イツカノヨル ~5omeday, Under the Starlight~   作:アムロ・メイ

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ヒトリノヨル~The First Night: Crimson Eyes~

 人類と、強大な力を持つ亜人――『竜族』が血で血を洗う争いを続けて、どれほどの年月が経っただろうか。

 人の姿でありながら、戦いの時は巨大な竜へと姿を変え、一騎当千の力で戦場を蹂躙する『竜族』。

 それに対し、人類は火薬と剣、そして圧倒的に勝る数の力で竜族と辛うじて拮抗していた。

『戦いは数だ』と誰かが言った。それは確かに正しかったが、相応の犠牲者が出ている事も、また事実だった。

 これはそんな世界で産まれ育ち、犯罪者を取り締まる『看守』として働く青年、『シュウ・シラクサ』の物語である。

 

「いいか、シュウ。ベルトの留め具は緩んでないな? 拳銃の安全装置もすぐ外せるようにしておけよ」

 

 重犯罪者収容監獄の地下へと続く、冷たく湿った石造りの階段。

 その途中で足を止め、同期の看守であり親友の『ライラック・クローバー』が、シュウの腰回りにある拳銃のホルスターと鋼鉄製の警棒を指差し確認した。

 本来なら明るく気さくで、誰に対しても優しい男。

 しかし、今夜のライラックの声は低く、張り詰めていた。

 

「ああ、大丈夫だよ。ありがとう、ライラック。……けど、相手は独房に入れられた死刑囚なんだろ? そんなに警戒しなくても――」

「……お前は前線から遠い平和な街で育ったから、連中の恐ろしさを知らないんだ」

 

 ライラックの声がより低くなる。薄暗いガス灯の光に照らされた彼の瞳には、底知れないどす黒い憎悪の炎が揺らめいていた。

 

「今日から五日間、お前が夜間監視を担当する死刑囚は竜族だ。……忘れるな、あいつらは人間の言葉を話すだけの怪物だ。どんなに弱っているように見えても、絶対に同情するな。心を許すな。少しでも怪しい動きを見せたら、迷わず机の上の『処刑ボタン』を押せ。――分かったな? シュウ」

 

 親友の気迫に押され、シュウは小さく頷く。

 ライラックは小さく息を吐くと、いつもの顔を少しだけ取り戻したように笑い、シュウの肩をポンと叩いた。

 

「脅かすようなことを言って悪かったな。俺は大事な親友を怪物に殺されたくないだけなんだ。……無事でいろよ、シュウ」

 

 ライラックと別れ、シュウは重い鉄扉を開けて、地下最深部にある特別監視室へと足を踏み入れる。

 部屋の構造はひどく無機質だった。

 

 中央には分厚い防弾ガラスが嵌め込まれ、部屋を『看守室』と『独房』の二つへと完全に隔てられ、看守室側のガラスの前には簡素な事務机と椅子が一つだけ置かれている。

 そして、その机の中央で、異様な存在感を放っているものがあった。

 

 透明な安全カバーに覆われた、血のように赤いボタン。

 『処刑ボタン』だ。これを押せば、即座に独房内の通気口から高濃度の致死性神経ガスが噴出し、中の囚人を数秒で絶命させる仕組みになっている――。そう、看守長から聞かされていた。

 

 裁判すら行われず、五日後に処刑が決まっている竜族の重罪人――その名は『ミラ』。

 シュウの心の中では、どれ程凶暴な竜人が捕らえられているのかという未知への『恐怖』と、その命綱を、新米看守である自分の手が握っているという『重圧』が渦巻いていた。

 

 ゴクリと唾を飲み込み、恐る恐る防弾ガラスの向こう側――薄暗い独房の中へと視線を向ける。

 そして、息を呑んだ。

 

(……え?)

 

 そこにいたのは、ライラックが語るような恐ろしい怪物ではなかった。

 冷たい石の床にペタリと座り込んでいたのは、華奢で小さな少女だった。

 

 煤と埃で薄汚れた白いワンピースを身に纏い、細い首には革のベルトが巻かれている。

 長く伸びた髪の間からは先が尖った耳が覗き、前頭部からは、竜族の証である二本の美しい角が対称的に、緩やかな弧を描いて生えていた。

 

「――ッ!」

 

 シュウの存在に気づいたのか、少女がゆっくりと顔を上げた。

 ガラス越しに、視線が交錯する。

 少女の瞳は、鮮血やルビーを思わせるほどに透き通った『紅』をしていた。

 それは今にも消えてしまいそうなほど儚く、それでいて吸い込まれそうな圧倒的な美しさ。

 

 シュウの胸が、ドクンと大きく跳ねた。

 理屈ではなかった。彼女が竜族であることも、自分が看守であることも忘れ、シュウはただその紅い瞳の少女に、一瞬で心を奪われてしまっていた。

 立ち尽くすシュウを見つめ、少女――ミラと呼ばれている死刑囚は、乾いた唇をわずかに綻ばせた。

 

「こんばんは、看守さん」

 

 防弾ガラスの下部に設けられた音声伝達用の通気孔から、鈴を転がすような、澄んだ少女の声が響いた。

 シュウはハッと我に返り、慌てて机の前の椅子に腰を下ろす。

 

「あ、ああ……こんばんは。今日から君の監視を担当する、シュウだ」

「シュウさん――ですか。……随分と優しそうな目をした方がいらっしゃいましたね」

 

 ミラは立ち上がることもせず、床に座ったまま小首を傾げた。その仕草はどこか投げやりで、自分の置かれた状況に一切の関心を持っていないかのようだった。

 やがて彼女の視線が、シュウの目の前にある『赤いボタン』へと向ける。

 

「もう知っていると思いますが、私は、自分の住んでいた村を火の海にした大罪人です。多くの命を奪った、生きていてはいけない化け物です。裁判など不要でしょう?」

 

 ミラは自らを蔑むように、薄く、虚ろに微笑んだ。

 

「さあ、そのボタンを押して、私を殺してください」

 

 あまりにも淀みのない死の懇願だった。

 死への恐怖も、生への執着も、その声からは微塵も感じられない。ただ淡々と、当然の結末を促すように、彼女は自らの処刑を要求していた。

 

「なっ……何を言ってるんだ! 君の処刑は五日後のはずだ! 君が俺に危害を加えようとしない限り、このボタンを押すつもりはない!」

「どうしてですか? 五日後に死ぬのも、今ここで毒ガスを吸って死ぬのも、同じ事じゃないですか」

 

 ミラはゆっくりと立ち上がり、防弾ガラスのすぐ目の前まで歩み寄ってきた。

 ガラス一枚を隔てて、彼女の紅い瞳がシュウを真っ直ぐに見つめる。

 

「私は竜族ですよ。人間である貴方たちにとって、憎むべき敵のはずです。それに……早く殺してくださらないと、私が貴方を殺してしまうかもしれませんよ?」

 

 冷たく、刺すような言葉。

 看守長やライラックの『怪しい動きを見せたら迷わず押せ』という命令が、シュウの脳裏をよぎる。

 死刑囚自らが殺害を予告し、ガラスに近づいてきているのだ。看守としての職務に従うなら、血のように赤い処刑ボタンを押すのが正解なのだろう。

 半ばミラとライラック、二人の言葉によって後押しされるかのように、反射的に処刑ボタンへと手が伸び、ボタンの輪郭に指先が触れる。

 

 一瞬だけ、ミラを見た。

 

 彼女は逃げるどころか、死を受け入れるかのように目を閉じている。

 そして、ミラの白く細い手が無意識のように持ち上がり、自分の頭から生えた『二本の角』へと触れ、そっと撫で始めた。

 彼女がその角を撫でる手つきは、まるで大切な宝物か、自らの唯一の誇りを慈しむかのようにひどく愛おしげで、優しかった。

 その行為は竜族特有の祈りの所作なのか、人間であるシュウには分からない。

 

 しかし、その一連の所作により、結果的にではあるが、彼の心を平常心に戻していた。

 ――そして。

 

(……おかしい)

 

 平常心を取り戻したシュウの純粋な心に、強い違和感が突き刺さった。

 自分の住んでいた村を焼き払い、自らを『生きていてはいけない化け物』と卑下して死を望む竜族の少女。

 それがどうして自分の角だけは、そんなに誇らしげに、大切に撫でているんだ?

 それに、先ほど彼女の瞳の奥に揺れていたのは、凶悪な殺人鬼の狂気ではない。

 ただひたすらに深く、冷たい『孤独』の色だ。

 

 冷えた頭が更に回り、今度はミラの姿に視線を向ける。

 

 彼女の細い腕には擦り傷がいくつも刻まれ、満足な食事も与えられていないのか、立っているだけで今にも倒れてしまいそうなほど衰弱していた。

 

「……」

 

 シュウは大きく息を吐き出し、処刑ボタンから完全に手を引いた。

 ミラが驚いたように、ぱちりと紅い瞳を見開く。

 

「……どうして、押さないのですか?」

「俺は新米で、竜族のこともよく知らない。だけど……君が本当にそんな恐ろしいことをした悪魔なのか、俺にはどうしても信じられないんだ」

 

 シュウは椅子に深く座り直し、ガラス越しの少女に真っ直ぐ向き合った。

 

「少なくとも、今日ここで君を殺す理由はどこにもない。……少し休みなよ、ミラ。夜が明けるまで、俺がここで見守っているから」

 

 ミラはしばらくの間、信じられないものを見るようにシュウの顔を見つめていた。

 やがて彼女は、何かを諦めたように小さくため息をつくと、再びガラスから離れ、独房の隅にある冷たい床へと腰を下ろす。

 

「……『見守る』だなんて、おかしな看守さんですね。後悔しても知りませんよ」

 

 それきり、ミラは口を閉ざした。

 カチ、コチ、と看守室の時計の針が刻む音だけが、静まり返った地下室に響き渡る。

 ガラスを隔てた二つの孤独な空間で、シュウとミラの最初の夜は、静かに更けていった。

 

◆

 

 夜明けを告げる交代ベルが鳴り、シュウが「また今夜来るよ」と声をかけて看守室を去った後。

 誰もいなくなった薄暗い独房の中で、ミラと名乗る少女は、ボロボロな白いワンピースの裾をぎゅっと握りしめ、自らの膝を深く抱え込んだ。

 

(……変な人間)

 

 誰もいない空間で、彼女は心の中でぽつりと呟く。

 これまで彼女が出会ってきた人間たちは、誰もが二つの種類の目しか持っていなかった。

 

 彼女の頭にある希少な『角』を奪い取ろうとする、強欲で下卑た目。あるいは、竜族という存在そのものを恐れ、憎み、銃や剣を向けてくる冷酷な目。

 

 なのに、あのシュウと名乗った若い看守はどうだろう。

 

(私のこの角を見ても、欲に塗れた目もしなければ、怯えて銃を抜くこともしなかった。それどころか……まるで迷子を見るような、ひどく優しい目で私を見ていた)

 

 ガラス越しに向けられた、あの真っ直ぐで温かな眼差しを思い出すだけで、冷え切っていた胸の奥がチリチリと痛む。

 マリーは自分の角の先端にそっと指を這わせ、それから逃げるように、膝の間に顔を埋めた。

 

(……そんな目で見ないで。私に、生きる意味なんてないのに)

 

 冷たい石の床に、彼女の紅い瞳から零れた小さな雫が一つだけ落ち、誰にも気づかれることなく染み込んでいった。

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