ー1943年12月某日、東京、艦政本部ー
「…なんだね、これは」
「なんだね、と申されましても…
『建造がとどこおっている110号艦を、簡易戦艦としって一刻も早く就役させる手立てを』と言われたのは、そちらのはずでは…」
軍令部の高官と艦政本部の牧野茂技術大佐は、そこでなんらかの行き違いがあったことを察した。どうも「そんなフネがあったらな~」という話が「こんなフネを設計してくれ」という話にすり替わっていたらしい。
「…そりゃないですよ。こちらは徹夜で図面を引いたんですから。」
「徹夜で?」
「今ならギリギリ、取り返しがつきます。つくように設計しました。」
40年4月に戦艦として建造が開始され、工事中の43年初頭から空母へ改装されるも損傷艦の修理などで8月には再び工事が中断されていた110号艦。今はまだ空母としての機能はなく、ギリギリ、戦艦に戻すことが可能と言えなくもなかった。飛行甲板が張られていない、今なら、まだ。
「急造の簡易艦として、今110号艦に使われている資材のみでまかなうことを念頭に設計しました。
船体が完全に出そろっていませんので、今ある船体で組み直して、全長で4m、全幅で8mの短縮、装甲板もとても調達できませんから主砲・機関部以外はすっぱり諦め、それによる軽量化で35000トンまで縮小。これなら35ノットを発揮し、敵戦艦への優速と敵機回避能力の向上が見込めます。
上部構造物も徹底的に簡素化、量産海防艦に倣った箱型艦橋と、測距儀及び射撃方位盤を搭載するための塔檣を一つずつ…後部艦橋は省略とし、水上機搭載設備を中部甲板に配置しました。」
艦型としては、八八艦隊計画にて提案された「第十三号型巡洋戦艦」をシンプルかつスリムにしたようなシロモノであるが、そんなことより何より、その図面で目を引いたのは、主砲であった。
「これは…
単装砲塔、か?それも…おいおい…」
「ええ。
もちろん伊勢型の35.6センチ連装砲塔などの手もありましたが、しかし、本官はコイツが一番に思います。
46㎝3連装砲や51㎝連装砲を運搬できる『樫野』なき今、コイツが、日本海軍が搭載できる最強の艦砲です。」
ー*ー
110号艦緊急改装計画(簡易巡戦案)
全長252×全幅28m
基準排水量35000トン
最大速力35ノット
航続距離15000海里/18ノット
主砲51㎝砲単装砲×2
副砲20.3㎝連装砲×4、12.7㎝連装高角砲×8
水上機「瑞雲」5機搭載
ー*ー
当然、空母として建造中の110号艦を戦艦、それもユトランド沖海戦以来滅びかけの巡洋戦艦にするという提案は、海軍上層部にバルカン半島くらいでかい火種を持ち込んだ。
「時代は航空手兵なのに今さら空母を巡洋戦艦にとは時代錯誤甚だしい」
「戦艦を空母にしてまた戦艦に戻すとは二度手間ではないか」
「だいたい、ガダルカナルで艦砲射撃の手駒が足りないからって、今からたった重巡なみの装甲の戦艦など作っても泥縄の極み」
…どれもまったくそのとおりであったが、しかしだからといって鼻で笑うわけにもいかない事情があった。というのも空母案にも暗雲が垂れ込めていたのだ。
「今のペースで建造を進めても、完成は45年夏。その頃には今より重油供給と航空機生産が逼迫し、大和型なみの莫大な燃料消費でたった50機運用できても厳しいのではないか?」
「110号艦の建造に45年夏まで工員と資材を取られながら、激化する戦況のなかで損傷艦の修理や護衛艦艇・輸送船の建造も行おうとすれば、二兎追う者になるのではないか?」
結局、45年夏に大型の正規空母を一隻追加できるのはありがたいが、45年夏まで膨大なリソースを吸われ続けることになるのはありがたくないのだ。だからといって建造を急かしてしまって簡単に沈んだり、あるいは建造を急ぐために他の工事に遅れを出してはますます本末転倒である。
基地航空畑の人間にしてみれば、それよりももっと零戦そして新型戦闘機「烈風」を、そして噂に聞くアメリカの新型爆撃機に備えた局地戦闘機「紫電」を…というところであり、45年夏に50機の洋上航空が増えたからなんなのだという話である。
海上護衛畑の人間にしてみれば、自分たちが命がけで守った資材と燃料が2年以上あとの巨大空母1隻になるよりも、その資材で商船・輸送船改造空母や海防艦を来年にでも揃えてほしいし、まして鼻持ちならない艦隊決戦派の連中に建造中も建造後も110号艦のために護衛艦艇と海上輸送のリソースを奪われ続けるのは我慢ならないという話である。
潜水艦畑の人間は辛辣なことを言うもので、ガダルカナルなどのソロモンの戦いでさんざん潜水艦による輸送作戦「モグラ輸送」などやらされて頭に来ていたから、モニター艦を使い捨てて敵基地を粉砕できるなら大いにけっこうそのまま擱座揚陸してしまえ、などと言う者までいる始末。
話を聞きつけた陸軍は、工員と資材を2年以上も海軍の巨大空母に吸われるのは業腹で、それで手に入るのは海軍の気が向いた時の50機のエアカバー…それよりも戦艦主砲をもった艦がなるはやで完成して気軽に支援してくれるならうれしいかもしれない…などと言い出す。
さまざまな政治的要因も絡んだが、話がこじれた理由の1つは、「110号艦を今のまま完成させようとすると45年夏で、それでいて艦載機数は雲龍型と同じ」というところだろう。大型機を無理なく運用できる点と重巡なみの装甲以外では雲龍型とさほど変わらないが、それでいて排水量が3倍、つまり110号艦を空母として完成させるのと同じ資材で単純計算で3隻の雲龍型空母と2倍をはるかに超える航空機運用能力が手に入ることだろう。
そしてもう1つの理由は...海上輸送の損害は増えソロモンは泥沼、アメリカの戦力は増加を始めており、戦況がジリ貧だということ…口にこそ出さないし出せないが、聡い者はすでに、「45年、正規空母1隻が何の役に立つのか?間に合わないのではないか?」と感づいていたことだった。
艦政本部は、今からならまだ、110号艦を簡易巡洋戦艦として完成させるとすれば44年秋までになるだろうと報告していた。51㎝単装砲は簡易砲塔であり呉の「試製甲砲」といくらかの予備機材で作れるし、甲板を張った後は箱型の艦橋と塔檣、マスト、煙突、そして両舷に高角砲…つまり、もともと戦艦として建造するための資材や空母改造の資材などを流用して急造できるというわけだ。
熟慮、紛糾、懊悩のすえ、110号艦の簡易巡洋戦艦改装命令が発出された。
時に1944年正月、元旦の休み明けの横須賀工廠の工員はいきなりのことに驚愕することになる。そしてこれが、「世界最後のハッシュ・ハッシュ・クルーザー」「驚愕と畏怖、それに嘲笑に値するバトルシップ」「時代の落とし子」などと呼ばれることになる、巡洋戦艦「蝦夷」の物語の始まりであった。
史実の110号艦は空母信濃として建造続行、一時は45年春〜夏まで完成がずれ込みそうでしたが、完成を急ぎに急がせて44年冬にいちおう完成となります。ただしそのころにはレイテ沖海戦も終わって艦隊航空はほぼ死んでいましたし(レイテ沖に出撃した空母機動部隊は艦載機なしの囮、このころの空母の主要任務は桜花運搬などで航空攻撃の主体は陸上からの特攻)、工事を急がせすぎて気密試験すら省略した結果、潜水艦からの雷撃数発で「信濃」は何の任務も果たせぬうちに海に消えます。