初陣から二週間が過ぎた。ヤマトは毎日のように飛んだ。訓練、哨戒、小規模な戦闘。回を重ねるごとに操縦にも慣れ、ジョーカー隊の一員としての自覚も芽生え始めていた。
ターシャとは口論が絶えなかったが、それは信頼の裏返しだとわかっていた。彼女はヤマトの技量を認めつつも、後輩としての扱いを忘れない。それが心地よかった。コスターとは時折ギターの話をした。彼はベースの話になると、前髪の奥の目が輝く。無口な男の饒舌な一面を見るたび、ヤマトは嬉しくなった。
バクスターは訓練の合間に戦術論や空戦の歴史を教えてくれた。元大学教授だけあって、その話は面白く引き込まれる。戦闘機乗りとしてだけでなく、一人の人間として成長させてくれる。そんな存在だった。
そしてレックス。相変わらず無口で、必要最低限のことしか話さない。だが、ヤマトは気づいていた。レックスが時折、振り返って編隊の位置を確認すること。ターシャやコスターの機体が正常に飛んでいるか、常に気を配っていること。無口な男の、雄弁な気遣い。それがヤマトには頼もしかった。
その日、ディーラーから新たな作戦が告げられた。
「今回は少し大きいよ。敵の補給線を断つ。輸送船団を護衛する敵の艦隊を叩くんだ」
航空司令室のスクリーンに敵艦隊の予想航路が映し出される。赤い点が三つ。駆逐艦、巡洋艦そして空母が一隻。
「空母からは戦闘機隊が出る。数は六機。我々四機で相手をする」
副官が淡々と説明する。ヤマトは眉をひそめた。
「四対六ですか」
「そう。だが、敵は我々を過小評価している。そこを突く」
「ポーカーのブラフだね」
ディーラーが楽しげに言う。
「相手は強い手を持っていると思っている。だが実際は、こちらに切り札がある。それを見せる前に、勝負を決める」
「切り札?」
ヤマトが尋ねると、ディーラーはスクリーンに新たな図を映した。
「君たちの連携だよ。ジョーカー隊の編隊戦術は、この海域では敵も恐れている。特にレックスの指揮はね。敵はレックスを狙ってくる。だからこそ、それを逆手に取る」
「つまり、俺が囮になるということか」
レックスが短く言った。ディーラーは頷く。
「その通り。だが、一人じゃない。ヤマトが君の後ろを飛ぶ。二人で敵の攻撃を引きつけ、その隙にターシャとコスターが敵編隊を分断する。バクスターは上空から狙撃支援だ」
「役割は理解した」
レックスはそれだけ言って、スクリーンから目を逸らした。その横顔は相変わらず無表情だが、ヤマトにはわかる。彼はこの作戦の危険性を正確に理解している。囮になるということは、集中攻撃を受けるということだ。
(レックスさんを守らないと)
ヤマトは拳を握った。あの日、初陣でレックスに守ってもらった。今度は自分が守る番だ。
作戦は翌日に決まった。その夜、ヤマトはギターを手に格納庫の片隅に座っていた。指が自然と弦を弾く。静かな曲。不安を紛らわせるための、祈りのような旋律。
そこへ、静かな足音が近づいてきた。顔を上げると、レックスが立っていた。珍しい。彼が自分から話しかけてくることはほとんどない。
「弾けるのか」
「少しだけ」
「聞かせてくれ」
レックスは壁にもたれて腕を組んだ。その姿勢はリラックスしているようで、どこか張り詰めている。ヤマトは頷き、弦を弾いた。静かなブルース。ゆっくりとしたコード進行。レックスは目を閉じて聞いていた。その表情からは何も読み取れない。だが、少なくとも不快ではないようだった。
一曲終えると、レックスが口を開けた。
「戦友が・・・昔弾いていたそうだ」
ヤマトは息を呑んだ。レックスが自分の話をしたのは初めてだった。
「レックスさんの戦友が?」
「ああ。だか実際に聴いたことはない。戦争で死んだ。数ヶ月前だ」
「え?」
ヤマトはレックスが言っている意味がよく分からなかった。まるで戦友がギターを弾いていたといま知ったかのような、そんな口振りだったから。ヤマトはこれ以上考えるのをやめて質問を考える。ヤマトはギターを膝に置き、静かに聞いた。
「戦友の為に飛ぶんですか」
レックスはしばらく沈黙した。格納庫の照明が彼の金髪を照らしている。その横顔は、いつもより少しだけ年齢を感じさせた。
「飛ぶ理由は人それぞれだ。俺の場合は、これしかなかった。彼の分も飛ばなければならないと思っている」
「そうなんですね。もしかして機体の翼のマークと何か関係が?」
「そうか、知らなかったな」
レックスがそう呟く。そしてヤマトはある人物について聞かされた。レックスがジョーカー隊の隊長になったキッカケになった男のことを。
ヤマトは言葉を失った。レックスがこんなに長く話すのは初めてだった。そして、その内容はあまりにも重い。
「レックスさん」
「何だ」
「明日、必ず守ります。あなたの後ろを離れません。その戦友の為にも」
レックスはヤマトを見た。青い瞳。そこに初めて、はっきりとした感情が見えた。信頼。あるいは、期待。そんなもの。
「頼む」
それだけ言って、レックスは格納庫を出ていった。ヤマトはギターを抱えたまま、しばらく動けなかった。胸の奥が熱い。この人のために飛びたい。そう思った。
翌朝。0600。いつもと同じ時刻に、いつもと同じ格納庫に集合した。だが、空気は違う。今日は大きな作戦だ。全員の表情が引き締まっている。
ターシャがヤマトの隣に立った。
「今日は気合い入ってるね」
「まあな」
「あたしも。気合い充分!」
「俺もだ」
コスターが頷く。バクスターが最後に全員を見渡した。
「全機、生きて帰る。それが最優先だ。いいな」
「了解」
五機が同時に答える。レックスが最初に機体に乗り込む。ヤマトも5番機へ。エンジン始動。轟音が響く。甲板が開く。光が差し込む。
『ジョーカー隊、発進』
ディーラーの声。
『今日の手札は最強だ。だが、油断するな。相手も必死だ。では——ベットだ』
五機が次々と飛び立つ。ヤマトはレックスの後ろにつく。ターシャとコスターが右へ展開する。バクスターが上空へ。編隊が整う。海が眼下に広がる。青い海。白い波。そして、遠くに敵艦隊の影。
『敵編隊、確認。六機。こちらに向かってくる』
コスターの声。ヤマトは目を凝らした。小さな黒い点が六つ。急速に大きくなる。MiG35。六機編隊。美しいほどに整った動き。
『予定通りだ。ヤマト俺に続け。ターシャ、コスター、タイミングを見て分断しろ』
『了解!』
レックスが加速する。ヤマトも続く。敵編隊が二つに分かれた。三機ずつ。一方がレックスに向かってくる。もう一方がターシャたちへ。
『来るぞ』
レックスの声。ヤマトは操縦桿を握り締めた。敵機が機銃を放つ。レックスが横滑りでかわす。ヤマトも続く。弾道が空を切る。心臓が高鳴る。恐怖ではない。集中だ。
『ヤマト、右から来るぞ』
『見えてます』
敵機が右から迫る。ヤマトは機体を反転させた。正面から迎え撃つ。トリガーを引き弾が敵機の翼をかすめる。敵は旋回し、体勢を立て直す。その隙にレックスが背後から敵機を捉えた。
『撃つ』
レックスの機銃が火を噴く。敵機が煙を上げて落ちていく。一機撃墜。だが、残り二機が同時に襲いかかる。
『隊長、上です!』
ヤマトは叫んだ。レックスが急上昇でかわす。ヤマトは下から敵機を狙う。トリガー。直撃。二機目が落ちる。残り一機が撤退していく。
『ターシャ、そちらはどうだ』
『まだ! ちょっと手こずってる!』
ターシャの声に焦りが混じる。ヤマトは見た。ターシャとコスターが三機を相手に苦戦している。コスターの機体が被弾した。煙を引いている。
『コスター!』
ヤマトは叫んだ。通信機からコスターの声。
『平気。まだ飛べる』
だが、その声は苦しそうだ。レックスが即座に判断する。
『ヤマト、ターシャを援護しろ。俺はこっちの残敵を片付ける』
『了解!』
ヤマトは急旋回し、ターシャたちの方へ向かう。コスターの機体が危ない。敵機が執拗に追いかけている。ヤマトは加速した。間に合え。そう願いながら。
『ターシャ、コスターの近くを離れるな!』
『わかってる!』
ターシャが叫ぶ。ヤマトは敵機の背後に回り込んだ。トリガーを引き敵機の翼を撃ち抜く。煙を出しながら落ちていく。残り二機。ターシャがもう1機を撹乱している。その間に後ろからロックオン。ミサイルが敵機を海に落とすと最後の一機が撤退していく。
『よし、敵編隊、撤退! 全機帰投せよ!』
ディーラーの声。ヤマトは大きく息を吐いた。生きている。みんな生きている。コスターの機体を見る。煙はまだ出ているが、飛んでいる。大丈夫だ。
『コスター、大丈夫か』
『ああ。ありがとう』
短い言葉。だがその中に確かな感謝が込められていた。ヤマトは頷いた。エンデュランスの甲板が見えてくる。着陸。機体を降りる。脚が震えている。だが、立っている。
幸い被弾したコスターに大きな怪我はなかった。
ヤマトとターシャがコスターを囲み戯れているとバクスターが近づいてきた。その表情は安堵に満ちている。
「よくやった、ヤマト。お前の援護がなければコスターは危なかった」
「いえ、間に合ってよかったです」
「謙遜するな。お前は今日、確かにジョーカー隊の一員として戦った。胸を張れ」
バクスターはヤマトの肩を叩いた。その手は温かく、そして重かった。
最後にレックスがやってきた。相変わらず無表情。だが、その目は昨日よりずっと柔らかい。
「よくやった」
その言葉にヤマトは笑った。
「ありがとうございます」
レックスは頷き格納庫へ歩いていく。その背中を追いながら、ヤマトは思った。この人の後ろを飛べてよかった。この人に守られて、そして守れてよかった。
その夜、ヤマトはギターを弾いた。ターシャが隣に座っている。コスターもいる。
奥にいるレックスは壁にもたれて腕を組んだまま。だが、その足がわずかにリズムを刻んでいるのをヤマトは見逃さなかった。
(この人も、音楽が好きなんだ)
そんなことを思いながらヤマトは弦を弾き続けた。海の上に浮かぶ鋼鉄の艦の中で。戦争の真ん中で。それでも、音楽は鳴る。仲間がいる。信頼がある。守るべきものがある。
「悪くない。本当に、悪くない」
ヤマトは呟く。明日も飛ぶ。明後日も。そして、いつか戦争が終わるその日まで。この仲間と共に。この空を共に。