。
「あ、あー……一之瀬が綺麗に収めてくれたからな。何事もなくて助かった」
挙動不審なキョドり方で、視線を泳がせながらなんとかそれだけを捻り出した。
だが、心拍数が跳ね上がっているのは、決して一之瀬のスキンシップにドギマギしているからだけじゃない。 視線が、痛いのだ。
前方から、Dクラスの男子二人が明確な殺意を込めてこちらを睨みつけている。
まあ、それはいい。ただの嫉妬だ。痛いだけで実害はない。
問題は、その後ろだ。
綾小路が、怖い!
俺と一之瀬の繋がれた手を、じーーーーーーーーーっと凝視している。
背筋を、本物の氷塊を滑らせたような強烈な悪寒が駆け抜けた。
そんな事実など知る由もなく、一之瀬はフッと俺の顔に近づき。 耳元へと顔を寄せた。
「……そうだ。中間テスト、過去問とかあったら、すっごく便利そうだね?」
吐息の混じるような、微かな囁き声。
「……は?」
俺は思わず、その言葉の意図を測りかねて目を見開いた。
過去問。 過去問ね……確かに、それがあった方がどんな問題が出されやすいのかわかりやすいか。
「ありがとな、一之瀬」
俺の言葉を聞いた一之瀬は、満足そうに、そして最高に嬉しそう満面の笑みを咲かせた。
「ううん、大丈夫」
握っていた手を、名残惜しそうに、けれどスッと綺麗に離す。 そして、首を傾げて、とびきり甘い声で言った。
「私、比企谷くんの……お友達だから。またね」
一之瀬が嵐のように去っていった後、図書室の空気に妙な空白が生まれた。
須藤たちの横からひどく焦ったような足取りで近づいてくる影があった。
「比企谷くん」
「……なんだよ。昨日は他人だなんだって言い捨てたくせに、ずいぶんと馴れ馴れしいな」
「そんな嫌味を言っている場合じゃないわ。……さっき、テスト範囲が変わったって言ったわね。それ、本当なの?」
堀北の切れ長の瞳が、すがるように俺を見つめてくる。
…… は? なんだこいつ、俺はそんなこと言ってないんだが。まあ、いいか。
「ああ、本当だぞ。先週の金曜に変更されてたぞ」
変更後の範囲を具体的に伝えると、堀北の白い顔から、さらにスーッと血の気が引いていくのがわかった。
「……っ。全然違うじゃない。」
呆然と呟くその顔は、見事なまでに青ざめている。
どうやら茶柱先生は、超重要なテスト範囲の変更を生徒に伝えていなかったらしい。
いや、伝えたのかもしれないが、誰も聞いていなかったのか。
どちらにせよ、このまま続けていたら、Dクラスの連中は退学者がたくさんだったってわけだ。
「……助かったわ、比企谷くん」
そう言って堀北は須藤たちを連れて消えていく。
あとに残されたのは、俺と、そして。
さっきから一言も発さず、俺の顔をジッと見つめ続けている綾小路雛鳥だけになった。
……気まずい。
どうにもこいつの視線を真っ直ぐに受け止めきれない。
逃げるように目を逸らそうとした俺の耳に、ぽつりと、平坦な声が届いた。
「このままじゃ、退学者が出る」
綾小路の声には、焦りも恐怖もない。ただ事実だけを並べているような響きだった。
俺も同意見だ。テスト範囲が変わっていることにすら気づかないクラスなんて、退学者が大量に出るに決まっている。
綾小路は、俺の顔をジッと、深くて暗い瞳で見つめてきた。
そして。
「退学者は、出させない」
「私の有用さ、見てて」
……有用さ? なんだその、自分を誇示するような言い回しは。
自分は役に立つ人間だ。
だから、見捨てないでくれ。
目の奥に、そんな悲痛で、ひどく歪んだアピールが隠されているような気がした。
役に立たなければ捨てられる。
そんな綾小路の、不器用すぎる自己証明。
言い終えた綾小路は、背を向ける。
「いや、待てよ」
気がつけば、俺の口からそんな言葉がこぼれ落ちていた。 歩き出そうとした綾小路の背中が、ピタリと止まる。
「有用さなんて、わざわざ示さなくてもいいだろ」
「その……あれだろ。お前、俺の味方なんだろ。なら、別に役に立つとか立たないとか、そういうのは関係ないんじゃないか。……仲間、なんだからよ」
言ってしまってから、顔から火が出るかと思うほど強烈な羞恥心に襲われた。
な、仲間!?
お前はどこの少年漫画の主人公だ! 俺たちは仲間だろ! なんて俺の口から出ていい言葉じゃない!
うわぁぁぁ、穴があったら今すぐブラジルまで掘り進んで埋まりたい!
すると背を向けていた綾小路が、ゆっくりと振り返った。
「んっ!」
彼女は小さく、けれどこれ以上ないほど力強く頷いた。 そして背を向けて。
スキップでもしそうな、ものすごく嬉しそうで軽やかな足取りで、図書室の出口へと向かって去っていった。
あの背中から、ピンク色のハートマークがぽこぽこと湧き上がっている幻覚すら見えた気がする。
……チョロい。
俺の羞恥心が引っ込んでしまうほどだ。
相変わらず、あいつのスイッチがどこにあるのかさっぱりわからん。
でも、まあ。あんな暗い目をしているよりは、あんな風に喜んで走っていく背中を見る方が、 圧倒的にマシだ。
だが、今はDクラスも、堀北の焦りも、俺には関係ない。
俺はこちらを見て安堵するBクラスの連中の方へ足を進めた。勉強会の再会だ。
……次の日の放課後。
俺の自室には、もはや日常風景と化してしまった光景が広がっている。
「ごちそうさま」
テーブルの上に置かれた空の食器を前に、綾小路が言った。
今日も今日とて、当たり前のように俺の部屋へ上がり込み、一緒に作った夕食を食べ終えた。
……俺のポイントがどんどんで溶けていく悲しみを、誰か理解してくれないだろうか。
綾小路はベッドにちょこんと腰を下ろした。
そして、自分の鞄をごそごそと漁り、一つのクリアファイルを取り出して俺の前に差し出してきた。
「これ、過去問」
「おお、サンキュー」
それを受け取った。
綾小路はもともと過去問を貰いに行く予定だったらしいので、ついでに俺の分も貰ってきてくれたのだ。
ファイルの中には、去年や一昨年のテスト問題が綴じられている。
これさえあれば、どういう傾向の問題を出してくるのか、ある程度の予測が立てられる。まさに喉から手が出るほど欲しかったものだ。
パラパラとめくっていると、綾小路がどこか嬉しそうな雰囲気を漂わせながら口を開いた。
「あの小テストが、ヒントだった」
「小テスト?」
俺は顔を上げる。
綾小路は頷き、自分の導き出した考察を淡々と、けれどほんの少しだけ自慢げな早口で説明し始めた。
曰く、あの小テストのラスト三問。
今の俺たちには到底解けないような激ムズ問題が混ざっていたあれだ。
あれに学校側の別の狙いが隠されていたのか、詳しい意図まではまだわからない。
けれど、もし仮に。過去の小テストと『まったく同じ問題』が出題されていたのだとしたら?
「過去問を見れていたら、満点は確実だった」
「なら、中間テストにも応用できるってことか」
「うん」
彼女は小さく頷き、ファイルを指差した。
「確認した。小テストは、過去のものと一言一句違わず同じ。……すべて、使い回し」
――マジかよ。
ファイルの束を見つめたまま、絶句した。
中間テストの全問題が過去問と同じかどうかは、まだわからない。だが、七割、いや五割でも同じ問題が出るとしたら。
これはもう、テスト対策なんてレベルじゃない。答えを知った状態でテストに臨むようなものだ。
「……いやすごいな、お前」
俺は呆れ半分、感心半分で溜め息を漏らした。
正直に言おう。
俺なんて、一之瀬から過去問の話を聞いた時。
「あー、出そうな問題の傾向が知れるかも。やったー」
くらいの、普通の考えだったよに。
……だって当たり前だろ、誰がこんなこと最初に思い浮かぶんだよ。
過去問は過去に出た問題を参考にするから過去問だろ、誰が一語一句一緒だってわかるんだよ。
だが、綾小路はそれを思いついた。
小テストの不自然な難易度と過去問の存在を結びつけ、すでに対策までしている。
底が知れなすぎて、逆に清々しいくらいだ。
……ん?
そこまで考えて、息を呑んだ。
少し考えれば、過去問の使い回しということはまあ、理解できる。
俺だって、こうして詳しく説明されれば納得できるだけの説得性はある。
だが、それならば一之瀬はあの時点で過去問の存在に気づいていたということになる。
「……すごいな」
一之瀬は、明るくて優しいだけじゃない。
状況を瞬時に分析して解決に導く判断力。そして、この答えを見つけ出すほどの洞察力。
さすがはAクラス、というやつだ。
なぜかわざわざ俺なんかにヒントを落としていった。
その意図は図りかねるが、利用できるものは何でも利用させてもらうしかない。
「八幡?」
思考していると、ベッドの上の綾小路が不思議そうに小首を傾げた。 その視線が、どこか不満げに俺を見つめている。
「どうかしたか?」
彼女はじっと俺の目を覗き込み。
「……他の女のこと、考えてた」
な、なんでわかるんだ。エスパーか。
一之瀬の優秀さに戦慄していた思考を、綾小路は完全に気づいている。
光のない真っ黒な瞳が、昨日を思い出させる。
「ち、違うぞ! 俺はただ、この過去問をどうやってクラスの連中に配ろうか考えてただけだ!」
言い訳を捻り出し、必死に両手を振った。
「あー、そうだ。試験三日前ぐらいに神崎に渡して、あいつから配ってもらうのが一番自然だよな。俺が急にこんなもん持ち出したら怪しまれるし!」
早口でまくしたてる俺を見て、綾小路は数秒間じっと沈黙した後。 ふいっと視線を逸らした。どうやら俺は助かったらしい。
バレないように深呼吸をし、冷や汗を拭った。
「……今日、泊まるから」
「……oh」
ワロタ、全然助かってねえわ。
……テスト当日の朝。教室には、いつになくピリッとした、それでいてどこか自信に満ちた空気が充満していた。
赤点は即退学というプレッシャーはあるものの、クラスメイトたちの顔に悲壮感はない。
誰もが真剣な眼差しで、直前まで復習に没頭している。
過去問は三日前に神崎の手からクラス全員に配布された。
もちろん、問題を使い回しているから丸々出る可能性が高いですよ、なんて暴露はしていない。
そんなことを言えば、油断して勉強の手を抜く奴が出かねないしこの手段はもう使えないだろう。
ならば、基礎学力を上げるために、過去問とさえ伝えていない。
神崎には先輩から去年のテストの傾向を聞いた。このあたりの問題が出そうだから、直前対策に使ってくれ、という、いかにもな自然な口実で配ってもらった。
姫野には、コッソリと答えを伝えてある。
その時の姫野の顔、凄かったな。
どう言葉にすればいいか、よくできた仲間(奴隷)を見るような、それでいて、本当に感心するような、そんな感じ。
……綾小路とのお泊まり? 知らないな、なんのことでしょ。
ただ、綾小路の抱きついてくる力に敗北したと、言っておこう。
チャイムと同時に、星之宮先生が軽い足取りで教壇に立った。 教室を見渡し、生徒たちの真剣な表情を満足そうに頷きながら見つめる。
「ふふっ。みんな、すっごくいい顔してるね! これなら、先生も安心かなー」
先生は純粋に応援してくれているように見える。流石に酒は飲んでいないらしい。
「あ、そうだ! みんなのモチベーションがもっと上がるように、とっておきのお知らせがあるんだ!」
星之宮先生がパンッと手を合わせ、とびきり明るい声で告げた。
「この中間テスト、それから七月の期末テストまで、クラスから一人の退学者も出さずに乗り越えられたら……夏休みに、豪華客船での南の島バカンスが待ってるよー!」
南の島。バカンス。
その甘美な響きに、張り詰めていたBクラスの連中から、おぉっ! という歓声が上がった。
柴田なんかはすでにガッツポーズまで決めている。網倉や女子たちもキャピキャピと浮き足立っている。
南の島のバカンス。
耳にいい響きだ。バカンスなんて言葉、あまり聞かないからな。
その時だった。
『うおおおおおおおおっ!!』
おそらくDクラスの方角から、凄まじい咆哮が響き渡った。 この教室まで響いてくるほどの、野生の雄叫び。
どうやらあっちのクラスでも、同じタイミングでバカンスの告知がされたらしい。
南の島。
バカンス。
すなわち、女子の水着。
なるほどな。あの雄叫びの正体はあの猿……いや、愛すべき男子生徒たちの煩悩の爆発だ。
うん、男だもん。仕方ないね。
俺自身は悟りを開いた聖人だからそんな下心はないが、彼らのそのピュアで動物的な考え方は嫌いじゃない。
え? 女子の水着がすぐ思い浮かぶのは聖人じゃない?
……聖人だって下心はあるだろ、知らんけど。
「さーて、それじゃあそろそろテスト始めようか。みんな、筆記用具以外はロッカーにしまってねー」
星之宮先生の合図で、浮かれていた教室の空気が再び一気に引き締まる。
前列から、裏返しにされた問題用紙が配られてくる。 俺の手元にも、それは回ってきた。 深呼吸を一つ。
いろいろと面倒事は尽きないが、まあ、大丈夫だろう。やれるだけの準備はしてきた。
「始め!」
先生の号令と共に、一斉に紙をめくる音が教室に響く。
シャーペンを握り直し、静かに目の前のテストへと挑み始めた。
結果発表ーー!
脳内で某バラエティ番組の聞き慣れた言葉が頭の中で響く。
はい、えー。現在、俺はどこにいるかと言いますと。
駅前の、カラオケボックスの、やたらと広いパーティールームの隅っこでーす。
参加者はなんと、Bクラスの生徒、全員。 繰り返す。クラス全員だ。
……帰りたい! 今すぐ帰って、ベッドにダイブしたい!
今は柴田がマイクを握りしめ、熱唱中だ。
その周りでは網倉をはじめとする女子たちがタンバリンを叩き、合いの手を入れている。
神崎でさえ、柄にもなく手拍子をして少しだけ口角を緩ませていた。
斜め前の席では、姫野がめんどくさいオーラを全身から放ちながら座っている。
あいつの気持ちは痛いほどよくわかる。今なら固い握手が交わせそうだ。この雰囲気で断るのは無理だ。
なぜ、こんな空間に俺が放り込まれているのか。 理由は極めてシンプル。中間テストの打ち上げだ。
その結果はと言えば。俺たち一年Bクラスは、見事、一人の赤点者も出すことなく乗り越えることに成功したってわけだ。
神崎たちの地道な勉強会と、過去問、それらが完璧に機能した。
誰一人欠けることなく、夏休みの南の島・豪華客船バカンスへの切符を手に入れた。
そりゃあ、テンションも振り切れてクラス全員でカラオケになだれ込もうって話にもなる。俺の拒否権なんて、網倉の。
「比企谷くんも絶対来てね!」
そんな笑顔の前では紙屑同然だった。
さらに言えば、退学者を出さずに生き残ったのはBクラスだけじゃない。
他のクラスからも退学者はゼロだった。
学年全体の平均点も軒並み高く、Cクラスだけが少し低迷していたようだが、それでも退学者0だ。
聞けば綾小路によるとDクラスは本当に最初は危なかったらしい。赤点候補が5人以上というやばい始まりだったそう。
そんなやつらがテスト範囲の変更に気づいていなかったのに、一人も赤点を出さない、更に数学と国語、社会が同率の一位になるなんて普通に考えれば奇跡に近い。
『退学者は、出させない。私の有用さ、見てて』
Dクラスの連中をあまり知らないが、堀北のおかげもあったのだろう。
だが、その裏で、あいつがどれほど手回しをしてクラスの平均点を引き上げたのか。
まあ、結果オーライだ。 綾小路が有言実行を果たしたおかげで、俺の良心も痛まないで済んだ。
「比企谷くーん! 何歌うー?」
網倉がマイクを片手に、笑顔でこちらへ駆け寄ってくる。
「あー、俺はパス。喉の調子が悪いから、聞く専門でいかせてもらう」
「えー、残念! じゃあ、また後でね!」
風のように去っていく陽キャの群れ。
俺は再びグラスのウーロン茶を啜り、小さく息を吐き出した。 まったく、騒がしい連中だ。
でも。 誰一人欠けることなく、バカみたいに笑って歌っているこの空間が。
柄にもなく、俺も少しだけ悪くないなんて、喜んでいる自分がいる。
自分の平穏を守るための打算だった。
神崎を利用し、網倉を利用し、綾小路と一之瀬を利用した。
全部、俺が楽になるためのエゴだ。
それでも、目の前で嬉しそうにしているこいつらを見ていると、俺のやったことも無駄じゃなかったのかなと、そう思えばほんの少しだけ胸の奥が軽くなる。
これから先、この学校でどんな無理難題が待ち受けているのやら。
考えるだけで胃が痛くなってくるが、まあ、今だけはこの喧騒に身を委ねてやるのも悪くないだろう。
その時、ポケットに入れていた携帯が、短く振動した。
メッセージアプリに届いていたのは、一枚の画像ファイル。 送り主は、綾小路。
「……は?」
画面に表示された写真を見て、変な声を漏らした。
そこに写っていたのは、ツーショットの自撮り写真。
画面の右側では、一之瀬が、とびきり眩しい満面のアイドルスマイルでダブルピースを決めている。
そして。 その一之瀬に肩を寄せられるようにして画面の左側に収まっているのは、我らが不思議ちゃん、綾小路だった。
……いや、顔!
一之瀬がパーッと花が咲いたように笑っている隣で、綾小路は見事なまでに表情筋が死滅した無表情のまま、カメラに向かって真顔でピースサインを作っている。
なんだこのシュールすぎる写真は。
どういう経緯で他クラスのこの二人が一緒に写真を撮る流れになったのか、さっぱりわからない。
一之瀬の持ち前のコミュ力が、綾小路のパーソナルスペースを強引に突破したのだろうか。
画像の下には、一言だけ、綾小路からのメッセージが添えられていた。
『八幡、今度、カラオケ行こ』
……。
どうやら、カラオケで打ち上げをしている知られているらしい。
「まったく……」
画面の中の、綾小路を見つめた。
こんな無表情のくせに、心の中では俺とのカラオケを想像して、喜んでいるのだろう。
自意識過剰でもなく、綾小路の考えが手に取るようにわかってしまう自分が、なんだかひどく悔しい。
「……まあ、悪くない」
こうして、最初の試練を乗り越えた比企谷八幡。
だが、これから、綾小路雛鳥よりも更に面倒な女子たちに絡まれることになるとは、まだ誰も知らない。
クラスポイント
Aクラス……1014cp
Bクラス……850cp
Cクラス……492cp
Dクラス……90cp
一之瀬と綾小路の会話。
「こんにちは! 綾小路さん!」
「……ん」
「ねえねえ。……ずっと聞いてみたかったんだけど、比企谷くんとどんな関係?」
「一之瀬さんに話すことはない」
「えー! ……そういえば私、昔の比企谷くんのこと知っt「詳しく」早いね」
「じゃあ綾小路さん、ううん、雛鳥ちゃん、友達の証として写真を撮って比企谷くんに送ろっか」
「……何故? あと気安く名前で呼ばないで」
「比企……ううん、八幡くんに雛鳥ちゃんにも私っていうお友達はいるんだよって伝えたいからね」
「!? この女……敵!」
そんな感じでした。
一之瀬さんは過去問を使っていません。
今作の一之瀬さんはパーフェクト一之瀬帆波さんです。
めちゃくちゃいい子なのはそのままに、その実力、内面は原作と大きく違います。
少し言うのなら、過去問という存在に気づく洞察力、まだ出ていませんが汚いと思えるやり方を、あまりやろうとは思いませんがやれるぐらい変化しています。
一之瀬さんは自分の魅力を理解しています。
つまり……?
須藤くんは綾小路さんがずっと電話して起こしてました、八幡くんのために必死だね。
須藤くん? 雛鳥ちゃんを見てどうしたの?
ここまで読んでくださりありがとうございました!
追記 ヒロインを決定いたしました。活動報告の方に知らせてますので、良かったらご視聴をお願いします。
ただ、ヒロインの受付をやめたわけではありません、もしこの方がいてほしいと思ったら活動報告の方にお知らせください。