ONE PIECE IF ~天災の副船長~ 作:ななみん@サメメイド
一、突然の休暇
「明日から三日、修行は休みだ!」
朝食の席で、ゲンザ・クロガネがそう宣言した。
カイル・D・ヴェインは、スープを飲む手を止めた。
「…………は?」
「聞こえなかったか?」
「聞こえた」
「ならいいじゃねェか!」
「いや、よくねェ」
カイルは椅子から身を乗り出した。
「親父が自分から修行を休みにするなんて、絶対おかしい」
ゲンザは豪快に笑った。
「ガハハハハ!」
「俺だって休むときゃ休む!」
「昨日、『休む暇があったら剣を振れ』って言ってただろ」
「昨日は昨日だ!」
「都合のいい記憶力だな!?」
ゲンザはパンを丸ごと口へ放り込んだ。
そして、壁に掛けられた海図を指差す。
「隣の島へ行くぞ」
カイルは目を丸くした。
「……隣の島?」
「ああ。リーフェン島だ」
「何しに?」
「買い物だ!」
「それだけ?」
「それだけだ!」
カイルは、しばらくゲンザを見つめた。
そして、眉をひそめる。
「……何買うんだよ」
ゲンザは、満面の笑みで答えた。
「酒!」
「やっぱりかァァ!!」
二、小さな船、大きな海
翌朝。
二人はクロガネ島の港から、小型の帆船で出航した。
船はゲンザの持ち物だった。
古びた二本マスト。
船体には何度も補修した跡がある。
だが、帆も舵もよく手入れされていた。
船名は『鬼丸』。
「……親父」
「何だ?」
「何でこんな名前?」
ゲンザは胸を張った。
「格好いいだろ!」
「……まあ、うん」
「ガハハ! 素直じゃねェか!」
カイルは船縁に手を置き、遠ざかる島を眺めた。
クロガネ島が、少しずつ小さくなっていく。
外海へ出るのは、ベルナード島を失った日以来だった。
潮風が頬を撫でる。
波が船体を叩く。
遠くでは、大きな海鳥が鳴いていた。
(……海、か)
カイルは、静かに水平線を見つめた。
前世では、海を見ることなど珍しくなかった。
だが、この世界の海は違う。
島から島へ移動すること自体が冒険だ。
海賊。
海王類。
異常気象。
そして、未知の島々。
そのすべてが、現実として存在している。
「……カイル!」
ゲンザが声をかけた。
「おう?」
「舵、握ってみろ!」
カイルは目を見開いた。
「……いいの?」
「おう!」
ゲンザは笑った。
「今日は海の授業だ!」
カイルは、ゆっくり舵輪へ近づいた。
そして、小さな手で握った。
思ったより重い。
「……うお」
ゲンザは隣に立った。
「いいか、カイル」
「……ああ」
「船ってのは、力任せに動かすもんじゃねェ」
ゲンザは帆を指差した。
「風を見ろ」
続いて、海面。
「波を見ろ」
そして、遠くの雲。
「空を見ろ」
カイルは、静かに頷いた。
「……全部?」
「おう!」
ゲンザは豪快に笑った。
「海の上じゃ、全部が敵にも味方にもなる!」
カイルは、舵輪を握り直した。
(……なるほどな)
剣術と同じだ。
相手だけを見るのではない。
周囲を知り、状況を読む。
ゲンザは、ただ船の操縦を教えているわけではなかった。
三、海の怪物
出航から数時間。
海は穏やかだった。
カイルは、ゲンザの指示に従いながら舵を取っていた。
「……親父」
「何だ?」
「意外と簡単だな」
ゲンザは、にやりと笑った。
「そうか?」
「ああ」
「なら、そろそろ難しいことを教えるか!」
カイルは眉をひそめた。
「……嫌な予感」
その瞬間。
ごぼっ。
海面に、大きな泡が浮かんだ。
カイルは首を傾げる。
「……ん?」
続いて。
ごぼごぼごぼっ!!
船の周囲で、無数の泡が弾ける。
ゲンザの表情が変わった。
「……ほう」
カイルは、ゆっくり海を見た。
海面の下。
巨大な影。
船より、はるかに大きい。
(……待て)
影が動く。
そして。
ざばああああん!!
巨大な魚の頭が、海面から現れた。
鋭い牙。
赤い目。
全身を覆う硬そうな鱗。
カイルは、口を開けたまま固まった。
「…………」
ゲンザは豪快に笑った。
「ガハハハ!」
「海王類だ!」
「笑ってる場合かァァ!!」
巨大な海王類は、船を見下ろしていた。
その口が開く。
中には、何列もの牙。
カイルは、慌てて舵を切ろうとした。
だが。
ゲンザが肩へ手を置いた。
「……落ち着け」
カイルは顔を上げた。
「落ち着けるかよ!」
「いいから、よく見ろ」
ゲンザは、海王類を指差した。
「こいつ、何を見てる?」
カイルは、恐る恐る顔を向けた。
海王類の視線。
巨大な目。
その先には。
船の後方。
海面を泳ぐ、小魚の群れがあった。
(……あ)
ゲンザは笑った。
「こいつの狙いは、俺たちじゃねェ」
カイルは、ゆっくり息を吐いた。
「……魚?」
「おう」
次の瞬間。
海王類が、小魚の群れへ突進した。
ざばあああん!!
巨大な波が、船を揺らした。
「うわっ!?」
カイルは舵輪へしがみついた。
ゲンザは、片手で船体を支えるように踏ん張る。
そして。
「ガハハハハ!」
「いい経験になったな!」
カイルは、震える声で答えた。
「……寿命縮んだわ」
四、リーフェン島
昼過ぎ。
船はリーフェン島へ到着した。
クロガネ島より少し大きく、港町も賑やかだった。
石造りの建物。
市場。
酒場。
造船所。
そして、島の中央には高い時計塔が建っている。
カイルは、興味深そうに周囲を見回した。
「……結構大きいな」
ゲンザは笑った。
「ガハハ!」
「ここは商人が多いからな!」
二人は、港から市場へ向かった。
途中、ゲンザは何人もの人間に声をかけられた。
「ゲンザさん!」
「久しぶりだ!」
「また酒を買いに来たのか!」
「ガハハ! そのとおりだ!」
カイルは、少し呆れた。
「……有名人だな」
ゲンザは胸を張った。
「おう!」
そして、笑った。
「酒飲みとしてな!」
「元大将としてじゃねェのかよ!!」
市場では、珍しい品物が並んでいた。
異国の布。
香辛料。
細工された銀食器。
そして、古い刀剣。
カイルは、刀を売っている店の前で足を止めた。
「……親父」
「ん?」
「ちょっと見てもいい?」
ゲンザは頷いた。
「おう!」
カイルは、店先へ近づいた。
並んでいる刀は、どれも普通のものだった。
だが、一本だけ、少し気になる短剣があった。
細身の刃。
簡素な柄。
そして、刃の根元には小さな傷。
カイルは、店主へ尋ねた。
「……これ、いくら?」
店主は、カイルを見て笑った。
「坊主にはまだ早いぞ」
カイルは、少しだけ眉をひそめた。
「……見るだけ」
ゲンザが後ろから近づいてきた。
「おう、いいじゃねェか」
店主は、ゲンザを見ると目を見開いた。
「……黒鬼!?」
ゲンザは豪快に笑った。
「ガハハ!」
「久しぶりだな!」
店主は慌てて頭を下げた。
「ま、まさか、こんなところに!」
カイルは、ゆっくりため息をついた。
(……どこ行ってもこれだな)
五、値札のない刀
ゲンザは、カイルが見ていた短剣を手に取った。
そして、刃を確かめる。
「……ほう」
カイルが顔を上げる。
「……どう?」
ゲンザは、少しだけ笑った。
「悪くねェ」
店主が驚いた顔をする。
「本当ですか!?」
ゲンザは頷いた。
「ああ」
そして、刃の根元を指差した。
「ここを見ろ」
カイルは、顔を近づけた。
「……傷?」
「そうだ」
ゲンザは続ける。
「使い込まれてるが、刃が死んでねェ」
「……」
「手入れした奴が、ちゃんと刀を知ってる」
カイルは、静かに頷いた。
(……なるほど)
ゲンザは、短剣を店主へ返した。
「いい品だ」
店主は、嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます!」
カイルは、もう一度短剣を見た。
「……親父」
「何だ?」
「これ、買っていい?」
ゲンザは、少し考えた。
そして。
「……まだ早ェな」
カイルの表情が曇る。
「……そっか」
ゲンザは、頭を撫でた。
「本物の刀は、もう少し先だ」
カイルは頷いた。
「……分かった」
そして。
「いつか、自分の刀を作るからいいや」
ゲンザは、豪快に笑った。
「ガハハ!」
「楽しみにしてるぞ!」
六、船のない船乗り
市場を出たあと。
カイルは、港の片隅で一人の男を見かけた。
ぼろぼろの服。
伸びた髭。
そして、片足を引きずっている。
男は、地面に座っていた。
目の前には、小さな木箱。
その中に、古い羅針盤と海図が入っている。
カイルは、少しだけ足を止めた。
「……親父」
「何だ?」
「あの人、何してるの?」
ゲンザは、男を見た。
そして、少しだけ表情を変えた。
「……昔、船乗りだった男だ」
カイルが眉を上げる。
「……昔?」
「ああ」
ゲンザは、静かに続けた。
「海賊に船を沈められてな」
カイルの胸が、少しだけ痛んだ。
「……そうなんだ」
男は、古い羅針盤を手に取り、ぼんやり眺めていた。
ゲンザは、少しだけ黙った。
そして。
「……カイル」
「ん?」
「ちょっと行ってこい」
カイルは目を丸くした。
「……何で?」
ゲンザは、にやりと笑った。
「話を聞いてこい」
「……話?」
「ああ」
「何を?」
ゲンザは、静かに答えた。
「海の話だ」
七、敗れた航海士
カイルは、男の前へ近づいた。
「……こんにちは」
男が顔を上げた。
「……ん?」
「海の話、聞いてもいい?」
男は、しばらくカイルを見つめた。
そして、少しだけ笑った。
「……珍しい坊主だな」
カイルは、隣へ座った。
男は、古い羅針盤を見つめた。
「……何が聞きたい?」
カイルは、少し考えた。
そして。
「……海って、楽しい?」
男の手が止まった。
しばらく沈黙。
そして。
「……ああ」
静かに頷いた。
「楽しかったよ」
カイルは、顔を上げた。
「……本当?」
男は、遠い海を見つめた。
「知らない島へ着くたび、胸が躍った」
「……」
「見たことのない景色。食べたことのない料理。聞いたことのない言葉」
カイルは、静かに聞いていた。
男は続けた。
「海は広い」
「……ああ」
「だが、だからこそ面白い」
その声には、懐かしさがあった。
カイルは、少しだけ笑った。
「……いいな」
男も笑った。
「……ああ」
だが。
その笑顔は、すぐに消えた。
「……でもな」
カイルが顔を上げる。
「……ん?」
「海は、優しくねェ」
男は、片足を見た。
「船を失った」
「……」
「仲間も失った」
カイルは、何も言えなかった。
男は続けた。
「俺は、あの日から海へ出てねェ」
沈黙。
潮風が、二人の間を吹き抜けた。
やがて。
カイルは、静かに尋ねた。
「……また、出たい?」
男は、目を見開いた。
「……何?」
カイルは、まっすぐ男を見た。
「海」
「……」
「また、出たい?」
男は、しばらく黙っていた。
そして。
「……出たいよ」
小さく答えた。
「本当は、今でもな」
カイルは、少しだけ笑った。
「……そっか」
男は、カイルを見つめた。
「……坊主」
「ん?」
「お前は、海へ出るのか?」
カイルは、少し考えた。
そして。
「ああ」
はっきり答えた。
「いつか、出る」
男は、少しだけ笑った。
「……そうか」
そして。
「なら、覚えとけ」
カイルが顔を上げる。
男は、海を指差した。
「船が沈むとき、腕っぷしだけじゃどうにもならねェ」
「……」
「潮を読み、風を読み、仲間を信じる」
カイルは、静かに頷いた。
「……ああ」
男は、羅針盤を握り締めた。
「それが、船乗りだ」
その言葉は、カイルの胸へ深く刻まれた。
八、強さの種類
夕方。
ゲンザとカイルは、港へ戻っていた。
船へ荷物を積み込む。
酒。
食料。
そして、カイルが買った数冊の本。
ゲンザは、荷物を担ぎながら尋ねた。
「……どうだった?」
カイルが顔を上げる。
「……何が?」
「あの船乗りだ」
カイルは、少しだけ考えた。
そして。
「……面白かった」
ゲンザは笑った。
「ガハハ!」
「そうか!」
カイルは、静かに続けた。
「……親父」
「何だ?」
「強い奴でも、海じゃ死ぬんだな」
ゲンザは、少しだけ目を細めた。
「……ああ」
カイルは、海を見つめた。
「剣が強くても、船を動かせなかったら意味ねェ」
「……」
「泳げても、嵐には勝てねェ」
ゲンザは頷いた。
「そうだ」
カイルは、少しだけ笑った。
「……俺、剣だけじゃ駄目だな」
ゲンザは、豪快に笑った。
「ガハハ!」
「ようやく分かったか!」
カイルは、少しだけ眉をひそめた。
「……最初から教えてくれりゃよかったのに」
ゲンザは笑った。
「言葉だけじゃ分かんねェこともあるんだよ!」
カイルは、ゆっくり頷いた。
「……確かに」
ゲンザは、カイルの頭を撫でた。
「剣も、航海も、料理も、全部覚えろ」
カイルが顔を上げる。
「……全部?」
「おう!」
ゲンザは笑った。
「海へ出るなら、何でもできた方が楽しいだろ!」
カイルは、少しだけ考えた。
そして、笑った。
「……そうだな」
九、帰りの嵐
翌朝。
二人はリーフェン島を出航した。
空は晴れていた。
風も穏やか。
だが。
出航から二時間ほど経った頃。
ゲンザが、空を見上げた。
「……ん?」
カイルは、舵輪を握りながら尋ねた。
「……何?」
ゲンザは、遠くの雲を指差した。
「……あれ、見えるか?」
カイルは目を細めた。
水平線の向こう。
黒い雲が、ゆっくり広がっている。
「……雨雲?」
ゲンザは頷いた。
「ああ」
そして。
「嵐になるぞ」
カイルの顔が引きつった。
「……マジ?」
ゲンザは、豪快に笑った。
「ガハハ!」
「いい授業になりそうだ!」
「笑うなァァ!!」
数十分後。
海は、一変した。
轟ッ!!
雷が鳴る。
風が帆を叩く。
波が船体へぶつかり、船が激しく傾く。
「うわっ!?」
カイルは、舵輪へしがみついた。
ゲンザが叫ぶ。
「カイル! 帆を畳むぞ!」
「……ああ!」
二人は、必死に帆を操作した。
雨が顔を叩く。
甲板は滑りやすい。
カイルは、何度も転びそうになった。
そのたびに、ゲンザの声が響く。
「足元を見ろ!」
「風を読め!」
「焦るな!」
カイルは、歯を食いしばった。
(……くそ)
剣の修行なら、何度もやり直せる。
だが。
海の上では違う。
一度の失敗が、命取りになる。
(……これが、海か)
カイルは、必死に舵を握った。
波が来る。
船が傾く。
舵を切る。
ゲンザが指示する。
その繰り返し。
やがて。
一時間ほど経った頃。
風が弱まり始めた。
雲が切れる。
太陽の光が、海面へ差し込んだ。
カイルは、甲板へ座り込んだ。
「……はぁ……はぁ……」
ゲンザは、豪快に笑った。
「ガハハハ!」
「よくやったな!」
カイルは、震える声で答えた。
「……死ぬかと思った」
「生きてるだろ!」
「結果論だよ!!」
ゲンザは大笑いした。
十、海を見る目
夕方。
クロガネ島が見えてきた。
カイルは、船首に立っていた。
目の前に広がる海。
その向こうには、夕日。
赤く染まった水平線。
カイルは、静かに息を吐いた。
(……広いな)
本当に、広い。
この海のどこかに。
ロジャーがいる。
ロックスがいる。
白ひげがいる。
そして、まだ知らない無数の海賊たちがいる。
前世では、画面の向こうの物語だった。
だが、今は違う。
自分も、この世界の一人だ。
カイルは、ゆっくり拳を握った。
(……いつか)
自分の船で。
自分の意思で。
この海へ出る。
そのとき。
ゲンザが隣へ立った。
「……どうした?」
カイルは、少しだけ笑った。
「……いや」
そして。
「海って、面白いな」
ゲンザは、目を細めた。
やがて。
「ガハハ!」
豪快に笑った。
「だろ!」
カイルも笑った。
終章 新しい目標
クロガネ島へ戻った翌日。
カイルは、机へ大きな紙を広げていた。
ゲンザが覗き込む。
「……何してんだ?」
カイルは、鉛筆を握っていた。
「……船の絵」
ゲンザが眉を上げる。
「船?」
「ああ」
紙には、まだ歪な線が描かれていた。
船体。
帆。
舵。
そして、甲板。
カイルは、少しだけ照れくさそうに笑った。
「……いつか、自分の船を作りたい」
ゲンザは、しばらく黙った。
そして。
「……そうか」
短く答えた。
カイルは続けた。
「船を動かして、世界中の島を見て回る」
「……」
「強い奴にも会ってみたい」
ゲンザは、少しだけ笑った。
「ガハハ」
そして。
「なら、まずは船の勉強だな!」
カイルは頷いた。
「ああ!」
ゲンザは、机の上に古い海図を置いた。
「ほれ」
カイルが顔を上げる。
「……何?」
「俺が昔使ってた海図だ」
カイルは、ゆっくり受け取った。
古い紙。
書き込まれた航路。
無数の印。
そして、見知らぬ島々の名前。
カイルの目が輝いた。
「……すげェ」
ゲンザは、豪快に笑った。
「ガハハ!」
「世界は広ェぞ、カイル!」
カイルは、静かに頷いた。
「……ああ」
そして、海図を見つめながら呟いた。
「……いつか、全部見てやる」
ゲンザは、少年の頭を撫でた。
「上等だ!」
窓の外。
海が、静かに輝いていた。
カイル・D・ヴェイン。
六歳。
剣士を目指す少年は、この日。
もう一つ、大きな夢を見つけた。
世界を旅すること。
まだ、どんな船に乗るのかも分からない。
誰と海へ出るのかも分からない。
だが、その夢は。
確かに、少年の胸で輝き始めていた。