転生したサトシは、波動と絆で最強のポケモンマスターを目指す   作:kousinn

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第2話 たいけつ!ポケモンセンター!

 

第一幕「夕焼けの帰り道、近づく二人の距離」

 

 夕焼けに染まった道を、俺たちはゆっくりと進んでいた。

 

 つい先ほどまで、空は厚い雲に覆われ、雨と風が容赦なく吹きつけていた。オニスズメとオニドリルの群れに追い回され、何時間も逃げ続けたのが嘘のようだ。

 

 今は雲の切れ間から夕日が差し込み、濡れた草木がきらきらと光っている。

 

 ただし、嵐が去ったからといって、すべてが元通りになったわけじゃない。

 

 道はぬかるみ、ところどころに折れた枝が散らばっている。水たまりを避けながら歩かなければならないし、日が沈めば気温も下がるだろう。

 

 そして何より、俺の腕の中には足を挫いたカスミがいる。

 

「……あのさ、サトシ」

 

「ん? どうした?」

 

「そろそろ、下ろしてもいいんじゃない?」

 

 カスミは俺の顔をうかがうように言った。

 

 俺は彼女の右足首に目を向けた。

 

「まだ痛むんだろ?」

 

「さっきよりはマシになった気がするわ」

 

「気がする、だけじゃ駄目だ。ちゃんと診てもらうまでは、無理しないほうがいい」

 

「でも、ずっと抱えてもらうのも悪いし……」

 

「気にしなくていいよ。俺が歩けて、カスミが歩けない。それなら俺が運ぶのが自然だろ?」

 

「そ、そういう問題じゃないの!」

 

 カスミの声が少し大きくなった。

 

 俺は思わず首をかしげた。

 

「違うのか?」

 

「違……いや、違わないけど!」

 

 彼女は言葉に詰まり、俺の胸元から顔をそらした。

 

 ……何だろう。

 

 足が痛む以外にも、何か気になることがあるのだろうか。

 

 とはいえ、本人が話したくないのなら無理に聞くこともない。

 

「分かった。じゃあ、足が痛くなったり、疲れたりしたらすぐに言ってくれ。遠慮はしなくていいからな」

 

「……うん」

 

 カスミは小さく返事をした。

 

 俺は歩く速度を少し落とし、彼女に負担がかからないように気をつけながら進んだ。

 

 肩に乗っているピカチュウは、先ほどから時折こちらを振り返っている。

 

「ピカチュウ、疲れてないか?」

 

「ピカ!」

 

 元気な返事が返ってきた。

 

「そうか。でも、無理はするなよ。ポッポも、センターに着いたら状態を確認しよう」

 

 俺はポッポの入ったモンスターボールを服の上から確かめた。

 

 逃走中、ポッポを外に出す余裕はなかった。今はボールの中で休めているはずだが、嵐の中で長時間走った俺たちと同じように、ポケモンたちにも疲労が残っている可能性がある。

 

 ポケモンセンターに着いたら、まずは診察を受けさせよう。

 

 その後で、波動のことをオーキド博士に連絡して相談する。あの大群の気配を感じ取ったとき、俺は情報を受け止めきれず、頭痛に襲われた。

 

 今のままでは、波動を頼りにすること自体が危険になりかねない。

 

 便利な力だからこそ、使い方を学ばなければならない。

 

「……サトシって、いつもそんなことを考えてるの?」

 

 カスミの声で、俺は思考から引き戻された。

 

「そんなこと?」

 

「ポケモンのこととか、波動のこととか。さっきから、ずっと難しそうな顔をしてる」

 

「顔に出てたか?」

 

「出てたわよ。何か考えてるとき、すぐ分かるもの」

 

 カスミは、少し得意げに笑った。

 

 俺は苦笑する。

 

「これからのことを考えてたんだ。今日みたいなことが、また起こらないとは限らないからな」

 

「また、あんな大群に襲われるかもしれないってこと?」

 

「ああ。あのポケモンたちがどうして突然襲ってきたのか、まだ分からない。最初に聞こえた衝撃音も気になるしな」

 

「確かに……」

 

 カスミの表情が少し曇った。

 

 俺も、あのときのことを思い出す。

 

 森の奥から響いた、何かが地面にぶつかったような大きな音。

 

 その直後に感じた、落ち着きを失った多数のポケモンの気配。

 

 偶然だったのか。それとも、何かが起きたせいで群れが興奮したのか。

 

 現時点では、どちらとも判断できない。

 

「でも、今は無事に逃げられた。それで十分だよ。原因については、もう少し情報を集めてから考えよう」

 

「……そうね。今は、無事に街まで着くことが先決ね」

 

 カスミはそう言って、俺の肩にいるピカチュウを見た。

 

「ピカチュウも、よく頑張ったわね」

 

「ピカ!」

 

「あなた、サトシのことが本当に好きなのね」

 

 ピカチュウは俺の頬に体を寄せる。

 

 俺は自然と笑みを浮かべた。

 

「俺にとっても、大切なパートナーだからな」

 

「……いい関係ね」

 

 カスミの声は、いつもより少し穏やかだった。

 

 その後、俺たちはしばらく黙って歩いた。

 

 夕日が少しずつ低くなり、空の色が赤から橙、そして薄紫へと変わっていく。

 

 雨上がりの草原には、土と草の匂いが漂っていた。遠くからは、野生のポケモンの鳴き声がかすかに聞こえる。

 

 道の脇にできた水たまりには、夕焼けの色が映っていた。

 

 こうして落ち着いて周囲を見渡すと、カントー地方の自然は本当に豊かだと思う。

 

 ゲームやアニメで何度も見てきた場所でも、実際に歩いてみると印象が違う。

 

 風の冷たさも、濡れた土の感触も、ポケモンたちの声も、すべてが現実だった。

 

 俺はこの世界で、これから多くのポケモンと出会う。

 

 まだ知らない場所へ行き、まだ知らない相手と戦い、経験を積んでいく。

 

 その第一歩が、今日だった。

 

「ねえ、サトシ」

 

「今度は何だ?」

 

「あなた、本当にポケモンマスターになれると思ってる?」

 

 質問は唐突だった。

 

 俺は少し考えてから答えた。

 

「なれるかどうかは、これからの俺次第だと思う」

 

「えっ? 絶対になれる、って言わないの?」

 

「なりたいとは思ってる。でも、目標を口にするだけじゃ意味がないだろ。実際に努力して、経験を積んで、結果を出さないとな」

 

 カスミは黙って聞いていた。

 

「だから、今は一つずつ進んでいくつもりだ。まずはピカチュウと信頼関係を深めて、ポッポのことももっと知る。それから、いろんなトレーナーと戦って、強くなっていく」

 

「……なんだか、ずいぶん具体的なのね」

 

「考えるのは好きなんだ」

 

「ふふっ。そうみたいね」

 

 カスミは楽しそうに笑った。

 

「でも、私はそういうの、嫌いじゃないわ」

 

「そうか?」

 

「うん。夢を持つだけじゃなくて、そこに向かって何をするか考えてるのって、いいと思う」

 

 彼女は一度言葉を切り、少し照れたように続けた。

 

「……私も、もっと頑張らなきゃね」

 

「カスミはカスミの目標に向かって進めばいいさ。誰かと比べる必要はないと思う」

 

「……あなたって、時々すごくいいことを言うわね」

 

「時々、なのか?」

 

「時々よ!」

 

 カスミは即座に言い返した。

 

 けれど、すぐに笑い出した。

 

 俺もつられて笑った。

 

 出会ったばかりなのに、こうして自然に話せるのは不思議だった。

 

 もちろん、まだお互いに知らないことは多い。

 

 それでも、少なくとも今は、一緒にいて気を張り続ける必要はないように感じられた。

 

 しばらく進むと、道の先に街の明かりが見え始めた。

 

「あれが、トキワシティか?」

 

「そうみたいね!」

 

 カスミは身を乗り出しかけ、足首に響いたのか、小さく顔をしかめた。

 

「おい、無理するなって」

 

「分かってるわよ。でも、やっと着くんだもの!」

 

「もう少しだから、落ち着いてくれ」

 

 俺は彼女を支え直した。

 

 街へ近づくにつれて、道は少しずつ整備されたものになっていった。雨水が流れ込んだ側溝には水がたまり、街灯が濡れた路面を照らしている。

 

 人の姿も見えるようになった。

 

 旅の途中らしいトレーナーや、買い物帰りの住民が行き交っている。俺たちのずぶ濡れの格好を見て、何人かが驚いたように振り返った。

 

 そりゃそうだろう。

 

 嵐の中を何時間も逃げ回っていたのだから、見た目はかなりひどいはずだ。

 

 カスミも、それに気づいたらしい。

 

「……ねえ。私たち、すごい格好じゃない?」

 

「否定はできないな」

 

「うう……。こんな姿で街を歩くことになるなんて」

 

「ポケモンセンターに着いたら、まずは体を休めよう。着替えも必要なら相談してみるといい」

 

「あなたは?」

 

「俺も必要だろうな。さすがに、このままじゃ風邪を引きそうだ」

 

「ふふっ。サトシでも、風邪を引くのね」

 

「俺を何だと思ってるんだよ」

 

「何でも平気そうな人?」

 

「そんなわけないだろ」

 

 俺が苦笑すると、カスミは楽しそうに笑った。

 

 その笑顔を見て、俺は少し安心した。

 

 足を挫いたうえに、あんな恐ろしい経験をしたのだ。少しでも気持ちが落ち着いているなら、それに越したことはない。

 

 やがて、通りの向こうに見覚えのある建物が見えてきた。

 

 白と赤を基調とした外観。大きな窓。入口付近には、ポケモンを連れたトレーナーが何人もいる。

 

 ポケモンセンターだ。

 

「着いた……!」

 

 カスミがほっと息を吐いた。

 

「ああ。まずはポケモンたちを診てもらおう」

 

 俺は入口の前で足を止めた。

 

 ここまで来れば、ひとまず安心できる。

 

 ピカチュウは肩の上で周囲を見回し、ポケモンセンターの明るい看板に目を向けた。

 

「ピカ!」

 

「よし。ピカチュウもポッポも、よく頑張ったな」

 

 俺はピカチュウの頭を優しく撫でた。

 

 それから、腕の中のカスミに目を向ける。

 

「カスミ、もう少しだけ我慢してくれ。中に入ったら、すぐに足を診てもらおう」

 

「……うん。ありがとう、サトシ」

 

 カスミは、今度は照れ隠しをせずに答えた。

 

 その声を聞いて、俺は小さく笑った。

 

「どういたしまして」

 

 俺はカスミを抱えたまま、ポケモンセンターの扉をくぐった。

 

 温かな空気と、忙しそうに動き回るスタッフの姿が目に入る。

 

 長く、厳しい一日が、ようやく終わろうとしていた。

 

第二幕「証言と検診、そして突然の停電」

 

――サトシ視点

 

 ポケモンセンターの自動ドアをくぐると、暖かな空気が俺たちを包み込んだ。

 

 外はすっかり雨上がりだったが、俺もカスミも全身ずぶ濡れだ。服には泥がつき、髪からはまだ水滴が落ちている。

 

 受付の向こうにいたジョーイさんが、俺たちの姿を見るなり驚いたように目を見開いた。

 

「まあ! あなたたち、いったいどうしたの?」

 

「森の中でオニスズメとオニドリルの大群に襲われたんです。逃げている途中で嵐にも遭って……」

 

 俺が説明すると、ジョーイさんの表情が一気に心配そうなものへ変わった。

 

「大変だったわね! あなたたち、怪我はない?」

 

「俺は大丈夫です。ただ、彼女が足を挫いています。それと、俺のピカチュウと、捕まえたばかりのポッポの状態を診てもらいたいんです」

 

「分かったわ。すぐに確認しましょう。そちらの女の子は、まず座っていてね」

 

「ありがとうございます」

 

 俺はカスミを近くの椅子に座らせた。

 

 彼女はようやく落ち着いたのか、深く息を吐いた。

 

「はあ……やっと安心できそう」

 

「まだ診察が終わったわけじゃないぞ。足を動かさないようにな」

 

「分かってるわよ。……それにしても、あなたって本当に心配性ね」

 

「怪我をしている人を心配するのは普通だろ」

 

「そ、そうだけど……」

 

 カスミは何か言いかけて、俺から目をそらした。

 

 また顔が赤くなっているように見えたが、気のせいかもしれない。

 

 今は、それよりもポケモンたちの状態が気になった。

 

 ジョーイさんがピカチュウを診察用のスペースへ案内し、ポッポの入ったモンスターボールも預かってくれた。

 

「ポケモンたちの検査には少し時間がかかるわ。その間に、あなたたちも濡れた服を替えて、体を休めてちょうだい」

 

「分かりました」

 

 俺たちはタオルを借り、体を拭いた。着替えについても、ポケモンセンターのスタッフが相談に乗ってくれることになった。

 

 ひと息ついた、そのときだった。

 

 ポケモンセンターの入口から、青い制服を着た女性が入ってきた。

 

 腰には警察官の装備。隣には、特徴的な髪型をした警察官用の帽子をかぶったポケモン――ガーディがいる。

 

 ジュンサーさんだ。

 

「ジョーイさん。先ほど、近隣の道路で大規模な野生ポケモンの騒動があったという通報が入りました。こちらに、巻き込まれた人たちがいると聞いたのですが」

 

「ええ。この二人が、オニスズメとオニドリルの群れに襲われたそうなの」

 

 ジュンサーさんは俺たちへ視線を向けた。

 

「あなたたちが当事者ね? 私はトキワシティのジュンサーです。まずは無事で何よりだけれど、何があったのか詳しく聞かせてもらえるかしら」

 

「はい。俺たちが見たことなら、説明できます」

 

 俺はカスミの隣に座り、できるだけ順序立てて話し始めた。

 

 川辺でカスミと出会い、一緒に釣りをしていたこと。

 

 その最中に、森の奥から大きな衝撃音が聞こえたこと。

 

 直後、オニスズメとオニドリルの群れが現れ、俺たちを襲い始めたこと。

 

 そして、嵐の中で逃げ続け、長い時間が経過してから、ようやく群れが落ち着いて飛び去ったこと。

 

 ジュンサーさんは途中で口を挟まず、手帳に記録しながら聞いていた。

 

「最初の衝撃音について、もう少し詳しく説明してくれる?」

 

「森の奥から聞こえました。何か大きなものが地面にぶつかったような音でした。ただ、俺たちは現場を確認していません。何が起きたのかは分かりません」

 

「その音の直後に、群れが現れたのね?」

 

「はい。少なくとも、俺たちが気づいた範囲ではそうです」

 

「群れの数は?」

 

「正確には数えていません。かなりの数でした。オニスズメだけでなく、オニドリルもいました」

 

 ジュンサーさんは慎重にうなずいた。

 

「分かりました。無理に数を推定する必要はないわ。見たことと、分からないことを区別して話してくれるのは助かるわね」

 

 俺はうなずいた。

 

 見ていないことまで断定しても、原因の究明には役立たない。

 

 むしろ、目撃した事実と推測を分けることが重要だ。

 

 ジュンサーさんは、次にカスミへ向き直った。

 

「あなたも、同じものを見たのね?」

 

「はい。サトシの話したことは、私も確認しています。あの鳥ポケモンたちは、私たちを見つけると何度も襲ってきました。木の陰に隠れても追いかけてきたんです」

 

「逃げている途中で、ほかに何か気づいたことはあった?」

 

 カスミは少し考えた。

 

「……最初は、何かにすごく怒っているように見えました。でも、どうしてあんなに興奮していたのかは分かりません。私たちが何かしたから襲ってきた、という感じでもなかったと思います」

 

「そう。分かったわ。ありがとう」

 

 ジュンサーさんは記録を続けた。

 

「あなたたちが逃げた場所の周辺には、ほかのトレーナーもいた可能性があるわ。別の目撃情報と照合してみる必要があるわね」

 

 その言葉を聞いたとき、受付の近くにいた少年が手を挙げた。

 

「あの、俺も少しなら見ました!」

 

 ジュンサーさんがそちらを向く。

 

「あなたも、あの騒動を目撃したの?」

 

「はい。俺は友達と一緒に、トキワシティへ向かう道を歩いていたんです。そしたら、森のほうからすごい鳴き声が聞こえて……」

 

 少年は、少し緊張した様子で話し始めた。

 

「最初は、ポケモン同士で争っているのかと思いました。でも、木の上をオニスズメが何十羽も飛んでいくのが見えたんです。その後ろには、オニドリルもいました」

 

「あなたが見た範囲では、群れはどちらへ向かっていたの?」

 

「森から道路のほうへ飛んできて、それから何羽かは俺たちの近くを通って、また森のほうへ戻っていきました。とにかく、すごく興奮しているように見えました」

 

「衝撃音は聞いた?」

 

「はい。でも、姿までは見ていません。音がしたあと、鳥ポケモンたちが騒ぎ始めた気がします」

 

 ジュンサーさんは、その証言も手帳に書き留めた。

 

 続いて、近くのソファに座っていた青年トレーナーも話に加わった。

 

「俺も、少し離れた場所で見かけました。森のほうから鳥ポケモンが飛び出してきたので、危険だと思って、連れのポケモンをボールに戻して避難したんです」

 

「そのとき、群れは人間を狙っているように見えましたか?」

 

「そこまでは分かりません。ただ、俺が離れようとしたときにも何羽かが追ってきました。普段の野生ポケモンの威嚇とは違う感じでしたね」

 

 証言が増えるにつれ、事件の輪郭が少しずつ見えてきた。

 

 複数の人間が、同じ時間帯にオニスズメやオニドリルの異常な興奮を目撃している。

 

 衝撃音も、俺たちだけが聞いたわけではないらしい。

 

 だが、肝心の原因はまだ分からない。

 

 ジュンサーさんは手帳を閉じた。

 

「皆さん、証言をありがとう。現時点では、野生ポケモンが何らかの理由で興奮し、広い範囲で騒動を起こした可能性があるわ。ただし、原因はまだ特定できていません。現場の安全を確認し、必要なら調査を行います」

 

 それから、俺たちへ視線を戻した。

 

「あなたたちも、もし何か思い出したことがあれば、ポケモンセンターを通じて連絡してちょうだい。無理に現場へ戻る必要はないわ。特に、まだ体力が戻っていないでしょうから」

 

「分かりました」

 

 俺は素直に答えた。

 

 原因を調べたい気持ちはある。だが、ポケモンたちの状態も確認できていない今、無理をする理由はない。

 

 それに、ジュンサーさんが調査を始めるのなら、現場の情報が集まる可能性もある。

 

 今は、自分にできることを優先するべきだ。

 

 ジュンサーさんはジョーイさんに軽く会釈すると、ほかの目撃者にも追加で確認を行うため、受付の近くへ移動した。

 

 俺は隣にいるカスミを見た。

 

「少なくとも、俺たちだけが巻き込まれたわけじゃなかったみたいだな」

 

「うん……。でも、原因が分からないのは気になるわね」

 

「そうだな。ただ、今は休もう。足も診てもらわないと」

 

「……そうね」

 

 カスミは自分の右足首を見下ろした。

 

 その表情には、痛みだけでなく、ようやく安全な場所に着いたという安堵も浮かんでいた。

 

 しばらくして、ジョーイさんが俺たちのところへ戻ってきた。

 

「お待たせしました。まずはポケモンたちの検査が終わったわ。詳しい結果を説明するから、こちらへ来てもらえる?」

 

「はい、お願いします」

 

 俺たちは案内された診察スペースへ向かった。

 

 そこには、診察を終えたピカチュウとポッポがいた。

 

「ピカチュウ!」

 

 ピカチュウが俺の姿を見るなり、元気よく駆け寄ってくる。

 

「お疲れさま。よく頑張ったな」

 

 俺はピカチュウを抱き上げ、頭を撫でた。

 

 ポッポも落ち着いた様子で、診察台の上からこちらを見ている。

 

 ジョーイさんは検査記録を手に、説明を始めた。

 

「まず、ピカチュウだけれど、今のところ大きな怪我は見つかっていないわ。長時間の逃走で疲労はあるけれど、休息を取れば回復していく見込みよ」

 

「よかった……」

 

 俺は胸をなで下ろした。

 

「ポッポも、目立った外傷は見つからなかったわ。ただ、捕まえたばかりで、今回の逃走も経験しているから、今日はできるだけ静かに休ませてあげてね」

 

「分かりました。ありがとうございます」

 

 ジョーイさんは続けて、カスミの診察結果について説明した。

 

「カスミさんの足首は、捻挫の可能性が高いわ。今のところ、重い損傷を疑う所見はないけれど、腫れと痛みがあるから、しばらくは安静にしてね。無理に歩くと悪化することがあるわ」

 

「やっぱり、しばらく歩かないほうがいいんですね……」

 

「ええ。必要な移動は誰かに手伝ってもらって、足に負担をかけないようにしましょう。痛みが強くなったり、腫れがひどくなったりしたら、すぐに知らせてね」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 カスミは少し残念そうだったが、素直にうなずいた。

 

 俺も安心した。

 

 少なくとも、今の診察では重大な怪我は見つかっていない。ただし、無理をさせていいという意味ではない。

 

「それから、あなたたち二人も、今日はしっかり休んだほうがいいわ。長時間の逃走と雨で、体力をかなり消耗しているはずだから」

 

「はい。そうします」

 

 俺はピカチュウをそっと下ろした。

 

 ピカチュウは俺の足元に寄り添い、ポッポも落ち着いた様子で羽を整えている。

 

 ひとまず、二匹とも大きな怪我がなくてよかった。

 

 俺は、今日一日の出来事を振り返った。

 

 ピカチュウとの旅立ち。

 

 ポッポとの出会い。

 

 カスミとの釣り。

 

 そして、正体の分からない衝撃音と、異常なほど興奮した鳥ポケモンの群れ。

 

 最後には、ホウオウの姿を目撃し、虹色の羽まで手に入れた。

 

 たった一日で、あまりにも多くのことが起きている。

 

 波動についても、まだ分からないことばかりだ。

 

 オーキド博士に相談すれば、何か手掛かりが得られるかもしれない。

 

 そう考えていたときだった。

 

 ――パッ。

 

 診察スペースの照明が、一瞬だけ明滅した。

 

「……ん?」

 

 俺が顔を上げた直後、もう一度、照明がちらついた。

 

 そして。

 

 バチッ、という小さな音が響いた。

 

 次の瞬間、室内の明かりがすべて消えた。

 

「えっ!?」

 

 カスミの声が暗闇に響く。

 

 受付のほうからも、驚いた声がいくつも聞こえてきた。

 

「停電!?」

 

「皆さん、落ち着いてください!」

 

 ジョーイさんが声を張り上げる。

 

 非常灯が点灯する気配はまだない。ポケモンセンターの機器が停止し、周囲が急に静かになったように感じられた。

 

 俺はすぐにピカチュウの位置を確認した。

 

「ピカチュウ、俺のそばにいてくれ!」

 

「ピカ……!」

 

 ピカチュウが短く返事をする。

 

 そのとき、暗闇の中でカスミが俺の腕をつかんだ。

 

「サトシ……?」

 

「大丈夫だ。ここにいるよ」

 

 俺は彼女の手を軽く握り返した。

 

 突然の停電。

 

 ただの設備トラブルならいい。

 

 だが、今日の出来事を考えると、何もかも偶然だと決めつけるのは早い気がした。

 

 俺は周囲の音に注意を向けながら、波動を使うべきかどうか考えた。

 

 今は、無闇に使って情報を受けすぎるわけにはいかない。

 

 まずは状況を確認する。

 

 暗闇の中、誰かが動く気配がした。

 

 そして、ポケモンセンターの奥から、聞き慣れない電子音が一度だけ響いた。

 

 ――ピッ。

 

 俺は思わず、そちらへ顔を向けた。

 

 何が起きている?

 

 なぜ、こんなタイミングで停電したんだ?

 

 答えはまだ分からない。

 

 ただ一つ確かなのは、俺たちの旅は、まだ始まったばかりだということだった。

 

 そして、この停電が単なる偶然なのかどうかも、まだ分からない

 

第三幕「暗闇の襲撃、ロケット団との初バトル」

 

 突然、ポケモンセンターの照明が消えた。

 

 明るかった受付も、待合室も、廊下も、一瞬にして暗闇に包まれる。

 

「きゃっ!」

 

 隣にいたカスミが、思わず俺の腕をつかんだ。

 

「カスミ、慌てるな。暗いから、動くと危ないぞ」

 

「わ、分かってるわよ! ちょっと驚いただけ!」

 

 声は強気だが、腕をつかむ手には力がこもっていた。

 

 俺は肩に乗っていたピカチュウの様子を確かめる。

 

「ピカチュウ、大丈夫か?」

 

「ピカ!」

 

 ピカチュウは周囲を警戒するように耳を動かした。

 

「皆さん、落ち着いてください! その場でお待ちくださいね!」

 

 ジョーイさんが、患者やトレーナーたちに呼びかける。

 

 ジュンサーさんも懐中電灯を手に、周囲の安全を確認していた。

 

「ジョーイさん、非常用電源の状況を確認してください! こちらは原因を調べます!」

 

「分かりました!」

 

 ジュンサーさんは部下の警察官に指示を出す。

 

 そのとき、奥の廊下から別の警察官が駆け込んできた。

 

「ジュンサーさん、大変です! 施設の裏手だけではありません。周辺に複数の不審者が確認されました!」

 

「複数ですって?」

 

「はい! ロケット団を名乗る者たちです。建物の周囲で不審な行動を取っていて、何人かはすでに逃走しています!」

 

 その報告に、ジュンサーさんの表情が険しくなった。

 

「分かりました。警察官を分けて対応します! 逃走者を追う班と、ポケモンセンターの安全を確保する班に分かれてください!」

 

「了解!」

 

 警察官たちが慌ただしく動き始めた。

 

 どうやら、今回の停電は単なる施設のトラブルではないらしい。

 

 しかも、犯人は三人だけではない。

 

 俺は頭の中で情報を整理した。

 

 停電の直前に聞こえた電子音。建物の外にあった不審な機械。そして、施設周辺に現れた複数のロケット団構成員。

 

 これらが偶然重なったとは考えにくい。

 

 ロケット団が組織的に動いている可能性が高い。

 

「サトシ、ロケット団って……」

 

 カスミが不安そうに俺を見る。

 

「たぶん、今回の停電にも関係している。けど、まだ決めつけるのは早い」

 

「こんなときに冷静ね、あんた……」

 

「焦っても状況はよくならないからな」

 

 俺はそう答えた。

 

 ただし、冷静でいることと、何もしないことは違う。

 

 警察が複数の相手に対応している今、施設の中に別の侵入者が入ってくる可能性も考えなければならない。

 

 その考えが頭をよぎった直後だった。

 

 ――ガチャリ。

 

 少し離れた場所から、裏口の扉が開く音が聞こえた。

 

 俺はそちらへ視線を向けた。

 

「……誰か来たな」

 

     *

 

 ポケモンセンターの裏口。

 

 暗闇の中、三つの影が音を立てないように建物へ入り込んだ。

 

「よーし、うまく入れたわね!」

 

 ムサシが小声で笑う。

 

「警察が外の連中にかかりきりになってる間に、こっちの目的を果たすんだ!」

 

 コジロウも周囲を見回した。

 

「ニャー、急ぐニャ! ここにいるポケモンを手に入れれば、きっと大手柄ニャ!」

 

 ニャースは前足をこすり合わせる。

 

 三人は、停電によって施設内が混乱している隙を利用し、ポケモンセンターのポケモンたちを奪おうとしていた。

 

 しかし、裏口から進んだ先で、彼らは思いがけない人物と出くわした。

 

「そこで何をしている?」

 

 落ち着いた少年の声。

 

 三人が振り向くと、そこにはサトシとカスミが立っていた。

 

 サトシの肩にはピカチュウが乗っている。

 

「なっ……! どうしてここに人がいるのよ!」

 

 ムサシが声を上げた。

 

「しっ! 声が大きいよ、ムサシ!」

 

「ニャーッ! 見つかったニャ!」

 

 コジロウとニャースも慌てる。

 

 俺は三人の服装を見て、すぐに判断した。

 

 ロケット団。

 

 原作の知識がある俺にとって、その正体に見当をつけるのは難しくなかった。

 

 だが、今はそれを口にする必要はない。

 

「停電の最中に裏口から侵入して、何をするつもりだ?」

 

「な、何のことかしら?」

 

 ムサシはわざとらしく首をかしげた。

 

「そうそう。僕たちはちょっと道に迷っただけで……」

 

「ニャー、ポケモンセンターの見学に来ただけニャ!」

 

「見学なら、どうしてこそこそ入ってきたんだ?」

 

 俺が尋ねると、三人は一瞬言葉に詰まった。

 

「う、うるさいわね! 新人トレーナーのくせに、いちいち口を挟まないで!」

 

 ムサシが俺をにらみつける。

 

 その態度を見て、俺は確信を深めた。

 

 少なくとも、善意でここへ来たわけではない。

 

「カスミ、ジョーイさんたちのいる場所から離れすぎないようにしてくれ。ピカチュウ、警戒してくれ」

 

「分かったわ!」

 

「ピカ!」

 

 俺が指示を出すと、ピカチュウは地面へ飛び降りた。

 

 すると、ムサシが不敵に笑った。

 

「ふん! こっちの邪魔をするなら、容赦しないわよ!」

 

「そうだとも! 大人しくしていれば痛い目を見ずに済んだものを!」

 

 コジロウもモンスターボールを取り出した。

 

「ニャーたちの邪魔をするなら、覚悟するニャ!」

 

 三人の様子から、話し合いで解決するつもりはないと分かった。

 

 俺は一歩前に出る。

 

「カスミ、戦えるか?」

 

「もちろん! こんな連中に好き勝手させるわけにはいかないでしょ!」

 

 カスミもモンスターボールを構えた。

 

「だったら、俺たちで止めよう」

 

「ええ!」

 

     *

 

「行きなさい、アーボ!」

 

 ムサシがモンスターボールを投げた。

 

 地面に現れたのは、紫色の蛇のようなポケモンだった。

 

「出てこい、ドガース!」

 

 続いてコジロウがボールを投げる。

 

 煙をまとった丸いポケモンが、宙に浮かぶように姿を現した。

 

 相手はアーボとドガース。

 

 どちらも毒タイプのポケモンだ。

 

「俺はピカチュウでいく。カスミは?」

 

「ヒトデマン、お願い!」

 

 カスミがボールを投げると、ヒトデマンが床に着地した。

 

「ヒトデマン、準備はいい?」

 

「ヘアッ!」

 

 ヒトデマンは中央の赤い部分を光らせ、戦闘態勢に入った。

 

「ピカチュウ、いけるな?」

 

「ピカ!」

 

 俺は周囲を確認する。

 

 ここはポケモンセンターの内部だ。激しい技を無計画に使えば、設備や周囲の人々を傷つける可能性がある。

 

 それに、俺たちの目的は相手を倒すことそのものではない。

 

 ポケモンセンターを守り、ロケット団の作戦を阻止することだ。

 

「ピカチュウ、周囲に注意しながら戦うぞ。無理に追い込まなくていい」

 

「ピカ!」

 

「ヒトデマン、相手の動きを見て! 私たちも負けないわよ!」

 

「ヘアッ!」

 

 ムサシが腕を振り下ろした。

 

「アーボ、かみつく!」

 

 アーボが地面を滑るように接近し、大きく口を開いた。

 

「ピカチュウ、右へ避けて、でんこうせっか!」

 

「ピカッ!」

 

 ピカチュウは素早く横へ跳び、床を蹴ってアーボへ接近する。

 

 アーボは身をひねって攻撃をかわしたが、体勢を崩して壁際へ滑った。

 

「なかなかやるじゃない! でも、これでどう?」

 

 ムサシが続けて指示を出す。

 

「アーボ、まきつく!」

 

 アーボが長い体を伸ばし、ピカチュウを捕まえようとする。

 

「ピカチュウ、深追いするな! 一度距離を取れ!」

 

 ピカチュウは直前で進路を変え、アーボの体が届く範囲から離れた。

 

 その間に、コジロウがドガースへ指示を出す。

 

「ドガース、えんまく!」

 

 ドガースの周囲から煙が広がり始めた。

 

「煙で視界を奪うつもりか……!」

 

 俺はすぐに状況を切り替えた。

 

 視界が悪くなれば、相手の位置を正確に把握するのが難しくなる。無理に突っ込めば、アーボの攻撃を受ける危険もある。

 

「ピカチュウ、いったん下がれ! 音と相手の動きを意識しろ!」

 

「ピカ!」

 

 ピカチュウは俺の声を聞き、煙の中へ無理に飛び込むことなく、慎重に距離を取った。

 

「ヒトデマン、みずでっぽう!」

 

 カスミの指示で、ヒトデマンが水を噴射する。

 

 水流が煙の広がる場所を通り抜け、ドガースの動きを牽制した。

 

「ドガース、避けろ!」

 

 コジロウが叫ぶ。

 

 ドガースが横へ移動したことで、煙の一部が薄くなった。

 

 その隙に、俺は相手の配置を確認する。

 

 アーボはピカチュウを捕まえようと接近している。

 

 ドガースは煙を使って視界を妨害しながら、後方から攻撃する構えだ。

 

 連携自体は単純だが、狭い場所では十分に厄介だった。

 

「カスミ、ヒトデマンの水でドガースの動きを制限してくれ! ピカチュウはアーボを引きつける!」

 

「分かったわ!」

 

 カスミはすぐに意図を理解した。

 

「ヒトデマン、みずでっぽう! 相手の進路を塞いで!」

 

「ヘアッ!」

 

 ヒトデマンの水流が床を走り、ドガースが移動しようとする方向を牽制する。

 

 ドガースは水を避けるため、進路を変えた。

 

「今だ、ピカチュウ! でんこうせっか!」

 

 ピカチュウがアーボの側面へ回り込む。

 

 アーボは攻撃しようと首を伸ばしたが、ピカチュウは速度を落とさずに通り抜けた。

 

「ちょこまかと! アーボ、追いなさい!」

 

 ムサシが声を張り上げる。

 

 アーボはピカチュウを追いかけようとしたが、進路の先にはヒトデマンが作った水たまりが広がっていた。

 

 足元を警戒したアーボの動きが、ほんの一瞬だけ鈍る。

 

「ピカチュウ、でんきショック!」

 

「ピカチュウ!」

 

 ピカチュウの電撃がアーボへ向かう。

 

 アーボは身をよじって直撃を避けようとしたものの、電撃を完全には避けきれず、苦しそうに声を上げた。

 

「アーボ!」

 

 ムサシが叫ぶ。

 

「よし……!」

 

 俺は小さく息を吐いた。

 

 ただし、まだ終わりじゃない。

 

 ドガースが再び煙を吐き出し、こちらの視界を奪おうとしていた。

 

「ドガース、たいあたり!」

 

 煙の向こうから、ドガースが突進してくる。

 

「ヒトデマン、横へ避けて!」

 

 カスミが指示を出した。

 

 ヒトデマンは素早く移動し、ドガースの突進をかわす。

 

 ドガースは勢いを止めきれず、壁際で大きく向きを変えた。

 

「ピカチュウ、相手が向きを変えたところを狙え! でんこうせっか!」

 

 ピカチュウがドガースの横から接近する。

 

「ドガース、上へ逃げろ!」

 

 コジロウの指示で、ドガースは高度を上げた。

 

 ピカチュウの攻撃はわずかに届かない。

 

 だが、それで十分だった。

 

「カスミ、今だ!」

 

「分かってるわ! ヒトデマン、みずでっぽう!」

 

 ヒトデマンが水を放ち、ドガースの進路を制限する。

 

 ドガースは水を避けるため、横へ移動した。

 

 その瞬間、ピカチュウが地面を蹴った。

 

「ピカチュウ、でんきショック!」

 

 電撃がドガースへ命中する。

 

「ドガース!」

 

 コジロウが声を上げた。

 

 ドガースは体勢を崩し、床へ落ちるように低くなった。

 

 それでも、アーボとドガースはまだ戦う意思を見せていた。

 

 数分にわたる攻防。

 

 俺たちは相手の技を見極めながら、施設を傷つけないように立ち回っていた。

 

 ピカチュウはアーボの接近を避け、ヒトデマンは水流でドガースの移動を制限する。

 

 相手が煙で視界を奪おうとすれば、無理に攻めずに位置を確認する。

 

 俺たちが優位に立ち始めると、ムサシとコジロウの表情にも焦りが見えた。

 

「ちょっと! 何なのよ、あのピカチュウ!」

 

「こっちの攻撃が全然決まらないぞ!」

 

「ニャー……! あいつ、本当に旅立ったばかりの新人トレーナーなのかニャ!?」

 

 ニャースは俺をじっと見つめていた。

 

 俺はその視線に気づいていたが、今は戦闘に集中していた。

 

 ピカチュウとヒトデマンの疲労も考えなければならない。

 

 相手を追い詰めることよりも、確実に作戦を止めることが優先だ。

 

「ピカチュウ、次で決めるぞ。アーボの動きを見て、無理のないタイミングで攻撃だ!」

 

「ピカ!」

 

「ヒトデマン、みずでっぽうで援護して!」

 

「ヘアッ!」

 

 ヒトデマンが水を放ち、アーボの進路を牽制する。

 

 アーボがそれを避けて向きを変えた瞬間、ピカチュウが素早く接近した。

 

「でんこうせっか!」

 

 ピカチュウの体当たりがアーボに命中する。

 

 アーボは地面へ倒れ、動きを止めた。

 

「アーボ!」

 

 ムサシが駆け寄ろうとする。

 

 その一瞬、ドガースがピカチュウへ近づこうとした。

 

「ドガース、たいあたり!」

 

「ヒトデマン、みずでっぽう!」

 

 カスミの指示が飛ぶ。

 

 ヒトデマンの水流がドガースの進路を遮り、突進を止めた。

 

「ピカチュウ、でんきショック!」

 

 ピカチュウの電撃がドガースに命中する。

 

 ドガースは苦しそうに鳴き、戦闘を続けられない様子で地面近くまで下がった。

 

「くっ……!」

 

 コジロウが歯を食いしばる。

 

 俺はすぐにピカチュウへ声をかけた。

 

「ピカチュウ、もういい! 追撃は必要ない!」

 

「ピカ!」

 

 ピカチュウは攻撃をやめ、俺のそばへ戻ってきた。

 

 カスミもヒトデマンを下がらせる。

 

「ヒトデマン、よく頑張ったわ!」

 

「ヘアッ!」

 

 俺たちは相手のポケモンを倒すことではなく、ロケット団の行動を止めることに成功した。

 

 しかし、まだ安心はできなかった。

 

     *

 

「いたぞ! そっちだ!」

 

 建物の外から、警察官たちの声が響いた。

 

 ムサシ、コジロウ、ニャースの三人が一斉に振り向く。

 

「まずい! 警察が来たぞ!」

 

「どうしてこんなに早く……!」

 

 コジロウが慌てて叫んだ。

 

 その直後、裏口の向こうから数人のロケット団構成員が駆け込んできた。

 

 黒い制服に身を包んだ者たちだった。

 

「おい、こっちだ! 警察が追ってきている!」

 

「早く逃げろ!」

 

 彼らは息を切らしながら、ムサシたちのもとへ走ってくる。

 

「ちょっと、何なのよ! あんたたちまで来たの!?」

 

 ムサシが声を上げた。

 

「話はあとだ! ここにいたら全員捕まるぞ!」

 

 構成員の一人が叫んだ。

 

 ジュンサーさんたちは、施設周辺で行動していたロケット団の構成員への対処に追われていた。その一部が警察の追跡を振り切り、こちらへ合流してきたのだ。

 

 俺は状況を見て、すぐに判断した。

 

 ロケット団は組織的に動いている。

 

 ムサシたち三人だけでなく、ほかの構成員も停電に乗じて行動していた。

 

 そして、今は彼らが合流したことで、相手の人数が増えている。

 

「カスミ、気をつけろ!」

 

「分かってるわ!」

 

 俺たちはピカチュウとヒトデマンを自分たちのそばに呼び戻した。

 

 ロケット団の構成員たちは、俺たちを見て一瞬足を止めた。

 

「こいつらが邪魔をしたのか?」

 

「そうよ! この二人にやられたの!」

 

 ムサシが悔しそうに叫ぶ。

 

「だが、今は構っている暇はない!」

 

 別の構成員が仲間たちを促した。

 

「全員、撤退するぞ!」

 

「待ちなさい! そこを動くな!」

 

 ジュンサーさんの声が近づいてくる。

 

 警察官たちが裏口へ到着するまで、もう時間はなかった。

 

「逃げるわよ!」

 

「ニャー! こんなところで捕まってたまるかニャ!」

 

 ムサシ、コジロウ、ニャースは、ほかのロケット団構成員たちとともに裏口から逃げ出した。

 

 警察官たちはすぐに追跡を開始したが、停電への対応や施設内の安全確保も必要だったため、全員を一度に追うことは難しかった。

 

「サトシ君、カスミさん、怪我はない?」

 

 ジュンサーさんが駆け寄ってきた。

 

「俺たちは大丈夫です。ポケモンたちも、今のところ大きな怪我はありません」

 

「そう……。よく対応してくれたわ。でも、危険な相手だったのだから、無理はしないでね」

 

「はい」

 

 俺はうなずいた。

 

 ロケット団は逃走した。

 

 だが、彼らの目的だったポケモンセンターのポケモンたちは奪われず、作戦そのものは失敗に終わった。

 

 ジュンサーさんたちは逃走した構成員の追跡を続けることになった。

 

 停電の原因となった装置についても、警察による調査が進められることになった。

 

     *

 

 ポケモンセンターの外。

 

 ロケット団の一団は、警察の追跡を振り切るため、暗い道を走っていた。

 

「はあ、はあ……! まさか、あんな新人トレーナーに邪魔されるなんて!」

 

 ムサシが息を切らしながら不満を漏らす。

 

「ピカチュウだけじゃなく、あの水ポケモンとの連携も厄介だったな……」

 

 コジロウも悔しそうだった。

 

「ニャーは、それよりも気になることがあるニャ……」

 

 ニャースは走りながら、何度も後ろを振り返った。

 

「まだ言ってるの? あの少年のこと?」

 

 ムサシが尋ねる。

 

「そうニャ。あいつがニャーに話しかけてきたとき……耳から声が聞こえたわけじゃなかったニャ」

 

「どういうことだ?」

 

「言葉が、直接伝わってきたような感じだったニャ。それに、あいつの気配は普通の人間とは違う気がしたニャ……」

 

 ニャースはうまく説明できなかった。

 

 自分は人間の言葉を話せる。

 

 だから、人間と会話すること自体は珍しくない。

 

 だが、サトシとの接触は明らかに違っていた。

 

 声を聞いたのではなく、意味そのものが伝わってきた。

 

 そして、その奥には、言葉では説明できない奇妙な感覚があった。

 

「ニャーには、あいつが何者なのか分からないニャ。でも、普通の新人トレーナーだとは思えないニャ……」

 

 ムサシとコジロウは顔を見合わせた。

 

「まあ、次に会ったときは気をつけた方がよさそうだな」

 

 コジロウが言った。

 

「そうね。今度こそ、あいつに邪魔されないようにしてやるわ!」

 

 ムサシは拳を握った。

 

 ニャースはそれ以上、何も言わなかった。

 

 サトシの波動に感じた違和感。

 

 その正体は、まだ分からない。

 

 ただ、あの少年が自分たちにとって厄介な相手になるかもしれないという予感だけは、はっきりと残っていた。

 

     *

 

 ポケモンセンターでは、復旧作業と安全確認が進められていた。

 

 俺はピカチュウを抱き上げ、疲れた様子がないか確認する。

 

「ピカチュウ、よく頑張ったな。疲れていないか?」

 

「ピカ……」

 

 ピカチュウは少し疲れた様子を見せながらも、元気よく返事をした。

 

「無理はするなよ。あとでジョーイさんに、もう一度状態を確認してもらおう」

 

 カスミもヒトデマンをボールに戻し、ほっと息をついた。

 

「まったく、とんでもない一日になっちゃったわね……」

 

「ああ。でも、ポケモンたちが無事でよかった」

 

 俺はそう答えながら、窓の外を見た。

 

 ロケット団は逃げた。

 

 停電の原因も、警察が調べている。

 

 けれど、今回の事件で分かったことがある。

 

 ロケット団は、単なる三人組ではない。組織として動き、複数の構成員が同じ目的のために行動している。

 

 そして、俺の波動に反応したニャース。

 

 あいつは、俺の能力に何らかの違和感を覚えた。

 

 それが今後どんな影響をもたらすのかは、まだ分からない。

 

 俺はピカチュウの頭をなでた。

 

「これからも、油断はできないな」

 

「ピカ!」

 

 ピカチュウが力強く鳴いた。

 

 俺たちの旅は、まだ始まったばかりだ。

 

第四幕「回復の時間、二人が見た少年の素顔」

 

 ロケット団が逃走したあと、ポケモンセンターには少しずつ落ち着きが戻り始めていた。

 

 停電はまだ完全には解消されていなかったが、職員たちは非常用の設備を使い、ポケモンたちの治療と施設の安全確認を続けていた。ジュンサーさんも、逃げたロケット団を追う警察官たちと連絡を取りながら、センター内の状況を確認している。

 

 俺は、カスミと一緒に待合スペースの椅子に座っていた。

 

 目の前では、ジョーイさんがピカチュウとヒトデマンの状態を確認している。二匹ともロケット団とのバトルで疲れていたが、深刻な怪我は負っていないようだった。

 

「ピカチュウ、疲れたよな。よく頑張ってくれた」

 

「ピカ、ピカ!」

 

 俺が声をかけると、ピカチュウは小さく鳴いて応えてくれた。

 

「でも、今日はもう無理をするなよ。ちゃんと休もう」

 

「ピカ!」

 

 元気よく返事をしたピカチュウだったが、すぐにその場に座り込んだ。本人が思っている以上に疲れていたらしい。

 

 俺は苦笑しながら、その頭を優しく撫でた。

 

 少し離れたところでは、カスミもヒトデマンを気遣っていた。

 

「ヒトデマン、大丈夫? どこか痛いところはない?」

 

「ヘアッ!」

 

 ヒトデマンはいつもの声で返事をする。ジョーイさんは、その様子を確認してから俺たちのもとへ戻ってきた。

 

「お待たせしました。ピカチュウとヒトデマンですが、どちらも命に関わるような怪我はありません。ただ、ロケット団とのバトルで体力を消耗しています。今日はしっかり休ませてあげてくださいね」

 

「分かりました。ありがとうございます」

 

「それから、サトシさんのポッポも診察しました。外傷は見られませんでしたが、捕まえたばかりのところに、森での騒動と長時間の移動が重なっています。念のため、今日はゆっくり休ませてあげてください」

 

「そうします。ポッポにも無理をさせたくありませんから」

 

 俺は腰にあるモンスターボールに目を向けた。

 

 ポッポを捕まえたあと、俺たちは森でオニスズメとオニドリルの群れに襲われた。群れは異様に興奮していて、俺たちが逃げても執拗に追いかけてきた。

 

 あのときは、立ち止まって対処するよりも、まずカスミとポケモンたちを安全な場所へ連れていくことを優先した。結果として長時間走り続けることになり、ポッポも十分に休めないままトキワシティまで来ることになった。

 

 捕まえたばかりの仲間に、これ以上負担をかけるわけにはいかない。

 

「それから、カスミさんの足も確認しました。捻挫による痛みは残っていますが、今のところ骨折などの重大な異常は見られません。処置は済んでいます。ただし、しばらくは無理に歩かないでくださいね」

 

「うう……分かりました」

 

 カスミは不満そうに口を尖らせたが、素直に頷いた。

 

「焦って動くと、治るまでに時間がかかってしまいます。今夜はできるだけ安静にしておきましょう」

 

「はい」

 

 ジョーイさんは頷いてから、今度は俺へ視線を向けた。

 

「サトシさんもです。あなた自身も、かなり疲れているはずですよ」

 

「俺ですか?」

 

「ええ。森でオニスズメとオニドリルの群れに追いかけられ、そのあと長時間移動して、さらにロケット団とのバトルまでありました。体に目立った怪我がなくても、疲労は蓄積しています。自分では平気だと思っていても、あとから一気に出てくることがありますから」

 

「……確かに、少し疲れています」

 

 俺は正直に答えた。

 

 体力にはある程度自信がある。前世の記憶を取り戻してからは、旅に出ることを見越して体も鍛えてきた。それでも、今日一日で起きた出来事は、普通の旅立ち初日とは到底言えないものだった。

 

 特に、森で波動を使ったときの頭痛は忘れられない。

 

 オニスズメとオニドリルの群れが発していた大量の気配が、一度に頭へ流れ込んできた。あの情報量に耐えきれず、俺は波動を切るしかなかった。

 

 今も、あのときの感覚を思い出すと、こめかみの奥に鈍い痛みが蘇るようだった。

 

「なら、なおさら休んでください。ポケモンを守るためにも、トレーナー自身の体調管理は大切ですよ」

 

「はい。気をつけます」

 

 俺が答えると、ジョーイさんは安心したように微笑んだ。

 

「よろしい。食事も用意できますから、少し落ち着いてから召し上がってくださいね」

 

「ありがとうございます」

 

 ジョーイさんはもう一度ポケモンたちの様子を確認してから、治療室へ戻っていった。

 

 俺は椅子の背もたれに体を預ける。

 

 ようやく一息つけた。

 

 ただ、今日起きたことを考えると、気を抜きすぎるわけにもいかなかった。

 

 森で遭遇したオニスズメとオニドリルの群れ。突然の襲撃。群れがあれほど興奮していた理由。そして、トキワシティのポケモンセンターで起きた停電と、ロケット団による襲撃。

 

 それぞれが偶然に起きた出来事だと考えることもできる。

 

 だが、何かが裏でつながっている可能性も、完全には否定できなかった。

 

 もちろん、今の段階では証拠がない。

 

 推測だけで結論を出すべきではないだろう。

 

「……サトシ、何を考えてるの?」

 

 隣からカスミの声がした。

 

「森でのことを思い出していたんだ。オニスズメとオニドリルの群れ、ずいぶん興奮していたよな」

 

「そうね。あんなにしつこく追いかけてくるなんて、普通じゃないと思う。何かに驚いていたのか、それとも別の理由があったのか……」

 

「今はまだ分からないな。俺たちが分かっているのは、群れが突然現れて、俺たちを追いかけてきたということだけだ」

 

「そうね。ロケット団が関係している可能性もあるの?」

 

「可能性だけなら否定はできない。でも、証拠がないうちから決めつけるべきじゃないと思う」

 

 カスミは少し考え込んでから頷いた。

 

「確かにね。分からないことを、分かったつもりになっても仕方ないか」

 

「そういうこと。まずは、自分たちにできることを考えよう」

 

「……あんた、旅に出たばかりなのに、ずいぶん落ち着いてるのね」

 

 カスミが呆れたような顔をした。

 

「そうか?」

 

「そうよ! 普通なら、あんな目に遭ったあとにロケット団まで出てきたら、もっと慌てるものじゃない?」

 

「怖くないわけじゃないさ。ただ、慌てても状況が良くなるとは限らないからな。まずは自分とポケモンの安全を確保して、それからできることを考える。それだけだよ」

 

「……ふうん」

 

 カスミは俺をじっと見つめた。

 

「やっぱり、変わってるわね、あんた」

 

「今日だけで何度も言われた気がするな」

 

「自覚があるなら、少しは普通の男の子らしくしたら?」

 

「普通の男の子って、どういうのを言うんだ?」

 

「そ、それは……!」

 

 カスミは一瞬言葉に詰まり、それから顔を逸らした。

 

「と、とにかく! あんたは落ち着きすぎなの!」

 

「分かった。今後の参考にするよ」

 

「絶対、分かってないでしょ!」

 

 いつもの調子で言い合えるくらいには、カスミも落ち着いてきたようだ。

 

 俺は少し笑い、彼女の足元に視線を落とした。

 

「でも、足が痛んだらすぐに言ってくれよ。無理して歩く必要はないからな」

 

「分かってるわよ。……ありがとう」

 

 最後の言葉は、先ほどまでよりも少し小さかった。

 

 俺が聞き返す前に、カスミはそっぽを向いてしまった。

 

 そのときだった。

 

「サトシさん。ジュンサーさんがお話をしたいそうです」

 

 ジョーイさんが、俺たちのところへ戻ってきた。

 

「分かりました」

 

 俺は立ち上がろうとしたが、ジョーイさんに軽く手で制された。

 

「無理に立たなくても大丈夫ですよ。ここでお話しできますから」

 

 ほどなくして、ジュンサーさんがやって来た。

 

 彼女は手帳を手にしており、先ほどよりも少し表情を引き締めていた。

 

「サトシ君、カスミさん。ポケモンたちの状態はどう?」

 

「ジョーイさんによると、みんな大きな怪我はないそうです。疲れているので、今日は休ませるつもりです」

 

「そう。それはよかったわ」

 

 ジュンサーさんは安堵した様子を見せたあと、俺に向き直った。

 

「先ほどのロケット団について、もう少し確認しておきたいことがあるの。あなたたちが直接戦った相手は、三人組だったわね?」

 

「はい。女性と男性、それから人間の言葉を話すニャースです。女性がアーボ、男性がドガースを出してきました」

 

「人間の言葉を話すニャース……。それは珍しいわね」

 

「俺も驚きました。ただ、俺たちが確認できたのは、目の前にいた三人と、あとから合流して逃げていった複数の団員です」

 

「なるほど。こちらでも、複数の団員がポケモンセンター周辺にいたことを確認しているわ。警察が対応している間に、あの三人が裏口から侵入したようね。現時点では、逃走した団員たちの身元や目的について、まだ調査を続けているところよ」

 

「何かを盗もうとしていたんでしょうか?」

 

 カスミが尋ねた。

 

「その可能性はあるわ。ただ、今回の件については、まだ断定できない。幸い、センター内のポケモンが盗まれたという報告はないし、職員にも大きな被害は出ていない。あなたたちが対処してくれたことも、状況を確認するうえで重要な情報になったわ」

 

「俺たちは、目の前のポケモンを守ろうとしただけです」

 

「それでも、よ。危険な状況で冷静に判断するのは、簡単なことではないわ」

 

 ジュンサーさんは俺を見つめた。

 

「森でオニスズメとオニドリルの群れに追いかけられたときも、あなたはカスミさんとポケモンたちの安全を優先したそうね」

 

「はい。あの群れの様子は普通じゃありませんでした。立ち止まって戦うより、まず距離を取ったほうがいいと判断したんです」

 

「群れが興奮していた理由について、何か心当たりはある?」

 

「今のところ、ありません。森で大きな音がしたあと、群れが現れたことは覚えています。でも、その音が原因だったのかどうかも分かりません」

 

「分かったわ。確認できたことと、分からないことをきちんと分けているのね」

 

 ジュンサーさんは手帳に記録を残した。

 

「ロケット団の件も、森での群れの件も、こちらで調べておくわ。あなたたちは、しばらく無理をしないこと。特にカスミさんは足を痛めているのだから、安静にしていてね」

 

「分かりました」

 

「それと、逃走した団員たちについて何か思い出したことがあれば、すぐに知らせてちょうだい」

 

「はい」

 

 ジュンサーさんは最後にもう一度俺たちへ注意を促してから、その場を離れた。

 

 これで、ひとまず警察への説明は終わったらしい。

 

 俺は椅子に座り直し、息を吐いた。

 

 その様子を、少し離れた場所からジョーイさんが見ていた。

 

 ジュンサーさんが職員用の通路へ向かったあと、ジョーイさんは彼女に声をかけた。

 

「ジュンサーさん。少し、お話ししてもいいですか?」

 

「ええ、もちろん。どうしたの?」

 

 二人は待合スペースから少し離れたカウンターの内側へ移動した。

 

「サトシ君、ずいぶん落ち着いていましたね」

 

 ジョーイさんが言った。

 

「ええ。状況の説明も分かりやすかったわ。森で何が起きたのかについても、実際に見たことと、原因が分からないことをきちんと分けて話していた」

 

「私もそう感じました。ポケモンの診察をしているときも、必要以上に不安がってはいませんでした。でも、ポケモンを気にかけていないわけではないんです。むしろ、ピカチュウの様子を何度も確認していました」

 

「冷静さと、ポケモンを心配する気持ちが両立しているということね」

 

「はい。それに、ポッポのことも気にしていました。捕まえたばかりのポケモンだからこそ、休ませる必要があると理解しているようでした」

 

 ジョーイさんは、治療室のほうへ目を向けた。

 

「トレーナーになったばかりの子は、旅への期待が大きくて、ポケモンの疲労を見落としてしまうこともあります。けれど、サトシ君は自分のポケモンだけでなく、カスミさんのヒトデマンのことも気にかけていました」

 

「自分の勝利だけを優先しているわけではないのね」

 

「そうですね。もちろん、まだ旅を始めたばかりですから、これから経験を積んでいく必要はあるでしょう。でも、ポケモンと向き合う姿勢には好感が持てました」

 

 ジュンサーさんは小さく頷いた。

 

「私が気になったのは、あの年齢で危険な状況をあれほど冷静に判断できたことよ。オニスズメとオニドリルの群れに追いかけられたときも、無理に戦うのではなく、逃げることを選んだ。ロケット団とのバトルでも、周囲への被害を抑えることを優先していたわ」

 

「確かに、少し大人びているようには感じますね」

 

「ただ、今の段階で、それ以上のことを決めつけるつもりはないわ。旅に出たばかりでも、しっかりした考えを持つ子はいるもの。今回の対応だけで、何か特別な事情があると判断するのは早いでしょう」

 

「そうですね。私たちにできるのは、必要なときに支えてあげることだと思います」

 

 ジョーイさんは穏やかに微笑んだ。

 

「それに、サトシ君自身も疲れているはずです。あの子が無理をしないよう、今夜はしっかり休ませてあげたいですね」

 

「ええ。ロケット団の件は警察が調べるわ。森での騒動についても、周辺の情報を集めてみる。彼らに余計な負担をかける必要はないでしょう」

 

 二人はそれ以上、サトシについて推測を重ねることはしなかった。

 

 彼女たちが見たのは、危険な状況でも冷静に行動し、ポケモンの状態を気遣う一人の少年だった。

 

 その行動の裏に、前世の記憶や未来の知識、そして波動という力があることまでは、知る由もない。

 

 やがて、ジョーイさんが俺たちのところへ戻ってきた。

 

「お待たせしました。お食事の準備ができましたよ。今日はしっかり食べて、ゆっくり休んでくださいね」

 

「ありがとうございます」

 

「助かります!」

 

 俺とカスミは立ち上がった。

 

 カスミは足をかばいながら、ゆっくりと歩き始める。俺は彼女の歩幅に合わせ、必要なら支えられるように隣を歩いた。

 

「サトシ、今日は本当にいろいろあったわね」

 

「ああ。旅立ち初日から、ずいぶん濃い一日になったな」

 

「まったくよ。オニスズメとオニドリルに追いかけられたと思ったら、今度はロケット団だもの。こんなことになるなんて、思ってもいなかったわ」

 

「俺もだよ」

 

 少なくとも、今日一日の出来事は、前世で知っていたアニメの展開と完全に同じというわけではない。

 

 知識があれば、すべてを思いどおりにできる。

 

 そんな考えは、最初から持っていないつもりだった。

 

 けれど、実際に目の前で起きた出来事は、俺の知識だけでは説明できないこともある。

 

 だからこそ、見たものを確かめ、分からないことを調べ、仲間と一緒に進んでいく必要があるのだろう。

 

 まずは休息だ。

 

 明日になれば、また新しい一日が始まる。

 

 俺はピカチュウの入ったボールを確認し、それから隣を歩くカスミへ視線を向けた。

 

「カスミ、今日は無理せず休もう。明日のことは、体の具合を見てから考えればいい」

 

「……そうね。今は、そうするしかないか」

 

 カスミは少し悔しそうにしながらも、最後には頷いた。

 

 こうして、俺たちの旅立ち初日は、予想もしなかった騒動とともに、ようやく終わりを迎えようとしていた。

 

第五幕「旅の夜、波動で交わす心」

 

 夕食を終える頃には、ポケモンセンターの中もだいぶ落ち着いていた。

 

 俺たちはジョーイさんに案内され、今夜泊まる部屋へ向かっていた。

 

「本来なら、旅に出たばかりのトレーナーさんには、できるだけ明るいうちに次の町へ向かうことを勧めているんです。でも、今日はお二人とも疲れていますし、カスミさんも足を痛めていますから、ここで休んでいってくださいね」

 

「ありがとうございます。助かります」

 

 俺が礼を言うと、カスミも小さく頷いた。

 

「私も、今日はさすがに歩き回りたくないわ……」

 

 強気な口調だったが、実際にはかなり疲れているのだろう。彼女は痛めた足を気にしながら、そっと体重を移していた。

 

 俺はその様子を見て、自然と声をかけた。

 

「無理するなよ。部屋に着いたら、なるべく足を休ませたほうがいい」

 

「分かってるわよ。子供扱いしないで!」

 

「子供扱いしてるつもりはないけどな。痛いものは痛いだろ?」

 

「そ、それはそうだけど……」

 

 カスミは言い返そうとして、途中で口を閉じた。

 

 心配してくれているだけだ。そんなことは分かっている。

 

 分かっているのに、こうして当たり前のように気遣われると、なぜか調子が狂う。

 

 今まで出会ってきた男の子たちの中には、自分の話ばかりする者や、こちらの話をまともに聞かない者もいた。けれど、サトシは違う。こちらの様子をよく見ていて、必要なときには自然に手を差し伸べてくる。

 

 それが特別なことではないように振る舞うから、余計に反応に困るのだ。

 

 ……別に、変な意味じゃないわよ。

 

 カスミは心の中でそう言い聞かせた。

 

 やがて部屋に到着し、ジョーイさんが扉を開けた。

 

「こちらのお部屋を使ってください。何か必要なものがあれば、遠慮なく声をかけてくださいね。それでは、ごゆっくりお休みください」

 

「ありがとうございます」

 

 部屋にはベッドが二つあり、小さなテーブルと椅子、それに荷物を置ける棚が備えられていた。

 

 ジョーイさんが去ると、カスミはベッドの端に腰を下ろし、ほっと息を吐いた。

 

「はあ……やっと落ち着けたわね」

 

「ああ。今日は本当にいろいろあったからな」

 

「まったくよ。朝は普通に旅に出るつもりだったのに、オニスズメとオニドリルの群れに追いかけられて、嵐の中を逃げて、挙げ句の果てにはロケット団とバトルだもの」

 

「予定どおりにいかないのが旅、ということなのかもしれないな」

 

「旅って、こんなに大変なものなの?」

 

「毎日こんなことが起きるとは思いたくないな」

 

 俺がそう言うと、カスミは思わず笑った。

 

 笑った拍子に足が少し痛んだのか、彼女は顔をしかめる。

 

「大丈夫か?」

 

「だ、大丈夫! ちょっと痛んだだけよ」

 

「本当に? 我慢してるなら、ジョーイさんにもう一度診てもらおう」

 

「だから、大丈夫だってば!」

 

 反射的に強く言い返したあと、カスミは気まずそうに視線を逸らした。

 

「……心配してくれるのは分かったから」

 

「ならいいけど。痛みが強くなったら、遠慮せずに言ってくれよ」

 

「……うん」

 

 最後の返事は、自分でも驚くほど素直なものになった。

 

 カスミは慌てて咳払いをし、話題を変える。

 

「そ、それより、明日はどうするの?」

 

「朝になったら、まず足の具合を確認しよう。歩けそうなら、そのあとで行き先を考える。無理そうなら、もう少しここで休んだほうがいい」

 

「でも、いつまでもここにいるわけにもいかないでしょ?」

 

「焦らなくていいさ。体を治すのも旅のうちだよ」

 

 カスミは俺をじっと見つめた。

 

「……あんたって、本当に変なところで大人びてるわね」

 

「それ、今日何回目だ?」

 

「何回でも言うわよ。だって、本当にそうなんだもの」

 

 彼女は口を尖らせたものの、すぐに表情を和らげた。

 

「でも……今日、あんたが一緒にいてくれて助かったわ」

 

「俺だけじゃないさ。カスミだって、ヒトデマンと一緒に戦ってくれただろ?」

 

「そうだけど……」

 

「それに、あの群れから逃げるときも、一緒に頑張った。どちらか一人だけだったら、もっと大変だったと思う」

 

 俺がそう答えると、カスミは一瞬、言葉を失った。

 

 自分のことを、きちんと仲間として見てくれている。

 

 ただ助けられる側としてではなく、一緒に行動した相手として。

 

 それが嬉しかった。

 

 けれど、素直に嬉しいと言うのは、なんだか気恥ずかしい。

 

「……まあ、私だって、それなりに役に立ったってことね!」

 

 結局、口から出たのはそんな言葉だった。

 

「もちろん」

 

 サトシは、当たり前のことを確認するように頷いた。

 

 その何気ない返事に、カスミの胸が小さく跳ねた。

 

 ……もう。どうして、そんなに普通に言えるのよ。

 

 彼にとっては本当に、仲間を認めることなど当たり前なのだろう。だからこそ、こちらばかりが意識しているようで、少し悔しい。

 

 カスミは顔に出さないようにしながら、ベッドのシーツを指先で整えた。

 

「それに、あんたはポケモンのことになると、ちゃんと熱くなるのね」

 

「ポケモンのことは大切だからな」

 

「それは分かるわ。ピカチュウを心配していたし、捕まえたばかりのポッポのことも気にしていた。ロケット団とのバトルでも、ポケモンセンターを壊さないように戦っていたし」

 

「ポケモンが傷つくのは嫌だし、周りに迷惑をかけるのも避けたいからな」

 

「……そういうところ、嫌いじゃないわ」

 

 言った瞬間、カスミは自分の言葉に気づいた。

 

 嫌いじゃない。

 

 それは、ただの評価として口にした言葉だったはずだ。

 

 なのに、サトシがこちらを見た途端、頬が少し熱くなる。

 

「そうか。ありがとう」

 

 サトシは特に深く考えた様子もなく、穏やかに礼を言った。

 

 ……な、何よ。その反応!

 

 もう少し驚くとか、照れるとか、何かないの?

 

 いや、別に、そういう反応を期待していたわけじゃないけれど。

 

 カスミは自分の考えに気づき、ますます落ち着かなくなった。

 

「と、とにかく! 明日に備えて、もう寝るわよ!」

 

「そうだな。おやすみ、カスミ」

 

「……おやすみ、サトシ」

 

 照明が落ち、部屋は静かな夜に包まれた。

 

 カスミは布団を肩まで引き上げ、天井を見つめていた。

 

 眠るつもりだったのに、なかなか目を閉じられない。

 

 今日の出来事が次々と頭に浮かんでくる。

 

 オニスズメとオニドリルに追いかけられたこと。嵐の中で必死に逃げたこと。足を痛めてしまったこと。そして、サトシに抱きかかえられて移動したこと。

 

 思い出した途端、カスミは布団の端をぎゅっと握った。

 

 あのときは、足が痛くて、歩くことも難しかった。だから運んでもらうしかなかったのだ。

 

 それは分かっている。

 

 けれど、彼の腕に抱えられていたときのことを思い返すと、胸の奥が妙にそわそわする。

 

 サトシは、こちらが恥ずかしがっていることなど気づいていない様子だった。むしろ、足の状態を気にして、少しでも負担をかけないようにしてくれていた。

 

 だからこそ、余計に意識してしまう。

 

 ……助けてもらったから、ちょっと気になっているだけ。

 

 危険な目に遭ったあとだから、気持ちが不安定になっているだけ。

 

 きっと、それだけだ。

 

 カスミは自分に言い聞かせ、横向きになった。

 

 それでも、サトシの落ち着いた声や、何気なく向けてくれた優しい表情が頭から離れなかった。

 

 彼は、ただ優しいだけではない。

 

 ポケモンを守るために必要なことを考え、危険な状況でも判断を誤らない。そして、自分の考えを押しつけるのではなく、こちらの意見にも耳を傾けてくれる。

 

 まだ出会って間もない。

 

 サトシがどんな人なのか、知らないことのほうがずっと多い。

 

 それでも、もう少し彼のことを知ってみたいと思った。

 

 その気持ちが何なのか、カスミにはまだ分からなかった。

 

 ただ、明日も一緒に話せたらいい。

 

 そんなことを考えているうちに、彼女の意識も少しずつ眠りへと沈んでいった。

 

     *

 

 俺は、カスミが眠ったのを確認してから、枕元に置いたモンスターボールへ意識を向けた。

 

 今日一日の疲れはかなりのものだったが、波動について確認しておきたいことがあった。

 

 ただし、無理は禁物だ。

 

 森でオニスズメとオニドリルの群れの気配を感じたときのように、大量の情報を一度に受け取れば、また頭痛に襲われる可能性がある。

 

 今夜は、すぐ近くにいる仲間たちとの意思疎通だけに留めよう。

 

 俺は目を閉じ、静かに意識を集中させた。

 

 まずはピカチュウ。

 

 波動を通して意識を向けると、疲労と眠気、それから俺のそばにいられる安心感のようなものが伝わってきた。

 

『ピカチュウ。今日はありがとうな。疲れただろう?』

 

 声に出さず、心の中で語りかける。

 

 すると、温かな感情が返ってきた。

 

 言葉そのものではない。それでも、何を伝えようとしているのかは、なんとなく理解できる。

 

 ピカチュウは、俺と一緒に戦えたことを喜んでいるようだった。そして、俺が無事であることにも安心している。

 

『俺も、お前がいてくれて心強かったよ。でも、今日はもう休もうな』

 

 返ってきた感情は穏やかだった。

 

 続いて、ポッポへ意識を向ける。

 

 ポッポから伝わってきたのは、疲れと警戒心、それから新しい環境への戸惑いだった。

 

 捕まえたばかりなのだから、当然だろう。

 

『ポッポ。まだ慣れないことも多いだろうけど、無理はしなくていい。俺たちと一緒に、少しずつ慣れていこう』

 

 ポッポの感情が、わずかに揺れた。

 

 完全に警戒が消えたわけではない。それでも、こちらの意図を理解しようとしているように感じられた。

 

『今日はゆっくり休んでくれ。明日のことは、明日考えよう』

 

 俺はそこで波動を弱めた。

 

 長時間使い続けるつもりはない。今夜は短い意思疎通だけで十分だった。

 

 それでも、こうして言葉を使わずに気持ちを伝えられるのは、不思議な感覚だった。

 

 ポケモンの気持ちを知ることと、相手の気持ちを決めつけることは違う。波動で伝わってくるものを大切にしながら、実際の行動や表情もきちんと見る必要がある。

 

「……少しずつ、だな」

 

 俺は小さく呟き、モンスターボールを枕元に置いた。

 

 そのとき、隣のベッドから小さな声が聞こえた。

 

「……サトシ?」

 

「ん? 起きてたのか?」

 

「ちょっとだけ。今、誰かと話してた?」

 

 カスミは眠そうに目をこすりながら、こちらを見ていた。

 

「いや、声には出していないよ。波動を使って、ピカチュウとポッポの気持ちを確かめていたんだ」

 

「波動……あの、森で話していた力?」

 

「ああ。まだ、何でもできるわけじゃないけどな。ポケモンの気配を感じたり、気持ちを伝え合ったりできるみたいなんだ」

 

 カスミは眠気を忘れたように、少しだけ体を起こした。

 

「気持ちを伝え合うって……本当に、ポケモンの考えていることが分かるの?」

 

「全部を言葉みたいに理解できるわけじゃない。感情や、何かを伝えようとしていることが分かる感じだな。勘違いすることだってあると思う」

 

「へえ……すごい力なのね」

 

 カスミは驚いたように目を丸くした。

 

 それから、少し考え込む。

 

「でも、ポケモンの気持ちが分かるなら、便利そうね。何を考えているのか、どうして嫌がっているのか、分かることもあるんでしょ?」

 

「そうだな。ただ、波動があるからって、相手の気持ちを全部理解したつもりになるのはよくないと思う。ポケモンにも、それぞれ考えがあるからな」

 

「……あんたらしい考え方ね」

 

「そうか?」

 

「うん。力があるから何でもできる、って考えないところがね」

 

 カスミは少しだけ笑った。

 

 サトシの波動は、確かに不思議な力だ。

 

 もし自分が同じ力を持っていたら、もっといろいろなことを知ろうとしてしまうかもしれない。相手の気持ちを確かめ、少しでも有利に動こうとするかもしれない。

 

 けれど、サトシは違った。

 

 相手の気持ちを知ることができても、それを理由に相手の意思を無視していいわけではない。そんな考え方を、ごく自然に口にする。

 

 そのことが、カスミには少し眩しく感じられた。

 

「ねえ、サトシ」

 

「何だ?」

 

「その力って、使うと疲れるの?」

 

「使い方によるみたいだ。今日は一度にたくさんの気配を感じたせいで、頭が痛くなった。だから、まだ無理はできない」

 

「だったら、ちゃんと休みなさいよ。あんた、自分のことになると平気な顔をするんだから」

 

 少し強い口調だった。

 

 言い終わってから、カスミは自分でも驚いた。

 

 どうして、こんなに心配しているのだろう。

 

 もちろん、サトシが倒れたら困る。旅の途中で知り合った相手として、無事でいてほしいと思うのは自然なことだ。

 

 それに、彼は今日、自分を助けてくれた。

 

 だから心配するのは当然。

 

 ……そう、当然よ。

 

 カスミは心の中で理由を並べた。

 

「分かった。今日はもう使わないよ」

 

「本当でしょうね?」

 

「ああ。約束する」

 

 サトシが素直に頷いたので、カスミはようやく安心した。

 

「なら、いいわ。……おやすみ」

 

「おやすみ、カスミ」

 

 カスミは再び布団に潜り込んだ。

 

 今度こそ眠ろうと思ったのに、胸の奥には、さっきとは少し違う温かさが残っていた。

 

 波動という不思議な力を持っていることも、ポケモンの気持ちを大切にしていることも、サトシの知らない一面だった。

 

 彼には、まだ知らないことがたくさんある。

 

 そう思うと、明日、また彼と話すのが少し楽しみになった。

 

 ……だから、これは好奇心よ。

 

 カスミは自分に言い聞かせ、目を閉じた。

 

     *

 

 部屋の中が静かになると、俺もようやく眠気を感じ始めた。

 

 今日の出来事を思い返せば、気になることはいくつもある。森での群れの異常な興奮、ロケット団の襲撃、そして波動の力。

 

 けれど、今すぐ答えを出す必要はない。

 

 明日は、カスミの足の具合を確認してから行動を決めよう。ピカチュウとポッポにも、十分に休んでもらわなければならない。

 

 俺は枕元のモンスターボールを確認し、ゆっくりと目を閉じた。

 

 体から力が抜けていく。

 

 旅立ち初日の疲れが、ようやく押し寄せてきた。

 

 明日も旅は続く。

 

 そのためにも、今は眠ることが必要だった。

 

 俺は深い眠りへと落ちていった。

 

 夜は静かに更けていく。

 

 カスミも、ピカチュウも、ポッポも、それぞれの場所で眠っていた。

 

 そして、朝が訪れるまで、俺は一度も目を覚ますことなく、ぐっすりと眠り続けた。

 

第2話 外伝「眠れない夜、気になるあいつ」

 

 ――まったく、今日は本当に散々な一日だった。

 

 私はポケモンセンターのベッドに腰を下ろし、深いため息をついた。

 

 朝はいつもどおり、水ポケモンを探しながら釣りを楽しむつもりだった。それなのに、森から突然現れたオニスズメとオニドリルの群れに追いかけられ、嵐の中を逃げ回る羽目になった。

 

 おまけに足まで痛めてしまうし、ようやく落ち着いたと思ったら、今度はロケット団がポケモンセンターを襲撃してきた。

 

「……なんなのよ、もう!」

 

 思わず声に出してしまい、私は慌てて口を閉じた。

 

 隣のベッドにはサトシがいる。

 

 今は静かにしているようだけれど、起きていたら、また何か言われるかもしれない。

 

 ……別に、あいつのことなんて気にしてないけど。

 

 私は自分にそう言い聞かせながら、枕を整えた。

 

 けれど、頭の中には今日の出来事が次々と浮かんでくる。

 

 特に、森で逃げていたときのこと。

 

 オニスズメとオニドリルの群れは、異様なほど興奮していた。私たちが逃げても追いかけてきて、何度も襲いかかろうとしてきた。

 

 あんなに大勢の鳥ポケモンに追いかけられるなんて、思い出すだけでもぞっとする。

 

 それでも、サトシは妙に落ち着いていた。

 

 もちろん、怖くなかったわけじゃないと思う。私だって怖かったのだから、あいつだって同じはずだ。

 

 でも、サトシは状況を見ながら、どうすれば逃げられるかを考えていた。

 

 私が転んだときも、すぐに助けてくれた。

 

 そして、足を痛めて歩けなくなった私を、抱きかかえて運んでくれたのだ。

 

「……っ!」

 

 そこまで思い出した瞬間、私は布団をぎゅっと握りしめた。

 

 いやいやいや!

 

 あれは仕方なかったのよ。足が痛くて、まともに歩けなかったんだから。あいつが運んでくれなかったら、トキワシティまでたどり着くのも大変だったはずだ。

 

 だから、あれは単なる救助。

 

 そう、救助よ!

 

 ……なのに。

 

 あいつの腕に抱えられたときのことを思い出すと、どうにも落ち着かない。

 

 サトシは私を運んでいる間も、足に負担がかからないか気にしていた。私が恥ずかしがっていることなんて、まるで気づいていない様子だった。

 

 それどころか、私が文句を言っても、必要なことだからと平然としていた。

 

 普通、もう少しくらい照れたりするんじゃないの?

 

 ……いや、別に照れてほしかったわけじゃないけど!

 

 私は布団を頭まで引き上げた。

 

 こんなことを考えている自分が、なんだか馬鹿らしくなってくる。

 

 サトシとは、今日会ったばかりだ。

 

 どんな人なのか、まだほとんど知らない。

 

 それなのに、どうしてこんなに気になってしまうのだろう。

 

 助けてもらったから。

 

 きっと、それだけ。

 

 危険な目に遭ったあとだから、気持ちが少し不安定になっているだけなのだ。

 

 そう結論づけようとしたところで、夕食のときの会話を思い出した。

 

『でも、あんたはポケモンのことになると、ちゃんと熱くなるのね』

 

『ポケモンのことは大切だからな』

 

 サトシは、当たり前のことを言うようにそう答えた。

 

 ピカチュウを気遣う姿も、捕まえたばかりのポッポを心配する姿も、ロケット団とのバトルで周囲への被害を抑えようとする姿も、どれも印象に残っている。

 

 ただ優しいだけではない。

 

 必要なときには冷静に判断し、相手のポケモンを倒すことだけにこだわらず、状況に応じて行動する。

 

 そして、私の意見もちゃんと聞いてくれる。

 

 私が足を痛めたときも、勝手に話を進めるのではなく、何度も状態を気にしてくれた。

 

 そういうところは……。

 

「……嫌いじゃない、かな」

 

 小さく呟いた直後、私は自分の口を押さえた。

 

 何を言っているのよ、私!

 

 誰にも聞かれていないわよね?

 

 隣のベッドをそっと見る。

 

 サトシはまだ静かにしていた。

 

 私はほっと胸を撫で下ろした。

 

 もし聞かれていたら、何と言い訳すればいいのか分からない。

 

 別に好きだなんて言ったわけじゃない。嫌いじゃないと言っただけだ。

 

 それくらい、誰にだってある。

 

 ……そうよ。誰にだって。

 

 私は何度も自分に言い聞かせ、目を閉じた。

 

 けれど、すぐに眠れるわけではなかった。

 

 今度は、サトシが持つ不思議な力のことが気になり始めたからだ。

 

     *

 

 少し前、部屋の明かりを消したあと。

 

 私は眠ろうとしていたのだけれど、隣から小さな声が聞こえてきた。

 

「……少しずつ、だな」

 

 サトシの声だった。

 

 何かを呟いているようだったけれど、誰かと会話しているわけではなさそうだった。

 

 気になって、私はそっと目を開けた。

 

「……サトシ?」

 

「ん? 起きてたのか?」

 

「ちょっとだけ。今、誰かと話してた?」

 

「いや、声には出していないよ。波動を使って、ピカチュウとポッポの気持ちを確かめていたんだ」

 

「波動……あの、森で話していた力?」

 

「ああ。まだ、何でもできるわけじゃないけどな。ポケモンの気配を感じたり、気持ちを伝え合ったりできるみたいなんだ」

 

 私は眠気を忘れ、少しだけ体を起こした。

 

「気持ちを伝え合うって……本当に、ポケモンの考えていることが分かるの?」

 

「全部を言葉みたいに理解できるわけじゃない。感情や、何かを伝えようとしていることが分かる感じだな。勘違いすることだってあると思う」

 

「へえ……すごい力なのね」

 

 思わず感心してしまった。

 

 ポケモンの気持ちを理解することは、トレーナーにとって大切なことだ。私だって、ヒトデマンの様子を見たり、声を聞いたりして、何を考えているのか理解しようとしている。

 

 でも、サトシの力は、それとは少し違うらしい。

 

 言葉を交わさなくても、波動を通して気持ちを伝え合える。

 

 そんなことが本当にできるなんて、考えたこともなかった。

 

「その力があれば、ポケモンの気持ちが分かるから便利そうね。どうして嫌がっているのかとか、何を望んでいるのかとか」

 

「そうだな。ただ、波動があるからって、相手の気持ちを全部理解したつもりになるのはよくないと思う。ポケモンにも、それぞれ考えがあるからな」

 

 私は少し驚いた。

 

 不思議な力を持っているのなら、もっと自信満々に話してもよさそうなのに。

 

 サトシは、自分の力にできることと、できないことをちゃんと分けて考えている。

 

 それに、ポケモンの気持ちを知ることができても、相手の意思を無視していいわけではないと考えているようだった。

 

「……あんたらしい考え方ね」

 

「そうか?」

 

「うん。力があるから何でもできる、って考えないところがね」

 

 口にしてから、私は少しだけ恥ずかしくなった。

 

 また、あいつのことを褒めてしまった。

 

 でも、本当にそう思ったのだから仕方ない。

 

 サトシは照れるでもなく、いつもの調子で返事をした。

 

「そういうものだと思うけどな」

 

 ……ほんと、調子が狂う。

 

 私は小さく息を吐いた。

 

「ねえ、サトシ。その力って、使うと疲れるの?」

 

「使い方によるみたいだ。今日は一度にたくさんの気配を感じたせいで、頭が痛くなった。だから、まだ無理はできない」

 

「だったら、ちゃんと休みなさいよ。あんた、自分のことになると平気な顔をするんだから」

 

 思ったよりも強い口調になってしまった。

 

 言い終わってから、自分でも驚いた。

 

 どうして、こんなに心配しているのだろう。

 

 もちろん、サトシが無理をして倒れたら困る。

 

 今日知り合ったばかりとはいえ、一緒に危険な目に遭った相手だ。無事でいてほしいと思うのは自然なことだろう。

 

 それに、彼は私を助けてくれた。

 

 だから心配するのは当然。

 

 ……そう、当然よ。

 

「分かった。今日はもう使わないよ」

 

 サトシは素直に頷いた。

 

「本当でしょうね?」

 

「ああ。約束する」

 

 その返事を聞いて、私はようやく安心した。

 

「なら、いいわ。……おやすみ」

 

「おやすみ、カスミ」

 

 私は再び布団に潜り込んだ。

 

 今度こそ眠ろうと思ったのに、胸の奥には、さっきとは少し違う温かさが残っていた。

 

 波動という不思議な力を持っていることも、ポケモンの気持ちを大切にしていることも、サトシの知らない一面だった。

 

 彼には、まだ知らないことがたくさんある。

 

 そう思うと、明日、また彼と話すのが少し楽しみになった。

 

 ……だから、これは好奇心よ。

 

 まだ知り合ったばかりなのだから、気になることがあるのは当たり前。

 

 私はそう自分に言い聞かせ、目を閉じた。

 

     *

 

 部屋の中は静かだった。

 

 隣からは、サトシの穏やかな寝息が聞こえてくる。

 

 どうやら、今度こそ眠ったらしい。

 

 私はそっと寝返りを打ち、彼のいるほうを見た。

 

 暗くて、顔まではよく見えない。

 

 それでも、今日一日の出来事を思い返すと、サトシの姿が自然と頭に浮かんでくる。

 

 森で逃げていたときの真剣な表情。

 

 私を助けてくれたときの、少しも迷いのない行動。

 

 ポケモンのことを話しているときの、楽しそうな声。

 

 そして、波動という力を使いながらも、決してそれを過信しない考え方。

 

 まだ一日しか一緒に過ごしていない。

 

 サトシがどんな人なのか、知らないことのほうがずっと多い。

 

 それでも、もう少し彼のことを知ってみたいと思った。

 

 明日になったら、また話をしてみよう。

 

 今度は、どんなことを話せるだろう。

 

 そんなことを考えているうちに、私のまぶたも重くなってきた。

 

「……おやすみ、サトシ」

 

 誰にも聞こえないくらい小さな声で呟く。

 

 返事はない。

 

 もちろん、眠っているのだから当たり前だ。

 

 私は少しだけ笑い、目を閉じた。

 

 今日の疲れは、まだ体に残っている。

 

 足も完全に治ったわけではない。

 

 明日は無理をせず、ちゃんと様子を見なければならないだろう。

 

 それでも、今日一日が最悪なだけの日だったとは、もう思わなかった。

 

 思いがけない出会いがあった。

 

 怖い思いもしたけれど、助けてくれる人がいた。

 

 そして、少しだけ気になる相手ができた。

 

 ……気になるだけよ。

 

 それ以上の意味なんて、まだないんだから。

 

 私は最後にもう一度だけ自分に言い聞かせ、ゆっくりと眠りに落ちていった。

 

 夜は静かに更けていく。

 

 明日の朝、目が覚めたら。

 

 私はきっと、いつもどおりの自分に戻っているはずだ。

 

 少なくとも、このときの私は、そう信じていた。




サトシのポケモン
ピカチュウ Lv8→10
ポッポ Lv4
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