## 初陣
作戦会議室の空気は、張り詰めていた。スクリーンに映し出された海域図には、複数の赤い点が散らばっている。敵の哨戒機、あるいは艦艇。副官がレーザーポインターでその一つを指した。
「我々の任務は輸送船団の護衛だ。明後日エンデュランスは補給船団と合流し、この海域を通過する。だがここから東南の航路は敵の哨戒網が厚い」
「つまり、アタシ達が露払いってわけね」
ターシャが腕を組みながら言った。副官は頷く。
「そうだ。ジョーカー隊は先行し、敵の哨戒機を排除。その後船団の頭上を護衛する。敵の戦闘機隊が現れる可能性も高い」
「敵の戦闘機か。どんな機体だ?」
バクスターが尋ねた。副官はスクリーンを切り替えた。映し出されたのは、鋭角的なシルエットの戦闘機だった。
「敵の主力はラファールだ。数は我々と同等か、それ以上。他にも懸念すべき点がある。なんだと思う、ヤマト」
副官がヤマトとの名前を呼ぶと部屋にいるレックス以外の視線がヤマトに集まる。
ヤマトは少し悩んでゆっくりと答えた。
「...パイロットの質ですかね」
そうヤマトが答えると副官は彼を見た。
「その通り。敵のパイロットは練度が高い。特に編隊戦術に長けている。だからこそ、ジョーカー隊の連携が鍵になる」
ヤマトはごくりと喉を鳴らした。ラファール。聞いたことはある。
その時、通信機から軽やかな声が割り込んできた。
「やあやあ、お揃いで。作戦会議盛り上がってるかい?」
「ディーラー」
副官がわずかに眉をひそめた。スクリーンの横に新たな通信ウィンドウが開く。映ったのは、三十代半ばの男だった。柔らかな笑みを浮かべ、どこか飄々とした雰囲気がある。
「AWACSのディーラーだ。作戦中の指示は彼が担当する」
良いワックス?そんなバカな、そう心の中でヤマトは笑う。分かっていないヤマトにバクスターが小声で説明した。
「AWACSと言うのは早期警戒管制機と言って大型レーダーを駆使して索敵や作戦中の指示を出したりする奴らのことさ」
ディーラーはスクリーン越しにヤマトを見つけた。
「おや、君が新人かな? ヤマト・サイトウ君。漂流から三日で復帰とは、なかなか肝が据わってるね」
「はあ、ありがとうございます」
「どういたしまして。ところで、今回の作戦、ポーカーで言うなら『フラッシュ・ドロー』ってところかな。手札は悪くない。だが、相手のベットを見極める必要がある」
ディーラーは楽しげに言った。ターシャが小さく溜め息をつく。
「またポーカーですか。わかりにくいんですけど」
「おや、失礼。つまりだねターシャ。敵はこちらを警戒して、慎重に手札を切ってくる。だから我々は、あえて強気にベットして相手の裏をかく。そういうことだ」
「……余計わかんなくなった」
ターシャが頭を抱える。ディーラーは楽しそうに笑った。ヤマトはこの男を嫌いになれそうにないと思った。柔らかい口調の中に、確かな自信と冷静さがある。
「ディーラー、話を戻す」
副官が促した。ディーラーは軽く手を挙げて謝罪の仕草をした。
「失敬。で、作戦だが。ジョーカー隊は4機編隊で先行。1番機レックス、3番機ターシャ4番機コスター、そして5番機にヤマト。2番機は今回欠番だ」
「俺が5番機?」
「そう。ターシャの後ろを飛ぶ。ターシャとコスターが前衛、レックスが全体を統率バクスターが後方支援だ」
ヤマトは隣のターシャを見た。彼女はにやりと笑って親指を立てた。
「あたしの後ろ、しっかり守ってよね」
「ああ、任せてくれ」
「頼もしいねえ。で、だ」
ディーラーが続ける。
「敵の哨戒機は二機一組で動いている。まずこれを叩く。ターシャとコスターで一機、ヤマトとレックスで一機だ。バクスターは上空で待機。敵の増援に備えてくれ」
「了解」
バクスターが頷く。ヤマトは自分の役割を頭の中で反芻した。レックスと組んで、敵機を一機。初陣でいきなり実戦だ。手が汗ばむ。
「不安か?」
レックスが隣で言った。相変わらず前を向いたまま、表情は見えない。ヤマトは正直に答えた。
「少し。でも、飛べます」
「ならいい」
レックスはそれだけ言った。短いが、なぜか安心した。この男の言葉は、無駄がない分だけ重い。
XOが最後に全員を見渡した。
「出撃は明朝0600。それまでに各自、機体の最終確認と休息を取れ。以上だ」
解散の空気が流れる。ヤマトは立ち上がりながら、もう一度スクリーンの海域図を見た。赤い点。敵の位置。明日、あそこへ飛ぶ。
格納庫に戻ると、整備兵たちが機体の最終チェックをしていた。ヤマトは自分の機体F-35、5番機の前に立った。整備兵の一人が声をかけてくる。
「ヤマトさん、初陣ですか」
「はい。これからよろしくお願いします」
「任せてください。この機体、手はかかりますけどいい子ですよ」
整備兵は機体の翼を優しく撫でる。ヤマトはコックピットに手をかけた。明日、ここに乗る。飛ぶ。戦う。そして
(帰ってくる。仲間と一緒に)
それが何より大切なことだと、ヤマトは思った。あの海で一人きりで漂っていた時に感じた絶望。もうあんな思いはしたくない。誰も。
その夜、ヤマトは与えられた寝台で横になりながら、天井を見つめていた。艦内は静かだ。波の音だけが、遠くで聞こえる。眠れなかった。目を閉じると、あの日の光景が浮かぶ。割れた空。折れた翼。燃える機体。そして、冷たい海。
(でも、今は違う)
ヤマトは毛布の中で拳を握った。今は、飛び方を教えてくれた人がいる。信頼できる仲間がいる。ターシャの生意気な笑顔。コスターの静かな音楽の趣味。バクスターの温かい言葉。そして、レックスの無口な信頼。
(大丈夫だ)
いつの間にか、眠りに落ちていた。夢の中でも、空を飛んでいた。青い空。白い雲。風の音。そして、隣には誰かの機体が並んで飛んでいる。
翌朝。0500。暗いうちに起き、簡単な朝食を取った。パンとスープ。味はよくわからなかった。格納庫に集合すると、全員がすでに揃っていた。ターシャは眠そうな顔をしているが、目はしっかりと開いている。コスターは無言で機体に乗り込んでいく。バクスターがヤマトの肩を叩いた。
「緊張しているか?」
「はい。でも、飛びます」
「それでいい。緊張は必要だ。だが、恐怖に飲まれるな。お前は飛べる。それを忘れるな」
「ありがとうございます」
バクスターは頷き、自分の機体へ向かった。レックスが最後にヤマトの前に立った。
「死ぬな。それだけだ」
「了解です」
レックスは短く頷き機体に乗り込んだ。ヤマトも5番機に乗り込む。シートに座り、計器を確認する。エンジンを始動させる。轟音が響く。機体が震える。甲板が開く。外の光が差し込む。風がコックピットを撫でる。
『ジョーカー隊、発進』
ディーラーの声が通信機から聞こえた。柔らかい口調だが、その裏に緊張が隠れている。
『いいか、諸君。今日の手札は悪くない。だが、油断するな。相手は手強い。では——ベットだ』
レックスの機体が最初に飛び立つ。ターシャ、コスターと続く。ヤマトは深呼吸した。操縦桿を握る。前を見る。青い空。白い雲。風。
(行くぞ)
機体を滑らせる。加速する。引く。機体が浮く。空へ。あっという間に海が眼下に広がる。波がきらきらと光っている。ターシャの機体が右前方に見える。コスターがその少し後ろ。レックスが先頭。バクスターが最後尾。
『ヤマト、聞こえるか』
レックスの声。
『聞こえます』
『ターシャの後ろを離れるな。俺は前を見る』
『了解』
編隊が整う。ヤマトはターシャの機体の後ろにつく。彼女の機体が小さく左右に揺れた。通信機からターシャの声。
『ヤマト〜、あたしの後ろピッタリね。いい感じ』
『落ち着く』
『でしょ? あたしも最初は不安だったけど、レイが前を飛んでくれてたら大丈夫って思えるようになった。今はあたしが後輩を守る番なんだからさ』
ターシャの声は明るいがその言葉には確かな責任感が滲んでいた。ヤマトは頷いた。前を見る。レックスの機体が雲の間を縫うように飛んでいく。その動きは昨日の訓練と同じ、無駄のない静かな軌道。
『敵哨戒機、二機。左前方距離8000』
コスターの声が通信機から聞こえた。初めて聞く彼の戦闘中の声。低く、落ち着いている。
『ターシャ、コスター、左の敵機を叩け。ヤマト私に続け。右の敵機だ』
レックスの指示が飛ぶ。
『了解!』
ターシャの声が弾む。彼女の機体が左へ旋回する。コスターがそれに続く。ヤマトはレックスの後を追って右へ。敵機が見えてきた。小さな黒い点が、急速に大きくなる。ラファールだ。鋭角的なシルエット。速度が上がる。
(来る)
心臓が高鳴る。恐怖ではない。これは——興奮だ。飛んでいる。戦っている。生きている。
『ヤマト、私の後ろで援護しろ。敵の注意を引く』
『了解!』
レックスが加速する。ヤマトも続く。敵機がこちらに気づいた。機体が旋回し、こちらに向かってくる。正面から。速度が上がる。すれ違う瞬間、レックスの機体がわずかに横滑りした。敵の機銃が空を切る。ヤマトは操縦桿を引いた。敵機の背後に回り込む。
『今だ、撃て』
レックスの声。ヤマトは迷わずトリガーを引いた。機銃が火を噴く。弾道が敵機の翼をかすめる。当たった。敵機が傾く。だが、まだ落ちない。敵は立て直し再びこちらに向かってくる。
『もう一度だ。俺が引きつける。お前は横から』
レックスの機体が前に出る。敵の注意がレックスに向く。ヤマトは機体を横に滑らせた。敵機の真横。距離、近い。トリガーを引く。今度は直撃。敵機のエンジンから黒い煙が噴き出す。機体が錐もみ状態で海へ落ちていく。
「やった……」
思わず呟いた。通信機からレックスの声。
『よくやった。ターシャ、そちらはどうだ』
『こっちも片付いたよ! コスターが決めた!』
ターシャの明るい声。コスターの機体が右前方に見える。彼の機体の周りに、黒い煙の跡が残っている。敵機はもういない。
『よし。全機、帰投する。船団の護衛は次の編隊に任せる』
レックスの指示で編隊が向きを変える。ヤマトは操縦桿を握ったまま、大きく息を吐いた。全身が汗でびっしょりだ。手が震えている。だが、悪くない震えだ。
(生きてる。帰るんだ)
エンデュランスの甲板が見えてきた。機体を着陸させる。コックピットから降りた時、脚が少し震えていた。だがしっかりと立った。ターシャが駆け寄ってくる。
「ヤマト、やったじゃん! 初撃墜おめでとう!」
「ああ、ありがとう。ターシャも」
「あたしはコスターが決めたからね。でも、あんたの動き悪くなかったよ。レイの後ろでちゃんと援護してたし」
ターシャは肩をぽんぽんと叩いた。コスターが無言で近づき、小さく頷いた。その表情は少しだけ誇らしげに見えた。
バクスターが機体から降りて、ヤマトの前に立った。
「どうだった、初陣は」
「緊張しました。でも、飛べました。撃てました」
「上出来だ。だが、これが続く。戦争は一度勝ったくらいで終わらない。次も、その次も生き残れ」
「はい」
バクスターは頷き格納庫へ歩いていった。最後にレックスが近づいてきた。相変わらず無表情だ。だが、その目は昨日より少しだけ柔らかい気がした。
「悪くない」
またその言葉。ヤマトは笑った。
「ありがとうございます」
レックスは頷き背を向けた。その背中を追いながら、ヤマトは思った。この人たちと一緒なら、飛べる。戦える。生き残れる。
その夜、ヤマトは寝台に横になりながらギターが弾きたくなった。指が弦を覚えている。あの日、海に落ちる前に弾いていた曲。静かなブルース。コスターに聞かせたら、なんと言うだろうか。
(明日、聞いてみよう)
目を閉じる。今日の空が、まぶたの裏に浮かぶ。青い空。白い雲。そして、隣を飛ぶ仲間の機体。あの海で失ったものは戻らない。だが、ここで得たものもある。仲間、そして飛ぶ意味。
ヤマトは静かに眠りに落ちた。波の音が、子守唄のように聞こえた