ー1920年、某月某日、東京、海軍艦政本部ー
「藤本先輩、それは?」
一人の造船官が、同僚が机に広げた図面をしげしげと見つめ、思わず口に出した。
集中している時に声をかけて悪いと思い、謝る…より先に、藤本喜久雄が答える。
「気になるか。
これは、大戦でイギリスが建造した軽巡洋戦艦、『フューリアス』の三面図だよ。」
英語とヤード・ポンド法で書かれたその三面図からは、話題の艦の異様さがくっきりと見て取れる…戦艦「ドレッドノート」以来の、多くの主砲を中心線上に並べる思想とも、日露戦争以来の公算射撃戦術に基づき戦艦「扶桑」「伊勢」型で要求された「交互射撃時に有効な諸元を得られる、連装5基以上の主砲」という思想とも相容れないそれは…
「18インチ砲、単装2基…35ノット…」
排水量2万トン強、レパルス級巡洋戦艦の主砲をさらに1基減らし15インチ連装2基としたグローリアス級巡洋戦艦の、さらにその極地、鬼才ジョン・アーバスノット・フィッシャー卿の自信作。
「しかしこれ、実際どうなんですかね?
巡洋戦艦の防御の弱さは速力では補えないというのは、ユトランド沖海戦で示されましたし。主砲は公算射撃にとって少なすぎるし、船体が主砲の威力を受け止めきれなかったとも聞きます。」
「ああ。グローリアス級もそうだが、格下の巡洋艦とは中口径砲の砲戦距離で圧倒できても、戦艦に対しては先に命中弾を取られてずぶずぶ抜かれておしまいだろうな。なにせ装甲がない。
名目の対地射撃には充分でも、対艦砲戦では補助戦力にしかならないだろうさ。」
まさにlight battle cruiser…lightなbattle cruiserつまり簡易的な巡洋戦艦であり、light(battle)cruiser、その気になれば戦艦砲戦に参加できる巡洋艦というわけである。
「まあでも、こういうの、平賀大佐は好きそうっすけどね。」
同僚の示唆したとおり、しばらくのちに彼らの上司である平賀譲は、新型巡洋艦の案の一つとして「12インチ砲単装3基、1万トン、37ノット」を提出する。結局もう一つの案の8インチ連装3基が採用されて古鷹型巡洋艦として平賀譲の名を世界に轟かせ…そして、この古鷹型巡洋艦に魚雷を追加する騒動にて、藤本喜久雄は平賀譲に取って代わることになるのだが。
「…藤本先輩、なんか、ニヤニヤしてません?」
「ああ、今はまだ、こんな設計は非凡に過ぎるだろうさ。
今はまだ、な。」
藤本喜久雄の呟きは、ある意味では未来を暗示していた。
レーダーと高性能コンピュータを用いた砲術による、わずか1〜2基の主砲による砲戦。
対艦ミサイルという一撃級の武器に適応するため、回避能力たる対空システムを発達させ、装甲を捨てた設計。
もちろんそれらの時代が到来するには半世紀ほどを待たなければならない…が、歴史の運命は、もう少し早く、この「フューリアス」の設計思想を蘇らせることになる。
ー1942年、5月某日、広島県呉市、亀ヶ首ー
轟音が、倉橋島にとどろく。
憲兵隊によって島民や周囲の海面の漁民は締め出され、海軍の技術者らのみが見守る中、史上最大の艦砲は火を噴き、そして。
「…なんと、大和型戦艦の装甲を貫通か。わかってはいたがすさまじい…」
口径は51センチ(20インチ)。大和型戦艦に継ぐ改大和型のそのまた先、超大和型戦艦の主砲として実験中の、「試製甲砲」…その砲身による発射試験が行われたのだ。
結果は一目瞭然、46センチ砲対応の大和型の装甲板を軽々と射抜いて見せ、41センチ砲対応の装甲板などは大穴を開けられひしゃげてしまった。
「コイツなら、アメ公の新戦艦も鎧冑一触でしょうな。仮に奴らが『大和』に対抗できる戦艦を繰り出してきたとしても。」
「ああ…だがな…」
もったいない、それが、この実験を目にした者の総意だった。
すでに太平洋戦争は開戦され、真珠湾奇襲で空母機動部隊が華々しい勝利を遂げて戦艦の新造には冷ややかな目が向けられ、工廠は損傷艦の修理に手を取られ…大和型4番艦の建造はすでにストップされており、正式な解体命令も時間の問題であった。まして超大和型の主砲など、研究だけして終わりの可能性が高い。
「3番艦すら、なあ…」
建造が遅れ気味の大和型3番艦と、戦艦に逆風が吹く時勢のことを、大砲好きな彼らは憂えていて…
…そして、その憂いはまもなく現実のものとなる。ミッドウェー海戦での空母4隻喪失と、46センチ3連装・51センチ連装砲塔を唯一運搬可能な給兵艦「樫野」の喪失によって。
ー1943年11月16日、南洋諸島、トラック泊地ー
「『比叡』『霧島』喪失か…」
連合艦隊司令部では、沈鬱とした空気が流れていた。
ソロモン諸島ガダルカナル島を巡る戦いは泥沼となっており、味方へ補給を行おうと輸送船を何度も送ったがそのたびにアメリカ軍の空襲等によって失われ、空襲を防ぐためヘンダーソン飛行場への艦砲射撃を試み…
…そして、夜戦のすえ、2隻もの戦艦が失われた。
制空権をとって空爆すればヘンダーソン飛行場をもう一度攻撃することはできるかもしれない。しかし空母も航空機も搭乗員もまるで足りない。
ならば再び、敵機のいない夜間に艦砲射撃を…となるが、内地から低速の長門型や旧式の扶桑型、伊勢型を引っ張りだしても「朝までに敵の空襲圏外へ逃走」という手が使えないし、残りの金剛型は2隻、そして「大和」「武蔵」を持って行って万が一のことがあれば...敵がまた待ち伏せしているに決まっている海域へ、とてもそんな賭けはできない。
…敵基地を叩けない以上、補給線は貧弱なものにならざるを得ず、ガダルカナルの戦いは泥沼の上に痩せ細っていくであろう…すでに駆逐艦による補給、通称「鼠輸送」が行われていたが、非効率的なことは誰の目にも明らかである。
「モニター艦、か…」
参謀の誰かー後世の資料では、奇策に長けた黒島亀人あたりではないかと言われるーが、ふと呟いた。
モニター艦…第一次世界大戦でイギリス軍とイタリア軍が建造した、建造中止戦艦の主砲を数千トンのフネに載せた陸上砲撃用の軍艦である。戦艦の手数が足りないのならモニター艦でヘンダーソン飛行場を、というわけだ。
「…しかしモニター艦なんて10ノットがせいぜいで空襲から逃げられん。それに第一、今から造って、できるのはいつになる?半年はかかるぞ。」
「だが…
空母の数が足りない、それは米帝の生産力から見て、来年も再来年も変わらないだろう。制空権は良くてあやふやな状態が続く…そんな中で、ガダルカナルのように島を巡る攻防戦を繰り返すとしたら…」
まさか大和型を便利遣いして、金剛型のように失うわけにはいかない。
「山本長官の前ではとても言えないが…『信濃』の空母改装は、早まったんじゃないか?」
ひそひそと、別の参謀が口にした。
「アレが完成するのは早くて来年の11月だって話だろ。それにまだまだ損傷艦は増える。鋼材の調達だって思うようにいかないし、片っ端から喪失する輸送船も補充しないといけない。工期がもっと伸びて…
…45年の春とかに、もう雲龍型は3隻、大鳳は完成していて、伊吹や雲龍型4番艦以降も完成が見えている時期に、図体ばかり6万トンもあって搭載機は50機…どうするんだ?
もし迷わず仕様変更なしに戦艦として建造を続けていれば、急げば来年の夏にはもしかしたら…」
「やめておけ、今さらだ。」
…こんな雑談、ただのヨタ話で終わったはずだった。
しかしどうしたことか、誰によってか、このヨタ話は東京の大本営にまで伝わり、そして艦政本部にも届くことになる。