翌朝、ヤマトはバクスターに連れられて格納庫へ向かった。艦内の通路は迷路のように入り組んでいて、配管やケーブルが天井を這っている。格納庫の重い扉が開く。途端に、機械油と金属の匂いが鼻を突いた。広い空間に戦闘機が並んでいる。どれもこれも見たことがない機体だ。ヤマトは思わず足を止めた。
「これが……俺が乗る機体」
「ああ。F-35だ。手入れは行き届いている。腕次第ではさらに化ける」
バクスターが一機の機体を軽く叩く。鈍い音が響いた。ヤマトは機体を見上げた。戦闘機に乗るのは初めてだ。貨物機とはまるで違う。もっと鋭く、もっと獰猛な形をしている。
「かっこいいな」
思わず呟くと、バクスターが笑った。
「気に入ったか」
「ええ。飛ばしてみたい」
「その意気だ。だが、まずは座学からだ。戦闘機の操縦は民間機とは訳が違う。それに、武器の使い方も覚えてもらう」
「武器……」
ヤマトはごくりと喉を鳴らした。戦う、という現実が急に重みを増した。
その時、格納庫の奥からひょこりとターシャが顔を出した。今日はピンクの髪を高い位置で結んでいる。整備服の上からでもわかるほど、動きやすい格好だ。
「あ、来た来た。ヤマト...だっけ?今日からよろしくね」
「ああ、よろしく」
「ターシャ、彼はまだ訓練も始まってないんだぞ」
「わかってるって。でも、早く一緒に飛びたいじゃん。ね、コスター?」
ターシャが背後に声をかける。すると、機体の影からひょろりとした男が姿を現した。金髪の前髪が長く、目が半分隠れている。年はヤマトと同じくらいだろうか。無表情で、じっとヤマトを見つめている。
「コスターだ。4番機を飛ばしてる」
ターシャが紹介する。コスターは小さく頷いただけだった。ヤマトは軽く手を挙げて挨拶した。
「ヤマト・サイトウです。よろしく」
コスターは相変わらず無言だったが、しばらくヤマトの顔を見た後ぼそりと言った。
「……ギター、弾くのか」
「え?」
「指。弦の跡がある」
ヤマトは自分の左手を見た。確かに指先にはギターを弾いていた頃の硬い皮膚が残っている。この男、よく見ている。
「ああ、趣味で。ギターが好きなのか?」
「……少し」
コスターの口元がほんのわずかに緩んだ。ターシャが驚いたように声を上げる。
「え、コスターが自分から話しかけるの珍しい! ヤマト、あんた何か持ってるね」
「別に普通だと思うけど」
「普通じゃないよ。コスターは好きな音楽の話にならないと自分から喋らないんだから」
ターシャがけらけら笑う。コスターは少し照れたように顔を逸らした。その仕草がどこか子供っぽくて、ヤマトは思わず笑みを漏らした。
「どんなバンドが好きなんだ?」
「……古いのが多い。ブルースとか」
「いいな。俺もブルース好きだよ」
コスターの目がわずかに輝いた。前髪の隙間から、琥珀色の瞳が見える。彼は小さく頷いた。
「……後で、話そう」
「ああ、ぜひ」
バクスターが咳払いをした。
「悪いが、音楽談義は後にしてくれ。ヤマト、まずはシミュレーターだ。ついてきてくれ」
「はい」
ヤマトはコスターとターシャに軽く手を振って、バクスターの後を追った。格納庫を出る間際、コスターが小さく手を挙げて返してくれたのが見えた。
シミュレーター室は薄暗く、大きな機械が壁一面に並んでいた。中央には操縦席を模した装置がある。バクスターが座席をポンと叩いた。
「座ってくれ」
ヤマトは操縦席に収まった。計器盤が目の前に広がる。貨物機とはまるで違う配置に、少し戸惑う。
「まずは基本から。離陸、旋回、着陸。これを繰り返す」
「了解」
スイッチを入れると、前方のスクリーンに空が映し出された。青い空。白い雲。あの日の海とは正反対の光景だ。ヤマトは操縦桿を握った。指先に力がこもる。
(飛ぶんだ)
エンジン音が響く。機体が滑走路を加速していく。速度計の針が上がる。引く。機体が浮く。空へ。
「いいぞ。その調子だ」
バクスターの声が後ろから聞こえる。ヤマトは無我夢中で操縦桿を動かした。旋回。上昇。降下。体が覚えている。貨物機とは違うが、空を飛ぶ感覚は同じだ。風を切る感覚。雲を抜ける感覚。自由。
(ああ、やっぱり飛ぶのはいい)
シミュレーションを終えた時、ヤマトは額に汗をかいていた。バクスターが満足そうに頷く。
「基礎はできている。あとは戦闘機の機動と武器の扱いだ。飲み込みは早そうだな」
「ありがとうございます」
「だが、油断するな。実戦はシミュレーターとは違う。特にこの海域は敵の防空網が厳しい。生き残るには技術だけじゃ足りない。状況判断と、仲間との連携が何より重要だ」
バクスターの声は厳しかった。ヤマトは頷いた。その時、シミュレーター室の扉が開いた。入ってきたのはレックスだった。相変わらず無表情で、静かな足取り。彼はヤマトの後ろに立ち、スクリーンに映る戦闘機の軌道をじっと見ていた。
「レックス」
バクスターが声をかける。レックスは短く頷き、ヤマトに言った。
「次は実機だ。ついてこい」
「え、もう?」
「座学は十分。体で覚えろ」
レックスはそれだけ言って歩き出した。バクスターが苦笑する。
「隊長はせっかちでね。だが、レックスの言う通りだ。実機に乗った方が早い。行ってきなさい」
「はい」
ヤマトは立ち上がりレックスの後を追った。格納庫に戻ると、ターシャとコスターが機体の整備をしていた。ヤマトを見て、ターシャが手を振る。
「お、もう実機? 早くない?」
「レックス隊長が」
「あー、レイはそういう人だから。じゃ頑張ってね。落ちないでよ」
「落ちないようにする」
ヤマトは笑って答えた。レックスがF-15の前に立っていた。どうやらこれに乗るらしい。ヤマトは梯子を登り、後席に座った。前席にレックスが収まる。狭いコックピットだ。レックスの肩越しに計器が見える。
「操縦は俺がやる。お前は後ろで見て覚えろ」
「了解」
エンジンがかかる。轟音が全身を震わせた。機体が動き出す。格納庫の扉が開き、甲板へ。外の光が差し込む。風がコックピットに入り込む。ヤマトは息を呑んだ。
(外だ。本物の空だ)
レックスの操縦は正確だった。無駄がない。離陸の瞬間も、旋回も、すべてが滑らかで静かだ。ヤマトは食い入るようにその動きを見つめた。無口な男の、雄弁な操縦。機体が海の上を飛ぶ。波がきらきらと光っている。あの日、自分が漂っていた海だ。だが今は、こんなに美しく見える。
「どうだ」
レックスが前を向いたまま言った。短い問いかけ
「凄い....」
ヤマトは小さく呟く。
「右へ旋回」
機体が傾く。海が傾く。空が回る。その感覚がたまらなく好きだ。それからレックスは何も言わなかったが、その手は安定していた。信頼というものを初めて感じた。この男に任せれば大丈夫だ、と。
訓練が終わって甲板に戻った時、ヤマトは全身が疲れていたが心は不思議と満たされていた。レックスがコックピットから降り、ヤマトを見た。
「励め」
それだけ言って、彼は歩き去った。ヤマトは思わず笑みがこぼれた。たった三文字。だが、その三文字がどんな褒め言葉よりも嬉しかった。
格納庫に戻ると、ターシャが駆け寄ってきた。
「どうだった? レイと飛んで」
「無口だけど、すごい人だ」
「でしょ。あたしも最初は大丈夫かコイツ?思ったけど、今は信頼してる。レイが前を飛んでくれる限り、あたしたちは大丈夫って」
ターシャの言葉には、確かな信頼が込められていた。ヤマトは頷いた。その時、艦内放送が響いた。
『ジョーカー隊、全員航空司令室へ。作戦会議を行う』
ターシャの表情が引き締まる。コスターも黙って歩き出した。ヤマトは三人の背中を追いながら、胸の奥で何かが騒ぐのを感じていた。
(作戦会議。もう、戦うのか)
だが、怖くはなかった。むしろ、不思議と落ち着いていた。飛び方を教えてくれた人がいる。信頼できる仲間がいる。そして、自分には守りたいものがある。あの海で失われた命。その意味を、無駄にはしたくない。
航空司令室の扉が開く。中にはすでにバクスターとレックスがいた。そしてもう一人、黒人の女性士官がスクリーンの前に立っている。凛とした姿勢。鋭い目。彼女が振り返り、ヤマトを見た。
「これが新人?」
「はい、副官。ヤマト・サイトウです」
バクスターが答える。副官と呼ばれた女性は、じっとヤマトを見つめた。その視線は厳しいが、どこか温かみがあった。
「私が戦艦エンデュランスの副官だ。これからよろしく頼む、ヤマト」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ヤマトは背筋を伸ばして答えた。副官は小さく頷き、スクリーンに向き直った。スクリーンには海域の地図が映し出されている。赤い点がいくつか。敵の位置だろう。
「今日の作戦を説明する」
副官の声が室内に響く。ヤマトは深呼吸した。戦いが始まる。だが、一人ではない。仲間がいる。それだけで、ずいぶんと違う。
窓の外では、海が夕日に染まり始めていた。オレンジ色の光が、鋼鉄の艦を優しく包んでいる。ヤマトはその光を見ながら、静かに拳を握った。