イエローチェイン   作:聖骸

4 / 6
03 十六年前の約束

 

宇宙間メトロが発進した。

 

窓の向こうを、巨大な宇宙港の構造物がゆっくりと流れていく。

 

目的地は、M4星系ロシア連邦軍第七支部。

 

グラハムは座席に腰を下ろし、深いため息を吐いた。

 

「……マジか」

 

十六年前。

 

彼は軍大学を卒業すると同時に、ロシア連邦を出た。

 

誰にも告げず。

 

何の説明もせず。

 

そして、二度と戻らないと誓った。

 

理由は、ひとりの女だった。

 

アリー・パヴロヴァ。

 

初等部で出会った、幼なじみ。

 

当時の彼女は、人見知りで、引っ込み思案で、初対面の相手と話すことが苦手な少女だった。

 

金色の髪と澄んだ青い瞳。

 

北欧系の整った顔立ち。

 

同年代の子供たちの中でも、ひときわ目を引く容姿をしていた。

 

だが、その美貌とは裏腹に、彼女は他人との距離をうまく縮められなかった。

 

そんな彼女を、グラハムはよく遊びに連れ出した。

 

「アリー、行こうぜ!」

 

「え……どこに?」

 

「外!」

 

「外って……どこ?」

 

「行けばわかる!」

 

そう言って手を引き、校庭へ飛び出した。

 

放課後には一緒に遊び、休日には家を訪ね、時には悪戯をして大人たちに叱られた。

 

アリーは、グラハムの隣にいるときだけ、自然に笑うことができた。

 

彼女自身、その理由を理解していなかった。

 

ただ、彼がいないと寂しかった。

 

彼が別の友人と遊んでいると、胸の奥が落ち着かなかった。

 

彼が自分の名前を呼んでくれると、それだけで嬉しかった。

 

その感情の正体に気づくには、まだ幼すぎた。

 

中等部に進む頃には、二人は常に一緒にいるのが当たり前になっていた。

 

周囲からも、二人でひとつのように扱われていた。

 

「また一緒なのかよ」

 

「お前ら、本当に仲がいいな」

 

「もう結婚しちゃえば?」

 

そんな言葉を投げかけられるたび、アリーは顔を赤くした。

 

そして、グラハムは。

 

「ははっ、何言ってんだよ」

 

と、笑い飛ばした。

 

そのたびにアリーは、胸の奥が少しだけ痛くなるのを感じていた。

 

この頃には、もう自覚していたのだ。

 

自分はグラハムが好きなのだと。

 

誰よりも。

 

何よりも。

 

しかし、告白する勇気はなかった。

 

今の関係が壊れることが怖かった。

 

だから、いつか彼が自分の気持ちに気づいてくれるのを待つことにした。

 

彼も自分のことが好きなのだろう。

 

そう信じていた。

 

実際、グラハムはいつも彼女を頼っていたし、何かあれば真っ先に彼女のところへやって来た。

 

アリーにとって、それは十分すぎるほどの証拠だった。

 

もっとも。

 

グラハム本人に、そんな自覚はなかった。

 

彼にとってアリーは、大切な幼なじみだった。

 

一緒にいて楽しく、頭がよく、頼りになる。

 

それ以上でも、それ以下でもない。

 

少なくとも、本人はそう思っていた。

 

そして高等部。

 

二人の関係は、少しずつ変化していった。

 

ある日、グラハムはアリーに告げた。

 

「俺、軍大学を受けようと思うんだ」

 

「……軍大学?」

 

「ああ。戦術とか、艦隊運用とか、もっと本格的に勉強したくてさ」

 

アリーは一瞬、驚いたような顔をした。

 

それから、すぐに笑顔になった。

 

「そうなの。だったら、私も軍大学を受けるわ」

 

「……え?」

 

「一緒に勉強しましょう?」

 

「いや、俺は軍大学を受けるって言っただけで、お前が受ける必要は……」

 

「私も興味があるもの」

 

「……そう?」

 

「ええ」

 

アリーは微笑んだ。

 

彼女にとって、答えは最初から決まっていた。

 

グラハムが進む道なら、自分も進む。

 

彼が目指す場所なら、自分も目指す。

 

それが当然だった。

 

ただし、グラハムはひとつ大きな勘違いをしていた。

 

彼は、アリーが自分と同じく軍人になりたいのだと思っていた。

 

実際のところ、彼女が本当に望んでいたのは、彼の隣にいることだった。

 

そして、その頃から。

 

アリーは、グラハムの生活能力に重大な問題があることを知ることになる。

 

きっかけは、彼の部屋を訪れたことだった。

 

初めて足を踏み入れたグラハムの部屋。

 

そこに広がっていた光景は、彼女の想像をはるかに超えていた。

 

部屋の隅には、栄養補給ゼリーの空き容器が積み上がっていた。

 

洗濯物は山になり、床には脱ぎ捨てられた衣類が散乱している。

 

クローゼットを開ければ、同じデザインのTシャツとパンツが何着も並んでいた。

 

「…………」

 

アリーは、しばらく何も言えなかった。

 

「……グラハム?」

 

「ん?」

 

「あなた、普段どうやって生活しているの?」

 

「普通に?」

 

「これの、どこが普通なの?」

 

「え? 着る服はあるし、飯も食ってるし、問題なくね?」

 

アリーは頭を抱えた。

 

この男は、戦術理論の試験で満点を取る。

 

艦隊運用の演習では、教官すら驚く判断を見せる。

 

複雑な戦況を瞬時に把握し、最適な行動を導き出す。

 

それなのに。

 

洗濯ひとつ、まともにできない。

 

食事は栄養補給ゼリーで済ませる。

 

衣類は同じものを大量購入して着回す。

 

部屋の掃除という概念すら怪しい。

 

「……このままじゃ、あなたは生きていけないわ」

 

「いや、大げさだろ」

 

「大げさじゃない!」

 

珍しく声を荒らげたアリーに、グラハムは目を丸くした。

 

その日から、彼女の生活管理が始まった。

 

食事の時間。

 

睡眠時間。

 

洗濯の予定。

 

部屋の掃除。

 

勉強の計画。

 

健康診断。

 

そして、交友関係。

 

最初は、ただの世話焼きだった。

 

だが、アリーの中では、いつの間にか意味が変わっていた。

 

自分がいなければ、グラハムはまともに生活できない。

 

自分が面倒を見なければ、彼は身体を壊すかもしれない。

 

自分が隣にいなければ、彼は無理をして、誰にも頼らず、いつか倒れてしまうかもしれない。

 

それは彼女にとって、耐えがたい想像だった。

 

だから、彼女は世話を焼いた。

 

少しずつ。

 

確実に。

 

グラハムの生活の中に、自分の居場所を作っていった。

 

そしてアリーは、そんな自分の行動が、彼への愛情の表れなのだと信じていた。

 

告白など必要ない。

 

これだけ一緒にいるのだから。

 

これだけ彼の面倒を見ているのだから。

 

彼だって、自分の気持ちに気づいているはずだ。

 

……そう、信じていた。

 

一方のグラハムは。

 

「いやー、アリーがいて助かるわ」

 

などと、呑気に笑っていた。

 

アリーはその言葉を聞くたび、嬉しそうに微笑んだ。

 

そして、ますます彼の世話を焼くようになった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。