*
「はい、開いてますよ~」
扉をノックすると、おっとりとした女の子の声が返ってきた。
はっきりとは分からないけれど、彼女の言葉には関西の方のイントネーションがあるように感じられた。
「失礼します……」
そっと扉を開けて部屋に入ると、椅子に座ったショートカットのウマ娘が微笑みかけてくれた。
ちょっとタレ目気味な彼女の大きな薄緑色の瞳に、自然と視線が惹きつけられる。
アドマイヤシャノンさんの冷たい美貌とはまた違った、温かい雰囲気の美人さんだ。
「はじめまして。うちと同じ高等部一年生のメルティラブさんやね?」
関西弁と言うと早口で攻撃的というイメージがあったけど、彼女の口調はゆったりしていて、どこか親しみが持てた。
「あ、うん。あたしのこと、知ってるの?」
「そらもう。中ステのミドルディスタンス連覇してるメルティラブさんの実力は、うちのおった大阪でも有名やったし」
「そうだったんだ」
中ステは全国中学生ウマ娘ステークスの略称だ。
過去の実績を褒めてくれる彼女に、あたしは照れ笑いを浮かべるよりない。
「あ、そうそう。自己紹介しとかんといかんね」
そう言って彼女は立ち上がると、あたしと同じぐらいのバストに手をおいてにっこり笑った。
「うち、ノゾミっていうねん。短い名前で覚えやすいやろ? よろしくね」
「うん、よろしく」
ルームメイトが話しやすそうな娘で良かったと安心しながら、あたしのほうも笑顔で軽く会釈した。
*
「ホントはもうちょっと大阪の実家でゆっくりしてたかったんやけど、引っ越し業者さんの予定が入学式の日しか空いてなかったんよ」
床に座ったノゾミは、あたしの荷物をテキパキと仕分けしながら、入学式の日に入寮したわけを話してくれていた。
かなりの量の荷物を実家から持ってきたので、彼女の方から『よかったら片付け、手伝おか?』と言ってくれたのは正直ありがたかった。
「まぁ4月は引っ越しシーズンだしねぇ。なかなかこちらの思った日にお願いできないよね」
「せやなぁ。でもメルちゃんはうちと
「いや~。あたしの実家は一応関東圏……千葉なんだけど、千葉県時空ヶ原って揶揄されるぐらい田舎の方なんだよね。遊ぶとこって言ったら、イオンモールぐらいしかないようなところ」
持ってきた服をシワにならないよう、慎重に引き出しにしまいながらノゾミの質問に答える。
近くにけっこう大きめの公園があったり、きれいなお花畑があったりするのは良かったんだけどね。
「で、そんなド田舎なもんだから、もし実家からトレセン学園に通おうと思ったら、片道1時間半ぐらいかかっちゃうんだよ」
「ああ、それで通学やなくて寮に入ることにしたんやね」
「そうそう」
トレセン学園の朝練の開始時間は6時から始まると聞いていた。
もし自宅から通おうとすると、4時ぐらいには起きないといけない。
それはさすがに厳しいだろう、ということで家族会議の末、あたしは寮に入ることになった。
「始業式ギリギリまで実家にいたのは、やっぱり家族と離れるのがちょっと寂しかったからかな。少しでも実家を出るのを先延ばしした感じだね」
「あ~、それわかるわ。うちも家族とのしょーもないケンカはしょっちゅうやったけど、東京行ってしばらく会えんと思ったら、やっぱり寂しかったもん」
そんなあたしをからかうでもなく、ノゾミはそう言ってくれる。
「でも実家の環境がそんな感じってことは、まわりに緑が多かったんとちゃう?」
少ししんみりした空気を変えたかったのか、ノゾミは会話を少し前に巻き戻した。
「というか、うちの周りはイオン除いたら木と田んぼとお花畑しかなかったよ」
あたしは自虐的に苦笑して、軽く肩をすくめる。
「それはそれで羨ましいけどなぁ。うち大阪市内に住んでたけど、ちょっと緑の多いとこ散歩に行こうと思ったら長居公園か服部緑地まで行かなあかんかったわ」
「あっ、長居公園は聞いたことある。昔、レース場があったところだよね?」
少し得意げになってノゾミの方を指さすと、彼女は少し目を丸くして小さく笑った。
「よう知っとるなぁ。関西人以外やと長居公園というたら、サッカースタジアムぐらいしか出てこんのに。地元民でもそのこと知ってる人少なかったで」
「お父さんがトレーナーだからね。レース関係のことは色々と聞かされて育ったから」
「なるほど、どうりで」
そう相槌を打つと、ノゾミはポン、と自分の太ももを叩いた。
「よし。だいたい荷物の区分けは終わったな。あとはメルちゃんのわかりやすいとこに、なおしとくとええやろ」
「えっ、なおす……?」
持ってきた荷物の中に、なにか壊れていたものでもあったのだろうか?
あたしが軽くとんらんしていると、彼女はちょっと困ったように軽く笑った。
「……ごめん。自分のわかりやすいところに荷物しまっておいてって意味や。大阪弁には愛着もあるけど、ちょっと控えたほうがええかもしれんな」
そう言ってノゾミは立ち上がると「飲み物買うてくるわ。メルちゃんはなにがええ?」と聞いてきてくれる。
「あ、それなら一緒に行くよ」
「かめへんかめへん。寮の先輩からの入寮祝いや。なんでも好きなん言うて」
立ち上がろうとするあたしに、ノゾミは控えめに笑って手をひらひらと振った。
そう言ってくれるなら……お言葉に甘えようかな。
「じゃあ、ミルクコーヒーお願いできる?」
「了解」
「あっ、ちょっと待って」
ドアノブに手をかけたノゾミを、あたしは呼び止める。
「どうしたん?」
「……戻ってきたら、少しお話しておきたいことがあるの」
できるだけ気軽に伝えようとしたけれど、思ったよりシリアスな声が出てしまう。
「わかった」
ノゾミは小さくうなずくと、そっと扉を開けて飲み物を買いに行ってくれた。
*
「で、お話って?」
買ってきたばかりのレモンティーを手に持ってベッドに腰掛けたノゾミが、穏やかな声で口を開いた。
「う~ん……どう話したものか」
自分のベッドに座り、ノゾミと向かい合っていたあたしは、右手をあごに当てて少しだけ彼女から視線をそらす。
左手に持っているミルクコーヒーの缶が、ずいぶんと冷たく感じる。
「その。笑わないで聞いてほしいんだけど」
「うん」
自分の秘密を今日知り合ったばかりの相手に伝えるというのは、思ったよりも勇気が必要だった。
でも【彼女】のことをなにもノゾミに伝えないまま一緒の部屋で生活すれば、きっとよけいな溝を生み出してしまう。
せっかく仲良くできそうなルームメイトと同室になったのに、それは嫌だった。
あたしは乾いた喉を少しでも潤そうと、ゴクリとつばを飲み込む。
「実はあたしの中にもう一人の女の子……別の人格がいるの」
単刀直入にまず結論から伝えると、ノゾミは苦笑と驚き、それに軽い呆れのようなものがないまぜになった、なんとも言えない表情を浮かべた。
「……ふむ。でもメルちゃんの顔見てると、どうも単にからかわれてるとか、厨二病こじらせてるとかって話でもないようやな」
ひょっとしたらあたしは、自分で思っている以上に深刻な顔をしていたのかもしれない。
ノゾミはそういうと、レモンティーを一口飲んで居住まいを正す。
あたしも奢ってもらったミルクコーヒーに、そっと口づける。
「続けてくれる?」
「……あ、うん。あたしの中にいる女の子……あたしは【シロハ】って呼んでるんだけど、シロハとあたしは話ができるの。ただ、創作物でよくあるように、心のなかで思うだけでは話ができなくて、シロハと会話しようと思ったら声に出さないとダメなんだ」
どこまでシロハのことを伝えるか迷ったけど、あたしは一緒に過ごしていく中で知っておいてほしいと思ったところを、できるだけ手短に説明した。
部屋に、なんとも言えない沈黙が落ちる。
「あ~……」
あたしの話を聞き、床をみつめて少し考えごとをしていたノゾミは、合点がいったような声を上げた。
「つまり、あれやね。この部屋でメルちゃんが独りごと言ってるようでも、実はそのシロハちゃんとお話してることがあるからあまり気にせんといて、ってことかな?」
「そ、そうそう」
あたしがうなずくと、ノゾミはサイドテーブルの上にレモンティーを置いてうん、と小さく頷く。
「わかった。まぁウマ娘にはいろんな体質の娘がおるからな」
ノゾミは笑ってそう言うと、ぴょんとベッドから立ち上がった。
「なんやお腹すいたなぁ、と思ったらもうお昼前か。ちょっと早いけど、食堂にいこか。ここのご飯、けっこう美味しいんやで」
「あっ……そうなんだ」
思ったよりあっさりと受け入れてくれたようで、なんだか少し拍子抜けしてしまった。
間の抜けたような返事をして、あたしもベッドから腰を浮かせる。
ごちそうになったミルクコーヒーを残すのも気が引けたから、あわてて残っていた中身を喉の奥へ流し込んだ。
「そうや。そのシロハちゃんについてひとつだけ聞いてええ?」
「あ、うん。なに?」
「うちとシロハちゃんって、お話することできる?」
それは、ここにくる前から想定していた質問だった。
「ああ、うん。あたしを通してってことになるけど……」
「そうなんやね」
ノゾミは面白そうに笑うと、サムズアップを飛ばしてくる。
「シロハちゃんも、これからよろしくな」
<……こちらこそよろしくお願いしますって、ノゾミさんに伝えてくれる?>
いつもよりためらいがちな感じで、シロハが囁くように言う。
「こちらこそよろしく、だって」
「そかそか。いや~、二人部屋やのに3人で生活するみたいでちょっと楽しみやなぁ」
そういうと彼女は、ドアを開けて先に部屋を出た。
2・3歩遅れて、あたしもノゾミについて行く。
<大阪の人って、あんまり細かいこと気にしないのかしら……?>
ちょっと困惑したかのように、シロハが言う。
どうなんだろう。
大阪の人というよりかは、ノゾミの個性のような気がする。
「ところで、なんでシロハってお名前なん?」
「ああ。この子のこと、お母さんとお父さんは【内なる白】って呼んでいるんだよ」
時間帯のこともあるのか、廊下にはほとんど人がいなかった。
ノゾミもそのあたりを考慮して、話を振ってくれているのだろう。
「ご両親はシロハちゃんのこと、ご存じなんやね」
「うん。あたしのほかに、最初にこの子の存在に気づいたのはお母さんだったからね」
静まり返った廊下では、思ったより声が響いた。
あたしは少しトーンを落として、話を続ける。
「で、この子と話す時にいちいち『内なる白よ……』って呼ぶのもそれこそ中二病っぽいし、シロだとなんだか犬っぽいじゃない」
「そういや国民的アニメに、そんな名前の飼い犬がおったなぁ」
「でしょ。だからシロハって女の子らしい名前をあたしがつけてあげたってわけ」
<……別に私は名前をつけてくれ、とは頼んでないけどね>
脳内からの抗議を、あたしはいつもと同じように受け流す。
かわいい名前をつけてあげたんだから、ちゃんと感謝してほしい。
「いつ、そのお名前つけてあげたん?」
「ん? え~っと……」
そう聞いてくるノゾミに、あたしは腕を組んで古い記憶をかき分ける。
「あたしがまだこども園にいたときだから……4歳か5歳ぐらいの時かな。『あなたのお名前、なんていうの?』って現・シロハに聞いたら『私、名前ってないの』って答えたから、あたしがつけてあげたって感じ」
「なるほどなぁ」
うんうん、と頷きながら、ノゾミはエレベーターホールを通り越して、階段の方へ向かう。
あたしたちの部屋は寮の4階で、食堂は1階にある。
「あれ、エレベーター使わないの?」
あたしがホールの方を指さすと、ノゾミは立ち止まって小さく笑った。
「トレーニング代わりに、ちょっとでも脚動かしたほうがええかなと思て。特に上りの階段は坂路みたいなもんやからね」
そのノゾミの考え方に、あたしは一瞬、息を呑んだ。
……そっか。
トレセン学園に通うような娘は、これぐらいの意識を持って日々を過ごしているんだ。
「……じゃああたしも、そうしようかな」
できるだけ平静を装い、あたしはノゾミの隣に並びかける。
<ノゾミさんとルームメイトになれて、良かったかもしれないわね>
まったくもって正しいことを言ってくるシロハに、あたしは小声で「そうだね」とだけ答えておいた。