小話:希望を持たせるのも、趣味のうち
「……シューレってさ」
ある日の休憩時間。
キルアは、水筒を片手にぼそりと呟いた。
「性格、悪いよな」
「今さらだな」
クラピカが即答した。
「いや、そういうレベルじゃねえんだって」
キルアは、少し離れた場所で鼻歌を歌いながら訓練器具を片づけているシューレを見た。
「アイツ、俺たちが失敗した時だけじゃなくてさ。失敗しそうになって、ギリギリで切り抜けた時も楽しそうなんだよ」
「……ああ」
クラピカの表情が曇った。
思い当たる節がありすぎた。
シューレとの訓練では、ただ逃げればいいわけではない。
攻撃の軌道を読み、地形を利用し、互いの死角を補い、何とか活路を見出す。
そして、ようやく全員で難局を切り抜けたと思った瞬間。
「まあ! 今のはよろしかったですわねぇ」
シューレは満面の笑みで褒めてくれる。
その直後。
「では、次はその方法が通用しない場合をやってみましょうか」
と、さらりと言う。
「……あれは、確かに悪趣味だな」
クラピカは認めた。
「でしょう!?」
キルアは勢いよく身を乗り出した。
「しかもさ、アイツ、俺たちが何とかできそうだって思った瞬間を狙ってくるんだよ!」
「それは……」
クラピカは言葉を止めた。
訓練中、何度も経験していた。
あと少しで逃げ切れる。
このままいけば勝てる。
ようやく相手の動きを読めた。
そう思った瞬間に、シューレは微笑むのだ。
『あら、もう分かりましたの?』
そして、次の瞬間には、それまでの攻略法が通用しなくなる。
「……単にこちらの成長に合わせているだけではないのか?」
「だったら、あんなに嬉しそうにしねえだろ」
「……それもそうだな」
二人は同時に、深いため息をついた。
その時。
「お二人とも、何のお話ですの?」
シューレが背後から現れた。
「「うわっ!?」」
「まあ。ワタクシ、そんなに驚かれるような登場をしました?」
「お前はいつもそうだろ!」
「ふふふ」
シューレは否定しなかった。
キルアは、ここぞとばかりに問い詰めた。
「なあ、シューレ。ひとつ聞いていいか?」
「どうぞ?」
「俺たちが困ってるのを見るのが好きなんだろ?」
「ええ」
あまりにもあっさりとした肯定だった。
「……否定しねえのかよ」
「否定する理由がありませんもの」
シューレは不思議そうに首を傾げた。
「ただ困っているだけでしたら、そこまで面白くありませんけれど」
「……は?」
「ワタクシが特に好きなのは、皆さんが『これならいける!』と思った後ですわねぇ」
キルアの顔から笑みが消えた。
クラピカが、ゆっくりとシューレを見た。
「……具体的には?」
「そうですわねぇ」
シューレは楽しそうに指を折った。
「まず、皆さんに課題を与えますでしょう?」
「……ああ」
「皆さんは考えます。工夫します。失敗して、また考えて、少しずつ上手になります」
「……」
「そして、ようやく解決策を見つける」
シューレはそこで、ぱっと笑顔を輝かせた。
「その瞬間が、とっても大切なんですの!」
「何がだよ……」
「皆さんが、『分かった!』というお顔をなさるでしょう?」
「……」
「目が輝いて、姿勢が変わって、さっきまでの不安が自信に変わるんですの。ああ、この方は今、ご自分の力で壁を乗り越えたのだなぁ、と」
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ、キルアは感心しかけた。
クラピカも、少しだけ表情を和らげた。
シューレは、二人を見てにっこりと笑った。
「――そこで、もうひとつ壁を置きますの」
「お前なぁぁぁぁ!!」
キルアの絶叫が響いた。
シューレは楽しそうに続ける。
「だって、せっかく自信がついたのですもの。その自信が、次の課題でどこまで通用するのか、気になりません?」
「お前が気になってんのは、俺たちの自信がどこまで持つかだろ!」
「まあ。よくお分かりですわねぇ」
「褒めんな!!」
クラピカは額を押さえた。
「つまり、君は……我々が問題を解決する過程だけでなく、解決したと思った瞬間の安堵や、次の問題に直面した時の落差まで楽しんでいるのか」
「ええ。落差は大切ですわねぇ」
「大切にするな、そんなもの!」
「もちろん、無理な課題を出しているわけではありませんわよ?」
「そこは聞いてねえんだよ!」
シューレは二人の反応を見て、くすくすと笑った。
「だって、最初から絶対に無理だと思っていたら、工夫なさらないでしょう?」
「……」
「少し頑張れば届きそう。工夫すれば何とかなるかもしれない。そう思えるからこそ、皆さんは真剣になるんですもの」
彼女は、実に穏やかな声で言った。
「希望があるから、皆さんは頑張れるんですわ。ですから、希望はきちんと持たせて差し上げませんと」
キルアは、しばらく彼女を見つめた。
「……お前、悪役の才能あるよ」
「まあ、光栄ですわ〜」
「褒めてねえって!」
その会話を、少し離れたところで聞いていたゴンが近づいてきた。
「ねえ、シューレ!」
「はい、ゴンさん」
「じゃあ、オレたちがすっごく頑張って、シューレの予想を超えたら?」
「もちろん、嬉しいですわよ」
「本当に?」
「ええ。ワタクシの予想を超えられるほど成長なさったのですもの」
ゴンはぱっと笑顔になった。
「そっか! じゃあ、もっと頑張る!」
「素晴らしいですわねぇ」
シューレも笑顔で頷いた。
キルアは、嫌な予感に目を細めた。
「……待て。ゴン、ちょっと待て」
「え? 何?」
「今の話、最後まで聞いてたか?」
「うん! シューレの予想を超えればいいんだよね!」
「そうだけど、そうじゃねえんだよ……!」
シューレは楽しそうに手を叩いた。
「では、ゴンさんがワタクシの予想を超えられたら、次はキルアさんとクラピカさんにも同じ課題に挑戦していただきましょう!」
「なんでそうなる!?」
「ゴンさんだけができるのも、面白いですけれど……」
シューレは少し考えるように頬に指を当てた。
「キルアさんが『ゴンにできて、オレにできないはずがない』とお考えになるのも、クラピカさんが『より効率的な方法があるはずだ』と分析なさるのも、どちらも楽しそうですわねぇ」
「俺たちの心理を勝手に課題に組み込むな!」
「おや。では、別の方法にいたしましょうか?」
「……別の方法?」
キルアは、しまった、と思った。
シューレの目が、いたずらを思いついた子供のように輝いていた。
「皆さんに、それぞれ違う課題を出しますの」
「……」
「そして、誰が最初に解決できるか競争していただきましょう」
「……」
「ただし、誰かが解決したら、その方には次の課題を。まだ解決できていない方には、今の課題を続けていただきますわ」
クラピカの顔が、みるみる険しくなった。
「……つまり、他の者が先に進んでいく様子を見ながら、自分だけが同じ場所で足止めされる可能性があるということか?」
「ええ」
「そして、焦って解決を急げば、かえって失敗する?」
「まあ! クラピカさん、もう課題の意図を理解なさったのですか?」
「理解したくなかった……!」
シューレは心底嬉しそうだった。
「皆さん、本当に賢くなりましたわねぇ。以前なら、ここまで説明しなくても、もっと素直に困ってくださいましたのに」
「成長を喜ぶ方向がおかしいだろ!!」
キルアは頭を抱えた。
ゴンは、まだやる気に満ちている。
クラピカはすでに、競争が始まった場合の問題点をいくつも考え始めていた。
そしてシューレは、そんな三人の反応を順番に眺めていた。
ゴンの純粋な意欲。
キルアの警戒と反発。
クラピカの分析と、分析した結果として深まっていく懸念。
どれも違っていて、どれも実に面白い。
シューレは満足げに頷いた。
「やはり、強い方々は素晴らしいですわねぇ」
「……結局、強者が好きなんじゃねえか」
キルアがぼそりと言った。
「いいえ?」
シューレは、にっこりと笑った。
「強者が、自分なら何とかできると信じている時のお顔が好きなんですの」
「……最悪だ」
「そして、その方が本当に何とかしてしまった時は、もっと好きですわ」
「……お?」
ゴンが顔を上げた。
シューレは楽しそうに続けた。
「だって、ワタクシの予想を超えたということでしょう? それはそれで、嬉しいことですもの」
「じゃあ、オレたちが成功したら、シューレも喜んでくれるんだね!」
「もちろんですわ〜」
ゴンは嬉しそうに笑った。
キルアは、深いため息をついた。
「……ああ、分かった。こいつ、どっちに転んでも楽しめるんだ」
「そういうことだな……」
クラピカも認めざるを得なかった。
成功すれば、シューレは心から喜ぶ。
失敗しても、シューレは楽しむ。
工夫すれば喜ばれ、予想を超えれば称賛され、困れば面白がられる。
どこにも、彼女が損をする展開がない。
しかも、本人は訓練生を壊すつもりなど一切ないのだ。
ただ、安全の範囲内で、相手の知恵と実力と自信がどこまで通用するのかを見たい。
そして、その過程で生まれる感情の変化を、心の底から楽しんでいる。
「……シューレ」
クラピカが、疲れた声で尋ねた。
「君は、我々が本当に嫌がっている時も、面白いと思うのか?」
シューレは、少しだけ考えた。
「本当に嫌がっているだけでしたら、困りますわねぇ」
三人は、ほんの少しだけ安堵した。
だが。
「嫌がりながらも、どうにかして状況を打開しようとなさっている時が、一番素敵ですわ」
「「「…………」」」
安堵した分だけ、絶望が深くなった。
シューレは三人の顔を見て、ふわりと笑った。
「ですから、皆さん。これからも、たくさん考えて、たくさん工夫して、たくさんワタクシを驚かせてくださいませね」
彼女は軽やかに手を振り、訓練場へ戻っていった。
残された三人は、しばらく沈黙していた。
やがてキルアが、ぽつりと言った。
「……俺、今までアイツに勝つ方法を考えてたんだけどさ」
「……ああ」
「勝っても負けても喜ばれるなら、どうすりゃいいんだ?」
クラピカは遠い目をした。
「勝敗ではなく、彼女の興味そのものをどうにかしなければならないのだろうな」
「じゃあ、興味をなくさせるには?」
「……分からない」
ゴンは、二人の顔を交互に見た。
「でも、シューレが喜ぶなら、オレ、もっと強くなりたいよ!」
「ゴン……」
クラピカは、その純粋さを眩しく思った。
キルアは、その純粋さを少しだけ恐ろしく思った。
そして、遠くからシューレの声が飛んできた。
「皆さーん! 明日は、皆さんが『もう解決できた』と思ったところから始めますわよ〜!」
三人は同時に顔を上げた。
「「「それ、どういう意味だぁぁぁぁ!!」」」
シューレは答えなかった。
ただ、楽しそうに笑っていた。
彼女にとって、強者の困惑とは、単なる失敗ではない。
自信が生まれ、希望が芽生え、知恵が働き、努力が実を結ぶ。
そのすべてを見届けたうえで、もう一度だけ、本人の予想を裏切る。
もちろん、相手が乗り越えられる余地は残しておく。
乗り越えられたら、心から褒める。
乗り越えられなければ、もう少し考えてもらう。
そして、相手が次こそはと目を輝かせたら――。
シューレは、誰にも聞こえない声で呟いた。
「……ふふ。次は、どんなお顔を見せてくださるのかしら」
その笑顔は、訓練生の成長を見守る師のものとしては、ほんの少しだけ。
悪趣味すぎた。