抜け出せない沼を持つ男と実力主義の教室。雛鳥は何を見るか。 作:末路雛鳥
審議の日の放課後。
姫野から情報を聞いて、やはり勝ち目はないと確信した。
ただ、話していたら予想以上に時間が経っていたので、今は慌てて帰っている。
ちなみに姫野は買い物をする必要があると言い、足早に帰っていった。
綾小路は今日もいない。
『ちょっと坂柳さんとお話ししてくるから。先に帰ってて』
何の用事かわからないが、綾小路の幼馴染だというし、単純に遊んでいるんだろう。
俺にも夏休み中に会いたいらしい。
拒否したかったが綾小路の幼馴染なら少なくとも悪いやつじゃないだろうと思い承諾した。
寮への道を歩いていた時、自然と目に入った。
「……」
人気のないベンチに女子が座り込んでいる。
堀北だ。 今の彼女は膝を抱え、まるで打ち捨てられた人形のようにうなだれている。
堀北が顔を上げた、その表情は『悲痛』
その二文字がそれほどしっくりくるほどの痛々しいまでの絶望がそこにあった。
俺と目が合った瞬間、彼女の瞳から、ポロポロと、大粒の涙がとめどなくこぼれ落ち始めたのだ。
「……は?」
俺と目が合って泣いたの?
「いや、ちょっ、ちょっと待て!」
慌てふためくとはまさにこのことだ。
あの堀北が、泣いている。
俺の前で、声も出さずに静かに、ただひたすらに涙を流し続けている。
堀北を俺が泣かせたみたいな構図になってる。周囲に誰もいないのが不幸中の幸いだが、万が一誰かに見られでもしたら、最悪なレッテルを貼られてしまう。
ポケットからハンカチを出してそれを、泣き続ける堀北の顔の前へ、半ば強引に押し付ける。
「ほ、ほれ。……泣くなよ」
気の利いた慰めなんて出てこないほど焦っている。
堀北はハンカチを震える手で受け取ると、ギュッと顔を覆い、しゃくりあげるのを必死に堪えようとした。
「……っ、ひき、がや、くん……」
掠れた声で、俺の名前を呼ぶ。
「どうした。何かあったのか」
少しだけ距離を置いてしゃがみ込み、視線を合わせてそう尋ねると、ポツリ、ポツリと、重い口を開き始めた。
「……何も、できなかった」
絞り出すような、ひどく悔しさに満ちた声。
「佐倉さんが、勇気を出して……証言してくれたのに。私は、……兄さんの前で、一言も言葉を発せなかったっ」
何かしらの執着のある兄の前で完全に委縮してしまったというわけか。
「Cクラスの担任の、坂上先生が……すべての落としどころを、決めたの」
堀北は、ギリッと奥歯を噛み鳴らして涙を拭った。
「須藤くんは、二週間の停学と部活動を一学期の間禁止。……Cクラスの生徒たちは、一週間の停学」
――なるほど。
坂上先生の慈悲、いや何にせよ明らかに須藤の方がペナルティが明らかに重い。
Cクラスの連中は一週間の停学だけ。
喧嘩両成敗という形をとりながら、確実にDクラス側により大きなダメージを負わせる。
えげつない落としどころだな。俺の考えが合ってるかどうか知らんが。
「……私の、せいよ」
堀北は自分の膝を力強く握りしめる。
「私がもっとうまく立ち回れていれば。兄さんの前で恐縮せずに、佐倉さんの証拠をしっかりと証明できれば、少しでも引き延ばせられたのなら……あんな結果にはならなかった。私が、足を引っ張ったのよ」
自分の無力さを叩きつけられ、責任の重さに押し潰されそうになっている。
他クラスの事情だ。俺には関係ない。
須藤がどうなろうがそれは本人次第だ。Dクラスのポイントが再びマイナスに落ち込もうがそれはDクラスの問題だ。
俺には何の影響もない。
だが。
「……バカか、お前は」
堀北がビクッと肩を震わせ、赤く腫れた目で俺を睨み上げてくる。
「何よ……。貴方に、私の何がわかるって言うの」
「何もわかんねえよ。他人の心なんて、一生わからねえ」
「だけどな。お前が全部自分の責任みたいに背負い込んでるのは、ただの傲慢だ」
「ごう、まん……?」
「ああ。暴力を振るったのは須藤本人だ。そいつがそう認めている以上、勝ち負けは決まっていた。あいつがペナルティを食らうのは当然の結果だろ。佐倉が勇気を出して証言してくれたおかげで、もしかしたら、退学という最悪な展開にならずに済んでいた。そう考えられるだけで十分だろ。須藤は退学になっていない。なら、今からでもいくらでもやり直せる」
「お前は神か何かのつもりか? 自分が完璧に動けば、すべてが思い通りになるなんて勘違いするな。お前はただの高校生だ。できないことはあって当たり前だ」
「……本当に、貴方は」
「……こういう時は優しい言葉をかけるところよ」
「生憎、俺は普通じゃないんでね。それに、俺の優しさは八幡ポイント制だからな。ポイントがないから、優しさ0だ」
「ふふっ……」
ひどく歪な、けれど確かに自嘲するような微かな笑い声が、彼女の唇から漏れた。
そして、俺に言った。
「……ずっと、兄さんを追っていたの」
よほど限界だったのだろう。プライドをかなぐり捨てて、俺に本音をこぼすくらいには、彼女の心はパンク寸前だった。
「髪も、やり方も。全部兄さんに憧れて、兄さんに追いつきたい、そう思っていた……なのに、私はDクラスだった。それに納得できなくて、綾小路さんをこき使って、どうにかAクラスを目指そうとしていたの」
だけど、と堀北は自嘲気味に息を吐く。
「結局何もできなくて。最近は、陰湿な嫌がらせに少し遭っているわ。それに、綾小路さんは私を無視して……今一人で何かに奔走しているみたいだし」
……は? 虐めじゃないのか? 何で学校側は、監視カメラが写ってないところなのか? いや、それならトイレか更衣室とかで嫌がらせされたら分からない。
何で堀北は訴えない……なるほど、Aクラスを目指しているから、か。
それに綾小路をこき使おうだなんて、よく命があったな。
ただ、今はそれは後回しだ、俺は堀北の言葉から推測する。
堀北先輩。暴力はクソだ。妹に手を上げる時点で擁護はできない。
だが、その言葉の端々。
拒絶の裏側に、何か意図が隠されていたとしたら?
『孤高と孤独を履き違えている』
妹を嫌っているのなら、わざわざそんな核心を突くような忠告はしないはずだ。
もしかして、堀北先輩は。
妹が自分を追いかけすぎて、劣化コピーになっていることに気づいていて、わざと突き放すことで、先輩なりに何かを気づいてほしかったんじゃないか?
俺も小町に真似されたら嬉しいが、俺自身になりたいと言ったら、さすがに嫌だしな、小町は小町の良さがあるから。
……まあ、全部憶測だが。
「なあ、堀北」
「お前、今まで『自分の意思』で行動したこと、あるか?」
「……え?」
堀北は弾かれたように顔を上げた。
「何よ、それ。私は自分の意思で……Aクラスに上がるために、行動して」
「本当にそうか?」
容赦なく言葉を遮った。
「兄の背中を追って、兄と同じAクラスに入る。それは、お前の意思なのか? それとも、ただ兄に追いつくためだけか?」
堀北は再び深く俯いてしまった。
長い沈黙。 やがて、彼女の口から絞り出されたのは、まったく予期していない言葉だった。
「……ごめんなさい」
「は?」
「無理矢理協力させたり、焼肉を奢ってもらったり……。私。ストレスと、どうしようもない自分への無力感で……比企谷くんに、理不尽に当たってしまっていたわ」
「何故か、比企谷くんなら、受け入れてくれると思って、甘えてしまったっ」
素直な謝罪に思わず目を丸くした。
堀北が、素直に自分の非を認めて頭を下げたのだ。
ストレスで他人に八つ当たりする。
それはまあ、人間なら誰しもあることだ。
俺なんか雪ノ下や由比ヶ浜の愛のあるサンドバッグには慣れっこだから、別にそれ自体はどうでもいい。
むしろ、あれだけ食っていたのがストレス発散の暴食だったと知って納得がいったくらいだ。食い過ぎは体に毒だからな。
「……別に構わん。嫌がらせされていたなら、しゃあないわ」
後頭部を掻きながらため息を吐いた。
どうにも、放っておけない。
俺は世話焼きじゃないし、優しくもないが、こんなボロボロになって自分の過ちを認めた奴を、このまま放置していくほど、性根は腐りきっていないし教師志望としては、何かしら言いたい。
「んー……」
俺は一つの提案を思いついた、それなら堀北自身が選んだことになるし、嫌がらせからも逃れられる。
ただ……できるかどうかなんだよなぁ
「……お前個人で『Aクラスに移籍する』とか?」
「……え?」
堀北が、涙の跡が残る顔を上げて、ぽかんと見つめ返した。
「いや、だってそうだろ。お前の目的は『Aクラスに上がり兄に追いつく』ことなんだろ?」
こいつの事情はどうでもいいが、目的自体は、はっきりとしている。
「だったら、自分なりのやり方で二千万ポイントを貯めて、個人で移籍すればいいじゃないか……なんでわざわざ『Dクラスのごと引き上げる』なんていう、最高に難しい縛りプレイをやっているんだって思ってな」
そうだ。 協調性もなく、すぐに暴力沙汰を起こす須藤や、確証はないが堀北に嫌がらせをするDクラス。
そんな泥舟を、どうしてお前が、必死にAクラスまで押し上げようとしているんだ。
兄の真似事から抜け出して、自分だけの意思で頂点を目指すなら。
不要な重荷を切り捨てて、自分一人の力で登り詰めた方が、よっぽど合理的で早いじゃないか。
そんな提案を聞いて。 堀北は、しばらくの間ポカンとしていたが、やがて、少し微笑んだ。
「……バカね」
微かに口角を上げ、呆れたように息を吐いた。
「そんなこと、他クラスの私に教えるなんて。貴方、相当なお人好しね」
「ばっかお前」
即座に否定した。
「勘違いするな。そんな顔してる奴をそのまま放置して帰ったら、寝覚めが悪くなるからだ。」
彼女はゆっくりと自分の足で立ち上がり真っ直ぐに俺の顔を見据える。
その瞳には、さっきまでの絶望や迷いはなく、本来の彼女らしい、鋭い、でもどこか柔らかい光が宿っていた。
「そうね。……私は、私。それはずっと昔から、変わらなかったはずなのに」
自嘲するように、けれどどこか憑き物が落ちたようなスッキリとした声。
「何故『みんなで』なんていう、自分に向いていないやり方に囚われていたのかしら。何故、私は私だと、気づかなかったのかしら」
堀北は、風に揺れる長い黒髪を指先で梳く。
「綾小路さんの言う通りね。私自身が『そんなのあり得ない』『ダメだ』と思い込んだら、最初からその解決策を候補から外してしまう。……視野が狭かったわ」
堀北は復活した。
いや、ただ復活しただけじゃない。自分の弱さを認め、他人の言葉を咀嚼して取り込む柔軟さを手に入れた分、前よりもずっと厄介な存在に進化したような気がする。
堀北は短く息を吐き出した。 そして、俺に向かってスッと姿勢を正す。
「ごめんなさい、比企谷くん。……それから、一応お礼は言っておくわ」
ツンケンしていた態度が嘘のような、とても素直で、落ち着いた声。
「……ありがとう。道を、二回も示してくれて」
「何も解決していないし、Dクラスの状況は最悪のままだけれど」
堀北は、俺のハンカチを大事そうにスカートのポケットへしまい込んだ。
「これは、洗濯をして返すわね。……もしかしたら、またこれから貴方にお世話になるかもしれないわ」
――なんとなくだが、取り返しのつかないことになった気がしてならない。
「いや、お世話はしないぞ。俺は専業主夫を目指している男、つまり世話を焼くのは将来有望な奥さんだけだ」
「女の敵ね……冗談よ。また明日……比企谷くん」
言葉はキツいが柔らかい声で言い残し、踵を返す。
背筋をピンと伸ばし、迷いのない足取りで歩き去っていくその背中は清々しいほどに力強く見えた。
……こうやって首を突っ込んだのなら、最後まで責任を持たなきゃならんよな。
携帯を取り出して電話する。
プルッ「もしもし八幡、私のラブコールが欲しいの?」
「いや早いな? まあいいか。坂柳とは大丈夫なのか?」
「うん? 坂柳さんは微笑ましそうな顔してるから、大丈夫」
どういう状況なんだよ、それ。
「綾小路、少し頼み事してもいいか?」
「真剣……。そんな声もカッコいい」
……こいつどうした? 電話は初めてだがテンション上がりすぎだろ、なんか奇声が聞こえるし。
「詳しくは言えないが、堀北を守ってやってくれないか」
「堀北さんを?」
どこまで話せばいいか……まずは嫌がらせ、それから審議のこと、ぐらいか。
「あー、堀北が嫌がらせにあっているみたいでな、それで審議でーー」
「うん、わかった。八幡の頼みなら全力で堀北さんを守るよ」
流石綾小路、全部説明しなくても理解してくれる。
「止める?」
「……ああ、堀北自身が望んでないかもしれんがな。だから、堀北が気づく前にその嫌がらせを自体を消す、もしくは誰が嫌がらせをしているのか、そういう証拠があれば集めてくれるか?」
「ん、了解。でも意外、八幡が堀北さんを気にかけるなんて。……もしかして、また?」
「……じゃあ、切るぞ」
「あっ、はちまーー」
……さて、帰るか。
……余計なお世話かもしれない、堀北が知れば拒否するかも知れない。
けれど、一度でも事情を聞いてしまったら、放置なんてできっこない。
教師って……大変なんだな。
この学校にきて本当に実感できる。
堀北さんに嫌がらせしているのはDクラスの一部です。
原作では清隆くんがメールで虐めの誘いを、櫛田が嫌うだろうな、とメールして止めていましたが雛鳥ちゃんは見てもないのでって感じです。
4日か一週間ぐらい投稿しません。特別試験とか一年生編を全て読み直すので、ご了承ください。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
その間はにゃんこ大作戦のヤンデレ小説を出しますので。