人類が宇宙という暗黒の大海原へ飛び出してから、数世紀の時が流れた。
かつて人類の生活圏は、ひとつの惑星と、その周辺の衛星に限られていた。
だが、科学技術の発展は人類の生存圏を惑星から恒星系へ、恒星系から銀河の彼方へと押し広げていった。
宇宙という環境に適応するため、人類は自らの肉体さえも変えていった。
遺伝子工学による老化抑制。
人工臓器による身体機能の維持。
サイバネティックスによる四肢や神経系の強化。
脳内インプラントによる記憶、演算能力、情報処理速度の拡張。
それらの技術が普及した結果、人類の寿命は飛躍的に延びた。
個人差はあるものの、適切な医療と身体の維持を受けた人間ならば、千年近い人生を送ることさえ珍しくない。
百年は、人生の終わりではなくなった。
二百年をかけて学問を修める者もいれば、三百年をかけてひとつの分野を極める者もいる。
国家の歴史も、企業の歴史も、かつてとは比較にならないほど長くなった。
しかし、人間の本質まで変わったわけではなかった。
欲望。
野心。
嫉妬。
愛情。
そして、憎しみ。
人類は寿命を延ばし、肉体を強化し、脳を拡張した。
それでもなお、他者の心を完全に理解することだけはできなかった。
人類の生存圏が広がるにつれ、国家の形も変化した。
かつて大陸を領土としていた国々は、やがて星系をひとつの国家として統治するようになった。
国家間戦争は惑星間戦争へ。
国境線は宇宙空間へと移り、星々の間に軍事境界線が引かれた。
豊かな惑星は資源採掘のために開発され、地表の大半を工場に覆われた惑星もあった。
企業によっては、ひとつの惑星そのものを巨大な生産設備へと作り変えた。
惑星軌道上には無数の工業プラントが浮かび、巨大な港湾ステーションには数千隻もの宇宙船が出入りする。
宇宙は人類にとって、未知の世界であると同時に、巨大な経済圏でもあった。
だが、宇宙進出にはひとつの大きな問題が存在した。
距離である。
星と星の間に横たわる空間は、あまりにも広大だった。
通常の推進機関だけでは、恒星間の移動に膨大な時間を要する。
そこで人類は、空間そのものを利用する技術を開発した。
三次元空間を山折りにするように歪ませ、何億光年もの彼方にある目的地と現在地を、ひとつの短い経路として接続する。
次元歪曲航法。
通称、次元スキップ。
空間を飛び越えるのではない。
空間そのものを折り畳み、離れた二点を繋ぐのだ。
この技術によって、人類は星々の海を渡ることが可能になった。
ただし、空間を歪ませるという行為は、莫大なエネルギーと精密な演算を必要とする。
座標の誤認。
航法演算の破綻。
次元接続の不安定化。
たったひとつのエラーが、宇宙船を予定航路から逸脱させる。
最悪の場合、船は誰も知らない空間へと放り出され、二度と帰還できなくなる。
それでも、人類は宇宙へ進み続けた。
より遠くへ。
より豊かな星へ。
より大きな利益を求めて。
そして、そんな星々の海には、国家にも企業にも属さず、自らの腕ひとつで生きる者たちが存在した。
傭兵である。
彼らは戦場を渡り歩き、護衛、偵察、輸送、艦隊支援、敵艦の撃破など、あらゆる依頼を引き受けた。
中には国家の正規軍さえ手を焼く戦場で、たった一隻の艦艇によって戦況を覆す者もいた。
彼らは英雄と呼ばれることもあれば、厄介者と呼ばれることもある。
そして、その傭兵たちの間で、ある男の名前はよく知られていた。
グラハム・トルストイ。
二つ名、ライトニング。
雷光のごとく戦場を駆け抜ける、孤高の傭兵。
数々の戦場を生き延び、艦艇を手足のように操り、圧倒的な戦闘センスで敵を翻弄する男。
その戦闘能力は、艦隊戦から格闘戦に至るまで、あらゆる分野で一流と評されていた。
だが、そんな男にも、たったひとつだけ弱点があった。
それは、戦場とはまったく関係のないところに存在していた。
本人は知らない。
いや、知ろうとすらしていなかった。
その弱点が、今もなお彼を待ち続けていることを。
そして、その弱点が国家の軍事組織を動かせる立場にまで上り詰めていることを。
グラハムは、まだ知らなかった。