巡洋戦艦「蝦夷」物語   作:十二の子

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5 Battle Cruser McKinley の奇跡

ー1950年8月11日、朝鮮半島、浦項ー

 

 司令部要員、軍楽隊、警官、それにわずかばかりの学徒兵。

 

 釜山北方の要港であり、迎日飛行場への脅威をもたらせる要衝でもある浦項地区を守る国連軍兵力は、前線へ引き抜かれたったそれだけ。

 

 いや、守っていると言うのももはやふさわしくないかもしれない。「守っていた」と言うべきか。…北から押し寄せた朝鮮人民軍をどうにかするような能力は、このにわか仕込みの軍隊には存在しない。

 

 学徒兵に指揮所を守らせつつ、指揮所と資材を撤収…それさえうまくいくかはわからないが、やらなければならない。浦項の裏山から敵の強襲を表す信号弾が上がった時、彼らは全滅をも覚悟しながらそれを始めた。

 

 「小銃の使い方は覚えているな!」

 

 「急げ!孤立する前に引き払うぞ!」

 

 怒号と、金属音と、そして迫る敵の足音。緊張が、応急陣地を包む。

 

 砲声。朝鮮人民軍の予備砲撃だ。ロケット弾や迫撃砲を撃ち込み混乱させてから突撃してくるつもりらしい。

 

 「この音…ちくしょう奴らめ、俺たちから奪った砲を…」

 

 「言ってる場合か!来るぞ!」

 

 着弾に備えて、皆が伏せ…

 

 …いつまで経っても、着弾しない。代わりに、水が派手にしぶく音が海の方から聞こえる。

 

 「…奴ら、海に向けて撃ってる?」

 

 「味方の艦隊が来たのか…!?」「救援!?」

 

 おそるおそる顔を上げた隊員たちが海へ視線を向けるのとほぼ同時に。

 

 直射砲撃によりまっすぐ飛来した51センチ三式弾2発が、浦項の裏山の山肌少し手前で炸裂し、無数の焼夷弾子によって潜む朝鮮人民軍ごと山を焼き払った。

 

ー*ー

 

 1945年8月15日の終戦の日、大日本帝国海軍巡洋戦艦「蝦夷」は沖縄北岸の浅瀬に打ち上がり、アメリカ軍に占領されていた。

 

 20インチ砲塔(アメリカ軍の公式記録ではそうなっているが、口径50.8センチではなく正51センチ)に目を丸くしながら、アメリカ軍上層部はこれの再浮揚・曳航を行い、いったんウルシー環礁で修理することとしていた。

 

 やっと、度重なる戦闘のダメージを修理し終えた1946年春、日本側では復員輸送艦として活用する計画があり、アメリカ側では戦艦「長門」とともに原爆実験に供する計画があった…が、これはまもなく破棄されることとなる。装甲がやたらと薄い「エゾ」を原爆実験に使っても重巡と結果は同じと考えられていたし、今や現存する中で世界有数の巨大戦艦となった「蝦夷」を復員の日本兵に見せて回るのは刺激が大きすぎるとGHQは考えていた。

 

 空母「隼鷹」や呉の着底戦艦群のように解体…というのも案ではあったが、アメリカ軍にしてもせっかく治した20インチ砲搭載戦艦、どうせなら遊んでみてもいいのではないか?

 

 大日本帝国海軍巡洋戦艦「蝦夷」あらため、アメリカ合衆国海軍砲撃試験艦「McKinley」…それが、彼女の新たな名となった。アメリカの巡洋戦艦の名前は戦場、大型巡洋艦は州、巡洋艦は都市から名前が取られるものであるが、厳密にはそのどれでもないし巡洋戦艦は消滅して空母の名に戦場を使っているしで、紆余曲折の末に「ともあれ世界一の巨砲にはアメリカ一の山の名前が相応しいだろう」というネーミングがされたのである(ジャップから奪ったフネに都市や州の名前を付けて抗議されると嫌だが、マッキンリー山にはロクに人がいない…というのもあった)。

 

 1947年、砲撃試験艦「McKinley」のため、アメリカ本土で51センチ砲弾の製造が行われ、また日本からは51センチ砲の砲身や三式弾の製造データが持ち出された。

 

 1948年、アメリカ軍は「McKinley」の砲撃試験を思う存分に行った。51センチ砲の長射程を活かして水平線の向こうから核砲弾を投げつける計画などを思案していた…とも、この頃には既に廃艦の予定を立てていたとも伝わる。搭載砲のピーキーさを除けば、「McKinley」はアラスカ級大型巡洋艦と類似しており、防御が弱く高速なこと以外は役割が被るのである。

 

 48年後半、そうは言っていられなくなってきていた。大陸中国を人民解放軍が席巻し、中国国民党軍は台湾への脱出を余儀なくされようとしていたからだ。アメリカ軍は国民党軍の支援と福建諸島の防衛輸送のためにすべきことを10秒ほど考え、それから思いついた…「McKinley」を置いておけば事足りると。そういうわけで台湾海峡の真ん中に51センチ砲が睨みを利かせることになり、制空権を持たない人民解放軍は「McKinley」への攻撃手段がないため一方的に砲撃され福建の海岸には近寄れなくなり、北京を悩ませることになる。

 

 台湾へ逃げ込んだ国民党を討伐すべく中国共産党は準備をしていたが、制海権が完全に国民党とアメリカ軍側にあるのもさることながら、「McKinley」が台湾海峡に陣取っている限りは福建沿岸から侵攻の気配を見せるだけで51センチ砲の餌食にされかねない。それにアメリカ軍がその気になれば「McKinley」は高速で北上して上海や北京を焼き払い得るので、共産党は身動きが取れなくなってしまった。

 

 そうして、「McKinley」はサセボと台湾海峡を往復して1949年を終え、明けて1950年、極東情勢にさらなる波乱が勃発する…朝鮮戦争であった。

 

ー*ー

 

 51センチ砲が、浦項地区に迫る朝鮮人民軍へと業火を降りそそがせ、韓国兵の歓声の中で人民軍を這う這うの体で撤退させていく。

 

 北から押し寄せた朝鮮人民軍はまたたく間にソウルから大韓民国政府を追い落とし、釜山と大邱を中心とした「釜山橋頭堡」に国連軍と大韓民国政府は押し込められていた。釜山から済州島、あるいは日本への亡命すら検討されていたこの時期、砲撃試験艦「McKinley」は非公式に「釜山橋頭堡の守り神」「釜山の女神」と呼ばれている。

 

 朝鮮人民軍の来襲の報を聞きつけるや、35ノットでやってきて三式弾で焼き払う…純粋な砲弾投射重量ではアイオワ級などに負けるが、水平線より少し遠くから届くことと一発の威力ー特に、榴弾であるはずの三式弾ですら信管の調節によってコンクリートを貫通しベトン内部を破壊せしめられることーが注目されていた。

 

 …というのはすべて欺瞞、陽動であった。

 

 陽動作戦として朝鮮半島東岸北部を砲撃して回っていたアイオワ級「ミズーリ」…そして、サセボに集まる国連軍の巡洋艦・駆逐艦…それらが、9月13日以降一斉に西岸の仁川に集結。そこには揚陸指揮艦「マウント・マッキンリー」の姿もあった。仁川上陸「クロマイト」作戦である。砲撃試験艦「McKinley」は派手に動いて注目を集め、ほぼ同名の揚陸指揮艦の所在をわからないようにしていたのだ。

 

 朝鮮人民軍は釜山橋頭堡を攻めあぐね、その抵抗の支えとなっていた「McKinley」撃破を狙ってただでさえ欠乏する大砲と砲弾を釜山周辺の海岸線へ送っていた。このため仁川の守りには砲火力が不足していたことが、朝鮮労働党政府にとってあだとなり…ソウル、そして平壌までもがあっという間に国連軍に奪回され、同時に釜山橋頭堡では半島北上「スレッジハンマー」作戦が発動。朝鮮戦争は大韓民国の反撃のフェーズへと移行する。

 

 …だがこの大反撃に、「McKinley」の姿はなかった。

 

 釜山橋頭堡援護砲撃の終盤、「McKinley」は、太平洋戦争時に米軍がB29でバラまいた機雷に触雷。浸水過多で曳航されることになり、道中、島根県竹島沖で擱座してしまったのだった。

 

ー*ー

 

 竹島沖で擱座したアメリカ合衆国海軍砲撃試験艦「McKinley」の処遇は、しばらくの間、棚上げとされた。朝鮮戦争に人民解放軍まで現れ、それどころではなかったのだ。次第に発展する軍事技術…レーダー射撃や戦後型潜水艦、そしてジェット機もまた、51センチ砲の存在へ異議申し立てをしていた。

 

 朝鮮戦争が終わった日、「McKinley」は竹島沖で、まだ再浮揚の準備をしていた。日本に曳航して解体されると、多くの人が思っていた。

 

 だが大韓民国政府が待ったを掛けた。建設途中の韓国海軍、その中心に、ちょうど「韓国領」竹島に擱座している「McKinley」を使いたいと要望したのだ。

 

 打診を受けたアメリカ政府、困り果てた。そもそも竹島は日本領ではないのか?なにやらややこしいらしいが口を挟みたくない。しかしそれにしても李承晩ラインはイキりすぎだ。…それとは別に、朝鮮戦争で荒廃した大韓民国に、基準排水量35000トンの巡洋戦艦を扱い切れるとも思えない。なにより、うっかり韓国が赤化、朝鮮民主主義人民共和国に「McKinley」が渡れば、釜山の女神をみすみす奪われるのもソ連陣営に51センチ砲が渡るのもマズすぎる。

 

 口実探し半分くらいの気持ちで、アメリカ政府は第3の当事者…竹島の領有主張者であり、自らが自衛隊という再軍備を押し付けており、そしてなにより「McKinley」の製造国である日本に、意見を求め。

 

 …声を掛けられた海上自衛隊は、巨艦への未練を押し隠した表情で首を横に振った。この頃の海上自衛隊は空母再保有を模索しており、アメリカとともに軽空母(のちに「二次防ヘリ空母」と呼ばれる)の検討を重ねていたから巡洋戦艦など背負い込む余裕はなかったし、国内世論的への刺激も大きすぎると見たのだ。だいたい、今さら戦艦が何になる?

 

 これらの騒動を、苦々しく見ていた者達がいた。日本国運輸省海上保安庁である。海上自衛隊より先に結成された彼らは自分たちこそが帝国海軍の正統後継者と思っていた…ということもあるが、それ以上に海上保安庁はこの紛争の当事者ながらも蚊帳の外にあったのだ。

 

 竹島はこの時すでに日韓の領土問題が発生し、朝鮮戦争集結間際には海上保安庁の巡視船が領有を示す看板を立てていた。それはすぐに引き抜かれ、韓国側の「独島義勇守備隊」が上陸し占拠しているありさま…海保にとって苛立たしいことこの上ない。竹島のすぐそばで岸辺にひっかかっている「McKinley」にはアメリカ国旗が翻っていたしアメリカ海軍の維持要員がいたから独島義勇守備隊も手を出さなかったが、だからといって今や竹島問題と砲撃試験艦「McKinley」が不可分なことにはかわりなく、そして「竹島・マッキンリー問題」そのものもその解決について海保に何の根回しもないことも、非常に海保幹部の心を逆なでした。

 

 海上自衛隊、日本政府、韓国政府、アメリカ政府へのほとんど当て付けで、1954年、海上保安庁は「アメリカ海軍砲撃試験艦『McKinley』(旧帝国海軍巡洋戦艦「蝦夷」)返還願」を提出する。沿岸警備隊である彼らに35000トンの巡洋戦艦など過ぎたるものだとは自覚していたし実現することもあるまいと高を括って。

 

 …韓国は戦争から復興できず世界最貧国と化しており、アメリカは日韓領土問題から早く手を引くために「McKinley」を再浮揚して誰かに引き取らせたく、海上自衛隊は巡洋戦艦より軽空母が欲しいという情勢。そして日本政府は「日本が『McKinley』を引き取らず韓国が民衆へのアピールとして引き取った場合、竹島が韓国領だと認めるようなメッセージを内外に与えてしまう」と悩んだ。

 

 …かくて1956年、アメリカ合衆国海軍砲撃試験艦「McKinley」(旧名:大日本帝国海軍巡洋戦艦「蝦夷」)は、新たな主を得て、再び蘇ることとなる。

 

 日本国運輸省海上保安庁、超大型巡視船「PB01 ほっかいどう」…それが、彼女の名前となった。

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