35000トン、35ノット
試製甲砲(51センチ砲)単装砲塔2基(旧海軍)
5インチ両用砲単装1基(アメリカ軍)
3インチ両用砲単装5基(アメリカ軍)
40ミリボフォース4連装3基連装1基単装4基(アメリカ軍)
12.7ミリ機関銃単装2基(海保)
放水砲3基(海保)
ヘリ2機格納可(海保)
高速艇8隻(海保)
コンテナ輸送対応(海保)
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巡視船の白色塗装は50年代からなので「ほっかいどう」海保返還時から白色ですが、船首の青S字章は1984年からです。対潜魚雷発射機と対魚雷デコイ・ジャマーは海自から中古品を譲り受け、大戦中からの残存機雷の対策に使われています。通信機能向上のためにマストを発展させなければならなかったのですが普通の巡視船と違って船橋の真上に測距儀が突っ立っているので、測距儀の後ろに護衛艦風のレーダー・通信マストを掲げてその下を巡視船風のトラスで支える構造です。
ー*ー
砲撃試験艦「McKinley」獲得の一報を受け、海上保安庁の幹部たちは祝杯を上げた。後の回顧録によれば、誰もがやけ酒のつもりだったと言う。
1947年の設立当時、日本の再軍備を警戒した各国により、海保は総トン数5万トン、各艦艇1500トンにまで制限されていた。それから10年も経たないうちに、35000トンの巡洋戦艦である。…しかも、世界最後に就役した戦艦「ジャン・バール」の就役からもう7年。
正直扱いに困るが、政治マターとして下りてきたシロモノだから突き返すのも良くない。ただちに解体か、宿泊船とする…という案も俎上に載った。しかしさすがにもったいないし、それはそれで海自や韓国に対する当て付けくさい。結局、「まあせっかく大きなドンガラがあるなら、それはそれでそれなりに使いようがある」と遊撃部隊のような扱いとなった。
主砲もまた悩みのタネとなった。どう考えても海上警察兼沿岸警備隊に51センチ単装2基は不要である。それどころか、アメリカ軍が朝鮮戦争のためにゴテゴテと取り付けた5インチ砲や3インチ緩射砲も過剰武装で、40ミリボフォース機関砲でギリギリ…それにしたって多すぎる。それに51センチ砲は国際的にも強すぎであり、現に国交樹立したばかりのソ連からは「日本の再軍備の加速を憂慮する」という文書が届いていた。
…だが、安易に撤去はできなかった。アメリカ海軍によって改修されもはや「簡易砲塔」とは呼べなくなっていた51センチ単装砲塔2基はあわせて3000トンに達し、艦底の弾薬庫までつながるその構造物を撤去すれば喫水が浮き上がりすぎる。船体も急造、修理、再浮揚、改修、再浮揚を繰り返して複雑化していたため、安易に代替重量物を搭載すればバランスが狂って転覆の恐れすらある。
検討の結果、武装は撤去されないことになった。ただし51センチ砲と5インチ砲の砲弾は在庫のみである。…そう表明して諸外国からの反発を防ぐという以上に、今の海保には現実的に「蝦夷」専用砲弾の費用など出せなかった。保有で精いっぱいである。
しかし苦慮の一方で、腐っても35000トン、せっかくなら各所から要望が相次いだ。数十〜1000トンほどの巡視船・艇で日本中の広大な荒波を警備しようという今、35000トンで動揺もないというのは母艦としてぴったりというわけである。しかも、建造時水上機甲板・カタパルト・後部マスト及びデリックが置かれていた区画は「もう水上機の時代ではない」とアメリカ軍によって仮設マストのみの空きスペースとなっていた。
中部甲板、煙突からすぐ後ろに箱型の格納庫を設置。格納庫は甲板下に続く船倉区画を持ち、ここに病院機能を内蔵。格納庫の後ろから後部主砲すぐ前にかけて設置するヘリコプター甲板とあわせ、僻地・島嶼部への医療支援を行う。
箱型格納庫両脇には大型クレーンを設置。外洋で活動する巡視船の母艦機能や、災害時等の島嶼部への支援、海難捜索時の洋上救難拠点機能を持たせる。あわせて両舷に高速艇を複数搭載、小回りが利かない本体の代わりに、海上警備の実務を担う。
格納庫上に新設されたマスト、及び艦橋後部マストは高く伸ばされ、一個海上保安管区すべてを指揮できるよう通信機能が整備された。
これらの機能すべてが、まもなくして発生した伊勢湾台風の被害救援に役立つことになる。沿岸部が高波により被災する中、巨体を活かして台風の中をやってきた「ほっかいどう」は支援物資の揚陸と被災者捜索拠点として活躍した。
51センチ砲も、まもなくして意外な活躍の機会がやってくることになる。船名の由来でもある北海道、その日高地方の漁民はトドの被害に悩まされており、年間2000万円に及ぶ漁業被害をなんとかするため捕鯨船を持ち出したものの効果は薄く...ことここに及んで陸上自衛隊に陳情したのである。ところが陸自には「岩礁地帯でトドを撃つ」法的根拠が乏しかった。
よっぽど射撃訓練ということにしようか悩んだ防衛庁だったが、頭の柔軟な(そして、海自と海保の微妙な対立に斟酌のない)背広組が言った。「日本最大の砲は自衛隊にはないし、海保さんのほうが漁業支援については法的根拠があるだろ」と。そういうわけで海上保安庁は巡視船「ほっかいどう」の51センチ砲で岩礁地帯を砲撃、トドを追い払うことになった。当時まだ試製甲砲の開発者は生きていて、メディアの取材を受けて爆笑したという。
使用されたのは三式弾と徹甲弾がそれぞれ一発。三式弾を岩礁地帯の直上で用いれば危害半径の中にトドの群れが収まり殲滅できるのはわかっていたが、もしそれを行うと血まみれのトドの死体の山が国民感情に与える影響が大きい上に焼夷弾子でトドの脂が燃えて臭い可能性がある。それに漁協はトドを全滅させずとも追い払えば充分としてきていた。そのため陸地から見えない海側・風下のトドを先に三式弾で殺傷駆除、しかる後に徹甲弾で岩礁の陸地側を破砕して威嚇し、またボフォース40ミリ機関砲でも駆除を試みる...ということになった。
当たり前だが効果はてきめんであった。ハッシュハッシュクルーザーとは海岸の要塞に籠る敵兵力を粉砕するためのものなのだから、塹壕もタコツボもない岩礁にのんびり寝そべるトドなど…というわけで、後日飲みの席で海保の担当者は漁協側に「まさかここまでと思わなかった」「殺し過ぎでちょっと海への影響が心配なくらい」と愚痴られることになる。…翌年以降さすがに三式弾は使われず、徹甲弾一発で海へと追い散らした後にヘリと機関砲で駆除、という段取りになったものの、トドにとっても相当トラウマだったのか「ほっかいどう」の出現だけで追い散らしが成功するようになっていった。
これだけではなく、第1海上保安管区(管轄:北海道、本部:小樽)では「ほっかいどう」を重宝することになる。国内最大の管区面積を持つだけではなく、海上警察が悪名高いKGBに属しており警備艦と称して駆逐艦を配備するソ連と接するこの管区では、ソ連ですら一目置かざるを得ない上に荒れた日本海でも35ノットで駆けずり回り流氷漂うオホーツク海でも35000トンで多少は押し通れる「ほっかいどう」を虎の子と思っていた。
特に、ソ連に占拠された北方領土では、豊かな漁場である周辺の海域へ根室などの漁師が出航しておりーソ連側では領海侵犯だが日本側では日本領北方領土領海での適正な漁ーソ連は警備艦を繰り出して日本の漁船を銃撃したり船員を抑留したりしていた。このため「ほっかいどう」は根室半島を哨戒、北方漁船のセーフゾーンを作る活動に従事し、北海道での拠点を管区本部のある小樽ではなく釧路港に置いている。
根室の漁船は「ほっかいどう」のそばへ逃げ帰れるよう支度しつつ漁を行っていてこの巨艦に感謝していたが、当の「ほっかいどう」側では「レポ船」と呼ばれるソ連側へ情報・物資取引をする漁船を取り締まろうと頭を痛めていた。
一方で日本海を統括する第8、9管区もまた「ほっかいどう」を切望していた。こちらでは北朝鮮からと思われる不審船が問題となっており、工作員の侵入による麻薬等の密輸入に諜報・破壊工作...だけではなく、1977年以降では日本人拉致の噂も流れ始めていたのである。1980年の新聞報道後、メディアや社会党は北朝鮮による拉致工作を信じなかったが海保の現場では肌感覚でその可能性を実感しており、81年から毎年「ほっかいどう」が北陸沿岸へ不定期に回航されることになった。
北陸回航時の「ほっかいどう」には高度経済成長によって開発・保有が可能となった51センチ新型三式弾「海上保安用警告弾(三式弾改)」が搭載されており、これは焼夷効果や燃え残りの悪影響を抑えて示威効果に徹するというシロモノで「ほっかいどう花火」と俗称されることになる。北朝鮮不審船・工作員への威嚇を兼ねて北陸沿岸の各地で不定期開催される「ほっかいどう花火」は陸地からも花火で迎える風習が育っていき、防犯意識向上・海の安全祈願のための一大花火大会として21世紀にも続いていく。
数十年後、韓国政府から公表された脱北者の証言は、「ほっかいどう」の日本海回航に意義があったことを示している。当時の北朝鮮工作船では35ノットの「ほっかいどう」から逃げきれない(速力で勝ることはできるが、船体サイズが大きい「ほっかいどう」は波の影響を受けないためスペックで勝ててもあてにならない)し勝利するなどもってのほか、諜報や密貿易、拉致などの工作のスケジュールは「ほっかいどう」が来たというニュースはおろか、出迎えの花火大会に使うと思われる花火の製造だけでめちゃくちゃになった。
このように各地で活躍した「ほっかいどう」だったが、東京などではまた変わった扱いとなっていた。なにしろ、自衛隊にも存在しない…どころか35000トンとは空母を除けばもはやアメリカのアイオワ級しか上に存在しない巨大軍艦で、史上最大の艦砲を搭載している。海上保安庁巡視船は法規上の軍艦ではない、などと言っても通用せず、安保闘争、学生運動のやり玉とされた。
「海上保安庁を隠れ蓑にした旧軍の復活を許すな!」「最大戦艦を保有し続けるのは許されない!」これがデモ隊のスローガンである。このように、反軍デモは官邸・国会のみならず防衛庁と運輸省をたびたび囲むことになる。
しかし、ソ連や北朝鮮との海上での対峙、学生のデモ以上に大衆に「ほっかいどう」の戦後昭和史を印象付ける出来事と言えばやはり、「『ほっかいどう』テレビ生出演」事件だろう。
それは1974年に起きた。
ー1974年11月21日、東京霞が関中央合同庁舎第3号館、海上保安庁本庁ー
「未だ、炎上している、か…」
海保官僚たちが叩く書類には、あるタンカーについて記載されていた。
さる11月9日、日本最大のLPG・石油混載タンカー「第十雄洋丸」が、東京湾で貨物船と衝突した。
第十雄洋丸はまたたく間にナフサが炎上、海保の救援で乗組員こそ救出したが、可燃物を57000トンも積載しているからして手持ちの消防船で鎮火できるわけがなく、あたり一面を油で火の海にしながら横須賀港めがけ漂流…海保はこれを曳航して富津に座礁させ燃え尽きるまで待…とうとしたが漁民の抗議を得て東京湾外へ再曳航…今の第十雄洋丸は、盛大に炎上を続けながら黒潮にのって漂流しているありさまであった。
まさか57000トンのガスとオイルすべて燃え尽きるまで第十雄洋丸を彷徨わせる気にはなれない。航路にとっても漁場環境にとってもリスキー極まる。
かくなる上は、撃沈処分するしかない…海上保安庁はこの日、ついに決心を固めた。この時のために分離独立の件と「ほっかいどう」引き取りの件で因縁ある海上自衛隊にも協力を仰ぎ、さらには釧路港の「ほっかいどう」を横須賀に呼び寄せていた。
タンカーは商船であり軍艦より脆弱…と思いきや、複数の隔壁と高圧タンクの重厚な構造で簡単に誘爆轟沈してくれそうにはない。それに下手を打てばタンカー内の重油が大量に海面に流出し環境への被害も甚大となる。
海保の幹部は、検討するほどに面倒で困難に思える任務を、関係者と相談しながら詰めてきており…そこへ、撃沈処分決定の報を受けてマスメディアがやってきた。
「巡視船でタンカーを撃沈すると聞いた。ぜひテレビで生放送したい。」
日本初の実況中継は1953年だが、カラーテレビは1960年、そして衛星中継は1963年のケネディ暗殺が最初である。洋上の軍艦から日本全土へカラー生中継というのはそれだけでそれなりに大きいイベントであった。海保側は「超大型巡視船による大型船舶の撃沈は国民感情に与える影響が大きいのではないか」「しかし隠してもためにならないのではないか」「『ほっかいどう』が図体のでかい金食い虫のように思われているのを変えられるのではないか」の会議を行い、海保広報員の解説付きでなら生中継を了承することとした。
ー1974年11月27日、犬吠埼沖の太平洋上ー
「ご覧ください!あれが、炎上・漂流中のタンカー『第十雄洋丸』です!」
ヘリコプターのローター音に負けぬよう、キャスターが叫ぶ。
「東京湾の航路関係者と漁業関係者を悩ませたタンカー爆発事件ですが、海上保安庁は湾外へ連れ出したのち、撃沈することに決定しました!」
ヘリコプターのすぐ下で燃えている巨大タンカーを、カメラが大映し。
「これからお茶の間の皆さんには、海上保安庁と海上自衛隊による、関東の海の安全と漁業を守るための合同作戦を見ていただくことになります!」
映像が、巡視船「ほっかいどう」船橋にきり替わる。
「本日は、広報員の方とともにお送りしてまいります。
そもそもどうして、海上保安庁は第十雄洋丸VS『ほっかいどう』ということを決めたのでしょうか?」
「まず、LPGタンカーは堅固であり誘爆も期待できない、ということですね。当初は海上自衛隊に応援を要請し、護衛艦の砲撃でたちどころに爆沈すると考えていたのですが、タンカーの持ち主からそれは無理だ、と言われまして。
沈むか沈まないかの状況を長々と続けさせますと、これは重油をまき散らして漁場に被害が出ますし、黒潮に乗ってどこまでも漂流しておりますからして他のフネと衝突の危険もあります。海上自衛隊側では、爆撃と砲撃によって第十雄洋丸のナフサが燃えるように誘導しつつ魚雷で浸水させ、黒潮の外の深海に重油ごとフネを沈めてしまおう、と検討していたのですが、複雑な作戦であることもありなんとかならないかと思われていました。それで『ほっかいどう』の51センチ砲に白羽の矢が立ったのです。」
「日本には唯一、単艦でLPGを燃やし尽くして処分することとタンカーを沈めることが可能な軍艦が存在する...それが『ほっかいどう』だったというわけですね?」
「巡視船は軍艦ではなく、あくまで警察と救難のためのフネですが、そのとおりです。」
「これからの予定については?」
「まず、ナフサは燃やさなければなりません。海水より軽いナフサを大量に搭載しているため浮力が大きく沈まないのです。そのため、三式弾という砲弾を使います。」
キャスターへと説明が行われる一方で、船橋要員は訓練通りに行動を続けている。
「目標『第十雄洋丸』、精確測距完了しました!」
「海自機からの距離、相対速度、風速などのデータ、取れています!」
51センチ砲は本来、敵戦艦や敵地上砲台に対してその射程外から致死の一撃を投げつけるためのもの…だが第十雄洋丸は無人で炎上漂流しており反撃のおそれはなく、「戦艦による2000メートルの至近距離からの砲撃」という未曾有の作戦となっていた(最大速力35ノットだと分速1キロなので、これ以上近づくと衝突リスクがある)。そして40キロ果ての水平線を射程に収める戦艦砲にとって曲射弾道ではなく平射砲撃での至近距離、これで当たらねば切腹ものと言えた。
「三式弾、近接信管の調定よし!」
「前部主砲、三式弾、装填よし!」
戦時中の軍艦とは比べ物にならない慎重さで、「ほっかいどう」の主砲は運用されている。戦地での発砲などありえないから発射にもたついても問題ないし、古今東西戦艦主砲・弾薬庫の誘爆事故は戦艦「陸奥」はじめ絶えないからだ。
「前部主砲、照準よし!」
「後部主砲、一式徹甲弾装填よし!」
コンピューターで緻密に計算された照準で、主砲が「第十雄洋丸」を水平に睨む。
「前部主砲、射撃準備!」
甲板に、ブザーがけたたましく鳴り響く。
「このブザーはなんでしょうか?」
「戦艦の主砲は発射時に爆風が出ます。甲板の上にいると危険ですのでブザーを鳴らすのです。」
退避する保安官たち、そして、轟音。
マッハ2を超える初速の三式弾は、発射の直後にはもう第十雄洋丸の直前にあり、そして衝突寸前に炸裂。
無数の焼夷弾子が、タンカーの右舷中部外壁にアタックする。B29の装甲を貫く鋭い弾子は熱で弱った第十雄洋丸右舷を貫通、直後、右舷各所から炎が噴出した。
「今命中したのが、三式弾になります。花火のような構造をしており、その小さな火1つずつが焼夷弾となっております。
まずこれにより、ナフサタンクに火を付け燃やし尽くします。」
「速度上げ!取り舵いっぱい!」
「速度上げ!」「と〜りか〜じ〜!!」
巡視船「ほっかいどう」が、漂流中の第十雄洋丸を追い越し、その左側へ回り込んでいく。
「前部主砲に三式弾を再装填!」
「三式弾の信管調定用意!」
「これより本船は第十雄洋丸左舷にも三式弾射撃を行い、両舷ナフサタンクを燃やし尽くします。」
上空のヘリのテレビカメラからは、その様子がはっきりと撮影された。花火のように三式弾弾子を浴びる第十雄洋丸、そして直後に左舷からも噴き出す無数の炎…
「聴音室から報告!」
海自のフリゲートや潜水艦ほどではないが、「ほっかいどう」にもパッシブソナーが備わっている。1952年の明神礁噴火による第五海洋丸遭難以来、母艦機能のある「ほっかいどう」からソナーで海底の異変を察知することで同様の悲劇を防ごうとしていたからだ。
「第十雄洋丸より異音を探知!船体がきしんでいるものと思われる!」
この時ヘリの側では、マイクを持った記者が叫んでいた。
「ご覧ください!見えますでしょうかあの姿!両側から数え切れないほど業火を噴き出し、しかし第十雄洋丸は沈む気配がありません!いえ、こころなしか、少し浮き上がったように見えます!
沈まないのか第十雄洋丸!史上最大の戦艦砲を持ってしても沈まない、無敵の不沈船だとでも言うのか第十雄洋丸!?」
霞ヶ関の海上保安庁本庁でも、幹部たちが固唾をのんで映像を見守っていた。
「…確かに、浮き上がっていますね。」
なにしろ第十雄洋丸は「ほっかいどう」よりも排水量が多い巨大タンカー。考えようによっては原子力空母より手ごわい可能性もある。
「不沈船は冗談にしても、テレビカメラの前だ。てこずって国民に無様を晒しては、『ほっかいどう』不要論がまたぞろ出てきかねんぞ。」
「…いえ、違うかもしれません。」
旧海軍時代からいるという幹部がつぶやく。
「と、言うと?」
「船団護衛中にアメ公の攻撃をくらった輸送船が、あんなふうに沈んだのを見ました。
ガスが炎上して、急速になくなっていく。第十雄洋丸は空船になりつつあるんです。」
「…アレは第十雄洋丸が復活しようとしているのではなく、むしろ計算通り、ということか。
現場と、大臣に連絡だ。そろそろだということだからな。大臣に使用許可を得なければならん。」
ー*ー
「大臣からの許可です!」
「測的よーし!」
「後部主砲、照準完了!」
第十雄洋丸左舷3000メートルを航行中の「ほっかいどう」が、密度の違う緊張に包まれる。
「お茶の間にお届けできないのが残念です!この緊張と高揚!
すみません、今から、何が起きようとしているでしょうか?」
「今から半世紀前、『土佐』という戦艦がありました。」
「とさ、ですか?」
「はい、軍縮条約で廃艦となり、射撃実験の露と消えたのですが、その時に『一定の角度で水中から命中した砲弾は、魚雷のような効果を持つ』という実験結果をもたらしたのです。
今回使われるのは、この水中弾効果を高めるため旧海軍が開発した特殊砲弾です。平和のため処分された戦艦から得られた技術が、戦争で用いられずに残り、半世紀の時を経て、日本の海を事故から守るために使われるのです。」
51センチ主砲が、わずかな俯角で第十雄洋丸左舷100メートル手前の海面を睨みつける。
「後部主砲、撃てっ!」
轟音。
砲口から砲煙が噴き出し、マッハ2.5で発射された51センチ一式徹甲弾が約3秒で水面に着弾、被帽が外れ、水中を直進し、そして。
第十雄洋丸左舷から、火焔と水柱が立ち上がった。喫水線下を貫通した徹甲弾は、三式弾によって空となっていたナフサタンクを突破、その内壁に穿孔して左舷重油タンクへ侵入し炸裂したのだ。そして、爆圧は左舷重油タンク外壁をめくれ上がらせてナフサタンクへ抜け、その外部へと大きな破孔を作り出した。
引火した重油が破孔から溢れ出す…が、すぐに流入してきた海水によって火が消え、そして第十雄洋丸は左舷へとガクンと傾く。
「視聴者のみなさま、わかりますでしょうか!今、不沈船かと思われた第十雄洋丸が大きく傾きました!」
「ソナー室より船橋!第十雄洋丸から大きな破壊音認む!」
「本庁より本船!次弾装填待て!」
「海自機より本船!第十雄洋丸甲板に大きな火の手!」
「第十雄洋丸、速度低下していきます!」
破壊と浸水を示す報告が、次々と殺到し、そして。
一式徹甲弾命中箇所のすぐ上から、まだ完成16年の東京タワーを思わせる巨大で鮮やかな火柱が、2度連続して上がった。度重なる爆発と火災で中央部の重油タンクの中身が気化、空気と混合され、爆轟したのだ。
爆音に混ざって、第十雄洋丸の竜骨が折れる音がソナー室で捉えられる。
「…手すきの者は上甲板へ。」
この頃の海上保安庁には音楽隊はいなかった(設立後に海上自衛隊発足で持っていかれていた)が、35000トンの「ほっかいどう」に音楽隊がいないのは寂しいと有志が非公式の音楽隊を組織していた。彼らが、船室から各々の楽器を手にして上甲板へと上がってくる。
主砲の爆風を避けるためガラ空きだった上甲板に、船員たちがぞろぞろと並ぶ。一般の船員が場所を空け、音楽隊が広大な船尾に集まる。報道陣も、厳粛な空気を感じて姿勢を正す。
その間にも第十雄洋丸では大きな爆発が繰り返し、そして、船尾の甲板が海水に沈み込んでいく。
「ああ…」
有志音楽隊が、巨大巡洋戦艦相手に半日の健闘をして波間へ逝く偉大なタンカーへと、葬送の演奏を始める。
「総員、第十雄洋丸へ最敬礼し黙祷。」
ついには船首を天へと掲げ、第十雄洋丸はゆっくりと…
「半月燃え続け漂った第十雄洋丸が、今、静かにその姿を、深海へと消していきます。」
夕暮れの太平洋には、わずかな薄い油の膜と、物悲しい演奏だけが、激闘の跡として残っていた。