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巡視船「ほっかいどう」の奄美大島沖での奮戦は、翌朝の全国ニュースで詳しく伝えられた。
「会見で海上保安庁は、『ほっかいどうはその全力を振り絞り、老いた体に鞭打って、北朝鮮の工作船と工作員を追跡し、被弾して傷を負いながらも主砲で工作船の船員を圧倒して拿捕しました』と発表しています。
こちらが、海上保安庁から発表された、今朝の『ほっかいどう』です。」
青いブルーシートで、白い船橋の壁面が覆われている。前部マストもやや傾いていた。船尾甲板には医療テントが張られている。その後ろで、ちっぽけな工作船が曳航されていた。
老嬢の戦果に、日本中が拍手を与える。それと同時に政府では、北朝鮮の工作員と国内反社会的組織との関係の捜査進展や拉致問題解決の糸口として、海戦の勝利に沸き立っていた。
…海上保安庁だけが、讃歌の外にあった。
「結論から言います。『ほっかいどう』の修繕には多大な費用がかかります。」
35000トンの巡洋戦艦、その船体はあちこちが錆びつき、配管は外れかけ、機関も全速20ノットがせいぜい…自慢の主砲もベアリングの劣化で旋回速度が低下、大戦中に製造した一式徹甲弾はとうに耐用年数…もともとがそんなありさまだったのだ。その上、海戦で大穴と爆風により船橋はボロボロ。通信機材も結局は総とっかえが必要そうである。
「…そんな予算はない。」
船体に問題がある以上、巡視船として活用し奄美大島沖のような有事にも用いるとなればその補修が…つまり武装を除けばほぼ新造となる。35000トン…海上自衛隊の計画するひゅうが型の、ほぼ倍。
あのアイオワ級でさえとっくに退役した。今更、戦艦を手間かけて再就役させるのはナンセンスだ。まして海上保安庁は沿岸警備隊…「ほっかいどう」は過ぎたるものだし、予算規模からして無理がある。
「…退役、しかないな。」
会議室に漂う哀愁。彼らはつまり、寂しかった。
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「海上保安庁、『ほっかいどう』退役を発表。スクラップとして売却の予定か(全国紙朝刊)」
「海上幕僚監部は先日の『ほっかいどう』を標的艦として譲渡して欲しいという要求を取り下げ、穏やかに見送りたいという意思を尊重するとして謝罪しました。(自衛隊の発表)」
「日本国の戦艦『ほっかいどう』がまさに世を去ろうとしていることについて、強い寂しさを感じている。彼女は、時に我々の強大すぎる宿敵であり、時に我々の偉大なる盟友であった(アメリカ海軍高官の発言)」
「総理とされましては、党だけではなく戦艦もぶっ壊すと、そう言う理解でよろしいでしょうか?」「海上保安庁に関しても、構造改革に聖域があってはならないと考えております(総理大臣、ぶら下がり会見にて)」
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巡視船「ほっかいどう」解体騒動に一石を投じたのは、衰退を始めていた地方都市だった。
「呉市議会、『ほっかいどう』の記念艦保存案を可決し、海保に陳情(地方紙一面)」
軍港都市も今は昔、海上自衛隊や海上保安庁の街としてさほど需要があるわけではなく、造船業は不況で下火、山陽新幹線から外れた微妙な立地もあり、呉は危機感を抱いて、観光業の誘致を目論んでいた…その目玉が、呉市海事資料館…「大和ミュージアム」である。1/10大和を中心にしたこの博物館は日本一の海軍とフネの博物館になる予定…だが、最大の弱点が「ほっかいどう」だった。
「考えますに、世界最大の戦艦として『大和』は呉市の誇りでありますが、日本国民にとってもっとも偉大で身近な戦艦は『ほっかいどう』なのであります。」
そんな答弁が出るのもむべなるかな。「大和」は60年も前に沈みかろうじて宇宙戦艦の元ネタとして一般国民に知られているが、戦後の日本とともに「ほっかいどう」はあり、直接に救助を受けた人々さえ少なくない。「大和」だけではパンチが薄いのだ。
アメリカのアイオワ級3隻の保存には年に5000万円かかっている…呉市の視察団は、およそ同額がかかると結論を出した。痛んだ船体を修理し観光に耐えるよう整備するのは別額、10年に一度は必要であろう大規模修理も別額である。…高い買い物だが、観光客一万人から五千円ずつ儲ければ釣り合う計算だし、交付金や予定している大規模合併での利得もあった。それに修理や整備は呉のドックでやるのだから、地元の雇用になると考えればニューディールのようなものだ。
呉市が「ほっかいどう」を海保からほぼ無償で買い取り、大和ミュージアムと並べて観光の2大拠点にする…壮大な計画に、海保は難色を示した。見方を変えれば、一地方都市が戦艦を保有しようというのだ。運用能力がないにせよ過ぎた買い物では?というわけであり、同時に、もし途中で計画が頓挫して埠頭で錆びつかされそのままスクラップともなれば末節を汚す、という想いもあった。
思わぬ横槍は、北の大地から入った。
「釧路での巡視船『ほっかいどう』保存に賛成の方、署名にご協力お願いしまーす!」
北海道釧路市。60年代から90年代前半まで「ほっかいどう」が対ソ連国境警備の拠点としていた街は、まだ、この巨大巡視船のことを忘れていなかった。
「呉市など、修理のために寄っただけではないか?」ーそんな暴言が新聞の投書になされた。ほとんど頓挫した湿原開拓、炭鉱閉山と拓銀破綻以降冷え込む経済、そう言った焦りが、異様な熱狂の影にあった。それに、全国一の水揚げ量をかつて誇った釧路港の漁業を支援していたのも「ほっかいどう」だ。
そんなことを言っても無理だ…と、行政サイドでは理解していた。この頃の釧路市の財政は危険な状態で、合併と健全化を行っていくことになる…地方債や交付金への依存度が高い、典型的な地方自治体で、とても観光開発のため戦艦に億単位の支出を継続的に行えるわけがない。
整備も問題で、釧路には大型ドックがないため、時おり呉か佐世保あたりに出さなければならず、単純に支出がかさむだけではなく常に呉までの航洋性を維持しなければならない、その支出が呉と異なり地元の雇用振興につながらないなど、どうも二度手間くさい。
…それでも、海保に「ほっかいどう」解体を断念させるには充分だった。呉だけならともかく、2カ所から、それも署名活動込みで欲しがられてはさすがに…というわけである。呉市が途中で挫折したら釧路市にやればいい、計画頓挫の心配はなさそう…というのもあった。釧路市への譲渡がないことだけは内定していて、かつて巡視船「こじま」を千葉市と呉市が競り合った末に千葉市が整備不足で解体したことから、財政と船舶ノウハウで実力に見合わない保存者を選ばないことにしていたらしい。
同じ頃、呉市は「ほっかいどう記念艦整備に向けて」と題して、募金を集めることにした。市役所と商工会議所、観光協会が組んだこのプロジェクトは億に達し、痛んだ「ほっかいどう」のとりあえずの修理に間に合うことになる。
具体的な段階へと進みつつある呉市に釧路側が焦りを見せ、呉市の側では海事資料館開館にあわせて公開したいと急ぐ、そんな中で、海上保安庁、呉市、釧路市の会談が開かれる。
・海上保安庁は巡視船「ほっかいどう」の解体を公式に取り止め、呉港埠頭での記念艦保存に協力する。
・釧路市は「ほっかいどう」に関する要求を取り下げ、海保の協力のもと1/10ほっかいどうを呉市が譲渡する(この製造にあたっては釧路での募金を活用する)。
・呉市は「ほっかいどう」をモスポール保存し、造船、第二次大戦、戦後の海上保安について啓蒙するとともに、防災と海難救援の拠点機能保持に努める。
会見ではこれらの指針が発表された。誰にとっても満額回答…どころか、沿岸警備の前線にこそ出られないものの救難拠点として洋上を動く程度の能力は維持されることが決まったのである。
日本近海を60年以上もまわり続け、沖縄で、竹島沖で、2度も復活を遂げた奇跡の巡洋戦艦は、こうして余生を呉の埠頭で迎えることになった。
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2005年、呉市海事資料館の開館にあわせ、観光施設として整備される前ではあるが「ほっかいどう」が臨時公開された。両施設の年間累計来客数は1千万人を数え、さながら万博パビリオンのごとき様相で呉経済に特需をもたらす。
その後「ほっかいどう」が観光整備のため封鎖されるのと入れ違いに、1/10ほっかいどうを目玉とした北洋博物館が釧路市に開設される。北海道の漁業、北方領土の歴史、海上保安庁についてなどを紹介するこの博物館も数百万人が来場し、湿原に並ぶ釧路観光の柱となっていく。
2007年、完全に修理と整備のなった「ほっかいどう」が呉港で公開されるや、再び日本に軍艦ブームが巻き起こされた。
2011年に発生した大震災では、急遽展示を取り止めて応急物資や呉海保大学の生徒とともに出航。往時のような速力こそ出なかったが発災数日後には東北沖に登場し、津波で壊滅した沿岸部に代わり捜索・支援の洋上拠点として働いた。観光船であることから船体を被爆させることへの影響や長期滞在による乗員へのストレスが懸念されたものの、アメリカ第七艦隊とともに一ヶ月の支援に滞在している。
10年代からの本格的なサブカルチャーブームでも、「ほっかいどう」は注目された。擬人化ものや異世界転移もので幾度となく取り上げられ、退役してなお、この巡洋戦艦は伝説的な存在となっていく。
世界最後の巡洋戦艦、時代錯誤のハッシュハッシュクルーザー、不死身の戦艦、釜山と北洋の女神、海上保安庁の誇りにして切り札…かつてそう呼ばれた35000トンの戦時急造艦は、80年以上を経た今、その51センチ主砲を磨かれ、呉の埠頭で穏やかに浮かんでいる。